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旅じゃBLOG アーカイブ

2006年12月31日

新年旅じゃBLOGスタート

いよいよ2007年1月1日より旅ジャーリスト会議会員によるBLOGを開始いたします。
歴史・グルメ・温泉・鉄道などなど、毎週さまざまなジャンルからの話題を提供していきます。
会員および会員外の方々からの投稿お待ちしています。
一応目標は毎日更新。でも時々取材などで書けなかったりすることもあるので、そこはご了承ください。
てなわけでまずは管理人の紹介から。

管理人:ふみくん
愛知県生まれ。旅行と競馬と歴史と自然を愛するおやじ。
別に競馬予想のブログ shugoroの日記 も一応さぼらずに毎日更新している (でも全然当たらない) 。こちらのブログでは主に歴史を担当。大河ドラマの突っ込みなどをしようと考えている。将来的には会員による毎週の曜日担当制にしたいが、WEBに対する技術が立ち遅れているので、まだ複雑なコンテンツはまったく把握していない。メインは通称しんじ君がつくっている。文字担当としてこれからもご支援よろしくお願いします。
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2007年01月01日

元旦だからこそ「正月パス」

新年明けましておめでとうございます。
それではさっそく旅じゃBLOGの第1回は元旦に大変重宝する「正月パス」の紹介です。
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さっそく管理人はこのフリーきっぷを使って新年早々、東北の秋田と角館へ日帰り旅行(取材)をしてきました。JR東日本が毎年12月中旬~晦日まで発売し、使用できるのは翌年の元旦のみというきっぷですが、新幹線・特急・急行の自由席が乗り放題に加え、座席が4回まで指定できます。ねだんは普通車用12,000円、グリーン車用18,000円(ともにこども半額)。フリー区間はJR東日本エリア全線に加え、JR北海道中小国~函館間と第三セクターの青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道・北越急行・伊豆急行の全線が乗れてしまうすぐれものです。
似たような商品に土・日曜限定の「土・日きっぷ」18,000円(2日間有効)がありますが、こちらはフリー区間が南東北・信越エリアに限られています。その点、正月パスなら東北全域をカバーし、かつはるばる来たぜの函館まで行けるわけです。単純に東京から秋田まで秋田新幹線こまちの指定席を利用すると、片道17,150円なわけですから、片道の移動手段だけでも十分モトはとれてしまうのです。いつも管理人は「青春18」を使っているだけに新幹線の機動力にはビックリしました。元旦しか使えず、美術館・博物館・飲食店などの施設も年末年始休のところが多いなど、観光としてみればネックな部分もありますが、安く移動できる手段のきっぷとしておすすめです。来年は「青春18」と併用して函館へ行こうかなと考えています。
寝正月もいいけれど、正月早々アクティブに動くのも“三文の得”。

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2007年01月07日

『風林火山』第1回「隻眼の男」

連載の「スタンプ物語」をお休みして、いよいよ2007年NHK大河ドラマ『風林火山』が始まりましたので、管理人が当ブログで主題とするドラマの突っ込みどころを描きたいと思います。
はじめこの『風林火山』の予告を見たとき、1年間大丈夫かなと思って心配していましたが、なかなかよい出来映えのスタートを切りました。オープニングの音楽と自然の風景を駆ける武田騎馬隊がうまくマッチしています(『功名が辻』に比べたら)。まあ、歴史を重視して木曽馬などの在来国産のポニーを使って再現しますとさまになりませんので、サラブレッドやアラブに騎乗するのは歴史ドラマの「お約束」といえるでしょう。登場する乗馬には中央や地方競馬を引退した競走馬もいることと思われますし……。
気になる物語の始まりは天文4年(1535)の万沢口合戦でした。井上靖の原作や『甲陽軍鑑』では、勘助が登場するのは、信玄が国主となる天文10年(1541)以降なので、6年前からの時代設定。それでも勘助はすでに50近くになっていますが、今回の内野聖陽演じる勘助はどうみても30代、片足は不自由といいながらも、かなりアクティブに演じられています。女っ気のない勘助にミツという思い人の設定も(*^ー゜)b グッジョブ!! これまで演じられてきた老人勘助のイメージを払拭する内野勘助に期待しましょう。
気になる勘助の出生地ですが、井上靖原作と『甲陽軍鑑』の説を採用し、三河牛窪(愛知県豊川市)となっていました。勘助の出生地は駿河国富士郡山本(静岡県富士宮市)と三河国八名郡賀茂(愛知県豊橋市)の2説が有力ですが、両説とも牛久保(牛窪)城主牧野家の家臣大林勘左衛門の養子となるところで他の史料と合致します。ドラマでも勘助が「大林勘助」を名乗ったのはそのためですが、歴史の史料では大林家に嫡子が生まれたため、養家を離れるのは大永7年(1527)のことなので、多少時代設定が変えられています。まあ、ドラマだから歴史を忠実に再現するよりいいかもしれません。
最後の史跡紀行紹介では、いきなり信玄の本拠躑躅ヶ崎館跡(武田神社)と信玄出生地の要害山城を取り上げていましたが、ドラマのストーリーからみても万沢口古戦場を取り上げてほしかった気がします。この万沢口(山梨県南部町)は駿河と甲斐の国境に近く、番所(関所)が置かれたところなのですが、意外にも古戦場を示す史跡は残っていません。NHKもそのあたりを考慮して取り上げなかったのかもしれませんが。

最後に昨年11月に管理人が制作しました大河ドラマ歴史紀行の副読本を紹介します。


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『風林火山をゆく』
(英知出版) B5判 980円 ISBN4-7542-5606-9
2006年11月発行。12月2刷。2007年度NHK大河ドラマ『風林火山』の主人公・山本勘助生誕の地から終焉の地・川中島古戦場まで勘助69年の生涯と足跡を追いかけ、その実像に迫った歴史紀行。勘助・信玄ゆかりの史跡からグルメ・おみやげ・沿線の記念スタンプまで旅の情報満載! 旅ジャーナリスト会議代表かつ伊那市ふるさと大使森田芳夫氏ご推奨の一冊です。

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投稿者:管理人
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2007年01月14日

『風林火山』第2回「さらば故郷」

第2回目で過去にさかのぼり、勘助の出生地は駿河富士郡山本村(静岡県富士宮市)であることが明らかになりました。まあ、山本という地名が残っているぶん、駿河説のほうがドラマにからみやすいですからね。ここで少年勘助(幼名源助)登場。すでに隻眼で片足が不自由になっています。勘助は疱瘡にかかる前は利発で美男だったと伝えられ、隻眼になる前に大林家に養子に入ったともいいます。このほうが勘助の不幸値をUPさせるのに効果的だったと思いますが。また隻眼になった原因として『名将言行録』ではイノシシに不覚をとったと記されています。ちょうど亥年なので、こちらの演出のほうがよかったようにも思えますが、ロケをするのも大変か? 野生のイノシシはかなり危険ですので。
さて、前回も書きましたが、勘助が牛窪(牛久保)の養家・大林家に戻ってくると、すでに実子勘兵衛が生まれており、もう元服して初陣までしています。しかも晩年に生まれた子なので、可愛がりすぎたのか軟弱な設定。しかも勘助が苦労してとった兜首(赤部下野守)は、実子勘兵衛の手柄に奪われる始末。哀れ勘助、せっかく気味の悪い生首を甲斐から三河まで運んだというのに……。
おまけに駿河に戻ってきたら、兄貞久は武田と内通している福島越前守に仕え、その内情を知る勘助は兄に襲撃され、「駿河を去れ」といわれます。ちょうどそのとき、武田家では勝千代(信玄)と次郎(信繁)が剣の試合をし、父信虎が次郎を寵愛しているのに、気づいた信玄はわざと負けてしまいます。このあたりは信玄と勘助、互いに不幸な者同士がいずれ共鳴する設定なのでしょうか。元服前の信玄が、信虎の名馬鬼鹿毛を所望し、信虎の怒りを買ったというのは『甲陽軍鑑』の話ですが、元々信玄びいきに書かれた書物ですので、信虎が信玄をどこまで疎んじていたかは疑問です。天文5年(1536)、信玄が元服するときも、室町幕府12代将軍足利義晴の「晴」の字をもらい、「晴信」と称していますし、正室に京都の公家(三条夫人)を迎えていますので、嫡子として扱われているのは事実ですから。
嗚呼、哀れ勘助、養家と実家から追われ、行き着く先は思い人ミツの葛笠村しかありません。でも、まだ頼れる場所があってよかったね勘助。この不幸設定、個人的には好きなのですが、あまり重いと他の視聴者がついて来れるかどうか。あの最悪だった『MUSASHI』のようにならないことを願うのみです。
今回の歴史紀行は静岡県富士宮市が紹介され、僕が昨年正月に訪れた山本勘助誕生地や、代信寺の勘助両親の木像を取り上げていました。それにしても勘助もうひとつの出生地の愛知県豊橋市や、勘助が養子時代を過ごした牛久保の愛知県豊川市は紹介されずに終わってしまうのでしょうか。勘助がお守りにしている摩利支天像は、愛知県豊川市の長谷寺に安置されており(現物は親指ほどの大きさしかありません)、当寺の念宗和尚とはずっと親交があった関係で勘助の墓もあるのですが。
このまま勘助の育った三河牛窪(愛知県豊川市)が史跡紀行から埋もれてしまうのも可哀想なので、僕の写真を掲げておきます。

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JR飯田線牛久保駅下車。
牛久保城跡(写真左)駅から徒歩2分。長谷寺・山本勘助の墓(写真中央)駅から徒歩8分。
他に今川義元の墓がある大聖寺も近い。あと豊川といえば豊川稲荷(写真右・豊川駅から徒歩5分)です。稲荷寿司もおいしいよ! 詳しくは管理人制作の『風林火山をゆく』(英知出版)を読んでね。

投稿者:管理人
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2007年01月17日

青春18きっぷで“スロートラベル”を楽しもう

本日は管理人以外の会員からの初投稿。記念すべき第一号は小関秀彦さんです。

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JRの格安切符の決定版「青春18きっぷ」が人気を集めております。一日2,300円でJRの普通列車が乗り放題となるため、格安旅行の定番アイテムとして“知る人ぞ知る”存在から徐々に一般層にも浸透してきました。旅行シーズンには同きっぷを題材とした刊行物も各社から出版され、レイルファンのみならず一般旅行者をも巻き込んだ静かなブームとなっています。旅好きが集まる本サイトをご覧の頂いている方の中にはご存じの方も多いかとは思いますが、ここでは本切符の利用方法をおさらいするとともに、その楽しみ方簡単にをご紹介します。
 青春18きっぷはそのネーミングから若者限定のイメージが強いのですが、年齢制限はなく大人も子供も利用可能(但し、ジパング倶楽部、学割などその他の割引との併用は不可)販売・利用可能期間は春・夏・冬の年3回となっており、販売価格は11,500円。1枚で5回使用することが出来、1回ずつスタンプが券面に押印されます。複数人数が同一行程で旅行する場合にも使用でき、その場合は人数分のスタンプが押印されます。
 片道71km以上、往復で141km以上乗車すればもとは取れるので、週末のちょっとした移動にも重宝します。また、ひたすら列車に乗り続けることを厭わなければ、高速バスをも遥かに凌駕する安価な移動が可能になるのです。

moonlightnagara.jpg

 さて、この切符を語る上で欠かせない存在が、東京と大垣(岐阜県)を結ぶ夜行快速列車「ムーンライトながら」(写真)です。指定券(通常期510円)を事前に買い求める必要があるのですが(下り小田原以西は自由席の設定もあり)、充当されている車輌は特急用車輌でそれなりに快適に移動できるとあって大いに人気を集めています。下りの場合東京駅を23時43分発、大垣には5時55分に到着。本切符の有効期限は24時から翌日の24時までなので、日付の変わる横浜までは別途乗車券が必要になりますが、それでも3,000円ちょっとで東京から大阪まで行けるわけですから相当に激安です。列車では高速バスとは異なり通路を歩き回ることもできますし、もじ眠れなければ25分程度停車する浜松駅でコンビニに買い物に行くこともできます。
 さらに、「ムーンライトながら」から普通・快速を乗り継いでいけば大阪には8時、岡山には12時、福岡にも21時頃には到達できます(もちろん追加料金はかかりません)。どこかの温泉旅館のコマーシャルではありませんが、“乗れば乗るほど得をする”きっぷなのです。また、一部区間を特急で“ワープ”(この場合は特急券の他、乗車券も必要)したり、夜行快速列車で連泊するなどの裏技を駆使すれば、さらに面白い日程を組むこともできます。駅の中にはトイレや売店もあるので、気が向いた駅で途中下車を繰り返していけば国内旅行の面白さも再発見できるのではないでしょうか。
 ここ数年、あくせくした世相のアンチテーゼとして“スローライフ”なる概念が脚光を浴びていますが、青春18きっぷが人気を集めている要因にはコストパフォーマンスの良さに加え、効率最重視の新幹線で素早く移動するだけでは飽き足らない層が増えてきたこと(個人的には新幹線も大好きです。新幹線の魅力と楽しみ方についてはまたの機会に)も挙げられるあるのかもしれません。
 さて、最後に私のことを少しだけ書きます。父親の都合で引っ越しが多かった私は、何故かどこに行っても鉄道沿線に住むことになり、気が付けばどっぷり鉄道にはまっていきました。高校時代には故・宮脇俊三さん、種村直樹さんの本の影響を受け、日本の鉄道の全線完乗を志し、以来周遊券と青春18きっぷを利用した乗り鉄がライフワークとなりました。一度は全線完乗を果たしたものの、20代後半からしばらく海外の鉄道に浮気したこともあって、近年の新規開業区間には乗り残しが多くなり徐々にフラストレーションが溜まってきつつあります。そこで、今年は年末を目標に再び全線完乗を果たすことを目指すことにしました。もちろん乗るだけではなく写真と音も集めていこうと思ってます。その経過は随時本稿にてご紹介して参ります。今年は久しぶりに「18きっぷ」を利用することが多くなりそうです。

投稿者:小関秀彦
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2007年01月18日

新年早々

今年松の内に受け取った年賀状は約350通。外国人からのクリスマス・年賀カードが30通。
 旅ジャーナリスト会議のメンバーからの内容を拝見すると、新年早々旅へ出たり、編集作業や執筆活動に多忙の様子がよく分かる。

 会員の皆さんと同様、私も忙しく、1月早々ふるさと伊那市の市民大学講座へ講師として招かれ、12日にテーマ「ふるさとへの思い」を一時間半述べてきた。生徒は200人、まさしく私と同年代の人々。終わってから中高の同級生がヒョッコリ楽屋へ現れて、うろたえた。
「ふるさとへの思い」と言ういわば個人が感情のうちに秘めて、表現しにくいテーマを一般論として述べることはむずかしい。そのままテーマに沿って喋れば、自分の「ふるさとへの信仰告白」になってしまう。それじゃー誰も納得しないだろうと不安がいっぱいだった。
 話の流れとしては、①ふるさとという言葉の歴史と外国語での表現。②ふるさと感覚の目覚め。③私のふるさと、伊那市への思い雑感。④私にとっての未解決の問題(今の居住地を第二のふるさとと呼べるか、郷土を愛することは即国を愛することに通ずるのか)など。
 なお質疑応答の最後に、入笠山山頂に設置が提案されている風力発電30機について、私の意見を求める質問があった。三つの条件で「反対」と述べたとたん、会場のあちこちから拍手が湧きおこって、一瞬場の空気が引きしまったように感じられた。

 翌日の地元紙は「ふるさと大使森田さん 伊那のすばらしさ 市民大学講座で語る」という見出しで、大きく報じた。そして私の現在の経歴について触れ「現在は『旅ジャーナリスト会議』の代表を務める一方、観光評論家などとしても幅広く活動している」とあった。今年は当会が一般紙の活字に載る戦略を積極的に進めたいものだ。

 明日はクリスマスカードと一緒に送られてきた、私のことを写真付きで報じた12月21日付けの外国の新聞記事を紹介したい。どこの国のどんな新聞か――お楽しみに。

投稿者:森田芳夫
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2007年01月19日

私のことがオーストリア東チロル州の日刊紙(ドイツ語)に載りました。

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年が明けてもなお海外からのクリスマスや年賀カードが届いていますが、10日にオーストリア人メスナー氏から届いたカードに、私と家人のカラー写真入りの記事が載っている新聞が同封されていて、本当にビックリしました。
 昨年9月14日、インスブルックからパノラマ画家フィールキント氏のアルファロメオで遥々3時間、アルプスをトンネルで抜けて、東チロルのアイネート村へ行って来ました。そこで故ベラン画伯(1915-1999)の展覧会が開かれていたのです。ベラン画伯は20世紀を代表する山岳パノラマ画家で、生涯に約600点のパノラマ画をインスブルックで制作、アメリカのナショナルジオグラフィック誌からも制作を依頼されたほどの名声を馳せた人です。日本を舞台に、富士山、スキーの白馬、地図の街佐原などを描き、弟子のフィールキント氏は上高地、飛騨全域を描きました。
 1982年、私はオリジナル出版の『ベランのパノラマーアルプスとヒマラヤの世界』を企画、編集し、当時編集者として勤務していた実業之日本社から発行、この本は大英図書館や各国の大学からも注文がありました。

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 新聞は「東チロル時報」06年12月21日。見出しは「日本の出版人がベラン展へ」とあります。そして「展示企画者メスナー氏がこの著名な編集者の来訪を特に喜んだ」と報じています。会場は室内展示と戸外展示に分かれ、戸外展示の広場には石を並べた世界地図が広がり、写真はまさに日本の部分を指差している情景です。

さて、明日は旅ジャーナリスト会議の年誌『旅行主義』第4号の執筆テーマを何にするか、20日例会で検討する内容を巡って、欠席会員から寄せられた話題などを紹介しようと思います。

投稿者:森田芳夫
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2007年01月20日

年一回発行の会員誌『旅行主義』第4号、今年の執筆テーマはなに?

1年1回発行の会員総執筆の雑誌『旅行主義』は、今日的な「旅」をめぐる問題が何であるかを会員で検討し、そのテーマに即した内容や、旅、地域起しなどのルポ、紀行などを満載し、関係方面に幅広く配布しています。
 今年は6月3日(土)に予定されているセミナーと総会にあわせて発行日を決定していますが、今日開かれる1月の月例会でそのテーマが決まります。

 これについて、過日会員である伊佐九三四郎さんから葉書を頂きました。
 今南半球オーストラリアのコジオスコ山などへ登山に出かけているとのことですが、その内容をご紹介します。テーマは次の通りです。
 
①追跡・団塊の世代
②変わるか観光地
③どう変わる観光地
④追跡・団塊の世代ジュニア 
大きなとらえ方として
⑤旅はどう変わるか

 これらも大切な検討材料として今日検討され次号のテーマが決定されますが、『旅行主義』の各方面の反応は思わぬところから来ています。
 2号(2005年発行)の特集『市町村合併と観光』に寄稿した拙稿「『美濃』の馬籠に木曽節が流れる」が、馬籠(現岐阜県地籍・元長野県地籍)にある島崎藤村ゆかりの展示館「藤村記念館」の理事長の眼に留まり、昨年夏同様の主旨でいいからと執筆依頼がありました。
 それは同館発行の「藤村記念館だより」116号に1頁で掲載されました。私の主張の骨子は「観光パンフレットに見る行政の悪平等主義は、そう扱われた者が内側から壊して行くべき」というものです。

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 興味のある方にはコピーを差し上げますのでお申し出ください。

投稿者:森田芳夫
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2007年01月21日

『風林火山』第3回「摩利支天の妻」

森田代表の3日連続投稿などもあって、しばらく管理人はお休みさせていただきましたが、日曜は管理人担当ということで、『風林火山』第3回です。
今回は史実とはあまり関係なく、最後以外はまったりとした内容でした。勘助が思い人ミツのいる葛笠村に行くと、ミツが妊娠中。勘助の子が宿っています。一方、晴信(信玄)も父信虎に疎んじられ、放蕩三昧の日々を送ります。そして以前出会ったミツを侍女に所望しますが、原美濃守が葛笠村へ行くと、ミツのお腹はすでに大きく、晴信に召し出すのを断念。このあたりは信玄と由布姫、勘助の微妙な三角関係の伏線なのでしょうか。
しかし、まあ勘助、ミツと農耕して暮らしているうちに、箱庭で城の縄張り造っているものの、ミツに「こんなところで百姓している人ではない」と問いただすと、勘助は「そなたはワシの城じゃ」と思いっきり家庭に入っている。似合わね~。本当だったらミツが「ワタシを捨ててでも天下に名をお残しください」と言い、勘助は黙って去っていくほうが実像に近いのに。実際の勘助の子としては、晩年に原美濃守虎胤の姪か妹を娶り、三男一女がいたとされます(新城市黒田の山本家系図)。文化年間(1804~18)に成立した『甲斐国誌』には、天正3年(1575)の長篠の戦いで、勘助長男の勘蔵信供が討死したと記されており、年齢を推察すると、勘助に子ができたのは1550年代とみられます。まあ、それ以前にも子がいたかもしれませんが、信玄に仕官して知行をもらうまでは所帯をもつなど難しいことだったでしょう(今回はミツのヒモになっていますが)。
貧しくとも幸せな日々を送る勘助夫婦に新たなる魔の手が。信虎が鹿狩りに出かけた際、信虎が鹿を射ようとしたまさにその瞬間、タイミング悪くミツの物音に気づいて鹿は逃げてしまい、怒りのあまり信虎はその矢先をミツに向けて放つというところで次回に続きます。
歴史紀行は今回愛知県豊川市が紹介されていました。当ブログでは一週間前の第2回で紹介しており、まさに予測が的中したといえましょう。今回のような史実にない設定ですと、そのドラマの舞台とは関係のない土地を紹介せざるを得なくなるのが辛いところです。甲府市も何度かに分けて紹介されることでしょう。でも、もうひとつの生誕地で知られる愛知県豊橋市賀茂町は紹介されないのかな?
ということで管理人の写真から先に愛知県豊橋市賀茂町を紹介します。

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JR飯田線豊川駅からタクシー。
豊橋市賀茂町字出口には山本勘助の生誕地の碑(左)があり、近くの菩提寺である本願寺(中央)には、勘助両親の墓も安置されています。またこの付近は勘助子孫の方が品種改良した勘助白桃(右)の産地でも知られ、甘くておいしいと評判。毎年夏場に出荷されます。クルマ以外のアクセスが不便なのですが、豊川市の地域文化広場(9~17時、月曜休)では、無料のレンタサイクルがあり、史跡散策の強い味方になってくれます。

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2007年01月28日

『風林火山』第4回「復讐の鬼」

いきなり衝撃的な信虎の乱行が描かれていましたね。勘助の思い人ミツに向かって矢を放ち、かろうじて摩利支天にお守りに当たって助かったものの、信虎は妊娠中のミツの腹を裂き……さすがに画面には写せませんが。この信虎の乱行は伝説の類なのですが、乱行で妊婦の腹を裂くというのは、豊臣秀吉の養子秀次や家康次男秀康の子松平忠直にも見られ、乱行に共通する行為ですが、もちろん一級史料には見られず、後世の創作と考えられます。
しかし、ミツの縁者関係を板垣信方が召し抱えるという設定にはちょっと無理が。そんな怨みをもつ人間を召し抱えれば、寝首をかかれる可能性が高くなるだけです。勘助なんかいきなり信方に斬りつけていますし。「無礼討ち」されてもおかしくないくらいです。結局、ミツに片思いしていた平蔵は甲斐を去り、勘助とミツの兄伝助と村人の太吉は勘助と一緒に武田家に仕えることになります。信玄の器量の大きさを強調したいような設定ですが、勘助は初対面では「青二才が」と怒って去っていきます。
勘助はその後、板垣に今川の間者として潜伏するように命じ、勘助はそのまま今川に情報を漏らし武田を滅ぼそうと画策します。この設定もすごく変。わざわざ寝返る人間を相手に送り込むでしょうか。それとも武田側も「埋伏の毒」で、勘助を逆利用しようとでもいうのでしょうか。
そして天文5年(1536)3月17日、駿河の当主今川氏輝と弟の彦五郎が急死。氏輝の弟にあたる正室寿桂尼の子で出家していた梅岳承芳(のちの今川義元)と、側室の子で出家していた玄広恵探との家督争いとなる花倉の乱へと発展していきます。まさかこの今川の内乱にまで勘助が首を突っ込む設定とは……ということは間接的に今川義元の人質であった松平竹千代(徳川家康)や織田信長あたりとも絡むのでしょうか。関西エリアの視聴率をとるには効果的ですが。
史跡紀行はいきなりとんで山梨県北杜市の山本勘助の子孫と伝わり、屋敷に勘助の墓がある山本勘助屋敷を紹介していました。これは勘助が信玄に正式に仕える天文12年(1543)以降に知行を与えられたと伝わる場所なのですが、ドラマではすでに勘助が仕官という形になっているので紹介したのでしょうか。うーんそれにしてもドラマとの関連性が薄い。この山本勘助屋敷墓は、勘助子孫の方の個人宅でこれまで一般にもほとんど知られていなかったのですが、昨年夏から公開されるようになったということです(墓参料100円必要)。最初訪れたとき、個人宅の所蔵品を拝観させてもらえるなんてビックリしましたが、そればかりか記念スタンプまで用意している力の入れようです。の勘助スタンプは家に伝わる肖像から起こしたもので、勘助が絵柄になったスタンプとしては全国唯一のものではないでしょうか(個人宅なので都合により墓参りできない場合もありますので予めご了承ください)。

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2007年01月29日

サヨウナラ鹿島鉄道

本年3月31日を以て、茨城県のローカル私鉄・鹿島鉄道が約83年間の歴史に幕を閉じることになりました。マイカーの爆発的普及、高校生の減少、貨物輸送の廃止などの様々な逆風にも堪え続けてきた同鉄道ですが、親会社の関東鉄道がつくばエクスプレスの開業によるバス事業の不振で同鉄道に対する支援を打ち切ったことが決定打となり、住民の存続運動も空しく昨年末、廃止が正式に決定したのです。
 私も廃止フィーバーの起こる前に一度ゆっくり乗車しておきたいと思い立ち、先週末鹿島鉄道の“乗り鉄”を楽しんで参りました。

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 同鉄道を訪れたのは約20年振りですが、鹿島鉄道石岡駅に至る跨線橋やホームの雰囲気は当時とほとんど変わっていません。さっそく土・日曜、休日のみ発売の「鹿島鉄道一日フリーきっぷ」(鹿島鉄道全線が乗り放題で1,100円)を入手。石岡と鉾田の片道運賃が1,080円なので、これはなかなかの“お値打ち切符”。乗車した車輌はKR500形という平成初期に製造された気動車。前回同線に訪れた際に乗車したのはキハ600であったので、本形式には初めての乗車ということになり気分も盛り上がります。ともすれば味気ない存在と思われがちなこの種の軽快気動車ですが、シートピッチも広く身体の大きい私にとっては快適な車輌です。また、大きな側窓からは車窓風景がじっくり味わえます。
 列車は石岡駅を出発後しばらく国道と併走。しばらくは郊外型量販店や分譲住宅が建ち並らぶ都市近郊の風情なのですが、常陸小川を過ぎると車窓は一変。田畑や雑木林が増えのんびりムードが溢れてきます。さらに、桃浦からは車内から霞ヶ浦が望めるなど、同鉄道の車窓風景はなかなかバラエティに富んでいます。霞ヶ浦が遠ざかってからは運転台横の立ち席スペースに陣取り、今度は前面風景を堪能。あっという間に55分の乗車時間は過ぎていきました。20年前は何気なく“斜め乗り”したので、これといった印象が残っていなかったのですが、今回は終始集中していたこともあってか、いつになく充実した旅行を満喫できました。

kashima-kiha430.jpg kashima-kiha600.jpg

 なお、鹿島鉄道にはKR500の他に、夕張鉄道(現存せず)出身のキハ714、元加越能鉄道加越線(現存せず)出身のキハ430(写真左)、元国鉄キハ07の改造車であるキハ600(写真右)など希少性の高い車輌が在籍していますが、残念ながらこれらの車輌も同鉄道とともに鬼籍に入ることが決定しました。 
 鹿島鉄道では現在記念硬券入場券やDVD、鹿島参宮鉄道時代の復刻懐中時計など“さよなら記念グッズ”を販売中です。詳しくは同鉄道ウェブサイト(http://www.katetsu.co.jp/)で。

投稿者:小関秀彦
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2007年02月04日

『風林火山』第5回「駿河大乱」

いよいよ今川家の内乱である花倉の乱です。勘助が乱に関わっていたのは完全な創作ですが、まさか兄貞久と刃を交え、兄が自害し介錯するという壮絶なシーンとなるとは……思ってもいませんでした。ちなみに貞久というのは、静岡県富士宮市の『吉野家系図』によると勘助祖父の名で、兄は先妻の菊一郎(のち貞継)と石松・藤七の三人がいたといい、愛知県豊橋市賀茂の伝承系図では、上に清七・清助の二人の兄がいたといいます。
勘助の策略で武田氏を討つというのは、梅岳承芳(今川義元)の軍師となる太原雪斎の策で、武田氏が福島越前守に加担しなかったため、肩透かしをくらった格好となりました。この流れをみると、これまで凡庸に描かれすぎた今川義元の実像もみえていいですね。本当は聡明な武将なのに、信長関係ではいつも貴族かぶれで、デブで短足の扱いでしたから。ちなみにこの乱で勘助と刃を交えた福島越前守の嫡男彦十郎はのちに北条氏の重臣となり、氏綱に気に入られて北条姓までもらう北条綱成です。『地黄八幡』の旗で無類の強さを見せたといいますが、このあたりもドラマにからんでくるとますます盛り上がりそうですね。
ここでようやく原作小説で最初に出てくるかませ犬・青木大膳が登場します。さすがに文庫1冊分の原作だけでは、1年分のドラマは辛いため、創作を交え引っ張っているわけですね。まあ、もっとも今回は顔見せ。この先、大膳と勘助がどうやって絡むのか楽しみですが……。
史跡紀行では静岡県藤枝市の花倉城や遍照寺などが紹介されていました。花倉城はJR藤枝駅からバスで行き、さらにバス停から徒歩1時間かかる大変不便な場所です。『風林火山』の小説では関連がなかったため、こちらはまだ取材しておりません。JR藤枝駅もJRになってからはまだ下車していません。よってスタンプも写真もナシです。すいません。

投稿者:管理人
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2007年02月05日

ガンバレ銚子電鉄

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 本州最東端の銚子市内を走る銚子電気鉄道は、総延長わずか6.4kmのミニ鉄道です。大正生まれの古豪・デキ3形電気機関車を始め、現在数少なくなった吊掛車が走る鉄道として、レイルファンの人気は高く、気軽に“レトロムード”を楽しめることから、江ノ電、箱根登山鉄道、小湊鉄道などとともに旅行雑誌に取り上げられることが多く旅行業界での知名度も高い鉄道です。また、(電車牽引による)トロッコ列車の運転や、鉄道事業の赤字を副業のぬれ煎餅(当地の名物)販売でカバーするなど、同鉄道の取り組みは全国の鉄道事業者の注目を集めています。
 その銚子電鉄が俄に苦境に立たされています。前社長の不祥事により借金が膨らみ、車輌検査・線路整備などの資金にも事欠くなど、存続の危機を迎えています。しかしながら、今年に入って有志が立ち上がり“サポーターズクラブ”を結成。安全対策工事に係る費用を集めるため、サポート基金の募集を行い注目を集めております。さらに、 この問題を新聞報道で知ったプロ野球・千葉ロッテマリーンズの守護神(リリーフエース)小林雅英選手も協力を申し出、名誉サポーターとして支援に乗り出したことで、一般紙のみならずスポーツ新聞でも脚光を浴びています。
 筆者も先週末、応援を兼ねて行ってきました。

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 起点の銚子駅で全線が乗り降り自由の「弧廻手形」(620円)を入手。銚子と終点の外川の運賃が310円なので、単純往復だけではモトが取れないものの、その昭和的風情に浸りつつ途中下車を楽しみたい方には断然お得な切符です。さらに、同きっぷには「ぬれ煎餅」交換券、地球の丸く見える丘展望館割引券、銚子ポートタワー展望室割引券も付いており、観光客にも至れり尽くせりなのです。同鉄道の運行間隔は概ね30分間隔を保っており、時間の許す限り途中下車を楽しむことにしました。
 最初に乗車したデハ1001形は、営団(現東京メトロ)丸の内線方南町支線で活躍していた車輌(機器は同日比谷線の3000系のものに換装)で、96年に銚電入り。車齢が高いにも関わらず同線初の高性能車(昭和30年前後まで製造された吊掛車に対して使われる呼称)です。塗り替えられているので、外観上原車の面影はあまり残っておりませんが、室内には痕跡もそれなりに残っており、そんなところもなかなか楽しい車輌です。車内は立ち客(主に一般観光客)も出るほどの盛況振りで、銚子電鉄の人気を改めて実感しました。最初の駅・仲ノ町には車庫があるため、さっそく下車。入場券(硬券)を求め留置車を撮影。ここには鉄ちゃんもチラホラ。次に来た車輌は伊予鉄出身のデハ801形。モーター音、震動、古い車輌独特の臭いなどを堪能しつつ、観音駅で再度下車。ここは飯沼観音の最寄り駅であるとともに、同社直営の鯛焼店があることでも知られており、モダンな駅舎は同鉄道では異彩を放つ存在です。次の本銚子は本調子にかけて縁起の良さを売りにした記念切符も発売してます。笠上黒生は唯一の交換駅で、昔懐かしいタブレット交換が見られます。また、駅舎も昭和レトロそのもので、駅舎内は昭和20年代頃から時間が止まったかのよう。西海鹿島(にしあかじま)は難読駅名。君ヶ浜は壁のみのユニーク過ぎる駅舎で知られています。犬吠はスペイン風の駅舎で、同鉄道のグッズ売店、ぬれ煎餅店、電車レストランなどがあるほか、犬吠埼や地球の丸く見える丘展望館の最寄り駅にもなっています。筆者は終点外川から引き返し犬吠で下車。展望館、犬吠埼など一通り観光した後、犬吠埼温泉の京成ホテルへ。湯上がりに肌がトロリとする良質な塩泉で、露天風呂には源泉がふんだんに注がれています。黄昏時、紫に染まっていく海を見ながらの入浴は絶品でした。
 帰りもデハ801に乗車。乗客は終点まで誰もおらず、うなり声にも似た吊掛モーター音を心ゆくまで堪能でき、今回の小旅行の有終を飾りました。
 地域住民、レイルファン、観光客に愛され親しまれ続けている銚子電鉄。いつまでも元気に走り続けてほしいものだと改めて思いました。

銚子電鉄サポーターズのアドレス http://love.ap.teacup.com/cdksientai/

投稿者:小関秀彦(資料提供/塩見会員)
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2007年02月06日

「銚子電鉄」紀行へのコメント

昨日の小関さん投稿の「ガンバレ銚子電鉄」に旅ジャーナリスト会議代表およびブルーガイドパックで旅行出版界の頂点に君臨しましたカリスマ編集者森田芳夫氏から、大変長い長いコメントをいただきました。この貴重な投稿をコメント欄に埋もれさすわけにはいきません。ということで本日のブログは小関さんの投稿に寄せられた森田氏のコメントです。このアドバイスによって小関さんの文章はますます磨きがかかり、上達してゆくことでしょう(by 管理人)

わざわざ出かけたというだけあって、小関さんのリポートはとても温かい視点で書かれていて、暮れなずむ紫色の海を見ながら温泉入浴を楽しんだという終わりに近いくだりまで読み進んで、なぜかかジーンと来てしまいました。
 銚子電鉄の苦境は朝日新聞の千葉版に詳しく、他県に住んでいる人より県民である我々は頻度数多く情報を得ていると思います。でもなかなか出かけていかれないのはなぜだったろうかと、これを読みながら思わず自問自答をしてしまいました。

 今から35年ほど前、銚子電鉄を目指して外川まで編集仲間と乗りに行った事がありました。外川で泊ったところははっきり覚えていませんが、君ヶ浜の岩だらけの磯ににわか造りの見せもの小屋があり、電車の窓から暗がりの中にぼーっと明かりがついていていたこと、そしてそれがいかにも怪しげに見えたことが印象に残っています。今は何もないと思いますが――。あの頃はそんな違法の興行が平気で行われていたのでしょうね。
 翌日は私の嫌いな釣りをし、銚子の町へ戻って、利根川べりに近い市場へ行こうという友人を振り切って駅前のちっぽけな店で干物を買って帰りました。なにやら心貧しい旅だったようです。でもあの頃は、編集室を離れられるだけで、心豊かになったような感じていたのだと思われます。

さて、小関さんのリポートにない物ねだりをするとすれば、それは誰か駅員さんをつかまえて、支援に対する感想、過去の苦しかった思い出、これからのことなど、生の声、つまりインタヴューを聞かせてほしかったとも思いました。

いずれにせよ出かけていく行動力に敬服しました。次のブログが楽しみです。

投稿者:森田芳夫
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2007年02月07日

よっちゃんの体重ブログ第1弾

初めまして!初投稿させていただきます。ネット上では「日本秘湯に入る会」でのハンドルネームでもある「よっちゃん」と名乗らせてくださいまし。よろしくたのんます。

 突然ですが、私デブデブでゴザイマス。メタボリック対策が叫ばれる今日この頃、昨年からウェイトコントロールに励んでおります。が、食べるほうはなかなか抑えにくいので(駄目ジャン!)、とりあえず体力増強を目指し、私事ではございますが本年の目標として最低でも月に一回は山に登る事を決めました。今年は山登り、ハイキングに行く機会が多いと思いますので面白そうなところがあれば紹介したいと思います。

 もう2月になってしまいましたが、今年の登山第一号「高尾山」に先月登ってまいりました。東京に住んでいる方なら誰でも一度は足を運んだ山です。え、知らない? では以下を読んで行ってみて頂戴ね、

 新宿から京王電鉄の終点、高尾山口駅まで50分ほど。私の住まいがある府中からはわずか30分弱で着いてしまう実に気軽な山です。頂上の標高はなんとも中途半端な599.3m。ハイキング感覚で駅から全て歩いても1時間半ほどで頂上迄着いちゃいます。ヒール履きの彼女と来ても大丈夫。8合目まで日本一の勾配を誇るケーブルカーが運んでくれます。因みにリフトも併設されていて、下りに使うとスリル満点ですぞ。頂上まで舗装路のコースもあるので靴を選ばずに歩けます。

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 途中、山中にでんと構える社が関東の三大本山の一角を占める名刹「高尾山薬王院有喜寺」です。開山は奈良時代といわれています。本社前には右側に鼻の高い大天狗、そして左側には烏の嘴を持ったカラス天狗の像が立っています。高尾山の守り神に手を合わせていく人も見かけられます。薬王院を抜けると程なく頂上へ、なだらかな山なのでワイドな見晴らしは望めませんが新宿新都心から横浜方面までは一望できます。空気が澄んでいれば筑波山や房総半島まで見渡せます。

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 しかし、今の時期は緑も少なく参拝客も疎らです。何とか冬にも来て頂こうと考えたのでしょうか、毎年1月半ばから3月末まで、京王電鉄と高尾山の飲食店が共同で「高尾山の冬そばキャンペーン」を企画しています。駅で配布しているパンフ(写真左)には、名物とろろ蕎麦の美味そうな写真がズラリ、もちろん割引券も付いています。このイベントも今年で5周年、今月17日には臨時急行列車「高尾山冬そば号」まで運行する気合の入れようです。都営新宿線大島駅から高尾山口まで、天狗プレートを付けた急行列車が一気に走ります。予約無しで誰でも乗車できるので鉄チャンの方は是非お見逃しなく!高尾線内で乗車記念のオリジナルパスケースも配布されるようですぞ! 因みに私のお奨めはケーブルカー清滝駅正面、「高橋家」の冷たいとろろ蕎麦(写真右)、ざる蕎麦タイプではなく、温かい蕎麦用の器に冷たいツユがたっぷり注がれています。麺がのびないので喉越しも最高です。

 こんな感じで、京王線で楽々到着。ケーブルで登って頂上までハイキング、リフトで下って各店でとろろ蕎麦三昧、と言うのが冬の高尾山の楽しみ方ですねっ!ケーブルカー又はリフト乗車券とセットでお得な高尾山往復割引乗車券も京王線各駅で販売しています。 ツー訳で是非一度足を運んでみては如何でしょうか? あれれ? コレでは痩せません、残念!! (古っ!)、 次回はもう少し本格的なコースの紹介ですぅー。1月末の体重112.5Kg

投稿者:よっちゃん
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2007年02月10日

おもしろバス停1

本日はまたまた新しい会員からの写真投稿。旅ジャーナリスト会議事務局および写真家の小川金治氏です。「路線バスの旅を考える会」の代表でもある氏は、月の大半を全国の路線バスの取材に費やしていますが、今回のバス停はというと……。

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「勝馬」は「かつま」と読みます。競馬専門紙にも同じ『勝馬(かちうま)』がありますが、馬券でゲンをかつぎたい人は、ぜひ一度訪れたいですね。では何処にあるのでしょう。答えは下の写真です。

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はい、分かりますか? 答えは福岡市東区の志賀島です。日本史を勉強された人ならご存知かと思いますが、天明4年(1784)に「漢委奴國王」の金印が出土した島です。後漢の光武帝が冊封の印として奴国に賜ったものといわれます。光武帝というとまだ三国時代の始まる前ですね。金印は現在、福岡市博物館に所蔵されています。

お勉強ついでにぜひ明日の馬券を当てたいですね。参考になりませんが管理人が予想していますこちらもごらんください。

写真投稿者:小川金治
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2007年02月11日

『風林火山』第6回「仕官への道」

花倉の乱のあと、武田家臣・前島昌勝が福島一族を匿い成敗されたのは史実にもあります。この功で勘助は梅岳承芳から還俗した今川義元に仕官しようとするが、その容姿が禍して適いません。しかも今川が武田と同盟したことで、武田への復讐もできなくなり、裏目裏目に出る勘助。一方、信玄(晴信)は義元の母・寿桂尼の仲立ちで三条夫人と婚姻が成立します。京都の公家との交流をもとうとするのは守護大名ならではですね。ところで信玄の婚姻はこれが初めてでなく、史実では13歳のとき上杉朝興の娘を娶り、翌年身籠ったまま亡くなっています。これが勘助の思い人ミツとオーバーラップさせているのかもしれません。
勘助が仕官先を悩んでいるときに、またも青木大膳登場。北条家臣にもかかわらず乱どりをしたため駆逐され、今川への仕官を勘助に頼んできます。しかし、さすがずる賢い勘助、庵原忠胤の家臣と青木を戦わせる隙に馬を奪って相模国(神奈川県)へと逃亡。この勘助との絡ませ方がいいですね~。勘助は北条氏康の武術指南・松田七郎左衛門を通じて仕官を試みるが、そこで北条を頼って落ち延びてきた因縁の福島彦十郎と鉢合わせ。果たして北条への仕官なるかというところで次回へ。
史跡紀行では神奈川県小田原市の小田原城と箱根町の早雲寺を紹介していました。小田原城は16年前に行ったきりで、まだそのときはカミヤキでの撮影でした。もう一回撮影に行こうと思っていても、なかなか行けない現状。義経の取材で石橋山などは行っていますが。

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ところでJR小田原駅前には、戦国大名北条氏の祖である北条早雲像が建っています。角に松明をつけた牛が脇に3頭いますが、これは早雲が明応4年(1495)に小田原城を攻略した際に、「火牛の計」を用いて勝利をおさめた由来からですが、この「火牛の計」というのは、『史記』にみられる斉国の田単の用いた奇計からの創作。同じく寿永2年(1183)の木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いでもネタが使われています。田単の「火牛の計」は牛の尻尾に火をつけたのであり、角に火をつけたら牛は前に進まず後ずさりしてかえって味方を混乱に陥れかねません。それにしても3代目というのが地味なのか、北条氏康の銅像はありませんね。まあ今川義元の銅像もありませんが。ちなみに信玄像はJR甲府駅前、勝頼像はJR甲斐大和駅前に建っています。そういえば勘助の銅像も今のところ見ませんね。
あとおまけですがJR小田原駅には国鉄時代のスタンプ(右)も残っています(2007年1月現在)。消耗が激しいのでいつまであるか分かりませんが、改札窓口で申し出てください。

投稿者:管理人
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2007年02月13日

最後の活躍を続ける名鉄パノラマカー

 先日、所用で名古屋に赴く機会があり、久々に名鉄の乗り歩きを楽しんできました。我が国の民鉄では第3位の営業距離を誇る名鉄は、車輌の形式数がとても多いことでも知られており(吊掛車も残存していた20年前頃に比べるとかなり整理されてきたとはいえ)、バラエティに富んだ車輌群はレイルファンを魅了してやみません。

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 今回の旅行では2日間名鉄全線が乗り放題となる「名鉄電車2DAYフリーきっぷ」(3,800円)を利用して、空港特急ミュースカイ(今回初乗車)、10年ぶりとなる瀬戸線乗車、駅内での車輌撮影など丸2日間、名鉄電車と沿線名所をじっくり堪能してきましたが、なかでも特に一番印象深かったのは不朽の名車「パノラマカー」(7000形)でした。特別料金なしで見晴らし抜群の前面展望席に自由に乗れるのは全国はもとより世界でも例がなく、今なお人気の高い車輌です。これまで幾度となく乗っているのですが、何度乗っても飽きないすばらしい電車です。
 1961年にデビューしたパノラマカーの最大の特徴は運転台を2階に上げ、1階部は客席とした構造で、その斬新さはレイルファンのみならず、一般客にも強烈なインパクトを与えました。さらに、横方向に連続した大型の側窓からも、“パノラマカー”の名に恥じぬ眺望が楽しめます。登場翌年には栄えあるブルーリボン賞(鉄道友の会会員による選定)を受賞、その後長らく名鉄のシンボル的存在として君臨してきました(小田急ロマンスカーの初の前面展望車輌3100形はこの翌年の登場)。また、ダークグリーン系の塗色が主流だった名鉄の中で、現在に至るまで標準色となるスカーレット(赤)を初採用したほか、ミュージックフォン(音楽警笛)の搭載など、様々な意味において名鉄電車の礎となっています。運行開始当初は、優等列車中心の運用であったものの、徐々に普通列車やローカル線区への進出も開始。名鉄内でのオールラウンドプレイヤーの地位を確立していくことになります。
 長らく若さの衰えなかったパノラマカーも、車齢が40年を超えた頃から廃車が始まり徐々に数を減らしています。名鉄では2010年までの全廃を決定しており、乗車機会も今後急速に少なくなりそうです。

投稿者:小関秀彦
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2007年02月14日

恋人岬へ

本日何の日? St. Valentine's Dayでしたね。最近は義理人情もない時代なので、管理人などまったく無縁の世界。Give me a chocolate! 愛をくれ!なんて夢も浪漫もない話をしていてもしょうがないので、今回は連載をお休みして、こんなお話を。

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昔、おみやげでもらいました静岡県伊豆市土肥町にあります恋人岬の定期券と片道切符です。実はこの恋人岬の創造者は当会員の伊本俊二氏です。昨年12月10日のセミナー「町おこし、地域づくりの新しい知恵~恋人岬はこうして出来た」で同氏が講演をしてくれましたが、この恋人岬ができたのは昭和58年(1983)。当時、観光の目玉がなかった土肥町の観光の集客策として伊本氏が古い伝承をもとに考案。その後、愛の鐘などがつくられました。愛の鐘を3回鳴らすと恋愛が成就するといわれており、いろいろとロマンティックなおみやげが売られています。本日はたいそう賑わいをみせたことでしょう。人間、夢も希望も失い、歩みを止めると急速に老けていきますので、「青春18きっぷ」ではないけれど、いつまでも青春の心をもっていたいものですね。
ちなみにUPした定期券の期限は切れていますが、裏面にはしっかり期間の延長手続きができ、再発行もできる旨が書いてあります。いやフォローも見事!

他に管理人のコレクションから出てきたものも紹介します。

kofukuyuki.jpg koijiyuki.jpg

は昭和62年(1987)2月1日限りで廃止された国鉄広尾線の愛国から幸福行きのきっぷと、幸福駅の入場券です。幸福駅はもともと無人駅ですが、駅前にみやげ物があり入場券などが発売されています。広尾線廃止後も幸福駅は残されており、今もなお縁起きっぷが売られています。この「愛の国から幸福へ」は昭和48年(1973)NHKの紀行番組『新日本紀行』が火付け役となり、いわゆる縁起ものの走りとなった駅です。存続が決まった帯広のばんえい競馬とセットで仕掛けるのも手かと思いますが。

はのと鉄道(旧国鉄能登線)の松波から恋路ゆきのきっぷです。こちらも昭和50年(1975)にブームになり、たくさんのカップルを招聘してきましたが、2005年4月1日の能登線廃止に伴い廃駅となりました。恋路海岸と幸せの鐘などは残っているわけですが、駅の行方が気になります。きっぷなどは幸福駅同様、観光商品として残されていると思いますが……。

投稿者:管理人
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2007年02月15日

博多慕情 小料理「由美」

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 先日、博多に行って来ました。
冬の志賀島、春の陽気の能古島で、気温の差に戸惑いました。
博多は、学生時代を過ごした第二の古里です。中州の夜景を眺めていると過ぎ去りし日々が蘇り、ある店を思い出しました。中州から天神まで、金曜日の夜は多くの人々で賑わっています。懐かしい屋台も観光客で満席でした。国体道路から小路に少し入った所にある店は、小料理「由美」。見覚えのあるのれんを潜りドアを明けると、懐かしい顔のママが客席に座って、ラジオから流れるシャンソンに耳を傾けていました。突然現れた僕の姿に、戸惑いと驚きの表情でいました。
 
 「ママ、お久しぶりです。」
 「アラー、小川君じゃなかねー。」
 「すっかりご無沙汰をしてしまって。30年振りです。」
 
 僕は学生時代、西日本新聞社社会部でアルバイト(坊や)をしていました。夕方の5時から11時までで、朝刊の原稿を電話で受けたりするのが仕事でした。その直ぐ側にある社会部御用達の店が「由美」でした。
 事件があると「由美」に電話をします。社会部の記者が必ず捕まりました。僕も良く通い、青春の悩みや失恋の相談をしていました。満州育ちで気丈なママは、変な客には「あんたの来るとこじゃなかよ、帰りんしゃい。」と追い返す。
当時、清川にアパートを借りて住んでいました。西日本新聞社には歩いて通える距離で、下駄履きで歩いていました。ある夜、「由美」のカウンターで飲んでいたら、突然入って来たオカマに股間を握られました。驚いた僕は、咄嗟に肘でその腕を打ちました。当時博多には、筑豊の炭坑夫上がりのガッチリとした体型のオカマがいたのです。絣の着物を着て、頭には赤いリボン、赤い鼻緒の下駄で夜の春吉界隈を彷徨っていました。
 「あんたの来るとこじゃなかー、帰りんしゃい。」とママの一声。
オカマは捨て台詞を吐いて出て行きました。それからです。酔ってアパートへの帰路、後ろから下駄の音が付いて来ます。背中に寒い物を感じ、走って逃げました。真夜中の春吉に、下駄のカタカタと云う二重奏が響き渡りました。

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 穏やかな博多の母の顔を見ながら、焼酎のお湯割飲み干しました。口の中に苦い物が残ったようでした。
           
本当に怖かった。

投稿者:小川金治
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2007年02月17日

スイスのパノラマカーに乗りました

小関さんのレポートで、名鉄のパノラマカーが2010年でお仕舞いになると知り、本当に残念です。
 パノラマカーはスイスでは人気上昇中。その証拠に、ゴールデンパス(カードのことではありません。観光列車路線の愛称です)の先頭車両のパノラマカー(MOB社)の運転席下の展望座席が10年前私が乗ったときは4席だったのに、HPで見ると今は8席に増えています。

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 1997年7月31日、私は念願のこのシートに座り、ツヴァイジンメンからレマン湖畔のモントルーまで1時間45分を過ごし、夏のスイスの田園風景を手に取るよう眺めることができました。このシートは日本のエージェントを通して2カ月ほど前に座席予約をしたため、取れたと思われます。
 この4席は偶然私の家内を含む日本人4人で占められてしまったのです。関西から来たと思われる赤ん坊を連れた若い夫婦でしたが、特に話をすることなく過ごしました。この人たちもかなり早く予約を入れたのでしょう。

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 この先頭車両は写真で見るとおりサロンカーですが、先端の展望シートは右奥、ボードで遮られてた先にあります。左奥にある座席の入り口から次々金髪の乗客が覗きにきては「Ohoo!」と言っては引っ込んでいきました。
 沿線はスイスでも牧場が比較的多い地域で、特に峻険な山岳景観があるわけではなく、いわばロマンチック、それだけに退屈ともいえます。当時の記録に「喉が渇いたので後ろのサロン席へ行き、日本人の新婚カップルと思われる若い二人にしばしパノラマ席を譲る」と書いてありました。
 名鉄も4年後にまったく新しいパノラマカーを導入してほしいと思います。
 でも一番ほしいのは中央線、大糸線、飯田線、高山線ですね。それが最も手っ取り早い乗客増戦略でしょう。

投稿者:森田芳夫
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2007年02月18日

『風林火山』第7回「晴信初陣」

北条氏康との接触はあっけなく終わってしまいましたね。関東一円に勢力を拡大した3代目北条氏康が臆病だったというエピソードは、少年時代に鉄砲の音に驚き、それを恥じて自害しようとしたという話があります。意外なことですが初めて知りました。しかし、またも仕官がかないません。不思議なのは今川も北条も仕官を全面拒否するわけでなく、「間者として放つ」と云っているところです。これで勘助はドラマ上では武田・今川・北条の三重スパイになっていますから。まさか今度は上杉にも仕官を求めるのでしょうか?
武蔵・上野を経由して信濃に入り、真田郷で懐かしい葛笠村の平蔵に出会います。ここで真田幸隆登場。妻の忍芽というのは架空の人物ですが、いかにも真田忍びのくノ一といった雰囲気の名ですね。幸隆の正室は河原隆正の娘で、信綱・昌輝・昌幸の三人の子を産んでいます。まだまだ先の話になりますが。のちに真田幸隆は信玄に領地を追われ、勘助の推挙で信玄に仕えたといいますから、今回の対面はこの伏線でしょう。
一方、信玄(晴信)はいよいよ佐久海の口城攻めで初陣となります。正室三条夫人が間に入ってももはや修復できない信虎・信玄の親子関係、今回のストーリーは『巧名が辻』に比べてもいい展開になっています。ただ、関西に無縁なので向こうの視聴率が心配……。
史跡紀行では真田の郷を紹介していました。以前は真田町だったのですが、2006年3月に上田市に編入されました。真田郷は真田発祥の地として知られゆかりの史跡が点在していますが、上田市ということで強引に上田城までひっぱりました。上田城は子の昌幸の代からなのですが。
上田城は二度ほど行ったことがあるのですが、デジタルで撮影しておらず、真田郷はまだ未踏の地。ということで今回は写真がないので、上田駅のスタンプを紹介します。

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上田駅といっても、JR(長野新幹線)・しなの鉄道(旧信越本線)・上田電鉄(旧上田交通)の3つの会社にそれぞれ駅改札がありますので、同じ上田城のデザインでも3カ所にスタンプがあり、しなの鉄道と上田電鉄の駅は改札係員に申し出れば押すことができます(しなの鉄道・上田電鉄は2種類あり)。このように鉄道会社が複数ある駅は、会社ごとにスタンプがつくられている場合もありますので、ひとつ押しただけで満足せず、面倒でもそれぞれの駅係員に尋ねてみたほうがよいのです。

投稿者:管理人
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2007年02月19日

スイス鉄道の雄・RhB(レイティッシュ鉄道)

 森田先生のゴールデンパス旅行記を受け、スイスの私鉄RhB・レイティッシュ鉄道をご紹介します。RhBは私鉄王国スイスの中にあって最も規模が大きく、沿線にはダヴォス、サンモリッツなど国際的保養都市を有し、さらに「氷河急行」(FO・BVZと共同運行)「ベルニナ急行」などの人気の列車を有することから、レイルファンのみならず観光客にも人気の高い鉄道です。日本の旅行会社もこの2列車をツアーに組み込むことが多く、筆者が4年前にRhBを乗り歩いた際にも日本人ツアー客と乗り合わせることが多かったことが思い起こされます(さすがにローカル列車は地元民が多かったのですが)。
 RhBはスイス東部のグラウビュンデン州に主要4路線を有し、総延長は約415km。軌間は1000mmで、スイス国鉄(軌間1435mm)と比べると車輌もやや小振りな印象です。車輌は電気機関車が牽引も客車列車が主流(一部電車もあり)で、普通列車は終着駅での機関車の交換作業を省略するため、制御客車と呼ばれる車輌を連結しプッシュプル方式で運行しています。
 さて、「氷河急行」はサンモリッツ・ダヴォス・クールとマッターホルンの表玄関ツェルマットを約8時間かけて結ぶ列車で、その名の通り(最近は地球温暖化の影響からか後退はしているものの)車内から雪を戴いた山並みや青みがかった氷河の風景が楽しめることで知られています。また、牧草地の黄緑の斜面が延々と広がる様子もいかにもスイスという趣きです。さらに、スイス鉄道屈指の撮影ポイントであるランドヴァッサー橋の絶景も楽しめます。乗車するなら絶対に1等のパノラマ客車がお勧めなのですが、ハイシーズン(6~9月頃)は予約は困難を極めます(2等車でも、もちろん風景は十二分に楽しめますが)。また、この列車の食堂車で絶景を肴に味わうワイン(勾配対策のため底面が斜めになった特注ワイングラスが使われています)は最高の一語に尽きます。
 もう一つの人気列車「ベルニナ急行」は、クール・ラントクワルト・サンモリッツとティラノ(イタリア)を約2時間半~4時間で結ぶ列車で、こちらも氷河急行に負けず劣らずすばらしい風景が楽しめる列車です。車窓からは4000m級の山並みや氷河などに加え、青白く光るビアンコ湖など息を飲むほどの美しい風景が連続します。また、最大高低差が1800mを超えることから植生の変化が目まぐるしく、沿線の建物も(特にイタリア語圏に入ると)大きく変化していく様子が見て取れまったく退屈しません。
 一方、クールからアローサを結ぶアローサ線も他の路線と比べれば若干地味なイメージも無きにしもの感はありますが、それを補って余りある派な塗装の車輌が彩りを添えています。レイルファン的にはクール出発直後の併用軌道区間(路面電車のように道路上を走行する区間)が大きな見所ですが、沿線のシャレー風の駅舎や、鬱蒼とした森林もスイス気分を盛り上げます。
 ところで(異論もあるかもしれませんが)、RhBの東の幹線エンガディン線の沿線風景はどこか日本に似ているような気がします。畑地、小川、田舎道、小集落、木製の古い橋など日本的箱庭風景が続き、強い郷愁を感じたことがありました。
 RhBの沿線にはどこも整備されたハイキングコースが数多くあり、山歩きがお好きな方にもぜひ訪れることをお勧めします。

レイティッシュ鉄道の公式ホームページ http://www.rhb.ch/

投稿者:小関秀彦
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2007年02月22日

スガキヤの野望と挫折

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小関さんも一時期ナゴヤに住んでいたそうですが、子どものときに体験した味覚は、トラウマとなって一生を左右してしまうといわれます。管理人も高校卒業まではナゴヤで暮らしていましたので、その味に支配され、とくに帰省した折には無償に食したくなるものです。そんな新シリーズ「不思議の国ナゴヤ」では、あの独特のB級グルメを不定期で紹介します。
第一号はスガキヤ。ナゴヤに本社をもつラーメンや甘味を扱う店で、向こうの国ではインスタントラーメンも売っています。東京圏の人に「スガキヤ」といっても知らない人のほうが多いようですが……。かつて90年代後半までスガキヤは関東や甲信越地方にも進出していましたが、需要が見込めないことから次々と閉店してしまいました。昔、川越で食したときは「うーん、この味」と満足していたものです。ところが2005年に再度「Sugakiya 高田馬場店」をオープンしたときは何度か行きました。しかし、客入りは芳しくなかったため、2006年9月30日をもって閉鎖撤退となりました。なかなか関東の人には受け入れられ難い味覚です。
スガキヤが関東で苦戦してしまうのは、コスト面の問題があります。さすがに高田馬場店はやや割高に設定されていましたが、それでも一杯1000円のラーメンが当たり前の時代ですから、テナント料を考えると経営が難しいのです。ナゴヤでは主にユニーやジャスコ、バローなど大型のショッピングセンター内に店舗があり、ハンバーガーのセットよりも遥かに安いので、学生や主婦憩いの場として賑わいます。高田馬場店の失敗は客層もありますが、カウンター席中心でくつろぐ場がなかったことです。
育ち盛りの若い頃は2杯注文も当たり前、なかには3杯食した人もいるように、ラーメンの価格は現在でも280円と安価に設定されており、写真のタマゴとチャーシューが入った特製でも390円です。最近は『日高屋』やもっと安いびっくりラーメン180円もありますが、安さと味の比ではスガキヤに優るものはないのです。
基本は和風のトンコツ系の白湯スープですが、九州のトンコツとは異なり、魚系のダシがきいています。よく「ヘビを使っている」という都市伝説がありましたが、ヘビなど使ったらあんなに安価で提供できるはずがありません。たしかに全国津々浦々のラーメンを食べ歩いた現在では安っぽい感(とくにあのハムのようなチャーシュー)は否めませんが、こづかいも限られている貧しい学生時代には何度お世話になり、空腹を満たしてくれたことでしょう。東京ではマクドナルドなどのファーストフードが憩いの場に使われていますが、ナゴヤではスガキヤだったのです。こうして書いているだけでも、別腹がうずき出し、もし近くに店があるなら入ってしまうあの味。隠し味に麻薬を使っているなんてガセもありましたね。

投稿者:管理人
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2007年02月23日

スイス旅・絶景のラントヴァッサー橋撮影と「ベルニナ急行」乗車の知恵

 小関さんのブログ、スイス鉄道の雄・RhB(レーティッシュ鉄道)」の紹介は要領よく、興味をそそります。確かにグリンデルヴァルトやツェルマットを卒業したスイス・ファンが次に目指すエリアは、当然ここグラウビュンデン州しかないでしょう。
 私自身昨年9月に、またこの鉄道を利用し、ダヴォスへ行って紅葉に彩られた山歩きをしてきました。かつてクール駅から南下してエンガディンの村々へ何年も通いましたが、そのたびに厳しい地形と格闘して敷設されたレーティッシュ鉄道の車窓から、思いもかけない山岳展望の旅を楽しんだものです。

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 さて小関さんが触れていたスイス鉄道屈指の絶景と言われるラントヴァッサー橋は列車の窓から誰でも楽に撮影できますが、それには知恵が必要です。
 目もくらむような谷にかけられたこの石橋は高さ65m、しかも半径100mの円弧を描きながら、列車はオーバーハングした岩壁をこじあけたトンネルへ突入します。写真は8年程前に私が車窓から撮影にしたものですが、クールからはできりるだけ最後尾の車両、しかも進行方向右側に席をとることをお勧めします。
 ちなみにこのトンネルは1902(明治35)年に組み立て櫓無しに完成したと「スイス百科事典」(フィリズーアの項)にでています。ついでに、線路を支える石柱間のアーチ幅は各20mが五つ、岸壁に懸かった片アーチが一つだそうです。他に橋を仰ぎ見るように撮影できる場所が谷の下にあるようですから、よく調べてから次のフィリズーア駅で下車するのもいいでしょう。

 もう一つ、小関さんが推奨していた人気列車「ベル二ナ急行」に私も乗りましたが、そのとき目にした気の毒な光景を忘れることができません。それはある夏、ザンクト・モーリッツ駅から満員で発車した列車が終点のイタリア、チラナ駅へ着いたときのことです。改札口に入国審査をする窓口があリ、そこで何人かの乗客が大声を上げていました。どうやらそれはパスポートを忘れて乗ってきてしまった人々が、ホームから出ることが許されないことに対する抗議の叫びのようでした。町の小さな店で本場のスパゲッティを食べて駅へ戻って聞いたところによると、彼らは折り返しの列車でスイスへ戻ったとのことです。スイスは今なおEUに加盟していませんので出入りにはパスポート必携です。お忘れなく。

投稿者:森田芳夫
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2007年02月24日

新宿東口の馬水槽

新宿東口のスタジオアルタへ向かう広場に「馬水槽」といわれる建造物が静かに建っています。

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この石造物は、東京上水道育ての親と呼ばれる中島鋭司博士が明治34年(1901)から欧米諸国を視察した際に、ロンドン水槽協会から東京市に寄贈されたもので、現在では世界に3つしかない貴重なものだそうです。赤大理石製で上部は馬、下部は犬・猫、裏面が人間用です。当時の交通機関は馬が中心でしたので、馬用はライオンの口から水が出ており一番デラックス。「馬水槽」と呼ばれていました。明治39年(1906)に新宿民衆駅完成を記念して現地に移転。一般公募で「みんなの泉」と改称されました。人間と動物が共用する水飲み場という意味が含まれています。近年まで水が出ていたのですが、現在は水が止められ、周囲の工事中で立ち入り禁止になっています(外からの撮影は可能)。
あれだけ人が行き来する新宿で、あまり関心をもたれることもないのですが、ぜひ新宿へ行ったら見ておきましょう。新宿区の有形文化財にも指定されています。

投稿者:管理人
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2007年02月25日

『風林火山』第8回「奇襲! 海ノ口」

いやーおもしろいですね『風林火山』。1月もずっと視聴率20%以上キープしていますし、やはり戦国ものは業績がいいですね。88年のNHK大河『武田信玄』は最高視聴率49.2%、平均39.2%という金字塔を打ち立てただけにその影響もあるのでしょうか。さて、今回の海ノ口城の攻防戦、勘助がなんと海ノ口城に入って、武田軍と戦う設定になっています。それにしても城壁に泥を塗って火攻めを防いだり、地中に水甕を埋めて水の波紋で、水の手を切る武田の戦法を見破るなど、兵法がところどころに出ていて見応えがあります。
海ノ口城で使われた城、どこかで見たなと思ったら、やはり長野県千曲市の荒砥城跡でした。館、兵舎、門、櫓などを当時の史料をもとに復元し、史跡公園として整備されています(入場料300円)。勘助が上っていた井楼櫓などはそのまま見学できますので、勘助ファンはぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。しなの鉄道戸倉駅から徒歩20分のところです。
話がそれましたが、冬の降雪を待って信虎が引き上げ、初陣だった晴信が殿をつとめることになります。晴信はわずか300の手勢で奇襲して平賀源心を討ち取り、城を陥落させます。平賀源心は剛胆七十人力といわれた猛将だったようで、ここは史実ですが、勘助ともあろう者が晴信の夜襲を見抜けなかったのでしょうか。最初の防戦が見事だっただけにかえって腑抜けた展開になってしまいました。それにしても平賀源心の娘の美瑠姫は、勘助にいきなり話しかけたり、落城後も自害しようとして止められ生き延びるところを見ると、このあとの伏線がありそうですね。さて、海ノ城を視察する晴信めがけて、平蔵が矢を放つところで次回に続きますが、次回「勘助討たれる」って、話が終わっちゃうじゃないの?
史跡紀行は海ノ口城を紹介していました。南牧村の中心となるJR小海線佐久海ノ口駅が最寄で、ここから徒歩20分。小海線で佐久海ノ口を過ぎ、千曲川を隔てた右手の山が海ノ口城です。ちなみに佐久海ノ口駅は標高1039mでJRでは7番目に高い駅。現在は無人駅です。管理人が最初に小海線に乗ったときはまだ駅員がいて、「DISCOVER≫→JAPAN」のスタンプもあったのですが。ただ、今回のエリアは未撮影なので、写真や現役スタンプなどがありません。これにて失礼します。

投稿者:管理人
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2007年02月26日

発足20年を迎えるJRグループ各社

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1987年4月、公共企業体・日本国有鉄道の分割民営化により旅客6社、貨物1社の新生JRグループが誕生(国鉄バスは8社に分割)、この4月に発足20年の節目を迎えます。
 70年代中頃より相次ぐ運賃値上げ、続発するストライキにより国鉄不信は国民の間に広がり、マスコミも連日のように国鉄バッシングを続けていました。そんななか、当時の中曽根内閣は行政改革の目玉として国鉄解体を断行。発足前夜には民放全局もさよなら国鉄特番を組み、高揚した雰囲気の中で国鉄は最後の日を迎えたのでした(余談ですが、筆者は国鉄最後日に開業した新駅・仙石線東矢本駅で地元仙台のさとう宗幸が駅周辺の様子をリポートしていたのが印象深く思い出されます)。分割民営化が果たして鉄道復権に繋がるか疑問視されていたなか、当時高校生(のレイルファン)だった筆者にとっても、不安と期待の入り交じるスタートであったことが昨日のように思い出されます。
 その後しばらくの間は、車輌も駅も国鉄時代と何ら変わることなく(車体側面には大きな白いJRのステッカーが貼付されましたが、塗色はそのままなのであまり代わりばえしませんでした)、当時筆者が住んでいた仙台地区でも、ほとんど民営化を実感することはありませんでした。
※首都圏ではJR化直後に車内アナウンスでプロ野球速報を車掌がアナウンスするサービスが開始されたり、それまでの「国電」に変わる名称として「E電」が採用されたりと(まったく定着しませんでしたが)、多少変化の兆しは見えていたようですが。
 しかし、数年で状況は一変しました。新型車両の導入、ダイヤ改良、斬新な車輌の導入や積極的な設備投資によるスピードアップ、さらにはアイドルを多用したイメージ戦略などにより、90年代初頭にはJR各社は大学生の就職人気企業の上位にランクインするようにまでなり、新生JRは見事に鉄道離れに歯止めをかけることに成功したのでした。
 その後20年間、本州3社では消費税転嫁を除いて1度の運賃値上げもなく、特定地方交通線の廃止・第3セクター転換が終了した後は、JR線として廃止された路線もほとんどなく(可部線、上砂川支線、深名線など数えるほどです)、JR各社の経営は現在安定した状況にあります。これは、ひとえに各社のたゆまざる努力(関連事業の解禁など様々な追い風もありましたが)が身を結んだ結果と言えるのではないでしょうか。
 今後も我が国の都市間・地域輸送の要として、JR各社にはますます頑張ってほしいものです。
 さて、JR各社では現在JR発足20周年を記念して、今春の「青春18きっぷ」を8,000円(通常11,500円)で販売中です。発売は3月31日まで、有効期間は4月10日までとなっております。1回あたり僅か1,600円でJRの普通・快速列車が乗り放題となり、普段以上にお得です。筆者もさっそく1冊購入しました。

投稿者:小関秀彦
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2007年02月28日

マウンテンの遭難

当会には山登りの達人・伊佐九三四郎先生やアルプスの王者・森田芳夫代表など、登山にゆかりのある方が多いのが特徴ですが、両者も管理人もまだ制覇していない山が、名古屋の最高峰といわれるマウンテンです。

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もちろんこれは山の名でなく、名古屋市昭和区にある喫茶店なのですが、写真のメロンスパ(左)や和風パフェ(右)など、度肝を抜くメニューがいっぱいで、しかもその量は半端でないのです(和風パフェのバックに写っているネクタイの長さと比較してみてください)。最寄は地下鉄鶴舞線いりなか駅か名城線八事日赤駅で、いりなか駅から向かうといきなり坂を登り、登山がはじまっていることを実感させられます。最近は雑誌などで紹介されている影響もあって、地元よりも全国から登山者が集まっているようで、昼間の時間帯だと1時間以上待ちになることもあるそうです。
さて、マウンテン用語でマウンテンへ行くことを登山。完食することを登頂。食べ残したり体調を崩したりすることを遭難といいます。さらに高さ30㎝はあろうかというカキ氷はまさに氷山。どうやって食べても氷がテーブルの上に落ちる雪崩は防げません。これは友人が行ったときにもらった写真ですが、メロンスパの完食(登頂)に成功したそうです。しかし、まだまだこんなものは序の口。いちごスパや甘口抹茶小倉スパ、ピカンテピラフ激辛など未知のメニューがあふれています。一度行くと再びチャレンジ精神を駆り立てられるのがマウンテンなのです。みなさんもぜひ一度チャレンジ(登山)してみてはいかがでしょうか?くれぐれも体調にはお気をつけください。時には引き返す勇気も必要です。

なお、マウンテンは2006年11月6日より改装工事に入り休業中。2007年春にリニューアルオープン予定です。詳しくは公式ブログマウンテンの友などをご覧ください。

投稿者:管理人
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2007年03月01日

腰を抜かす大あんまき

ナゴヤ国はあんこ文化。残念ながら管理人は“あんこ”がそれほど得意でなかったので、おやつに出されると兄か友達にあげてしまうことが多かったものです。でもナゴヤ人は自然と“あんこ”の味に親しんでいますので、ドラ焼きの小型バージョンの千なりや、きよめ餅のようにあんこを使ったオヤツが非常に多いのです。東京に出てから気づいたのですが、“あんこ”をありがたくいただくのは、やはりナゴヤ国人だけだということが分かりました。“今川焼き”の店に人が並んでるのなんて見たことないし、ナゴヤ国では“大判焼き”とか“太鼓焼き”と呼びます。
関東の若い人たちに聞くと、あんこの苦手な人は多いようです。チョコは食べてもあんこは苦手、豆が口の中で潰れる感触がダメなんだとか? 管理人は子どもの頃あの見た目がダメでした。
今から30年くらい前になるかと思いますが、CBCラジオ(中部日本放送)では夕方4時くらいからの帯ラジオ(月~金)に、中田ダイマル&ラケットのしゃべくる『みんなの歌謡曲』というCM番組がありました(1967年1月9日~1980年10月3日)。
CM番組って何ぞや?
軽妙なしゃべくりがそのまま、店舗や商品のCMになっているんです。そして、ところどころで時代錯誤的な懐メロが流れるという……。中京地区のお店ばかりが取り上げられるので、ローカル番組であったと思います。

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印象に残っているのが、愛知県知立市にある藤田屋「大あんまき」。「おおあんまきころんころん……」というフレーズが耳から離れない。藤田屋名物、“自動大あん巻焼機”というメカからころんころん……と転がり出てくる様を思い浮かべます。
http://mikawacity.com/mikawa/spot/spotkako/200003/
http://www.rurubu.com/sight/sightDetail.asp?BookID=A3303080

清水義範氏の『笑説大名古屋辞典』(学研)で、はじめて本物を見たのですが、薄く細長いカステラで餡を巻いたもので、とにかくでかい。しかもそれを小さな子どもがおやつにほお張っている光景は腰を抜かしそうになります。そういう僕も2006年9月、豊橋駅ではじめて実物に遭遇。撮影用に購入しましたが、チーズ入りのほうに食指。これで160円(黒と白餡は140円)ですから、なかなか喰い甲斐があります。いまでさえ、抵抗なくなんとか食べられるようになりましたが、子どもの頃に実物を見たら確実に卒倒していたでしょう。いえ、これは“あんこ”が苦手だった僕の話です。
そういえば僕が2~3歳の頃、母と一緒に歩いていると、遠くから近所の高齢になるおばあちゃんがとぼとぼ歩いてきて、ニコニコ顔で大きなおまんじゅうを僕にくれました。しかし、あんこがダメな僕はどうしても素直に喜べず目を白黒させていました。もちろんそのおばあちゃんは数年後に他界。あのときのご厚意を受け止められなかったことが心残りとなりました。とにかくナゴヤ国へ行くなら、この大あんまきはマスターしておいたほうがいいかもしれません。それほど餡はお茶菓子に出されることが多いのです。
「餡・餡・餡とっても大好きドラえもん」って、もしかしたらナゴヤ人かもしれません。“あんこ”ネタはまだまだ続きます。あーお茶が欲しくなってきました。

投稿者:管理人
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2007年03月02日

放送禁止です

沖縄県那覇市と豊見城市にまたがる干潟。漫湖です。

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昔、某男性誌の仕事で変わった地名や名所を集めてほしいということで、沖縄の自衛隊にいる友人に撮ってきてもらいました。漫湖と書きますが湖でなく、河口に近い汽水域です。1999年にラムサール条約の登録湿地となり、国指定漫湖鳥獣保護区にも指定されています。
風物詩として小中学生らによる写生大会があり、「漫湖で写生大会が行われました」と報じられると、知らない人はびっくりしてしまいますね。しかし、この漫湖、近年は生活排水の影響で水質悪化が危惧されています。みんなできれいにしましょう。

投稿者:管理人
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2007年03月03日

武豊騎手を招く武豊町

愛知県の知多半島に武豊(たけとよ)町があり、JR武豊線の終着駅にもなっています。

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いまやJRAのトップジョッキーである武豊(たけゆたか)騎手の出自とは関係のない土地ですが、たまたま名前が同じだったことが縁で、町に二度も招かれており、一日町長を務めたこともあります。ナゴヤ人のとくに年配の競馬オヤジは、未だに武豊騎手を「タケトヨ」と呼んでいます。でも、武豊騎手も中京競馬場へ遠征に来ると緊張します。というのはナゴヤではバカ・アホのことを「たわけ」といい、人気馬で来ないときは「たわけ~タケ何やっとんだ」「タケトヨのたわけ~」などなじられるからです。とくに「タケ」と「タワケ」の発音が近いので、武豊騎手も落ち着かないですよね。
JR武豊線は東海道本線全通より早い明治19年(1886)開通ですが、19.3kmの未電化単線です。昔はボロボロのキハ35形が走っていましたが、近年は新型車両のキハ75形が投入され、名古屋直通の快速列車の設定もあって便利になりました。しかし、残念なことに武豊駅のスタンプは現在ありません。いつまでもローカル線の地位に甘んじている線でないことは確かですが、やはり増客策として武豊騎手の等身大看板を置いて記念撮影ができたり、武豊騎手のスタンプ(盗まれるので駅員保管)をつくったりすれば、馬券の縁起かつぎにもなりましょうに。

では明日の弥生賞は武豊騎手のアドマイヤオーラが来るでしょうか? 予想はこちらをお楽しみください。

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2007年03月04日

『風林火山』第9回「勘助討たれる」

2日遅れてしまいましたが、ようやく仕事がひと段落つき家に帰って明け方に見ました。今回は勘助よりも信玄中心の回でしたね。いきなり平蔵が放つ矢を受け止める勘助。本当に隻眼か? 普通あんなことできません。さらに二度目も晴信に向かって矢を放ちますが、板垣に気づかれ勘助は捕らわれの身に。そして晴信は「偽軍師、山本勘助を討ち取った」といいながら、勘助を助けます。今回のタイトルは結局これがいいたかっただけのことでしょうか?
で、いきなり話は4年もとんで晴信と三条夫人の間には太郎(義信)が生まれています。そして晴信の妹禰々は諏訪頼重のもとへ輿入れ。で、ここでようやく由布姫登場します。そして諏訪に訪れた父信虎が頼重の娘由布姫を見初め、側室に差し出すように命じますが、時代設定からいうと由布姫(勝頼の母諏訪御料人)はまだ10~11歳。子役でなく、いきなり柴本幸(加藤あいのほうがよかった)が出てくるのも無理があるし、信虎はロリコン趣味か! どうも暴君に描かれすぎる信虎とイヤミな晴信の親子関係はいただけませんな。しかも晴信を駿河に追放しようとし、晴信は信虎への謀叛を画策する。嗚呼、勘助出番がない。信虎追放劇にどう絡ませてくるのでしょうか? あと噛ませ犬の青木大膳は? 続きが気になります。
史跡紀行ではいきなり諏訪氏と由布姫の故郷の紹介で、長野県茅野市・諏訪市・下諏訪町・岡谷市を一気に紹介しました。これって僕が制作した『風林火山をゆく』(英知出版)の「勝頼の母・由布姫の里」とまったく同じじゃん。何もいきなり全部紹介しなくても、もっと小出しで紹介すればいいのに。
ということで諏訪湖畔にある中央本線の茅野・上諏訪・下諏訪・岡谷の各駅にスタンプがあります。茅野はこれ以外にもスタンプが2つありますので、史跡めぐりのついでにぜひ押しに行きましょう。ちなみに中央本線の上諏訪~下諏訪間は左手に諏訪湖が望めます。

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2007年03月05日

気味悪がられる小倉トースト

すいません、録画した『風林火山』第9回のビデオをまだ見ていないので先行します。

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先日もあんこネタを書きましたが、ナゴヤ人のあんこ好きで、究極ともいえるのが写真の小倉トーストです。

最近は関東でもまれに見られるようになりましたが、ナゴヤのコンビニ定番の菓子パンは“小倉&ネオ”。コッペパンの真ん中に切れ目を入れ、小倉餡とマーガリンを挟んだものです。アンパンや食パンにマーガリンを塗ったりするのは、当たり前のように好まれるのに、どうもこの組み合わせがナゴヤ以外の人に気味悪がられるらしい。そういうあんこが苦手な管理人もオヤツでこれを出されると困りました。いえ、ナゴヤ出身の友人は大好物ですが。

また、小倉デニッシュも名古屋人大好きな菓子パンのひとつ。そもそもその元となるのは、名古屋の喫茶店における“小倉トースト”というメニューなんです。文字通り、焼きたての分厚いトーストにマーガリンと小倉餡を乗せただけ。コメダコーヒーでも360円で味わえます。見た目は抵抗ありますが、ナゴヤ人は姿形よりも中身の味を重視。食べると止まらなくなり、結構お腹がふくれます。誰でも簡単にできるメニューなので、騙されたと思ってぜひお試しを。ただカロリーは高めなので食べ過ぎないようにしましょう。

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2007年03月07日

みやげの判断に迷う外郎

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ナゴヤのおみやげで有名なのは外郎(ういろう)ですが、2大メーカーは大須ういろと青柳ういろうです。ややこしいのすが大須は「ういろ」で、青柳は「ういろう」なのです。ナゴヤではテレビやラジオで嫌というほど聴かされるのが、両社のCMです。

『大須ういろ・ないろの歌』(午後3時の時報とともにラジオで流れる)

わーい、3時だ!大須ういろの時間だ。
ボンボンボーンと時計が三つ
坊やオヤツを食べました
とろーりとろけて、とーろりーんーこー
二つの赤い堤灯の
大須ういろとないろーでーすー♪

『青柳ういろうの歌』

悔しかったら言ってみな
白・黒・抹茶・あずき・コーヒー・ゆず・さくら
七つの味を残らずポィ、ポポポィのポィポィポィ
あおやーぎういろうー食べちゃったーぁ♪

(新バージョン)
ポポポィのポィ、お口へポィ
白・黒・抹茶・上がり・コーヒー・ゆず・さくら
七つの味を残らずポィ、ポポポィのポィポィポィ
あおやーぎういろうー食べちゃったーぁ♪

上がり→あずき→上がり と一度変わって戻っています。

ところで青柳の7つ味ですが、現在はコーヒーとゆず味はつくっていないそうです。このCM、しばし忍者の合言葉の暗号のようにナゴヤ国で使われ、「白・黒・抹茶」といわれたら、すぐに「上がり・コーヒー・ゆず・さくら」と答えなければ、ナゴヤ人でないことがばれてしまいますし、知らなければナゴヤ人として認めてもらえません。ところが僕の世代では「上がり」が「あずき」になっていて、ナゴヤ人の間でしばし論争になります。

ナゴヤ国へ帰省してみやげを何にするかで迷うのが、このういろです。「みやげには重いもんがええ」というのはナゴヤ人の発想ですが、このモチモチとした食感は、食べなれていない関東や九州の人には合わないみたいです。また、箱型のものを買ってしまうと、ファミリーならいいのですが、一人で封を切ると一度に全部は食べられず、冷蔵庫に入れても日がたつとカチンカチンになってしまうのがネックです。最近は一口サイズも売られていますが、これとて好き嫌いのギャップがあるので購入には戸惑います。

ちなみに餡が苦手だった僕は子どもの頃から大好きだったのですが、餡が好きな兄は子どもの頃はあまり好きではなかったようです。でも、ナゴヤ人はCMソングのすりこみによって、だんだんと食いたくなるように育てられてゆくのです。

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2007年03月08日

政令指定都市になる浜松の秘境

2005年8月16日、本土で一番人口の少ない(約200人)愛知県の富山村(2005年11月27日、豊根村に編入)を訪れました。ここは長野・静岡と県境を接する奥三河の山村です。

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最寄はJR飯田線大嵐駅ですが、この駅は天竜川をはさんだ静岡県にあります。元は水窪町だったのですが、こちらはひと足早く2005年7月1日に浜松市に編入されていました。浜松市は2007年2月末現在で人口約82万。4月1日には静岡市のあとを追うように政令指定都市になります。

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それにしてもこの秘境駅一帯が政令指定都市しかも浜松市天竜区になろうとは、誰が想像したでしょうか? しかも浜松市は岐阜県高山市に次ぐ広さなのです。
ところで県庁所在地の静岡市と浜松市の対抗意識はすごい。静岡市は大井川鐵道井川線の終点井川が市内というのに驚かされましたが、2003年4月に清水市を編入した際は、当時一番広い市だったのです(現在は5番目)。人口が70万を超えたので2005年4月に政令指定都市に移行しましたが、その後、浜松市が2市8町1村を呑み込んだため、人口も面積も浜松市に抜かれたのです。その後も静岡市は蒲原町・由比町と合併協議をし、2006年3月31日に蒲原町を編入しました。由比町が合併しなかったため飛び地になっています。たぶんこの先も静岡市は、再び浜松市を抜こうとして焼津市や由比町・岡部町を狙ってくるでしょう。浜松も浜名湖の西に残った湖西市・新居町を呑むかもしれません。
話がそれましたが、2005年7月1日~11月26日まで浜松市は、日本一のミニ村の富山村の玄関口だったのです。写真左の立派な駅舎は、1997年に富山村の出資で建てられました。村内のレポートは次回に続きます。

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2007年03月09日

今が最高、雪山の展望

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 例年の通り、今年もまた2月末に雪をまとった日本アルプスの眺めをたっぷりと堪能してきた。
 写真はふるさと伊那市の天竜川の西側、海抜700mの丘から見た、南アルプス仙丈ヶ岳(3033m)の優雅な姿である。どっしりと張り出した支稜と、深く刻まれた山襞のディテールが見とれるのは、雪をまとった冬、晴天の午後2時頃から日没頃まで。
 右奥に真っ白に見える峰は日本第二の高さを誇る北岳からの連峰、間の岳(3189m)である。桜で有名な高遠は左に長く伸びた尾根の付根のあたりにある。
 「南アルプスの女王」の別称があるこの山の全貌は、山梨側からは見ることができず、伊那谷でもここ伊那市の西の丘からだけである。
 この丘をさらに200mほど上がると、温泉がある人気の農業公園「みはらしファーム」へ達し、そこからは北岳など2峰を除く南アルプスの三千米級の名峰、赤石岳など7座が望める。
 写真撮影、スケッチ、自然から受け取る心の癒しなど目的は何でもかまわない、天気予報を熟視して、今出かけることをお勧めしたい(撮影2月26日午後2時半)。

投稿者:森田芳夫
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2007年03月10日

明日の名鉄杯ファンファーレに注目

2月13日の小関さんの投稿に対するコメントでも書かせていただきましたが、ナゴヤのJRA中京競馬場のパノラマステーションに7000系パノラマカー3両が保存・展示されています。

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展示車両は2002年3月28日を最後に引退し、岡崎の名鉄舞木検査場で整備されたあと、8月23日から一般公開されています。中間車は売店を改装のうえ、『ビュッフェ パノラマ』として、ドリンク・軽食などを販売。競馬開催日および場外発売日の9時~16時30分に営業しています。この時間帯は車内も解放され、2階運転台も見学でき、子どもは運転席に入れてもらえるサービスも行っています(ただし雨天中止)

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さて、明日(11日)の中京競馬場のメインレース(11R)は名鉄杯(1000万下・芝2000m)です。前にも書きましたが、通常のファンファーレではなく、冠スポンサーである名鉄パノラマカーのミュージックホーンのメロディが演奏されます。ここで、

「どーけーよ、どーけーよ、ころすぞー」

と唄った貴方はナゴヤ人です。発走は15時25分。フジテレビ「スーパー競馬」でも中継されますので、ぜひ耳をすませてください。中京競馬場へ行く方は、このパノラマカーの中に入ってシートに座るとゲンがかつげるかもしれませんよ。で、肝心の予想はこちらをお楽しみください。

投稿者:管理人
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2007年03月11日

『風林火山』第10回「晴信謀反」

またまた遅れてしまいまして申し訳ありません。13日の明け方にようやく観ました。寝るのを惜しんで……。ああ、早くタイムリーで観られるような生活に戻りたい。
今回も勘助ほとんど出番がありません。前回で晴信に情けをかけられたのが屈辱のようで、古寺にこもって酒びたりとグレています。若い内野勘助だからサマになりますが、史実の老人勘助では目も当てられません。一方、信虎と晴信の対立は激化し、ともに駿河に追放しようと今川義元のもとに使者を送ります。晴信の側近、板垣は飯富昌虎・甘利虎泰にも晴信に加担することをすすめますが、甘利の「あまりにも無常」というセリフはオヤジギャグだったのでしょうか?
天文10年(1541)、武田信虎は諏訪氏、北信濃の村上義清と組んで真田郷の海野一族を攻めます。幸隆が敗れて上野(群馬県)へ落ち延びるときになって勘助登場。すでに幸隆には源太郎という子がいますが、これは時代設定からいっても昌幸でなく、信綱です。昌幸はまだ生まれていません。幸隆が世話になる長野業正、中央舞台からはずれているので知名度はイマイチですが、光栄の「信長の野望嵐世記」では信長よりも能力数値が高く設定されています。これは弘治3年(1557)に武田信玄が6度にわたって上野に侵攻したけど業正に撃退されている史実があり、結局、信玄も業正存命中は攻略できなかったからです。もちろんこの頃、幸隆は業正のもとを離れて信玄に属していますが、この長野業正をクローズアップしてくれるとドラマ的にはもっとおもしろくなると思います。
そして今川義元は大原雪斎の進言で晴信に加担することを決意。ここで信虎を迎える使者として勘助に白羽の矢が立つわけです。

史跡紀行では、なぜか今回の物語とは関係のない山梨県韮崎市の宗泉院と武田勝頼の新府城跡を紹介していました。宗泉院は勘助の供養塔といわれる石祠がある寺ですが、アクセスが大変。山の中腹にあり、クルマで行ったのですが果てしなく山道を通りました。クルマで行ってもかなり時間がかかったことを実感させられるわけですから、バス停で降りて歩くと30分以上はかかります。このドラマがなければ無縁の地だったでしょう。ということで今回は宗泉院方面へ行くバスが出る韮崎駅のスタンプを紹介します。

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韮崎駅は八王子支社印の「瑞牆山と増富温泉」のスタンプがあったのですが、摩滅か盗難か何かで現在はありません。古いキャンペーンの「しんせんやまなし」のミニスタンプだけが保管されています。かなり状態も悪いのですが、スタンプの平和観音は駅裏手の観音山に建つ高さ18.3mの像で、駅ホームからでも観音様を見ることができます。なお、武田勝頼の新府城跡は韮崎よりも隣の無人駅・新府が最寄です(徒歩15分)。

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2007年03月12日

よっちゃんの体重ブログ第2弾(その1)

すいません管理人バタバタのため、またもビデオ録画の『風林火山』を消化することができず、久々の投稿よっちゃんの体重ブログを先に掲げさせていただきます。なお、今回は写真と文章が豊富なため、2日に分けてUPします。明日も続きをご覧ください。

御無沙汰しております。2月末に何とか一山登ってまいりました。今回は中央本線からアクセスの良い山を御紹介しましょう。

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 中央本線梁川~鳥沢間の南麗にそびえる倉岳山です。駅からのアクセスが良い、富士山が近くに見える等で人気があると聞きました。が、平日の正午、梁川駅に降りるのは私と地元のお婆さんだけ、、、 倉岳山は990M、梁川駅から山頂を経て鳥沢駅まで回るコースの所要時間は4時間ほど。約10Kmの道のりです。梁川駅から登山口までは舗装路を歩きます。冬の雪中トレッキングに人気の山だそうだが、今年は暖冬です。梅は満開、ボケまで咲いていました。春の香りを楽しみながら程なく登山口へ。北斜面でも残雪は無く暖かな日差しの中の山行です。沢筋の苔むしたルートは歩き辛いものの趣があって良い、爽やかな沢の音と小鳥の囀りしか聞こえず、静かなハイクが楽しめます。

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 すっかり汗ばんだ頃、いいタイミングでベンチがあります。最後の水場です。飲めませんと書いてありますが飲んじゃいます!旨いです。一服してから沢とお別れし、一気に尾根まで上ります。尾根に着くと立野峠とありました。南に下ると秋山方面、頂上へは右折します。標識も有り迷うことは無いです。尾根筋の南側は広葉樹が葉を落として展望が望めます。北斜面は杉林で鬱蒼としています。左右で全く違うのでちょっと面白いです。管轄が違うのか? それとも北斜面の方が杉の植林に適しているのかもしれません。

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 倉岳山は尖った山なので標高800Mを越すと登りがきつくなります。赤土の急斜面は滑りやすいので注意して上ります。息が上がる頃、急に前が開けて頂上に着きました。北方の景色が見事です。鳥沢周辺、中央高速道、扇山、百蔵山、岩殿山も見えます。南西方面は道志の山々の先に富士山がバッチリ!?と言いたい所ですが、春の霞に隠され輪郭がぼんやりとしているだけでした。因みに頂上には丸太椅子が二組しか有りません。敷物持参がお勧めです(明日につづく)

投稿者:よっちゃん
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2007年03月13日

よっちゃんの体重ブログ第2弾(その2)

さて、昨日に引き続きよっちゃんの体重ブログです。果たして痩せられますかどうか……。

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遅いランチを食べてから高畑山方面へ下ります。下りも急斜面なので滑りやすいです。ウエイト100Kgオーバーがコケるとダメージが大きいので注意しながら下ります。20分ほどで穴路峠へ、峠から尾根沿いに上ると高畑山方面、右が鳥沢へ下ります。倉岳山、高畑山の縦走コースが人気のようですが、今日は時間不足なので鳥沢へ下ることにします。 この峠、ちょっと変わっています。十字路の場合、普通は尾根道がメインで左右から接続する感じですが、穴路峠は南北の峠道が尾根道をスパッと切り取ったような感じで道幅広く切通してあります。端の方の「峠道文化の森」看板にその訳が載っていました。穴路峠は村と村を結ぶ要所だったようです。しかし変わった名前の峠です。調べてみたところ諸説あるものの、アナジあるいはアナシとは北西風のことで、寒い時期に秋山から鳥沢へ向かう際、南北に切通してあるこの峠を超える際厳しい季節風が吹きつける事から付いた名前らしいとの事でした。秋山と甲州街道を結び、古くからの人、文化の交流がしのばれます。この辺りの山は炭焼きが盛んで運んでいたようです。今でこそ寂しい峠で一人佇めば、今にも行商に行く村人が背負子を担いで現れてきそうな感じがしました。

 峠からは比較的緩やかな道ですが、所々崩落が進みえらく道幅が狭いので緊張します。一人で落ちたら山伏になって暮らすしかありません。日も陰り薄暗くなって来ました。先を急ぎます。 沢筋に出てからはまるで河原のような石がゴロゴロ、疲れた足には堪えます。鳥沢から登り梁川へ下る方がコースとしては良さそうです。どうりですれ違う人ばかりだと思った、、、 途中、高畑山分岐があり、角に石仏が奉られてます。鳥沢から上った場合、右折すれば高畑山経由で穴路峠に行けます。

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 穴路峠から1時間。足も辛くなるころ、ようやくエメラルドグリーンが映える小篠貯水池を通り抜けます。登山道はここまでで、集落入り口に赤い鳥居の山の神神社があり、ここも梅が綺麗です。小篠集落の中をゆるやかに下って行き、後ろを振り返れば夕日に映える高畑山(右)と倉岳山(左)が見送ってくれます。虹吹橋で桂川を渡り甲州街道に出れば鳥沢駅まで10分ほどです。駅に着いたときはとっぷり日が暮れてしまいました。休憩込みで梁川駅から鳥沢駅までの所要時間は5時間半でした。

 春の息吹を感じるのは多分4月中頃でしょう、山桜も所々植わっていそうです。山里文化交流の道を歩きに出かけませんか? 2月末の体重113Kg(減ってないぢゃん!!)

投稿者:よっちゃん
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2007年03月14日

『名古屋テレビ塔~なごやんと天守閣と、時々、ひよこ』

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タイトルに深い意味はありません。二匹目のドジョウと言いたかっただけです。

地上にそびえ立つ名古屋テレビ塔は、昭和29年(1954)完成。東京タワーなんて昭和33年(1958)ですがな。そうだ名古屋はえらいのだ。

名古屋名物の白餡饅頭といえば、敷島製パン(東京ではパスコの名で進出)の“なごやん”松河屋老舗の葵の御紋の入った“天守閣”もございます。天守閣は1個74円でバラ売もしています。鹿児島出身の友人がこれが好物で、おみやげにいつも要求されました。食べたことない人に「どんな味?」と聞かれたら、「ひよこと同じ」と答えておきましょう。“ひよこ”って本当は福岡のお菓子なんですけどね。

この“ひよこ”をたぬきに置き換え、以前は「ロバ製菓」が“ぽんぽこ”という白餡饅頭を製造してましたが……、倒産。今はその工場を別の会社が引き継いで、“ぽんぽこおやじ”という白餡饅頭(笑)を作ってます。

カタチはどうあれ、まあ、いいです。白餡饅頭バンザイ!

投稿者:管理人代理
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2007年03月15日

ナゴヤの喫茶店はすごい!

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何がすごいかって?オマケが大好きな民族なのだ。ということは、そうです!

コーヒーを注文すれば朝食が付いてきます。厚切りトースト、ゆでたまご、サラダ等々。こんなのはまあ普通。和定食やうどんまで付いてくるお店だってあるんだよ。もっとも、モーニングサービスは一般にAM11:00まで。今度証拠写真撮ってくるね。
通常の営業時間には、写真のようにおつまみがついてきます。バターピーナッツ、これは定番で、個包装になった豆菓子やカップケーキ、マドレーヌなんてのも。かつてはアイスクリームという喫茶もありました。なんか腹を壊しそうですが……。

知らない人はびっくりします、「注文してないんだけど?」それでなくてもコーヒー1杯の値段は安いほうだと思います。

あと、都心じゃなくて住宅街の中にもけっこう喫茶店があるんです。周囲が田んぼだっておかまいなし。作業服のおじさん、おばさんが一服していたり、地域文化に密着してます。朝の勤めが早い人のために午前5時30分ぐらいから営業している喫茶店だってあります。
日曜の朝などはスエット姿のおじさんが新聞を広げていたり、マンガや週刊誌も充実してます。
実際、マンガを読むために通っている人もいるくらいで、ナゴヤ人はちょっとしたポケットマネーで、くつろげる空間を貸し切り状態にしてしまう。
心の贅沢というやつですね。

投稿者:管理人代理
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2007年03月17日

岩手競馬が大ピンチなんです!

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先に管理人のブログでも書かせていただきましたが、16日、岩手競馬再建のため、盛岡・奥州両市に対して297億円を融資する県からの補正予算案が、岩手県議会で否決されたのです。これに対し、増田岩手県知事は、本年度での岩手県競馬の廃止を示唆しており、3月24~27日の水沢開催をもって岩手競馬が終了する可能性が出てきました。ばんえいのときはまだ時間があったので、ソフトバンクの支援も得られて存続が決まったのですが、あと1週間足らずで廃止では民間支援による存続を図るための時間的猶予もありません。

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幸い水沢競馬には2004年9月16日に「青春18」で行ったことがあるのですが、結局、新しくなった盛岡競馬場(OROパーク)は行かずして廃止をみることになってしまうかもしれません。この競馬場は競馬バブルの真っ只中だった1996年に約404億円をかけて建設されました。芝コースも設置されたすばらしさは特筆できますが、この建設はあまりにも無計画だったといわざるを得ません。そしてこの約404億円という投資をドブに捨てようというのです。
具体的な救い道は競馬存続派の奥州(水沢)市長がいることで、水沢の単独開催に移行し、新盛岡のほうはJRAへの売却の方向へもっていったほうがいいかもしれません。JRAとてフトコロが厳しいのは分かりますが、まだ盛岡ひとつ救う手立てはあるでしょう。

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しょせん非力な管理人では、せいぜい少ないおこづかいから馬券を買ってあげることくらいしかできないのですが、もしこれを読まれた方、ぜひ3月24~27日の水沢開催へ行くことをおすすめします。今なら「青春18」が使えますし、もうこのまま岩手のお馬さんに会えなくなってしまうかもしれないからです。水沢競馬場にはおいしいものもたくさんあります。そのひとつが「多満川食堂」のいもの子汁(写真左)です。温まりますよ~。他にも僕は苦手ですがモツ煮(写真右)も評判です。
他にも競馬場内に茅葺の復元民家や馬車なども展示してあり、近代的なグッズショップもあります。しかし、ソフトバンクの本をみても明らかなように、これらの魅力や周辺観光地のPRが欠けすぎではないかと疑問に思うこともあります。
この場を借りて申し上げます。幸い当会にはブルーガイドパックで国内版最大の部数をしかけた代表森田芳夫氏はじめ、旅行業界の重鎮たちがそろっています。岩手県および岩手競馬組合に関係する皆さんがもしこれを読んでいたら、ぜひ当会にご相談ください。少しでも客を呼べるアイデアが出せると考えています。

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2007年03月18日

『風林火山』第11回「信虎追放」

はい、ようやく21日夜に観ることができました。信虎追放劇、よく描かれています。晴信の弟信繁は本当にできた弟ですね。本来ならあそこで権力争いが起こるのに……。信長と信行しかり、伊達政宗と小十郎しかり。秀吉と秀長の関係のように兄を補佐していくのですね。役者も晴信以上にいい味出しています。さて、駿河に行った信虎、ここでかつて臣従させた大井宗芸(信達)に出会います。大井夫人の父にあたる人です。そして今川義元、大原雪斎、大井宗芸らとともに歌の読み合わせをし、最後に義元が「晴れて心に戻る甲斐なし」と。これは信虎のことを指しているのですが、それに気づいていない信虎、「晴信をよろしく頼みます」と云っています。
さて、駿河から甲斐への帰途、甲斐国境ではかつて自分の名を与えた腹心までもが叛き、茫然自失。そこに勘助と噛ませ犬青木大膳などが迎えにきます。帰り道で勘助の殺気に気づいた信虎はいきなり勘助に斬りかかり、馬上での一騎討ち。勘助は信虎を殺すのでなく、刃を交えたことで思い人ミツを殺された復讐の念が晴れたのでしょう。勘助に代わって信虎に斬りつけた青木大膳を止めます。信虎はこの後、剃髪しますが義元が桶狭間で討たれるまでは駿河にいたようで、その後放浪してのちに軍師として九鬼嘉隆(のちの九鬼水軍の大将)を志摩より追放する活躍を見せます。でも、結局甲斐に帰国はかないませんが。

史跡紀行では万沢宿のある南部町と信虎の墓がある甲府市の大泉寺を紹介していました。万沢宿はJR身延線沿いの十島駅が最寄でちょうど身延沿線が甲斐と駿河を結ぶ街道がありました。十島は身延線で山梨県に入った最初の駅です。久しく身延線も乗っていないので実感が湧きませんが……。大泉寺のほうは直接は行かなかったのですが、制作した『風林火山をゆく』(英知出版)では紹介しています。ただ、甲府駅からバスで15分、さらに徒歩15分かかります。今回はスタンプや写真がありませんのでこれにて失礼します。

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2007年03月19日

よっちゃんの体重ブログ第3弾

すいません。またまた管理人『風林火山』のビデオ観れず。今週もよっちゃんからの投稿を先にUPします。

まいどですー。先日、国道16号沿いのバイク屋まで修理に出向いたのですが、そのまま預かりになってしまい、電車帰宅となり、奇しくも東武野田線に乗ってまいりました。かなり昔、iモードも無い時代。船橋から小山方面まで急用があったときに路線図だけ見て野田線が早そうだと乗り込み、とんでもなく時間が掛かって参った事がありました。ゴウンゴウンと唸る動力音、運河、梅郷などストレートかつローカルな駅名、単線区間も多くやたら長ーい停車時間、時間を気にしつつ車窓から綺麗な夕景を見ていた(要するに建物少なく雑木林、原っぱばかりということか?)記憶が蘇ります。

 さて、バイク屋から20分ほど梅郷駅まで歩きます。16号線は大型トラックばかりでうるさいので横道へそれます。さすが梅郷と言うだけあって彼方此方雑木林に混じって梅の木が良い香りを出しています。原っぱでは三角ベースで手打ちをしている少年達、最近見かけない光景だけに唸ってしまいます。うーん。ビバ!ローカル!! 少年捕まえて道尋ねます。「ばいごう駅ってどっち?」「ばいごうってなに?」「駅のことだよ」「え??うめさとだよおじさん」「へ??う・め・さ・と?」 おぢさんじゃないっ!と心の中で叫びつつ、初めて正しい駅名を知る41歳なのでした。

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 この付近の印象は15年前と余り変わっていない感じです。勿論ベットタウンとして開発も進み建売住宅の密集しているところもありますが、まだまだ遊び場の多そうな、いい感じの田舎風景が残っていました。 電車の音が近くに聞こえてきます。車両も8000系(左上)に変わり、もう唸り音はしていません。県道を渡り梅郷駅に着きます。いよいよ複線化されるのでしょうか、駅舎も新たに建築中(左下)です。「生まれ変わる梅郷」とのキャッチフレーズで駅前のタワーマンションも建築が進んでいます。今後はこの辺りもどんどん変わっていきそうです。スレート葺の旧駅舎(右下)も間もなく無くなります。郷愁を誘う部分も残してほしいと思いつつ電車に乗り込みました。

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 普段縁の無い会社線を利用するとついキョロキョロしてしまいます。向いの婆さんが孫とせんべい食べてます。グリーン系の車内色がくすんでいい感じで鄙びてます。夕方でも乗客数少なめです。勿論各駅停車一筋です。失礼ではありますが、東武野田線、シビレます! 利根川運河を過ぎ、初石を過ぎ、流山おおたかの森駅でつくばエキスプレスに乗り換えます。つくば線開業に合わせた新駅で降り、乗り換えると突然都心に戻ってきたかのような錯覚に陥ります。それほど野田線はホノボノとしていて心落ち着きます。次回バイク回収の際は遠回りして満喫しようと思います。都心から余り離れなくても旅気分は味わえるものですなぁー、

 ところで帰ってきてから、ふと思いました。梅郷、近くに無かったな、、、ちょっと調べてみました。 梅郷駅は、明治44年(1911)5月9日開設、明治22年(1889)市制町村制が施行され、旧山崎村、桜台村、今上村、花井新田、択根新田の5ヵ村が合併して新村を設置し、村名を「梅の五弁」になぞらえて、「その花の香ばしく後に堅実に実を結ぶ」を佳名とし梅郷村が出来、駅名の由来となったそうです。ガーン!周辺の梅は関係ないぢゃん!でも、駅に因んで後から植えたのかもね。 15日の体重112Kg(変らんのぅー)

投稿者:よっちゃん
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2007年03月20日

岩手競馬再開への長期戦略はありそうです。

先日の管理人の投稿に対し、代表の森田芳夫氏から貴重なご意見をいただきました。

私は競馬を見たこともないし、馬券も見たことがありません。
 しかし、「馬」そのものには、愛着を感じています。水沢が本気になって競馬レースを再建したければ、まず「馬」を町興しの核に据えて、市民を巻き込み、全国の「馬好きの首都」となるよう努力を重ねるほかありません。

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そのための施策を羅列します。
①日本の品評会と名馬コンクールの例年開催。
②馬肉料理の開発し、「馬肉料理の町」(そのネーミングを公募)を宣言。(岩手、長野、熊本は明治政府の法令に背いて馬刺しを食べてきた)
③タクシーはあってもいいが、市民の足を基本的に「馬車」にする。
④乗馬学校、貸し馬、魅力的な専用乗馬ルートの開設。
⑤馬と触れ合うユニークな動物園の開園。
⑥子馬の飼育施設、日本と世界の競走名馬の引退後の養老施設を作り、公開する。
⑦馬にちなんだお土産グッズの開発(馬皮製品、使い古した馬蹄のオーナメント、馬の毛で作るハンドバック、木彫りの馬、崇高な感じの絵馬など--)。
⑧全国絵馬コンクールの開催とその応募作品展示会を長期に開催。
⑨馬にちなんだ芸術作品コンクール(詩歌、メロディー、小説、絵画、彫刻)の開催。
⑩市立馬専門医科大学の開校。
⑪馬の歴史資料博物館を作る。
最後に「水沢競馬」をめざす。

まだまだ他にも考えられます。

・このほか国際交流として実効が期待される二つ。
■姉妹都市としてスイス随一の馬の町セニレジェ(ジュラ州・人口2千人、馬数千頭)と姉妹都市の締結。ノウハウを学び、日本の馬の文化を伝達する。
■信頼できるエージェントを通し、「ウイーンの乗馬学校」から毎年馬を運び、エレガントな馬の舞踏ショウを開く(かつて東京へジャンボジェットで2頭が運ばれて大人気を博したことがある)。ウイーン少年合唱団の演奏会と同時開催できればなお結構。

時間はかかるかも知れないが、どれかは市長の決断ですぐ始められるはずです。ご一考ください。市民の賛同もえられるはずです。

投稿者:森田芳夫
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2007年03月21日

元祖味噌カツ

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ナゴヤの赤味噌文化の代名詞といえるのが味噌カツです。ナゴヤの食堂には必ずといっていいほど置いてあり、何も知らない東京人が食堂に入ってカツ定食を頼もうものなら「味噌にしますか、ソースにしますか」と聞かれ、びっくりさせられます。まだ店の人が聞いてくるだけマシなのですが、いきなり味噌がかけられたトンカツが登場したとき、「このソース甘いよ。腐っているんじゃないの」と宣った輩がいたそうです。その後どうなったかわかりませんがナンマンダブ……半殺しにされていなければよいのですが。
ところで現在、矢場とんなどで出てくるわらじトンカツはむしろ亜流で、本家の味噌カツは土手焼きの煮汁(赤味噌・砂糖・みりんなどで調味)に串カツをつけて食べたのが始まりと言われます。土手焼きは牛モツ・牛スジ・こんにゃく・ゆで卵・大根などを煮込む味噌おでんの王道ですが、この土手煮の味噌鍋にどぼんとカツを食べるのです。名古屋競馬場や笠松競馬場、岐阜県海津市のお千代保稲荷などでも食べられます。競馬場の味噌カツは店の人が煮汁につけ、皿にキャベツを添えて出されますが、お千代保稲荷の味噌カツは1本80円で、自分で味噌煮鍋にぶっこんで食べられます(当然二度漬けは禁止!)。脇にキャベツが置いてあり、自由に食べられるこのアバウトさは、お千代保稲荷ならではでしょう。
ナゴヤの子どもはこれをオヤツに出されると大喜び。しかもコロモが薄いので10本、20本なんて軽々食べられてしまうところが怖い。ナゴヤ出身のママさんはお千代保稲荷に行ったとき、子どもたちが味噌カツをせがむので、「10本までよ!」と釘をさしたとか。栄養が偏るといけませんからキャベツと一緒に食べましょう。

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2007年03月23日

ひと足早いですが

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昨年の板橋区加賀公園のサクラです。毎年、この時期はやたら忙しく、ようやく写真撮りに行けると思えば曇ってた……。今年はもう少しサクラの写真撮りたいです。会員の皆様のサクラだよりお待ちしています。

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2007年03月24日

ナマズは美味

ナゴヤ国の隣にある岐阜県海津市(旧平田町)のおちょぼさん(お千代保稲荷)は、伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷です。参道はいろいろな雑貨屋さんが並んでいて大変おもしろいのですが、なかでも名物は川魚料理です。コイやウナギなども食べられますが、やはり一番のおすすめはナマズの蒲焼です。

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ナマズ料理の店はたくさんありますが、上にかに道楽ならぬザリガニとナマズが飾ってある『稲金』へ行きました。入口にはナマズの生簀があります。

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ナマズというと、グロテスクな姿から抵抗を覚える方もいるかもしれませんが、身は淡白でとてもおいしく、甘露ダレの蒲焼はとっても美味。お店によっては時価となっているところもありますが、僕が行った『稲金』のナマズ蒲焼定食は1800円でした。ウナギよりも高いです。
でも、ナマズを食べるのは埼玉県吉川市をはじめ、内陸では結構川魚料理がありますね。埼玉の店はナマズの天ぷらが多かったのですが、吉川の『魚竹』ではナマズの蒲焼が食べられます。ただし焼くのに1時間かかるので要予約だそうです。ということで今回はナゴヤ国まで出向かなくても、埼玉県でも食べられます。ぜひナマズ料理を一度お試しください。

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2007年03月25日

『風林火山』第12回「勘助仕官」

ひと段落つきやっとタイムリーで見ることができました。
今回からようやく井上靖の小説原題に入るわけで、よくもまあここまでうまく引っ張ったものです。噛ませ犬・青木大膳とのやりとりも小説とは違うものになっており、大膳も板垣も勘助の謀略を見抜いていた設定です。しかし、大膳が竹槍のように尖った竹の切り先を踏み抜いたのは、勘助が偶然見つけたものでしょうね。そうしないと辻褄が合わなくなりますし……。原作を1年分に引き伸ばしたため、すでに勘助と板垣信方、武田晴信との対面を果たしているわけで、このあと勘助がどう晴信に仕官するのかが脚本家の腕の見せどころであったわけです。少々強引な結びが気にはなりましたが、まあ晴れて勘助が晴信に仕官するわけです。勘助は一度駿河富士の庵原忠胤のところへ挨拶に行ったあと、帰りに下部温泉。ああうらやましい。勘助仕官の年齢は史実だと51歳ですが、ドラマでは42歳になっていました。これは夏川純の年齢サバ読みか。でも42歳くらいにしないと内野勘助では無理がありましょう。
あと美童・春日源五郎(高坂弾正)登場。晴信と衆道の関係にあり、ラブレターまで後世に遺した人です。しかし、あれでは晴信と源五郎でなく、勘助と源五郎の危ない関係になってしまうぞ。そして勘助いきなり厚遇。200貫もらい、しかも晴信の一字をもらって山本勘助晴幸となります。「信」の字なら分かるのですが、将軍義晴の「晴」の字を与えることはあり得ない話。でも小説がそうなっているのですから仕方ないでしょう。出る杭の如く勘助、家臣団のイジメに……甘利虎泰が家臣との剣術の試合を仕組もうとし、勘助は真剣勝負しか受けないと断ると、晴信が刀を勘助に渡し、鬼美濃と恐れられる原虎胤が対決を申し出る。しかし、厚遇したかと思えばいきなり家臣のイジメの和に入っている晴信。信虎とのやりとりのときもそうでしたが、ずいぶんイヤミな性格にしていますね。
史跡紀行では信玄の隠し湯で知られる下部温泉と隠し金山の湯之奥金山、身延山久遠寺を紹介。身延山久遠寺は武田氏の崇敬を受けたといいますが、善光寺ほど知られていないんですよね。下部温泉は15年くらい前に行ったきりで、写真もスタンプもありません。実は「青春18」で来週行こうと考えていたのですが、間に合いませんでした。

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2007年03月26日

味噌煮込みうどんを食す

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ナゴヤ国の赤味噌第2弾といえば、味噌煮込みうどんである。なかでも東京にも進出している『山本家総本家』の味噌煮込みうどんが有名で、名駅(名古屋駅のこと。「なえき」ではなく「めいえき」と読む)では、いつも満員で行列ができている。しかし、管理人はナゴヤ出身でありながら、ソバ好きのため味噌煮込みうどんをまともに食す機会がなかった。昨年暮れの有馬記念前日に知り合いと浅草WINS前の飲み屋で飲んだ帰り道、『山本家総本家』浅草雷門店を見つけたので入り、ナゴヤ人でありながら東京で初めて食すという不思議な体験となったのだ。飲みすぎていたため玉子入りを頼まなかったのが後悔。熱々の土鍋に入った半熟玉子がうまいのだ。そして空気穴のない上のフタが取り皿となる。
しかし、初めて食して知り合いとともに閉口した。うどん麺がそば粉を使用しており、讃岐うどん以上に固いのだ。しかも、ずっと煮込んでもおいても麺がのびるものではない。赤味噌スープは抜群に美味かった。しかし、麺が固い。固すぎる。こんなものを食べていたのかナゴヤ人は……。正直、「灯台もと暗し」の如く、研究不足であった。でも、やはり大正14年(1925)創業の老舗だから半端ではない。うどん麺はもっと柔らかいものと思っていただけに不覚をとった。そうか最近の若者はジャンクフードなどの柔らかいものばかり食べて歯が弱くなっているが、ナゴヤ人はこうして歯を鍛えていたのだ。まだまだ真のナゴヤ人には程遠い……。

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2007年03月27日

多摩の桜はまだかいな、、

まいどですー 今週は暖かい日が続きそうです。一気に桜も咲き始めましたね。そんで、毎年恒例!私の取って置きの桜を見に行ってきました。東京都多摩市と町田市の境には尾根間道路が通っており、東京のベットタウンとして多摩センターを中心に大規模な造成が現在でも進んでいます。住宅需要も落ち着き、かなり空きがあると聞きますが、いまだ彼方此方の野山を切り開いています。それでも、牛模様のように所々開発されず昔ながらの多摩の風景が残っている所もあります。場所は小田急多摩線唐木田駅付近の南西付近。鶴見川源流付近に残る農村風景の中、畑のそばに鎮座する名も無い桜の大木、今年はどんな咲きっぷりか楽しみです。

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 尾根間道から横道にそれ、不法投棄禁止の看板が並ぶすれ違いも困難な道を進みます。林を抜けると突然畑が広がり、目の前に桜の木が飛び込んで、、、ん!、あちゃー、まだ少し早かったようです。数輪咲いているだけでした。週末辺りには咲きそろいそうです。下の写真の木は梅です。こちらは終わりかけといったところです。バイクのエンジンを止めれば鶯などの野鳥の声とトラクターの音くらいしか聞こえません。畑には数種の小動物の足跡も見受けられます。都市開発の狭間、わずかに残った自然ですが本当に心和む空間がそこには広がっています。

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 宮崎駿アニメで、「平成狸合戦ぽんぽこ」というのがあり、多摩センター、永山付近の都市開発と自然破壊を題材にコミカルに描いています。開発によって住処を追われた野生動物は、それでもどっこい生きている!で締めくくられていますが、実際、自然というものは案外しぶといものなのかも知れません。丸々開発して公園なんか作るより少しでも手をつけない部分を残すほうが大事だと思います。付近を道路が通る予定のため、あと何年この景色が見られるかわかりませんが今後もこのような景観を大事に残していってほしいものですね。桜が満開になるころ、時間があれば再チャレンジしたいと思います。 今回は体重未計測ダスあしからず、、

投稿者:よっちゃん
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2007年03月29日

新幹線を運転する1

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はじめまして。旅じゃ会員のにわあつしです。小生、今ヨーロッパ鉄道ふれあいの旅を次々企画中。今から30数年前、ヨーロッパはTEE国際特急全盛期に、ユーレイルパス片手に一人鉄道乗り回しの旅をして以来、ヨーロッパの鉄道旅の素晴らしさにはまり、回を重ねるごと同行者が増え、最大20人ぐらいの時もあり、また新幹線運転士メンバーの旅もありました。今年は6月に2週間、高速列車TGV.ICE.タリス、チザルピーノ、イーエススターを含め、ヨーロッパ鉄道ふれあいの旅が決定。同行者11名、主に、一般のツアー旅に不満を抱いた段階塾年層の女性陣です。旅の目的地までの移動手段のみ利用される事が多い日本の鉄道と違って、駅、そして列車に乗ったところから旅が始まるヨーロッパの鉄道。生活感溢れる車内で各国の人々と素晴らしい景色を見ながらふれあいの旅をするのが楽しみなのです。鉄道旅の記録はこれから次々報告したいと思います。

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その前に、私の経歴欄――元新幹線電車運転士。そうなんです。それも今は骨董的な存在の0系電車の時代なんです。基本的には今の700系電車などとも運転そのものは極端に変わらなく、車で言えばナビが付き動力性能が向上し、操作もコンピューター化していることですかな!0系はマニアル車。運転士の感性で動かすことができた電車だったのです。天候や乗車人数や電車の癖!つまり加速とかブレーキの効き具合ををブレーキ弁ハンドルとノッチ操作で判断し運転していく。駅での停止位置や時間の正確な確保はこれらの事をいち早く体に染み込ませる事がポイントです。例えば、駅入線時は運転士の一人舞台。ATC信号で30キロ以下へ速度が落ちたら運転士は自分がバトンタッチします、という白い確認ボタンを押す。そして30キロ以下ギリギリの速度で、ホームに並ぶお客達の視線の中停止位置目指して入線していく。そして、50メートル手前でブレーキをかけて、体にかかる重みを感じ取りながらブレーキを抜いて停止位置にぴたりとあわせるのです。決まると最高の満足感ですよ。電車でGO!ではない本当の運転日記、これからもつづきますよ。

投稿者:にわあつし
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2007年03月30日

お江戸サクラだより1

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朝の千鳥が淵。午前7時だというのにサクラを愛でる人々でいっぱいです。ですが朝陽はどうしても逆光気味になってしまいます。千鳥が淵はやはり幻想的な夜桜でしょう。撮りたいけどしまい忘れた三脚が出てきません。ちくしょーどこへいった。

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午前9時、上野恩賜公園(写真左)。人もまだ少なく初めて満開のサクラが撮れました。一度目は葉桜、二度目は土曜で人が多すぎ、三度目は朝早すぎてゴミだらけかつ曇り、ということでこれが四度目の正直だったのです。旧寛永寺五重塔(写真右)。元は上野東照宮のものでしたが、明治の神仏分離令によって寛永寺の帰属となり、現在は東京都が管理しています。上野動物公園内にあって木々が邪魔して撮り辛いのですが、サクラに包まれた五重塔は映えますね。

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不忍池のほうは3月29日現在ではまだ7分咲といったところでした。

投稿者:管理人
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2007年03月31日

お江戸サクラだより2

本日より管理人1泊2日の取材に出かけますので、先行して2日分更新しておきます。

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神田川沿いはよくもまあこれだけサクラ並木が続くものと感心させられます。しかも途中には新江戸川公園・関口芭蕉庵・椿山荘・江戸川公園など憩いの場もあって花見ウォーキングを愉しむ人がいっぱいです。これが善福寺川や石神井川沿いにもサクラ並木が続くのですから最高ですね。この季節。でも案外この季節は晴れた日が限られ、雨が一度降れば花も散り、たちまち緑の葉になってしまう。この一瞬の輝きが日本人の心を捉えて離さないのでしょう。管理人ですらサクラの魔性の美しさについつい時間をとられてしまうほどですから。でも毎年撮影できるのはごくごくわずかなんです。

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都電荒川線も神田川を渡ります。荒川線沿線も飛鳥山をはじめとするサクラの名所が多く、このシーズンは一度で乗客全員が乗り切らない積み残しがおきます。

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中央線沿線もサクラがきれいです。いや本当、どこへ行ってもサクラの花が見られるのは、やはり日本ならではですね。この季節、家に閉じこもっていてはもったいないです。取材でなくても、サクラの写真撮るのは今しかありません。会員の皆さんからのサクラだよりお待ちしています。もちろん会員以外でも歓迎します。

投稿者:管理人
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2007年04月01日

『風林火山』第13回「招かれざる男」

取材に出かけておりましてすっかり更新が遅れましたが、ビデオを見たのは明け方4時過ぎになっていました。
前回に引き続き猛将・原美濃守虎胤との対決です。しかし、勘助、実力では勝てないと悟り、策を弄して船上での対決を望みます。まさか『甲陽軍鑑』にも記された塚原卜伝の無手勝流をパクって、小島に置き去りにするのかと思えば違いました。しかも脚の不自由なはずの勘助が義経並みの八艘跳びならぬ大ジャンプをしているかと思えば、船底に穴をあけて原美濃守に戦わずして勝ってしまう。
その頃、晴信に二人目の男子・次郎(信親)が生まれますが、疱瘡にかかって失明。ちょうどその頃、勘助が三条夫人に出会いますが第一印象悪し。しかも「武田家に災いをもたらす」と晴信に語ります。まあ、歴史の史実として三条夫人の嫡子義信が自害したので、勘助の推した諏訪御料人(由布姫)の子四郎勝頼が武田家を継いで、結果的に武田氏は滅亡するわけですが、こんな40年先の結果を暗示するなんて三条夫人は予言者か細木数子ですか。第一、義信自害は勘助亡きあとの話ですし、そのあとの遺言で頭領代理なんて変な地位を与えて、家臣団の統率をとれなくしたのは晴信さん、あなたですよ。ここまでのちの歴史の結果を結びつけてしまうとちょっと気味悪いです。
一方、上野に逃れていた真田幸隆ですが、ここで「信長の野望嵐世記」で高評価されている長野業政登場。なんかイメージと違うな……。この年代では業政は50歳過ぎているわけですから。この長野業政が関東管領上杉家の支援でいよいよ佐久に侵攻するわけです。長野業政と勘助の軍略合戦が見られるとおもしろいのですが期待できそうもありません。諏訪頼重のほうは勝手に佐久に侵出しているし。またまた慌しい展開になってきました。
史跡紀行では、甲斐五山の法泉寺・能成寺・東光寺・長禅寺・円光院を紹介していました。実は先週の予告通り前日3月31日に下部温泉へ取材に行ったのですが、残念ながら甲府での滞在は1時間もなく、駅前の「甲州ほうとう小作」でほうとうを食したにとどまりました。写真はカレーほうとうです。ほうとうは作るのも、食べるのも時間がかかるので1時間くらいはみておきましょう。

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なお、今週末の4月6~8日が2007年度の「信玄公祭り」です。7日(土)には内野聖陽・市川亀治郎氏のトークショーも行われるそうですから、大河ファンは要チェックです。「青春18」もまだ使えますのでチャンス! 詳しくはhttp://www.yamanashi-kankou.jp/shingen/schedule.htmlへ。

投稿者:管理人
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2007年04月03日

お江戸サクラだより3

この季節雨が多く、すでにお江戸のサクラは青葉が見えはじめていますが、撮影した写真がありますので、もう少しサクラだよりにお付き合いください。

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昨年の写真になりますが、文京区のサクラの名所・播磨坂です。道路の両脇にサクラ並木が続き、サクラのトンネルを抜けるようです。

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こちらも昨年の写真ですが板橋区の加賀公園です。旧加賀藩前田家下屋敷の築山の公園はサクラの本数は少ないのですが、すぐ脇に石神井川のサクラ並木が続き夜桜で賑わいます。三脚がなかったので近くの台に固定して撮りました。

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3月30日に撮影した江戸川公園です。地元の出店はフランクフルトやジュースが100円となんて良心的。ちょうど週末ということもあり、すべて夜桜の場所は予約済みでした。でも、夜は結構冷えますよ。風邪引かないように。

投稿者:管理人
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2007年04月04日

お江戸サクラだより4

土砂降りで残りのサクラも涙のように散ってしまった印象。さて、本日は読者からの初投稿です。

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北区の音無橋の架かる音無親水公園です。昨日の加賀公園から石神井川のサクラ並木が続きます。この付近は石神井川の旧流路にあたるのですが、親水公園として改修されました。

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江戸時代からサクラの名所で知られる飛鳥山です。都電荒川線が山を迂回するように併用軌道を走ります。もうツツジも色づいていますね。

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最後は豊島区駒込の六義園のシダレザクラです。右のスタンプは管理人が提供しました。こちらもシダレザクラが描かれています。以下は読者の上田さんからの投稿です。

「青空のもと、桜を撮る」
私にとってこれがなかなか難しい。自然条件と当方の物理(?)条件がなかなか一致しないのである。桜の花の状態がよいときに晴れなかったり、晴れていても仕事で時間が取れなかったりと……曇りの日の桜は何となく元気がなさそうに感じて今ひとつ。桜を主役で撮るときは、人が少ない早朝がいいことがやっと分かった。来年は朝5時起きで撮ってみようと思う。

どうもありがとうございました。

投稿者:上田
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2007年04月05日

危うし! クッピーラムネ

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カクダイ製菓のクッピーラムネは、全国の駄菓子屋でも見られるラムネの王様といえるでしょう。ナゴヤ国にはグリーン豆やエビピーナッツでおなじみの春日井製菓もラムネを出しているのですが、こちらは袋菓子で、子どもにもっとも馴染みのあるのがクッピーラムネです。なんせ僕の時代は10円、兄の時代は5円という安さで、現在でも市販のものは20円か30円(箱型)です。
製造が昭和25年(1950)というからなんというロングセラーでしょう。可愛らしいウサギとリスのイラストも昔からのトレードマークになっています。ナゴヤ国は駄菓子の製造会社が多いことで知られますが、この由来はこちらを見ていただくとよく分かります。
http://www.aichima.net/nazo/01_dagashi/index.html

子どもの舌を支配し続けたカクダイのクッピーラムネはついにお土産バージョンも登場。ナゴヤ限定であのリスとウサギさんが「クッピーラムネは名古屋生まれ」「名古屋のことはまかしてちょ~」とセリフまで入っています。おみやげバージョンはラムネの粒も大きく、フルーツ味ということでカラフルなラムネが入っています。他にも10円ラムネが100個入った箱入りバージョン(1050円)もあって侮れません。そんなカクダイ製菓のクッピーラムネはおいしくて大好きですが、このラムネ界に強敵が現れたのです。
奈良県生駒市にあるイコマ製菓本舗のレインボーラムネです。こちらは小さな工場で生産しているだけなのですが、1㎏が500円(ネット通販は750円)で、朝開店と同時に長蛇の列で、一人2袋までと限られています。品切れ次第終了となり、午前中にはすぐに閉店になってしまう人気ぶり。こちらは球型のラムネですが、中は空洞でなくしっかりラムネがつまっていて、関西では有名になっています。僕も一度おすそ分けをもらったのですが、止まらなくなる美味さでした。たぶん毎日食べれるのであれば、確実に肥満する恐ろしさもあります。クチコミで広がったためか注文が殺到し、ついに生産が追いつかなくなって現在は販売中止になっています。たしかにいくら美味しくてもお客のニーズに応えられないのであればお菓子の頂点に立てないのですが、イコマ製菓本舗というのはそういうことには無頓着なのか、とくに生産や販売を拡大することなく、淡々と毎日生産している様子。だとしたら通販はさすがにまずかったか。このレインボーラムネが全国に出回らない限り、カクダイ製菓のクッピーラムネの地位も安泰ではあるのですが……。

投稿者:管理人
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2007年04月06日

増上寺徳川家霊廟公開は4月8日まで

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本日は港区芝にある徳川家の菩提寺・増上寺の御忌大会に行ってきました。御忌(ぎょき)とは、浄土宗の祖法然上人の忌日法要のことをいい、2007年は4月2~7日に行われます。この期間中にさまざまな催し物が行われるわけですが、なかでも一番の目玉は徳川家の霊廟公開です。

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当寺の霊廟に埋葬されているのは、2代秀忠・6代家宣・7代家継・9代家重・12代家慶・14代家茂の6人の将軍。2代秀忠と6代家宣は夫妻で合祀されているほか、静寛院和宮(家茂夫人)の墓、さらに綱吉生母の桂昌院はじめ5人の側室および6代家宣の父・甲府宰相綱重公ほか歴代将軍の子女ら計38名が葬られた合祀塔もあります。
公開期間中(本年度は4月2~8日)は、門の入り口で墓の案内資料が配布され、墓参りに訪れる人があとを絶ちません。霊廟公開は4月8日(日)までですので、ぜひこの機会に訪れてみてはいかがでしょうか。ちなみにスタンプも3つありました。あと残りひとつが見たい方はこちらへ。

投稿者:管理人
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2007年04月07日

お江戸サクラだより5

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昨日に引き続き増上寺のサクラを紹介します。連日の土砂降りでもうサクラも散ってしまったものと思っていましたが、境内のサクラはまだまだきれいでした。もちろん神聖な場所なので宴会などはできませんが、御忌大会の行事に花を添える形です。

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徳川家墓所からの東京タワーです。さすがにこちらは葉桜気味でした。もう少し早く行ったほうがよかったのかもしれませんが、この季節は天候が悪く、青空もなかなか出てくれません。この日も午後からは曇空になってしまいました。写真右は境内にある千躰子育地蔵尊です。かわいい地蔵様にカラフルな風車が添えられ、サクラ吹雪とともに風車がいっせいに回ると、きれいなことはたしかですが、なにか世の儚さを感じてしまいます。

投稿者:管理人
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2007年04月08日

『風林火山』第14回「孫子の旗」

今週はビデオを撮り損ね、14日(土)の再放送でようやく観ることができました。
真田幸隆が関東管領の助太刀を得て、佐久侵攻で長野業政と勘助の戦いを見られると思いきや、諏訪頼重が晴信との盟約を破って勝手に迎え撃ち、和睦するという拍子抜けの展開。真田の出番っていったい……。勘助は諏訪攻めのため、諏訪一族の高遠頼継と結ぼうと画策。教来石景政(馬場信房)と高遠に出かけることになります。その前に勘助が晴信と一緒に今度は湯村温泉に入っている。ここで孫子の目をとく勘助に対し、晴信が「ばーか」の一言。うう、くだらない。
とくに今回は話が飛びすぎる印象の回でした。信玄堤の工事をはじめるときに、なぜかここで春日源五郎が登場するし、三条夫人は「お前様の中に左様に非道な物が有ったとは」などどアホなことを言い出すし……。そして諏訪湖の御神渡りで勘助と由布姫が初めて出会い、勘助の第一印象が「あの娘の命は絶たねばならない」とは唐突すぎ。で、最後にあの有名な孫子の「風林火山」の旗が武田氏の軍旗となる。うーん、すごいまとまり悪いです。
最後の史跡紀行では甲州市塩山の菅田天神社と雲峰寺を紹介。風林火山の旗がらみだったのですが、こちらも物語の舞台とは関係なく、強引さがぬぐえません。信玄堤の場面があったので、山梨県甲斐市の信玄堤か諏訪湖の御神渡りを紹介すればよかったのですが、御神渡りは季節が違うので紹介しなかったのでしょうか? それとも今年は暖冬で見られなかったからなのでしょうか?

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ということで今回は塩山駅のスタンプを紹介します。左のスタンプは国鉄時代の「わたしの旅スタンプ」のものですが、消耗が激しく廃棄寸前のところまで来ています。右は八王子支社の小型印で状態もいいです。塩山駅や山梨県内の中央線の駅には、現在風林火山のスタンプラリーの印も置いてあります。ぜひこの期間中に集めてみてはいかがでしょうか。

投稿者:管理人
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2007年04月09日

新幹線を運転する2

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温暖化現象が進んでいるせいなのか、今年は、我が家の近く薩埵(さった)峠から望む冷ややかな日にくっきりと輝く富士山の姿の見える日が、少ないですね。峠近くに咲く桜も、天候のせいか夜明けの行灯のようにいつの間にか咲いて散っていくようです。

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さて新幹線を運転するバート2!季節は春。新幹線の沿線も、桜、菜の花、そしてれんげ草が咲き、運転台からの景色も180度花のパノラマでとても見晴らしが良く。と言いたいところですが、しかしこの季節、美しい花畑に群がる虫たちも多く、高速で走る新幹線電車の前はたちまち虫の雨かカーテンか。プチプチプチと、前面ガラスに当たってきます。運転士は、ウオツシヤー水を出してワイパーでガラスを洗い視界を確保しながら運転をして行きます。

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タイトルフォトは30年ほど前の富士山をバックに走る0系新幹線。0系が走る当時は、防音壁もなく、れんげ草が一面に咲きほこり、スカッとした風景でした。横から見る0系のフォルムはノスタルジックで懐かしいですね。700系のアヒル顔や500系の鋭いウエッジ顔と比べ優わな顔つきで、さしずめ仏顔と言うところかな??ところで、0系のこの先頭部分の中に結構広い空間があるのです。正式には運転室機器室と言うのですが、4畳半ぐらいの広さがあり、椅子も用意されています。業務で移動する職員がよく利用する部屋で、国鉄に入社仕立ての頃、私は、旅や帰省で新幹線利用の時、運転士に頼みよくこの通称ボンネツト室に乗せてもらいました。薄暗く外の景色も見えませんが、業務扱いで乗車させてもらっていたのでかなりの旅費の節約になった思い出があります。700系など新規車両にはこの室はないようです。
今、運転はすべて1人乗務で、東京~新大阪、最短2時間半、生理現象もままならず、乗務前から体調管理をするようです。国鉄時代は、ひかりは運転士2人乗務で、交代をしながら東京~新大阪を運転をしていました。トイレはもちろんのこと、食事交代もできたし、眠気覚ましのためか、社内販売のかわいいレディたちが必ずコーヒーなどのドリンクサービスに運転台を訪れてくれるなど、現在の新幹線運転士勤務と比べると夢のようでありました。これから0系運転当時にタイムスリップをして、当時の東京~新大阪間の運転旅日記を綴っていきます。パート3につづく。

投稿者:にわあつし
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2007年04月10日

多摩の桜も見事に咲きました

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先月27日にはまだ咲いていなかった町田市、上小山田地区の一本桜、先週見てきました。ちょうど満開でした! 毎年ころあいを見て訪れていますが、今年も見事に咲いております。私はどちらかというと並木のように沢山植わっているよりも、広々とした景色の中に一本ドカッと鎮座ましている様な桜が好きです。相変わらず小鳥の鳴き声と農村の仕事風景の中で暫し癒されておりました。

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今回は前回見過ごした鶴見川源流の湧水池も周って来ました。鶴見川といえば、昔からドブ川だのハゼ食べたらヤバいだの、六価クロム、PCBが出ただのと、下流域では良いことが無い河川で有名ですが、さすが町田市の奥。源流域では湧き水の泉も飲めるほどです。付近では今でも蛍が舞う事も有るそうです。東京の周辺の河川では何処も下流域は未だに水質が良くないようですが、上流域の鮮烈さをできるだけ維持できる管理を行って欲しいものです。今回は天気が余り良くなかったので写真がいまいち綺麗に写っておりませんでしたが、現地は宅地造成が迫るなかでもなかなか自然が残っている場所です。散策も楽しめると思います。お近くの方はぜひ足を延ばしてみてください。
因みに今回の体重!4月になってやっと111㎏。ゾロ目です。目指せ二桁!どうなるかのぅー

投稿者:よっちゃん
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2007年04月11日

対応の悪さが目立った樽見鉄道

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4月7日、取材で岐阜県の樽見鉄道へ行ってきた。目的は終点樽見から徒歩15分の淡墨桜。継体天皇のお手植えと伝わり、樹齢1500年といわれるサクラの古木である。散り際に独特の淡い墨色になることから、この名で呼ばれ、三春の滝桜(福島県三春町)、実相寺の神代桜(山梨県北杜市)とともに日本三大桜で国の天然記念物にも指定されている。また、作家の宇野千代が保護を訴え、活動したことでも有名だ。
樽見鉄道は昭和59年(1984)に国鉄樽見線から第3セクターの樽見鉄道に転換。当時は美濃神海(現・神海)までしか開通していなかったが、昭和63年(1988)に樽見まで延伸。毎年約10万の見物客を集めるという1本の淡墨桜への輸送手段としても大いに活躍する。例年この淡墨桜の開花期に合わせて、臨時列車を多数運行する桜ダイヤを組んでいたが、昨年は貨物輸送の打ち切りや客車の引退などもあり、この桜ダイヤを組んでおらず、不景気で存続の岐路に立たされていることは聞いていた。

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ところが本年度は桜ダイヤが復活したので、16年ぶりに再訪することになったのだ。しかし、噂は前々から聞いていたが、大垣駅から目的の列車に乗ろうとして閉口した。せっかくのかき入れ時というのにレールバス1両の運行。職員は「もういっぱいだから次の列車に乗ってくれ」という。30分待ちでなんとか次の列車に乗れたものの、こちらも1両で超満員。またまた積み残しが出て、乗れなかった人は次の列車まで1時間近く待たされることになった。桜シーズンの積み残しは都電荒川線でも見られた光景だが、次の電車まで5分待ちですむのとはわけが違う。
結局、僕の乗った列車は本社のある本巣で1両増結して急場をしのいだが、なぜ起点の大垣で最初から2両編成で運行しないのか、車内の乗客からも不満の声が相次いでいた。16年前に訪れたときはまだ開業フィーバーの最中だったかもしれないが、お花見列車「うすずみファンタジア号」の客車が3両編成で運転され、楽々座れたばかりか、お花見弁当も販売されていた。しかも車内は宴会ができるようテーブル付に改装されており、樽見までの汽車旅を大いに楽しんだ。だが、その後、地元の友人ですら「超満員で疲れるからもう行きたくない」との声が聞かれた。
もちろん車両の老朽化などの事情もあって、昔どおりにいかないのは百も承知である。しかし、せっかく観光の目玉となっている淡墨桜への輸送手段で、しかも土休日ともあれば1両で対応できないことくらいは、例年の輸送実績で分かっていたはずだ。たとえ乗客が座れないにしても、1両と2両では車内の混雑度や不快感は全然違う。駅から15分歩くのに対し、観光バスやマイカーでは近くの駐車場まで行けてしまうので、淡墨桜のリピーターがこちらに流れてしまう可能性は高いのだ。シーズン中は列車の時間に合わせて駅から淡墨公園までのシャトルバスをもうけ、100円程度の運賃をとるだけでも結構な実入りがありそうな気がするのだが……。
先日、会員のK氏も第3セクターの某鉄道の取材に出かけた際、あまりの食事のまずさに閉口したと云っていた。客が来るからという便乗商売に甘んじていないだろうか。クレームの類はまず書けない旅行ガイドブックに対し、ネット上でのクチコミは恐ろしいほど伝達も早い。もちろん単なる荒らし目的の悪口もあるだろうが、大半は当たっていることが多い。結局、それを嫌味ととるか、改善手段のアドバイスととるかは各施設次第になるのだが……。
不況にあえぐ第3セクターもただ「助けてくれ、乗ってくれ」の他力本願ではなく、本当に観光客を増やすための方策が正しいのか。もう一度見直すべき時期に来ていると思う。

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投稿者:管理人
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2007年04月12日

新幹線スタンプラリー実施中

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本年4月から来年3月まで、JR東日本では同社発足20周年記念キャンペーンとして、「新幹線スタンプラリー」を実施中です。これは、東北、上越、秋田、山形、長野の各新幹線の各駅と首都圏地区の各駅のスタンプを1個ずつ・計6個スタンプを全部集めると、ファン垂涎の鉄道グッズがもれなく当たるというもので、賞品の魅力も相まって人気を集めそうな企画です(スタンプ用紙は現在JR各駅で配布中です)。
賞品は3カ月ごとに変更されるのですが、4~6月はアクリルケース入りのミニチュア駅長制帽、7~9月はFASTECH360の形を模したUSBフラッシュメモリ、10~12月は「はやて」(E2系1000番代)のスリッパ、来年1~3月は新幹線の側面が印刷されたオリジナル懐中時計となっており、レイルファンならずとも欲しくなる魅力的なアイテムが揃っています。また、3エリア達成の場合には抽選で20,000名(応募者多数の場合)に、こちらもファン好みの鉄道グッズが用意(6エリア達成の場合と同様3カ月ごとに賞品が変わります)されているので、時間的に余裕のない人にはこちらがおすすめ。首都圏在住の方であれば、大宮(首都圏エリア)、小山(東北新幹線エリア)、熊谷(上越新幹線エリア)の3駅を廻れば達成できるので、週末に小旅行を兼ねて“押し鉄”の旅を楽しんでみるのもいいかもしれません。
一方、6エリアをめざす場合最大の難関となるのは、土日きっぷ(18,000円で北東北を除くJR東日本の全線が乗り放題となるきっぷ)が使えない秋田新幹線区間ですが、筆者もスタンプ蒐集をライフワークとされている管理人氏とともに、ぜひチャレンジしてみたいものです。ところで、本企画の応募要項には同一人物による重複応募を禁じてはいるものの、仮に架空名義で応募したとしても、(同一人物による応募か否かを)チェックすることはなかなか困難であるかと思われます。一人で何十枚も押しまくり友人の名義を借りるなどして大量に賞品をゲットし、ネットオークションなどで売りさばくような不逞の輩が出て来ないことを祈らずにはいられません。

投稿者:小関秀彦
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2007年04月13日

名古屋駅のきしめん

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ナゴヤ国のグルメでもメジャーなのがきしめんです。ただ、あまりにもB級すぎて名物とはいい難いのも事実。一般的なうどんよりずっと平らな麺で、茹でる時間を節約するため考案されたといわれますが、江戸期からあったようでその語源などにも諸説あります。
ナゴヤ国の食堂ではうどん屋と書かれていてもきしめんはまず置いてあり、濃いツユがご飯にあうので、ご飯とセットになったきしめん定食なんてものもみられます。また、駅の立ち食いスタンドにはそばやうどんもありますが、やはりメインはきしめん。油揚げにカツオ節がぶちまかれ、ヒラヒラと揺れるカツオ節は子ども頃は生きているのでは思うほど不気味にみえました。さて、きしめんのうまいところというと、とくに店舗で言及できるところはなく、クチコミで広まっているのが名古屋駅のきしめんです。管理人も鉄道で帰省するととくに腹も減っていないとも、ついおやつ代わりに食してしまうのです。管理人のおすすめは名古屋駅のホームでも昔ながらのスタンドが残っている名代きしめん。各ホームの最端にきしめんスタンドがあり、昔はすべてこのスタンドだったのですが、JR化後、別の店にとってかわられ、現在は一箇所だけになっています。ただ、別のサイトでは新幹線ホームのきしめんスタンドをすすめるところもあります。
名古屋駅のきしめんスタンドは7時~21時30分の営業。写真のスタンダードのきしめんで340円。手ごろな値段で味わえるのもいいです。でも本当のきしめんはネギの代わりにポパイのホウレン草が入っています。これは熱田神宮にある宮きしめんがありますが、これについてはまた別の機会に紹介したいと思います。

投稿者:管理人
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2007年04月14日

新幹線を運転する3

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0系アーカイブ、これから東京~新大阪間ひかり号の運転をしていくのですが、その前に、新幹線電車運転士になる道筋を教えます。私が現役の運転士だった当時の国鉄時代は、初めに、国鉄新幹線総局の登用試験を受け運転部門に入社。最初に整備掛という、雑役の仕事からスタートしました。次に、電車掛・電車の修理部門で働き電車の構造など覚え、2年9カ月で憧れの新幹線運転士の登用受験資格がつきます。そして年に1度、東京運転所管内で10数人程の運転士募集に応募、受験をしたのでした。整備掛から電車掛へ、そして運転士とすべてに学科、適性試験がありました。特に運転士登用試験は4次までの適性試験がありかなりの倍率だったのを覚えています。

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そして運転士試験合格後、半年間学校、半年間見習いの後、一人立ちになる3駅区間の実馳試験にクリアーして、正式に運転士となりました。写真は0系教本、ATC信号表示地点表、運転日誌です。当時の運転士職場は、元SLの機関士など、運転にかけては根っからのプロの運転士が揃っていて、新幹線開業に伴い転換してきたポッポ屋ばかりでした。

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さて今の新幹線運転士登用の道。JR登用試験で入社後、駅勤務、その後車掌を3年程経験後、1年に一度10数名程の新幹線運転士募集に応募し、採用されると、晴れて運転士になるのです。しかし、ずーっと運転士をしているわけではなく、再び駅に降りて、営業の仕事をするという、何でもしなければならない環流システムなのです。また、運転士登用の試験は適性検査のみだそうです。今、JRはオールラウンド勤務の時代。0系の時代は、運転士は運転する電車と運転だけの道を一筋に、プロ仕事士の駆け抜けていった時代でした。写真は、これから運転する0系電車の運転グッズです。制帽、時計、業務で使用する腕章、制服の袖に付けるワツペン、乗務日誌・JR用、新幹線運転免許証―JRになってから個人貸与、そして手前の銀色に光る棒が、電車を動かす鍵!ブレーキ弁ハンドルです。自動車でいえばキーを回す、つまり、このハンドルを運転位置におくことにより、人間でいえば動脈に値する、103線・直流母線に電気が流れ電車は出発準備OKとなるのです。さあ、東京駅から出発しよう。
パート4につづく。

投稿者:にわあつし
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2007年04月15日

『風林火山』第15回「諏訪攻め」

先日、第14回「孫子の旗」もUPしましたのであわせてお読みください。
武田氏と諏訪氏が政略結婚で同盟を結んでいたのに、諏訪氏が盟約を破ったというのは、晴信が父信虎追放後に、諏訪氏が小笠原・村上・木曽と連合し、甲斐に侵攻した瀬沢の戦いがモデルになっているものと思われます。もっともこの戦いは『甲陽軍鑑』以外に記述がなく、一部の史家に否定されていますが……。いずれにせよドラマでも先に盟約を破ったのは諏訪であり、なのに三条夫人が義理の妹の嫁ぎ先を攻めるのはおかしいと非難するのは明らかに変な話です。
ひとつ感心した点は原作の小説で諏訪氏の居城は高島城になっているのに対し、ドラマでは史実の上原城が拠点となっていることです。教来石景政は諏訪の家臣矢崎家に間者として入り、諏訪の西方衆を籠絡させ、いよいよ諏訪攻めになります。しかし、肝心の高遠頼継のほうは諏訪攻めに参加せず、戦の駆け引きが巧みに描かれています。でも、兵力差がいかんともしがたいのに、わざわざ諏訪が討って出る理由がわかりません。実際の上原城へ行けば分かりますが、標高978mの金毘羅山の山頂にあり、居館は麓にありました。いざ戦いになれば籠城できるようになっており、なかなか要害堅固です。しかもわざわざ戦わずして拠城を捨てて桑原城へ移るでしょうか? 妹の嫁ぎ先を攻めるのは道徳に反するというNHKの変な指導でもあるのでしょうか、このへんの描き方は妙に不自然さがぬぐえません。史実では上原城を攻められて落城、桑原城に拠って最後の抵抗を試みたのですから。それにしても勘助を「醜い悪鬼」とののしる由布姫の柴本幸は違和感が未だにとれません。見慣れてくるとよいのですが……。
史跡紀行では伊那市高遠町を紹介。今は場所しか断定できない高遠城跡の勘助郭や諏訪御料人(由布姫)の墓がある建福寺が登場しました。それにしても撮影した時期は冬場だったようですが、本来の高遠の目玉は春のサクラ。映像を他の業者に借りるなりして季節的にも春の高遠を紹介してほしかったです。僕も本制作で高遠を取材したのが秋でしたので、春のサクラは高遠町観光協会から借りました。なお、代表の森田芳夫氏は伊那市ふるさと大使でもあり、この取材でも大変お世話になっています。

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投稿者:管理人
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2007年04月16日

小湊鉄道沿線は花だらけ

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今年の春は会の年刊誌『旅行主義』4号の編集に追われて、近辺の満開のサクラの風情をろくに楽しめなかったが、4月10日に取材で乗りに行った房総半島の内陸を走る小湊鉄道の沿線で、散りかかる風情を楽しむことができた。でも八重や枝垂れなど、満開のサクラもあちこちで見た。
 写真は高滝駅を裏手から撮ったものだが、菜の花、ヤシオツツジ、ボケ、レンギョウなどが一斉に咲いて、一瞬ここは地上の天国かと錯覚するほど見事な花園だった。
 小湊鉄道の沿線はすべてが田舎っぽく、自然にしっくりと溶け込んだ人の暮らしが、なぜかとても懐かしい。沿線にはちょうど満開を迎え菜の花が、田んぼの水とよく映えている。
 車窓から見ていてもじかに風と光には触れられない。地図を見て道路と線路が着かず離れずに走る区間を発見、思い切って線路沿いに高滝・里見駅間ひと駅を歩いてみた。畑を耕す私より若い「おじいさん」とたあいない話を交わしたり、竹林からぬっと走り出てきた電車を撮ったりして、房総のわき道で私は期待以上の至福のときを過ごした。

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 終点の上総中野のひとつ前の駅が、紅葉で有名な「養老渓谷」。その前の駅から乗ってきた菜の花を手にした男の子の小学生がここで降りた。車中で写真を撮ろうとしたら、男の子は泰然としていたのに、隣りに座っていた高学年の姉のほうが「イヤー」といって腰を浮かした。
 駅前には養老温泉の旅館の名をつけたバンや、大型の車がずらりと並んで待っている。さすが!と思いきや、お客さんはすべて自分んちの小学生、かわいいわが子たちだった。紅葉の時期でないと、客待ちの車はないよと、駅前のラーメン屋の元気なおばあさんが教えてくれた。

 菜の花いっぱい、春たけなわの田園を走る電車を狙い、あちこちで私が乗った車両めがけてカメラを向けていた人を見かけた。しかし、まだこの沿線には鉄道写真マニアのエアポケットというべきスポットが山のようにある、と見た。そして、どの車両にも若い美人の車掌が勤務、検札に回ってくるたびに車内にはとてもやわらかい空気が流れ出し、そのたびに私は車窓風景色から一瞬目をそらした。

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養老渓谷駅発17時01分下りのプラットホームで待っていたのは、私と一匹の猫だけだった。

投稿者:森田芳夫
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2007年04月17日

高遠城址公園で満開のサクラを見てきました

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4月13日(金)、伊那市へ招かれ、高遠城址公園へ行き天下一品と謳われている満開のサクラを見てきた。
 首都圏などから招かれた「ふるさと大使」10人余を乗せたバスが午後3時に伊那市役所を出発、予想していた交通渋滞も無く、30分後にはもう入園できた。
 この日は曇天で、しかも夕方にかかっていたので、青空や雪山との色のコントラストには乏しかったが、真下から仰ぐ淡いピンクの色はなんとも形容しがたい美しさ、園内には明治8年(1875)に植えられた老木もあるが、四季にわたってサクラを手入れする3人の桜守のお陰で、若木に劣らない、大振りで見事な花をつけている。
 高遠のサクラは「花が咲く」というより、まるで果実のように「花がたわわに生(な)る」というほうが当たっている。それほどに1,500本のコヒガンザクラが丁寧にケアされているのだ。満開のときに遠くから見る公園は文字通り町並みの「花冠」に見え、「地上の楽園」とはこういうものかと思わせ、木の下に立って花を仰げば、酒が無くても気分はもはや酩酊状態だ。
 昨年3月末、高遠町は長谷村とともに伊那市と合併したが、それまで高遠町長だった伊東義人氏が一行の案内を務め、要所要所で歴史、サクラの養生、アルプスの展望、秋の紅葉祭りなどの説明があり、一層興味深く「お花見」ができた。
 この季節に入園する来客数予想は約35万人、例年よりほぼ一週間早い開花であるが、今はインターネットで開花時期を調べて全国から来るので、集中度は以前より高いという。この時期だけの入園料500円はすべてサクラの保全のために使われ、翌年に備える。これこそシビック・トラストの一種であるというべきであろう。

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 公園北側の出口に高遠美術館があリ(公園への入場券で入館できる)、その近くに伊東前町長が「園内で色も形も一番美しいサクラ」とする巨木が花を一杯に付けて枝をひろげていた。当日は枝が揺れるほど強い風が吹き渡っていたが、花はしっかりと付いて離れるようなことはかった。そして予想された通り、その週末が最高の人出で賑わったと聞いた。

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高遠美術館の休憩室からは公園のサクラと、晴れていれば中央アルプスが望める。

投稿者:森田芳夫
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2007年04月18日

稲葉会員が静岡新聞に紹介されました

2007年4月16日の静岡新聞「古道を歩く」の下田街道⑨梨本宿で稲葉修三郎会員のことが紹介されました。以下、新聞の中身をOCRで読み取りましたので、ぜひご覧ください。

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 百二十万人弱の人でにぎわった今年の河津桜まつり。既に花影は失せ、葉桜となったカワヅザクラの大木の下に昨年十月、石碑を置いた。「峠を越えて 瀬を渡り 伴に歩んだ 五十年」と刻む。河津町梨本地区の中心、川合野で民宿を営む稲葉修三郎さん(82)が妻美代子さん(77)と重ねた金婚の祝い。稲葉さんは父親が早逝し大家族を支えた。職替えは十六にも及ぶ。
 下田街道の宿は湯ケ島(伊豆市)とこの梨本の二カ所。梨本を飛ばす強行軍もあったが、下田を出て小鍋峠を越えても天城の山並みがそびえ、人家が消えた中で急峻な谷や川を渡らなければならない。梨本に宿を取ることが多かった。
 稲葉さんが「南総里見八犬伝」などで知られる文人、滝沢馬琴の随筆「燕石雑志(伊豆の海)」を紹介してくれた。一八〇〇年代初め、馬琴は逗留先の伊豆下田から天城越えで江戸に帰る途次、まだ日は高かったけれど天城山六里を越えがたいと思い、梨本村に宿泊する。「馬琴は小鍋坂、大鍋坂の水音もいと遠し湯が島の道、と口ずさんだ」と稲葉さん。下田屋という旅人宿だったが、既に廃業。本陣や脇本陣も様変わりしていて宿駅の面影はない。
 梨本宿へば河津町小鍋から大鍋を経て入り、大鍋川と河津川を渡る。合流部であり、橋下を清流が若をはむようにして勢いよく下っていく。馬琴が記した水音は二百年後の今も鮮烈だ。
 橋を渡り坂道を少し上ったところの小さな三差路に道標があった。倒れたのだろうか、二つに折れたものをセメントで接合している。
「右下田 左はま道」「右三嶋 左下田道」とそれぞれの面に刻んだ文字が何とか読み取れる。下田街道と海岸へ向かう浜道の分岐点を示す。建立したのは君沢郡小海村(沼津市)の増田七兵衛。七兵衛が立てた道標は小鍋峠の入り口、下田市北の沢にもあった。
 車一台の通行がやっとの急坂がいかにも旧道らしい。いったん国道414号に出て、稲葉さんの民宿「てっぽう」の看板を目印に旧道の下り坂に入る。脇の水路で蛍の餌となるカワニナを確認しうれしくなった。上は国道で車が行き交うが、河津川や支流の瀬音がかき消してくれる。道沿いではツバキの花や夏ミカンの実が彩りを加え、脇道を行く楽しさが増す。
 旧道はループ橋の直下に出る。この間には伊勢新九郎(北条早雲)の軍勢に滅ぼされた深根城(下田市)主関戸吉信のものとされる墓があり、大日如来像や供養塔などをまとめた場所も。延焼を食い止めたケヤキは火伏さんと呼ばれている。
 幕末、通商条約締結談判のため初代米国総領事ハリスや通訳ヒュースケンが下田から江戸に向かい、梨本の天城山慈眼院(坪井弘司住職)に泊まった。慈眼院は国道沿いになってしまったが、当時は七兵衛建立の道標近くに山門があり、深山幽谷の地とされた。先々代の諦堂住職はハリスをしのんでユニークな位牌をつくっていた。戒名は「愛日院殿誠心圓融大居士」。石に米国、左に日本の国旗を配し、末永い日米友好を願った。
 河津町観光協会長でもある弘司住職(51)は温泉施設を建設中。これまでのユースホステルと一体化して観光面での活用を意気込む。今月二十一日がプレオープン。古刹も時代の変化に立ち向かっている。(文・鈴木寛一郎 写真・塚原勝二)

〈メモ〉
梨本宿を巡るコースは伊豆の踊子文学碑の温泉場、湯ケ野(河津町)が起終点の踊子歩道に一部含まれる。踊子歩道は大鍋の橋を渡らないで発電所跡、つり橋を経て民宿「てっぼう」前に出る。七滝口まで同じ道。湯ケ野-七滝口約50分。伊豆急河津駅からバスで湯ケ野まで13分。下田街道はコースではないが、七滝・修善寺方面行きバス西湯ケ野下車。問い合わせは河津町観光協会〈電0558(32)0290〉、中伊豆東海バス〈電0558(72)1841〉へ。

投稿者:にわあつし
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2007年04月19日

おすすめ新刊1

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『安全・快適エアラインはこれだ』(藤石金彌著/朝日新聞社) 756円

航空ジャーナリストで知られる藤石氏の著作。飛行機は時間短縮にはもってこいですが、いつも大事故やハイジャックなどのリスクにさらされているわけです。安全かつ快適に空旅を楽しむには。「航空会社安全ランキング」と比較しながら、順位の変遷やトラブル率、お値打ち度など多角的「空の安全」について考えます。乗客にもできるベスト・エアライン選びのコツを紹介。しっかり読んだうえで航空機に乗りたいものです。いま流行の空弁とともに空旅を楽しみましょう。朝日新書で222Pと読み応えも抜群。

投稿者:管理人
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2007年04月20日

止まらない鉄道車輌ステンレス化の流れ

 京浜急行に初のステンレスカーとなる新1000系5次車が登場し、レイルファンの間で話題となっています。京急はこれまで首都圏のJR・大手私鉄の中では唯一ステンレスカーや無塗装アルミカーを導入していなかったのですが、ついに、ここにもステンレス化の波が押し寄せてきたのです。
 1958年に登場した東急5200系を嚆矢とする我が国のステンレスカーは、長らく一部の会社でのみ導入されてきました。70年代までは東急、南海(高野線系統の通勤車)、京王帝都(井の頭線)、京成、近鉄(1形式のみ)と数えるほどでしたが、、80年代以降徐々に勢力を拡大。転換点となったのは1985年。ステンレスカー導入に消極的であった国鉄が205系(山手線)が登場させて以来、国鉄/JRの車輌も急速にステンレス化の波が押し寄せ、今では新たに登場する車輌の大部分がステンレスカーです。

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 ステンレスカーは、車体の一部に塩化ビニールのテープを貼付するだけで済むため、定期的に塗り直しが必要となる鋼製車とは異なりメンテナンス作業の省力化を図ることができます。各社がこぞって導入を進めているのも理解できなくはありません(もし、私が鉄道会社の経営者であったとしても同じようにステンレス化によるコストダウンを進めることと思います)。しかしステンレスカーは帯の部分(のステッカー)でしか外観上の個性を表現できないため、どうしても似たようなイメージとなりがちです。実際、ステンレスに赤系のラインが入る東武と東急の通勤車を一般の地元以外の方が見分けるのは難しいのではないでしょうか。
 私感ですが、車輌撮影も模型製作も車輌に個性やバラエティ感があればこそ楽しいのであり、没個性となればなるほど、趣味的な興味は減殺されるような気がします(余談ですが、新幹線は東北新幹線が開業するまで長らく0系一形式のみでしたが、その頃はレイルファンの間でも趣味の対象としてほとんど認知されていませんでした。路線数が増え形式数が増加してきた90年代に入り、ようやく鉄道雑誌でも新幹線の特集を組むようになりました)。
 大手では阪急、京阪が今なおステンレスカー未導入ですが、もはやこれも時間の問題なのかもしれません。

投稿者:小関秀彦
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2007年04月21日

スタンプ物語34・四ツ谷駅

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久々のスタンプ物語になります。中央線の快速停車駅・四ツ谷は、JR駅名では大きい「ツ」を用いますが、しばしば小さい「ッ」と混同することもあり、住居表示では「四谷」となります。西は赤坂口、東は麹町口・四ッ谷口とありますが、スタンプは四ッ谷口の改札外にあります。
印影はなんとも欲張りで3つのスポットが描かれています。一つ目の迎賓館は駅から徒歩7分のところにあり、明治42年(1909)に東宮御所として建てられた洋風建築物。外国からの賓客に対し、宿泊その他の接遇を行うために設けられた国の施設です。毎年夏季に抽選による参観も行われていたのですが、2006年1月から2008年3月までは改修工事中参観は実施していません。
二つ目の聖イグナチオ教会は駅から徒歩5分。上智大学の構内にあるカトリック・イエズス会の教会です。大規模な聖堂で、儀式などがあっても一般に開放されているようです。
三つ目の四谷見附橋は、四ツ谷駅ホーム中ほどからみえる赤煉瓦の壁と薄緑色の力強い鋼鉄製のアーチが上の橋を支えており、この上が新宿通りになっています。大正2年(1913)に竣工したこの橋は、老朽化と新宿通りの交通量増加に伴い、1987年から架替工事が開始され、1991年に新しい橋となりました。古い橋は長池公園(八王子市別所2丁目)の池上に移設されています。幅員はかつての2倍となり、橋の親柱に付いている橋灯などに往時をしのぶことができます。

投稿者:管理人
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2007年04月22日

『風林火山』第16回「運命の出会い」

信玄に降伏した諏訪頼重はそのまま甲府へ送られ、東光寺で自害を命じられます。小説では能の舞台で謀殺されるのですが、それも生かして頼重と彌々が手を取り合うシーンになっています。それにしても薄幸の役を演じると、桜井幸子さんの表情が映えますね。しかし、頼重が自害に際して新参者の勘助に遺児寅王丸のことを託すのはどうみても変です。頼重の弟で大祝を継いだ頼高もこのあと自害させられていますが、史実ではまだ15歳の少年。このへんもドラマで描いてほしかった気がします。
さて、頼重自害後、桑原城にいた諏訪の残党討伐となり、平蔵が捕えられます。これも小説では高島城なのですが、小説と史実を織り交ぜたつくりになっています。由布姫は結局、「生き地獄だからこそ見たい、死ぬのはいや」と自害をためらっている間に、勘助が登場。最初は殺すつもりでいた勘助ですが、かつての思い人ミツとオーバーラップして殺せません。でも、最後のシーンで「お逃げくだされ」はないでしょ。逃げたって行き着くあてもなければ山賊の餌食か餓死ですよ。
史跡紀行では長野県諏訪市の頼重院(らいじゅういん)と、由布姫と勘助が出会った桑原城を紹介していました。やっとドラマに合わせた舞台紹介といってよいでしょう。両者とも取材で訪れた場所なのでスタンプはありませんが写真をUPしておきます。

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写真左はテレビにも出てきた頼重の墓と、頼重の怨念で7つに割れてしまったという大岩です。隣接して新田次郎の歌碑も建っており、「陽炎や頼重の無念ゆらゆらと」と記されています。写真右は悪天候で申し訳ないのですが、桑原城二の丸跡から望む諏訪湖です。標高981mの尾根や斜面などを利用して造られた山城で途中には首塚なども残っています。

投稿者:管理人
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2007年04月23日

新幹線を運転する4

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写真は今から30余年さかのぼり昭和50年春、0系電車全盛の頃の東京駅。昭和39年新幹線開業、45年大阪万博、そしてひかりは西へ博多開業の年でした。このひかりのステッカーは、行き先表示が電車にまだ設置されてなかった頃、よくホームでお客が、ひかり号とこだま号を乗り間違えることが多く、これを防ぐために、ひかり号だけにこの表示ステッカーを貼ったのです。さてこれから乗務するのは東京10時発ひかり5号博多行き、車両編成H59(Hはひかり、こだまはKで区別していた)16両編成。勤務は33仕業、通称とんぼ仕業。つまり、日帰り(とんぼ帰り)で東京~新大阪を運転する勤務です。
この当時の東京運転所運転士の受持つ電車は、基本的に東京から午後下りの新大阪方面電車と新大阪から午前中の上りの東京行き電車を運転、東京の運転士は下りは新大阪までの運転でした。新大阪まで運転する勤務の多くは1泊2日仕業で、大阪に行くと必ず泊まる1日1回片道だけの運転で、これに比べとんぼ帰りの勤務は、月に1、2度ですが結構ハードな勤務でした(現在JR仕業では列車のスピード化による時間短縮に伴って、とんぼ仕業をしてその日再び下り、1泊して上るという勤務が定例化されているようです)。

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品川の東京運転所車両基地にて。後列左2番目が筆者

ひかりの乗務は運転士2人、今日の相方は運転士科同期生の田村氏。同じ釜の飯を食った仲、お互い気心もよくわかり、ハードなとんぼの仕事でも気が楽です。発車15分前、運転準備に取りかかります。最初に、ひかり5号の列車番号を車両に設定登録し、運転台カウンターの各機器のスイッチ類を点検します。そして、車両の清掃など準備終了の標識のランプが赤から白に変わったことを確認すると、ブレーキ弁ハンドルを運転台カウンターの左側にある円筒形の切り口に差し込み、ブレーキの圧力を確認。そしてブレーキ位置におくと発車準備OKです。

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「チーン」と鳴るベルとともに速度計の速度表示上のランプが、0KMから70KMに移動。ATC信号出発OKの指示が出て、線路のポイントが本線につながりいよいよ発車です。懐中時計の発車時間を確認、ホームの発車ベルの音がブザーに変わり、ドアが閉まり、運転台パネルの戸じめ表示灯のランプが点灯すると、「戸じめ点灯、信号70、時刻よし」指先と目で声を出しながら、それぞれの表示を確認。そして、右足元にあるペダルを踏むと、警笛の音とともに発車です。ブレーキ弁ハンドルを緩解すると、カウンター中央の逆転レバーを前進位置に倒し、右側の通称ノツチと呼ぶ主幹制御器主ハンドルを1段下げる。車に例えればアクセルと同じで、1から10まで刻まれ、数字が多くなる程にモーターに電流が多く流れ速度を増していきます。今日はゴールデンウィーク前日、混雑したホームの人混みからしてこのひかり5号は超満席状態で、1ノツチではかなり重苦しいようです。続けてノツチを下げていくと、1両4個ある185KWのモーターが16両分64個一斉に動きだし、後部から力を増して来る感覚が身体に伝わって来ました。本線に入るリズミカルなポイントの渡り音を後に、春の時雨のなか東京駅を離れていきます。ひかりは西へ。
パート5につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年04月24日

ナゴヤの熱田さん

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ナゴヤ国が誇るお宮が三種の神器のひとつ草薙の剣が祭神の熱田神宮です。草薙の剣は平家滅亡の際に壇ノ浦で沈んだともいわれていますが、熱田に祀られている御神体は誰も見たことがなく、ベールに包まれています。創建は不明ですが、12代景行天皇(71~130)のときには、すでに存在していたらしく、子の日本武尊(やまとたける)が東国平定の際に当地の娘と結婚し、日本武尊の死後に所持していた草薙の剣を祀るようになり、伊勢神宮に次ぐ権威のある神社として栄えました。

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鎌倉幕府を開いた源頼朝の母は、この熱田大宮司藤原季範の娘・由良御前でした。頼朝は当地に生まれたといわれており、神宮近くの誓願寺の山門には頼朝生誕地の碑が人知れず建っており、境内には産湯の井戸も復元されています(頼朝生誕地説は瑞穂区の龍泉寺にもあり)。ナゴヤといえば信長・秀吉・家康と三英傑ばかり取り上げられますが、頼朝もナゴヤ国出身だったのです。そして父義朝の三男として生まれますが、母が由緒正しい出自の正室であったため、嫡男として京都で育てられ、13歳で従五位下右兵衛権佐に任じられています。しかし、平治の乱で源氏は敗北し、頼朝も捕らわれの身となり、伊豆に流されます。そして20年後、平家打倒の旗を挙げ、平家を滅ぼし武家社会を築くのです。ちなみに頼朝の弟義経も鞍馬から出て奥州藤原氏のもとへ行く際に熱田神宮に寄り、元服を行ったともいわれます。

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時は下って永禄3年(1560)、「海道一の弓取り」と云われた今川義元が上洛をめざして尾張に侵攻します。このとき信長は電光石火の奇襲によって、寡兵ながらも桶狭間で義元を討ち取り、覇道を歩むことになるのですが、この戦いの前に信長が戦勝祈願に寄ったのが熱田神宮です。このとき信長が「すべて表だったら我が軍の勝ち」と言って、ひと握りの永楽銭を投げ、落ちたものを確認するとすべて表でしたが、実は両面を貼り付けて必ず表が出るようにしていたという逸話があります。そして戦勝祝に寄進した信長塀も境内に残っているのです。

ということで今回は熱田神宮の歴史について触れましたが、次回は熱田神宮のグルメなどについて紹介します。

投稿者:管理人
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2007年04月25日

宮きしめんときよめ餅

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4月13日のきしめんでも少し紹介しましたが、熱田神宮の名物といえば、境内にあるきしめん専門店の宮きしめんです。写真のスタンダードのきしめんで550円。前回紹介した名古屋駅のきしめんに比べればやや高めですが、ネギの代わりのホウレン草が入っていて、やはり熱田神宮に参拝に来たらこれを食べずにはいられません。女性用というかおやつ用というか小盛宮きしめん450円もあるようです。割高になりますが他に山菜や玉子とじ、特上天ぷらなどが入ったきしめんもあり、つけ麺のざるきしめんもあります。

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お土産には有名なきよめ餅があります。小判型の求肥に小倉餡が入ったお餅で、やわらかい口当たりと上品な甘さが自慢です。昔、名古屋から関ヶ原までの東海道本線と中津川までの中央本線の各駅を早口でいうCM(もっとも途中はじゅげむじゅげむとごまかしていたが)がありましたが、熱田神宮の参拝記念に買うから意義のあるお土産で、同種と混同しないように「きよめ」の焼印が押してあります。南神池に面したお休み処「清め茶屋」で販売しており、お茶なども飲めるのですが、肝心のコイが泳ぐ南神池はいつの間にか捨て亀のミシシッピアカミミガメに占拠されていました。昔、夜店で売っていたひよこが大きくなって白色レグホンになると、熱田神宮に捨てるため、境内で飼われている小型のチャボが餌をとられてしまい、駆除に乗り出した話がありましたが、ミシシッピアカミミガメは放置状態で、日本古来のイシガメ・クサガメはここでも少なくなっています。

熱田神宮は毎年正月3が日の参拝者ランキングでもいつも上位に顔を出しており、2007年度も約235万人で第5位でした(トップは明治神宮の約311万人)。ご利益は家内安全・業務繁栄・諸願成就・身体健康・無病息災 ・開運招福・縁結び・安産 ・交通安全 ・厄災消除 ・学業成就・合格祈願・商売繁盛とまさに何でもありというのがナゴヤ国らしさを象徴しています。そして巫女さんの多さも日本一! 熱田神宮には約350名の巫女さんがいるそうです。

投稿者:管理人
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2007年04月26日

富山村ギャラリー1

現在、旅ジャーナリスト会議編のMOOK編集作業に追われている身で、このブログを書くというのは正直きつすぎる状況です。会員の方、Help me!
3月8日のブログ以来になりますが、本土で一番人口の少ない(約200人)村だった愛知県富山村したときの写真をUPします。訪問したのは2005年8月16日で、富山村は同年11月27日に豊根村に編入されています。

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浜松市に位置する秘境駅・大嵐駅から天竜川に架かる鷹巣橋を渡ると、対岸が愛知県富山村です。当日はあいにくの空模様でした。

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橋を渡ると村の看板があります。本当は飯田線の列車時刻に合わせて、大嵐駅から漆島の集落まで無料(ただし合併後は有料)の村民バスが接続していたのですが、村役場のある集落まで歩いてみることにしたのです。途中に小さな集落もありましたが、天竜川に沿って歩くこと15分、ようやく富山村の市街にたどり着きました。山の斜面にも家が建ち、まさに隠れ里といった印象です。平地がないため、この村には水田はなく、山の斜面を利用して茶が栽培されています。(つづく)

投稿者:管理人
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2007年04月27日

富山村ギャラリー2

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富山村の役場です。小さな建物ですが鉄筋コンクリートです。役場に隣接して診療所(右)がありました。

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役場から通路を隔てたところには富山郵便局(左)があり、ATMもしっかり設置されていましたので、記念にお金をおろしました。郵政民営化しても維持できるのかどうか心配ではありますが。そして洒落た喫茶店「コーヒーショップ栃の木」(右)もあります。村で一軒の喫茶店ですが、食事メニューも豊富。村人たちのサロンとなっているようで、僕が訪れたときも結構賑わっていました。

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村で一つといえばこれもそう。信号機です。昔テレビで紹介されたとき、クイズにもなりましたが、クルマの通行もあまりないのになぜ設けたのか? 答えは次回に続きます。

投稿者:管理人
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2007年04月28日

富山村ギャラリー3

まずは昨日のクイズの答えから。「子どもたちが大きくなって町に出ても困らないよう信号のルールを覚えてもらうため」です。ただし時差式でなく、歩行者ボタンを押すと信号が変わります。僕も村人でないくせについボタンを押してしまいました。

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村にはコンビニなんてありませんが、元祖コンビニの雑貨屋「千歳屋商店」があります。村の貴重な食糧源を売っているところです。仕入れも大変そうで、僕が入ったときは主婦の方が卵を探していましたが、入荷されてなかったので店の主人が自分のぶんを分けていました。ここでは村人はみな家族なのです。僕もここでお茶を購入。

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郵便局に隣接するのが村の歴史を語る見どころ観音堂(左)です。永正元年(1508)、富山村の字となっている大谷地区(旧大谷村)を開いた熊谷直盛が、熊谷家代々の守護として十一面観音菩薩を祀るために建立。十一面観音菩薩は村の文化財に指定されています。現在の御堂は文政7年(1824)に再建されたものです。旧暦1月11日には観音堂祭りが行われ、村人たちがお参りをします。さらに消防署(右)もあって治安も万全なのです。

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最後は富山小中学校です。体育館も立派です。みな進学すれば静岡か長野の他県の高校に通うようです。3回にわたって富山村をレポートしましたがいかがでしたか? ナゴヤ国はよく「大いなる田舎」とも呼ばれますが、日本一のミニ村だって、きちんと公共施設やナゴヤ文化に欠かせない喫茶店もあって、生活にはほとんど不自由しないのです。今回は時間がなくてこれで村をあとにしましたが、奥には湯の島温泉やキャンプ場、バンガロー村もあって山村留学も盛んに行われていました。最近の片田舎ではイジメや凶悪犯罪が発生するケースが多いのですが、ここは本当に平和な理想郷なのです。
現在は豊根村と合併し、日本一人口の少ない村は高知県の大川村に譲りましたが、旧富山村の公式ホームページも残っていますので、ぜひこちらもお楽しみください。

投稿者:管理人
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2007年04月29日

『風林火山』第17回「姫の涙」

タイムリーではありませんが、すぐに録画を観れたので、わずかな時間のトップ画面になりますがUPします。
第17回の始まりは由布姫に諏訪の家を捨てて逃げろという勘助。そして晴信は飯富虎昌に太郎(義信)の傅役を申し付けます。義信と虎昌が謀叛を企てたとして自害させられるのは勘助亡きあとの話ですが、新しい勘助の仇敵役でもつくろうというのでしょうか? ここで弟源四郎(のちの山県昌景)登場。いい伝えでは身長が130~140㎝のチビちゃんだったといいますが、ずいぶん背の高い役者を選びましたな。
晴信が由布姫を側室に所望しようという噂はたちまち広がり、その一方で夫が自害に追い込まれた禰々さんはうつろな表情で気がふれてしまいます。しかも三条夫人に向かって「そなたは子をなすだけの腹じゃ」って図星をついているし……。しかし、案の定、由布姫一行、山賊に襲われ、ピンチに登場のヒーロー山本勘助。一方でヒサのほうは暴徒に辱めを受けているし、このギャップはいったい何? で、勘助は盗賊を仕向けたとウソをつき(まあタイミングよすぎですから)、その偽りに泣く由布姫でした。
その頃、晴信と結んで諏訪頼重を滅ぼした高遠頼継が、領地の配分に不満をもち叛旗をひるがえします。ここで晴信は頼重の遺児虎王を禰々さんから引き離して出陣。現在の長野県茅野市の安国寺門前で合戦が行われました。坊主頭で目立った高遠蓮峰軒、最期のシーンもなく戦死ですか。あっけない。
そして勘助に連れ戻された由布姫は幽閉。「そなたの信じる神など無用」と麻利支天の像を捨て、「人の世は生き地獄」と嘆きます。うーん暗いよ~由布姫。

史跡紀行では安国寺門前合戦の場所を取り上げるかと思えば、いきなり関係のない勘助築城の小諸城のある長野県小諸市を取り上げていました。勘助が馬場信房と普請をするのは、もうちょっとあとの話ですが。小諸は勘助取材で二度訪れています。でも「青春18」だと第三セクターのしなの鉄道は利用できないので、いつも小海線経由になってしまうんですよね。明るいうちなら景色がよくていいけど、いつも日が暮れる時間になってしまい、小海線の2時間は小諸で食糧買っておかないとひもじいのです。ということで今回は小諸駅のスタンプ(左)を紹介。JRも小海線があるのに何故かJRのスタンプはないんですよね。ただし駅前の観光案内所にはスタンプが2個(中央と右)あります。駅のスタンプを押したら必ず観光案内所にも寄りましょう。時折、駅の古いスタンプが置いてあることも……。さらに懐古園に足を延ばせば、徴古館や藤村記念館でもスタンプがGETできます。

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投稿者:管理人
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2007年04月30日

「ネコバス」無料で伊那の中心街を走る

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今年3月から毎晩、長野県伊那市の中心街を「トトロ」をイメージしたレトロなネコバスが走り出した。
 車体はダムの畔で物置に使われていた1959年製のボンネット型「いすずBX341」。内装外観ともに改装し、車検をとって現役復活させた。日本に現存するバスとしては2番目に古い車体とされる。
 企画、出資は市内で居酒屋を経営する向山等さんで、市内のビジネスホテルと2軒と契約し、宿泊客を、氏が経営する2軒の居酒屋へ無料で送迎する。さらに一般客も停車間ならば利用できる。運転時間は午後6時から11時まで、ネオンきらめく中心街を一周約40分かけて6周する。

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運転する小松良光さんはこのバスの持ち主。
向山さんと組んで運行が実現した。

 伊那市生まれの私が、同じ伊那市生まれの小松さんが運転するバスの客となったのが4月27日の夜。ゆったりとした二人掛けシートは清潔で実にレトロな雰囲気。生家跡のある繁華街入舟、八幡町を通り抜け、さらに天竜河畔を走ると車窓を流れる風景までがまるで30年前に戻ったかのように見え、すべてが懐かしい。
 今後はさらに契約するホテル数を増やして伊那を訪れる客のサービスに供したいというが、まさに時代の要請である「飲酒運転の撲滅」にも一役買って、さらにこのネコバスが「動く観光名物」となる兆しとなることを願った。

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ホテルに貼られたポスター。制作は東京で音楽雑誌の編集者
をつとめ、Uターンしたフリージャーナリスト中村文人さん。

投稿者:森田芳夫
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2007年05月01日

好文旦

みなさん、こんにちは、ざつはちと申します。僕は鉄道にも歴史にも全然詳しくなく(本当はドラマの「風林火山」や「特急田中3号」でも見てから出直したほうがいいのかもしれませんw)、写真も下手なのでちょっと浮いてしまいそうですが、控え目ながらも露出?させて頂くことにしました。どうぞよろしくお願いします。

 最近はずっと旅らしい旅をしなくなっていて、出掛けるにしても近場ばかりになっています。文章として書けることが非常に少ないのですが、しばらく考えてみて、とりあえずのテーマを「自分の身近で、地方色や郷土色のあるものを下手でも写真に撮ってみる」ということにしたいと思います。

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 毎年春の時期になると、高知出身の友人からごちそうになる果物があります。その名は文旦(ぶんたん)。画像アップしたのは 「今年は見栄えが悪いヤツでごめんよ」と過日、彼女から直接渡された分の一つです。

 まあ確かにそうかもしれないけど、味のほうはどうしてどうして、もうほっぺたモゲモゲ、泣きたいくらいのウマさですよ、これが。そうですね、簡単に言って(書いて)しまえば、グレープフルーツから苦味を除いて、すっきりと上品な甘さを加えたような感じでしょうか。
 果肉の粒?がしっかりしているので、ものぐさ系の僕でも皮をむくのが億劫でないのがポイント高いですし……。もう世界で一番好きな果物と断言しちゃいたかったりします。

 将来の僕の夢の一つが、この文旦のオーナー(一本でもいいから栽培樹を所有する)になることだったりするんですよね、うはうっは。

投稿者:ざつはち
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2007年05月03日

2009年度の大河ドラマは『天地人』の直江兼続

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4月26日、NHKは再来年の2009年度の大河ドラマを、上杉景勝の家臣・直江兼続(1560~1619)を主人公とした火坂雅志氏の小説『天地人』(上下巻・日本放送出版協会刊)とすることを発表しました。脚本はNHK朝の連続テレビ小説『どんど晴れ』でも知られる小松江里子。主演などは現時点では発表されていません。
直江山城守兼続は樋口兼豊の長男として生まれ、早くして謙信の養子景勝の近侍として仕えました。その後、景勝の側近である直江信綱が毛利秀広に殺害されると、景勝の命で直江景綱の娘・お船の婿として結婚し、直江家の名跡を継ぎます。上杉景勝の重臣として仕えましたが、天下人豊臣秀吉にもいたく気に入られ、慶長3年(1598)に景勝が会津120万石に加増されて移封されると、兼続には出羽米沢に30万石という破格の所領をもらっています。秀吉死後、関ヶ原の戦いが起こると、徳川家康は難題をふっかけます。このとき兼続が書いた直江状(後世の創作ともいわれる)が家康を激怒させ、上杉景勝の討伐に向かうことになります。その隙に石田三成が上方で挙兵し、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こったのです。関ヶ原の戦いは引き返す家康を景勝が追撃しなかったため、結局勝機を逃してしまいましたが、このとき直江兼続の米沢30万石がそのまま上杉家の領土として残り、米沢藩として幕末まで存続することになります。
さて、この兼続で活性化が期待できるのはやはり新潟・山形になるでしょう。兼続の生誕地は旧与板町(現南魚沼市)の与板城で、麓の資料館には兼続の像もあります。最寄は上越線の六日町駅になるのですが、北越急行の分岐点でありながら、いつも新幹線接続の越後湯沢から特急に乗ってしまうため素通りしてしまうんですね。
そして山形県といえば忘れてならないのが、当会員の観光カリスマ工藤順一氏です。そして6月3日(日)の旅ジャーナリスト会議総会は15時30分から「アルカディア市ヶ谷」で行われ、セミナーの講師が工藤氏なのです。15時30分から17時30分が総会・セミナーで、17時30分から19時30分が懇親会になりますので、皆様ふるってご参加ください。
なお、工藤氏のホームページはhttp://samidare.jp/kudou/です。
そしてマドンナ田村氏の司会にもご注目ください。

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2007年05月04日

羊山公園芝桜の丘

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GW中なので混雑は覚悟のうえですが、どうしても写真が撮りたくて朝5時台の電車に乗り、埼玉県秩父市の羊山公園芝桜の丘へ行ってきました。

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普段は入園自由なのですが、シバザクラの開花期(4月上旬~5月上旬)は8~17時で、入園300円が必要となります。混雑を避けて開園時間に合わせていったのですが、それでも人だかりで、出店もすでに営業していました。

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秩父路では秩父鉄道でも花めぐりスタンプラリーを実施していますが、秩父エリアにある11カ所の文化施設にスタンプが設置されており、指定のスタンプ張にスタンプを7個集めると、秩父駅に併設する「じばさんセンター1階秩父観光総合案内所」で、すてきな記念品(右)がもらえます。スタンプも押せて記念品ももらえるとはいいですね。

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2007年05月05日

はなまるうどんVSどんどん庵

讃岐うどんのセルフサービス「はなまるうどん」が猛威をふるっています。新宿などの一等地でも、かけうどんの小は税込105円という安さで、しかも天かすと鰹節はトッピングし放題なのですから、究極のデブレスパイラルとでもいうべきでしょうか。管理人も新宿に寄ったついでにおやつ代わりにかけうどんの小をよく食します。最初にかけうどんを注文し、ここに天ぷらなどを自分で乗せてゆくシステムですが、実はこのシステムはナゴヤ国にかなり前から定着していました。今回紹介します「どんどん庵」は、東海地方の人しか知らないと思いますが、セルフうどんのチェーン店です(写真はちくわ天のトッピング)

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株式会社サガミチェーンの子会社として1997年に設立されたようですが、実はそれ以前の1980年代からセルフうどんの店としてナゴヤ国に存在していました。元々は100円うどんがウリで、生麺のうどんをとって自分で1分ほど湯がき、お好みの天ぷらやおにぎりなどをとって最後に甘口・辛口のつゆを自分で入れて清算する方式のうどん屋です。
たしか管理人が中学生くらいまでは100円だったのですが、その後、150円・200円と値段が徐々に上がってしまいました。あと誰が伝えていたわけではないのですが、辛口と甘口のつゆを2:1でブレンドするのがうまいということで、なぜかそれが10歳下の従兄弟まで知っていたとは驚きでした。たぶん皆がそうしていたので自然に覚えたのでしょう。なんと言ってもこのつゆがうどんにマッチしているのです。セルフには生そばの麺もありますが、そばには合いません(好みもありますが)。友人に至ってはつゆをおかわりするという、今思えば顰蹙ものの行為ですが、それほどまでにつゆが美味かったのです。残念なことにこの2種類あったつゆも現在は1種類だけとなってしまいました。
無料のトッピングは、100円時代はネギと天かす。150円になってから鰹節が加わりましたが、近年は天ぷらの売れ行きが悪いのか天かすのトッピングはみられません。はなまるうどんは細かい刻みのネギがあらかじめかかっていますが、どんどん庵はネギが載せ放題ということで、ネギ好きにはたまらないかもしれません。
昔は素うどんに無料トッピングの天かすやかつおぶしなど山盛り入れたものですが、さすがに大人になってくると、天ぷらやおにぎりなどをたくさん加えるので、結構な値段になり、決して安いとはいえないのですが、帰省した時などはどうしても食べたくなり、友人を誘って出かけたものです。
残念ながらこの「どんどん庵」も一番よく利用した店が潰れてしまい、代わりに「はなまるうどん」が国道沿いに進出しています。いくら東海地方に勢力をもつ「どんどん庵」でも、やはり値段の安さには勝てず、合理主義のナゴヤ人はみなこちらになびいていってしまうのです。たぶんスガキヤの関東進出が失敗したように、この「どんどん庵」も東海地方にしか定着しないグルメなのかもしれません。なんたってつゆが濃いので、薄味の讃岐うどんのように大衆受けしないからです。
東京では105円のはなまるしか食べない管理人も、帰省の折には600~700円分の「どんどん庵」のうどんを食べに行く。『一杯のかけそば』ではないのですが、至福の時を体感するものなのです。

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2007年05月06日

『風林火山』第18回「生か死か」

すいません、GW明けは蜂の巣をつつくような慌しさで、すっかり更新が遅れました。7日のアクセス数がものすごいありましたが、本当に申し訳ないです。
はい、今回の『風林火山』へ行きます。前半のすばらしさから変わってなんだか妙なストーリーになってきました。晴信が諏訪の由布姫を側室におきたいのは、由布姫が類稀な美貌の持ち主だったからで、ドラマでは父信虎も側室に所望しているように、まあこの親にしてこの子ありでしょう。その助平心にもいちいち理屈をつける晴信。家臣たちが反対するなか、勘助だけは稚児(わこ)は生まれれば諏訪の名跡を継げると賛成。由布姫を説得しますが、なかなか首をタテに振りません。
このあとの展開がすごく不自然。家臣の甘利が由布姫に自害をすすめ、勘助が駆けつけますが、由布姫は「彼は私に討たれにきた」と云ってるし、なアホな……。おまけに今度は三条夫人が来るが、イヤミを云って泣きながら去ってゆく。由布姫はまた「身を切られにまいった。私だけ無傷でいられない」と、晴信の側室になることを決意する。すごい変な展開です。以前の映画の三条夫人は大変嫉妬深く、しかも京都の公家の出なので、諏訪程度の姫など屁とも思っていないのが実像なのに、池脇千鶴にそれを演じる器量がないのかどうかわかりませんが……。あと内野勘助も軍師特有の非情さに欠けすぎています。諏訪の遺児寅王丸は、史実では消息不明になっていますが、あえてドラマに脚色するなら、寅王丸は晴信の叔父にあたるとはいえ、父の仇であることに変わりはないのですから、あとあと憂いを残すことは明らか。で、タイミングよく妹の禰々さんが亡くなってしまうのですから、勘助が入れ知恵をして寅王丸を殺害し、「諏訪の名代は晴信と由布姫様の子が継ぐ」としたほうが、おさまりがいいのです。
どうもそのあたりがNHK特有の愛だのなんだのと道徳っぽくするから、妙に人間臭い勘助になってしまい、非情な軍師像が描けなくなってしまうのです。軍師とは『三国志』の諸葛亮孔明のように人の感情に左右されてはならないものなのです。
史跡紀行ではなぜ今頃?の信玄堤を紹介していました。僕も昨年の夏、撮影に行ったのですが、JR中央本線竜王駅から徒歩20分はかかったでしょうか? あまりの炎天下の中だったので、もう少しで熱中症にかかるところでした。

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2007年05月07日

知られざる国の鉄道事情

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『将軍様の鉄道』(新潮社)国分隼人著 1995円

この著者、さすがに実名はまずいのでしょう。日豊本線の隣同士駅で鉄道マニアならつけたがるペンネームですね。
DVDもついており、蒸気機関車・車窓・都市交通に分けられた北朝鮮の鉄道を観ることができます。社会主義国では鉄道が軍事機密にされていることが多いのですが、よくもまあ、ここまで撮影できたものだと感心させられます。
普通の旅行客ではあそこまで撮影させてもらえないでしょう。産業スパイさながらです。
北朝鮮の鉄道はまさに日本の昭和30年代を思わせる光景。日本統治時代の蒸気機関車が走っていたり、腕木信号機は健在であったりで、列車速度も日本の鉄道に比べると、ずいぶんと遅いです。
都市交通も『地下鉄に乗って』に出てくるような旧式の地下鉄車両で、路面電車やトロリーバスも都市を走っています。クルマの通行量も日本の10分の1程度で、トロリーバスの架線が切れ急停車する迷シーンも収録されています。
もし北朝鮮に自由に旅行できるなら日本のレイルファンがある意味殺到しそうです。将軍様も外貨獲得のためにぜひ。

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2007年05月11日

新幹線を運転する5

untendai2.jpg 運転台風景のイメージ

0系アーカイブ。その前に、この文章は単なる新幹線の説明ではなく、運転士から見た体験談を描いています。これから先新大阪まで、運転士になったつもりでこのアーカイブを読んでいただくと、おもしろいですよ。さあ、一緒に出発しましょう。
ひかり5号博多行き。16両編成の長さは、1両25メートルX16。400メートルは実に長く感じ、有楽町の駅にさしかかって運転席小窓越しに後ろを覗いても、まだ最後部は東京駅を離れていない。電車は銀座数寄屋橋日劇を横に眺めながら在来線と並行して進む。古き良き時代を物語った日劇も今は近代的ビルに変わり跡形もないが、当時東京を発着の時には、運転旅の疲れを癒やす東京のシンボルでもあった。田町付近までは在来線と並行して走る。時折横に肩を並べる湘南電車の、窓越しの手を振る子供達に警笛で合図を送る。真横に並ぶと、湘南電車の運転士もかなり意識顔でこちらに目を向けているようだ。

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やがて左手に、東京運転所車両基地の長い車庫横を通過(今は品川駅と超高層ビルの街に変貌している)、八つ山のトンネルをくぐり抜けると、S字に大きくカーブをしながら高架線を進んでいく。
「制限90!!」
田村氏が歓呼する。多摩川付近までは、住宅密集地の上を走るためカーブが多く、速度規制が続き、ノッチを小刻みに動かしながら進む。新横浜駅手前で、ATC信号が初めて210Kを表示する。信号歓呼とともにノツチを最大の10まで刻む。ひかり号は相模平野を210K最高速で走り続ける。このあたりは切り通し沿いに線路が続き、上に住宅や線路を跨ぐ橋が多い。

untendai1.jpg運転台風景のイメージ

「先月の交番でね、夜9時頃かな? このあたりで(マグロ)の確認に当たってしまってね! 大変だったよ」
助手席の田村氏に話しかけた。
「三島への回送で、運転台も一人だったし、暗がりの線路を30k以下の速度でゆっくり前方を探しながら走り、それらしきものを発見した時は、冷や汗ものだったね」
私は夢中で話こんでいく。人身事故を業界用語で(マグロ)と言っている。跡処理がまぐろに酷似しているところがあるからだ。人身事故に遭遇して、200Kの速度から最大ブレーキをかけても、停止するまでには約2KMは進む。事故地点の検認は、時間の都合上後続の列車が行う(現在は上り下り関係なく、近くの列車が行うようです)。
「遭遇する人は2度3度続くみたいだし、神社で清めてもらうようだよ」
田村氏が答える。マグロの話題の続くなか、ひかり号は小田原も定時で通過。トンネルをいくつか過ぎると熱海駅。熱海駅はカーブしたホームで待避線もない為、110Kに速度を落とす(現在は180Kで通過)と熱海駅を通過、新丹那トンネルをくぐり抜けると三島で田村氏とハンドル交代だ。
次は豊橋まで彼が運転だ。春雨のなかをひかりは西へ。パート6につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年05月12日

ゴホンの紙風船

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いろいろと僕が旅先で集めたり、もらったりした資料の上で放ったらかしにされていたのが、画像の紙風船です。

 昔(今も?)、富山の薬行商の方々が訪問販売をする時に、向かった家の子供にあげたりした(している?)そうですね。

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 小さい空気穴から、ふう~っと息をかけ入れると、立方体に近い状態に膨らみます。

 なにせ富山旅をしたのが10年近く前のことで、名所の廣貫堂資料館で手に入れたのか、それとも民俗民芸村内の売薬資料館でだったのか、はっきりと思い出せずにすみません。

 それにしても、薬に関連する紙風船なら、癒しグッズにでもなってくれりゃいいものを、古びた表面についていた埃を吸って、咳やくしゃみをさせられたのでは、しょうがないですなあ。

投稿者:ざつはち
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2007年05月13日

『風林火山』第19回「呪いの笛」

月曜早々バタバタしており、にわあつしさんの投稿を先にUPさせていただきましたが、14日23時過ぎにようやくこちらを書くに至ります。
NHKというのはどうしてああも道徳的なつくりにするのでしょうか? 池脇千鶴が演じる三条夫人の気持ち悪いほどいい子ぶりぶり。勘助だけが異常なほど由布姫の護衛に徹し、警戒心がまったくの的外れで無礼者扱い。あのかっこいい内野勘助が浮かばれません。その三条夫人が側室に対して嫉妬もせず(あなたは京都三条家の由緒ある家柄でしょうか、田舎大名で助平亭主を誉めてどうする?)、しかも笛まで渡している。しかも「笛が不得手」というオヤジギャグならぬオバサンギャグ。やめてくれ~。以前ドラマか映画で見た『風林火山』で、三条夫人が由布姫に菓子を渡し、うすら笑いをして「毒なぞ入っておらんぞえ」といったほうがずっと味があります。
で、夜に由布姫は笛を吹き、三条夫人はひとり寂しく床で寝付けず。まあ、睦事で寝付けないのなら分かりますが、それをNHKでやるのは無理なんでしょうが。で、「呪いの笛」って意味わかんね~。三条家が「笛と装束の家」という史実から結びつけたようですが……。
史跡紀行では僕が第3回で取り上げました愛知県豊橋市賀茂町をようやく紹介していました。僕が1年以上前からお世話になりました本願寺も取り上げていただき、ようやく苦労が報われました。で、せっかく『風林火山をゆく』(英知出版)で大々的に取り上げたというのに、版元が倒産してしまうし……。あと、STATION STAMP情報によりますと、勘助が青年時代を過ごした牛久保城最寄りのJR飯田線牛久保駅にも勘助スタンプができたようです。僕が行ったときはまだありませんでしたが……。

投稿者:管理人
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2007年05月14日

新幹線を運転する6

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雨が少し強く降ってきたようだ。三島からは田村氏がハンドルを持ち、私は検査担当業務となる。ひかり号は運転士2人で東京~三島~豊橋~米原~新大阪を4区間に分けて、交代で2区間づつを運転します。また、こだま号は運転士は1人なので、東京~新大阪の場合は、東京~名古屋を運転して名古屋で1時間半余り休憩。再びこだま号を運転して新大阪に下る勤務。上りのこだまは静岡で休憩をとり東京まで上ります。
下り、上りのどちらかが片道こだま運転で大阪泊まりの場合は、片道は必ずひかり運転の勤務になっていました(現在はすべて一人乗務で、検査担当の業務は電車車内の空調や自動ドアその他サービス機器のなど故障応急処置は車掌が行い、動力関係など主回路の故障の場合は、100系からは、運転台パネルで故障車両ユニットをカツトして、他の車両から電源を移すなど、運転台で、運転士1人で管理できるように、電車の性能も向上し、ますますコンピュータ化されています。やがて運転士も運転する仕事から、運転管理させられる立場の運転士になるのかも?)。

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降りしきる雨と電車の高速度に、ほとんど水を拭きとる効果のないワイパーの動く視界のなか富士川を渡る。右手に望む富士山も影形なく隠れている。天気がよく富士山が美しさを表している時、この沿線は、新幹線を撮影する人々を多く見る。田子の浦や富士川は新幹線撮影スポットなのです。蒲原、由比などいくつかのトンネルとみかん畑の間を通りやがて静岡を通過。
「静岡マル!」
お互いに歓呼し乗務日誌に記録する。マルは定刻通り通過の事。15秒以内の誤差は定時とする。これが、天皇陛下のお乗りになるお召し列車の場合は1秒の誤差も許されない。必ず定められた時間に通過・停車駅の定位置で時計の針の12の位置に秒針をぴったり合わせるように運転をしなければならない。これは指名された運転士の職業技になっている。もちろん、停車・発車時の気づかない静かな乗り心地のよさも、まさに電車と一体となり操作していく熟練技なのです。

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ひかり5号は、青々とした牧の原の茶畑台地の香りの中を超満席のお客を乗せて走り抜け、波打つ浜名湖を通過。やがて豊橋の駅に近づいてきた。
「サア!交代しよう。ところで、新大阪に着いたら、久々にお好み焼きでも食べに行こうか!」
田村氏に声をかける。
「そうしよう、大阪に着く頃は雨も上がっているだろうし」
昼飯雑談で盛り上がるうちに、豊橋を定時通過。次は停車駅の名古屋だ。パート7につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年05月15日

まだまだ序の口・八丁味噌アイス

はい、MOOKの最終仕上げで泣きが入っている管理人です。著者校・編集部の赤字・監修者の赤字・編集の小野澤氏の赤字をひとつのゲラにまとめると真っ赤っ赤。初校戻しはデザイナーさん泣かせでもあります。ってこんなときにブログ書いてる場合でないけど、これ以上歯抜けが増えてしまうと、もう埋めるのも嫌になりそうなので、とりあえずショートなネタで(だめだこりゃ)

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写真にUPしましたのは、八丁味噌の本場、ナゴヤ国岡崎が誇る八丁味噌アイス250円です。なんたってナゴヤ国は赤味噌文化。上京したナゴヤ人は東京の白味噌になじめず、わざわざ本場の八丁味噌を実家から送ってもらう人もいるほどで、大豆100%の味噌はあの屈強の三河武士をも育て上げました。反対に尾張兵は日本最弱といわれるほど弱々しかったのです。豊かな濃尾平野で育って軟弱だったいう説もありますが、それよりも兵農分離を進めた初期の段階でしたから、まあ明治維新で富国強兵初期の未経験農民兵のようなものだったのでしょう。その代わり弱いことを知っているため、鉄砲や長槍など戦闘に有利な武器を開発したのも信長ならではでしょう。
話がそれましたが、ナゴヤ国の属国といわれる三河岡崎は徳川家康のお膝元です。八丁味噌製造元のカクキューは工場見学もできるのですが、僕が行ったときは時間外。仕方なく購入したのがこの八丁味噌アイスです。徳川家の葵門まで入っていて由緒正さを感じさせます。なんせアイスに八丁味噌ですから、この組み合わせはある意味、未知の世界なわけでチャレンジに至ったわけです。
しかし、まだ寒い季節だったのか、アイスはカチンカチンで無理に木のさじでとろうとすれば折れるのは確実。20分ほどねかせたでしょうか。さあひと口賞味……。

キャラメルの味でした……!

しかし、これはある意味、まっとうなアイスだったのかもしれません。後日知った情報によると名古屋市北区にある「茶っきり娘」には、本格的な八丁味噌アイスがあり、本当に牛乳と赤味噌が混じった味がするそうです。いえ食していないので想像もつきませんが……。しかも、手羽先アイスなるものまであり、味はないのですがアイスに鳥皮のかけらが????? やはりナゴヤはワンダーランド。この写真程度のアイスはしょせんこどもだましなのです。

投稿者:管理人
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2007年05月16日

ナゴヤの三冠駅弁

ネタも涙も枯れている管理人です。

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ナゴヤ国の陸の玄関といえば名古屋駅。東海道新幹線・東海道本線のほか、中央本線・関西本線が分岐するターミナルです。駅弁も1業者独占でなく、3社も入る激戦区。中身もウナギ・味噌カツ・名古屋コーチンなどとバラエティに富んでいます。
そのなかでも名物の三大グルメをひとつの駅弁で楽しめてしまうのが、松浦商店の「名古屋TOP3弁当」880円です。エビフライと味噌カツに名古屋コーチンの入ったチキンライスとまさに三冠そろった欲張り弁当。デザートにオレンジゼリーが入っているのも、オマケ好きのナゴヤ国の嗜好でしょう。いかにも若者向けといった中身ですね。同じ中身で新幹線用にワールドグルメ『NAGOYA TOP3』というのがあり、なんとこちらのパッケージには世界地図が……。愛知万博用につくったのでしょうか?
あれもこれも美味なるナゴヤ国のグルメを食したいけど、太ってしまうので困るという方におすすめです。

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2007年05月17日

洋菓子の芸術品シャチボン

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「尾張ナゴヤ国は城でもつ」といわれるように、日本一大きい名古屋城の天守に輝く金鯱はナゴヤ国の象徴でもあります。この金鯱の反り具合がエビに似ていることから、エビフライを2本、丼に差したシャチ丼などもありますが、シャチを模った創意工夫のグルメがナゴヤ国には多数見られます。
今回紹介するのは名古屋駅の「ボンボヤージュ」で販売していたシャチボン346円です。中身はシュークリームみたいなものですが、見事シャチを模った傑作のナゴヤスイーツといえるでしょう。僕も東京に帰る際にたまたま見つけて注文し撮影しました。向きを変えて2つ並べてみると、まさに名古屋城の対になっているシャチです。
ところがこの「ボンボヤージュ」は、他の情報によると2004年10月で閉店してしまったそうで、現在は名古屋駅中央地下街「ファッションワン」内の「「黐木(もちのき)」で販売しているそうです。1日50個限定だそうですので、購入はお早めに。姉妹品に赤味噌をスポンジケーキに練り込み、生クリームをはさんで巻き上げたロールケーキ「ボンミッソ」もあります。

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2007年05月18日

日本一低い駅はどこ?

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昔こんなクイズがあったのご存知ですか?

Q「日本一高い駅は?」
A「東京駅と上野駅。なぜならすべての列車が始発で下り列車になるからです」

とろろが鉄道オタクいえ、鉄道博士なる管理人の友人脇谷君がこう突っ込みを入れました。

「東京も上野も山手線・京浜東北線は上り・下りがあるからその答えは間違っている」

ご名答でした。ではJRで一番高い駅というとレイルファンの方ならご存知と思いますが、小海線の野辺山駅で標高1345.67mです。鉄道ターミナルでいうと富山県立山町の室堂駅で2450m、索道を含めると駒ヶ岳ロープウェイの千畳敷駅が日本最高地点(2611.5m)となります。
それでは反対に日本一低い駅はというと、JR海峡線の吉岡海底駅(-149.5m)です。しかし、この駅はもともと見学用の駅なので、一般の駅とは言い難く、北海道新幹線の工事に伴い2006年8月をもって休止しています。それでは旅客駅でいうと、昔スタンプでは総武線の馬喰町が-30.58mで一番低い駅を名乗っていたのですが、のちに-27.14mに修正され、京葉線東京駅-29.19mにその座を譲ったのです。ですからJRで一番低い駅は東京駅なのです。

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それにしても京葉線の乗り換えは大変。こんなところにも駅弁屋が入っているかと思うと感心させられます。しかし、下には下が。都営地下鉄大江戸線はなんと-42mもあるのです。いつの間にか潜らされていたんですね。

では地上駅で一番低いのは愛知県弥富町にある関西本線弥富駅で-0.93mです。ただし、これも鉄道アナリストの川島令三先生が隣接の近鉄弥富駅のほうが低いのではと指摘しています。

投稿者:管理人
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2007年05月19日

ルビは大切です

本日は久々に読者からの投稿です。

高橋留美子のマンガで、アニメにもなった『うる星やつら』はご存知だと思いますが、ラムちゃんのセリフの中に、

「あれ、牛車(ぎっしゃ)っていうっちゃ!」というのがありました。
ところがアニメ版では、
「あれ、牛車(ぎゅうしゃ)っていうっちゃ!」となっています。

もちろん、この場合、「ぎっしゃ」でも「ぎゅうしゃ」でも、間違ってはおりません。ただ、「ぎっしゃ」と読んだほうが雅(みやび)ではあります。
おそらく、アテレコ台本にはルビがふってなかったのでしょう。

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また、『うる星やつら』には、汁夫(つゆお)さん、麺子(めんこ)さんというエキストラのカップルが登場し、互いの名を呼び合い、いいムードになりかけたところを、いつも諸星あたるの暴走によって、ぶち壊しにされるのです。これもアニメ版では、
「汁夫(しるお)さん」
「麺子(めんこ)さん」
と変えられていましたね。「めん」と「つゆ」この切っても切れない言葉が、“ルビなし”ということで事故っちゃってます。

投稿者:読者
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2007年05月20日

『風林火山』第20回「軍師誕生」

新潟に取材に行っていたため更新がすっかり遅れてしまいました。
だが、さすがに会員の協力が得られないと、このブログの運営維持が難しくなっていることも事実です。個人でそこまで責任は負えません。

物語は晴信に叛旗をひるがえした大井貞隆の長窪城(長野県長和町)攻めからはじまります。勘助は長窪城にいる相木・芦田の両名を調略し、大井貞隆は相木に騙され、城はあっけなく陥落。長窪にいた平蔵とヒサ親子は抵抗し、勘助が殺そうとするが、教来石景政がこれを止めて逃がしてしまいます。同じく望月城も甘利によって落とされ、勘助は晴れて軍師になります。
それはともかく、またも三条夫人と由布姫の気持ちの悪いやりとり。三条夫人は「悪しき心を信じようとしない」という天使のように描いており、孕んだお腹をさすって由布姫に「子を産みなされ」という。と思えば由布姫は「太郎(義信)さまにもしものことがあれば家督は……」などとまたも予言めいたことを云っています。第一、この時点で妊娠中の三条夫人の腹の子が男か女か分からないし、由布姫だって男子を産むとは限りません。ダメ、絶対におかしい。しかも由布姫は勘助に「そなたなら子を預けてよい」などとおかしなことを云い出す始末。勘助と由布姫が共謀して武田を滅ぼすために勝頼を産もうとでもいうのでしょうか? この設定は淀君と石田三成あるいは大野治長の間にできた豊臣秀頼と同じ設定で、これは『功名が辻』でやっているので二番煎じですよ。

そしていよいよライバル村上義清登場。なかなかインパクトのある登場シーンだっただけに、この役者さんをうまく生かしてほしいですね。北条氏康と今川義元は……関係ないとはいえ、物語から完全に消えています。

で、またまた不自然な設定。今度は三条夫人と由布姫が、諏訪頼重の自害した東光寺へ行き、由布姫が意味ありげな甘酒を三条夫人にすすめるところで物語はつづく。

史跡紀行では、村上義清の故郷である長野県坂城町を紹介。葛尾城や釈迦堂などを取り上げていました。坂城町はしなの鉄道坂城駅下車。JR時代にスタンプを押した記憶があるのですが、今回は坂城に取材に行っていないため、写真もスタンプもありません。あしからず。

投稿者:管理人
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2007年05月21日

サヨウナラ日本一長い駅名

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本日、5月21日、日本一長い駅名で知られた「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」が「松江イングリッシュガーデン前」に改称し、6年あまりで日本一の座を明け渡すことになりました。長い駅名というと観光客誘致の町おこし・村おこしもあって何度も記録が塗り替えられました。1990年11月18日、茨城県の鹿島臨海鉄道で開業した「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」は22文字で日本一を名乗りましたが、2年後の1992年4月1日には、熊本県の南阿蘇鉄道で「南阿蘇水の生まれる里白水高原」が開業。かな表記では22文字で同じでしたが、正式表記が一文字多いため、こちらが日本一となりました。もっとも車内放送などでは「白水高原」と省略していたのも知られています。
ところが2001年4月2日に島根県松江市でルイス・C.ティファニー庭園美術館の開館に伴い、一畑電鉄古江駅を「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」に改称しました。かな表記23文字で日本一の座を手に入れたのです。この美術館、元は名古屋市瑞穂区の「ザ・ステージ」内に「ルイス・C.ティファニー美術館」として開館していましたが、松江市の熱心な誘致で移転したのです。
だが、その後の美術館の建設や報道についてひと悶着あったようで、入館者数の減少に歯止めがかからず、2007年3月31日をもって肝心の美術館が閉館に至ってしまいました。このあたりの事情は美術館側が出した「美術館の閉館及びその原因について」に記されており、松江市と美術館を運営する会社(グレコ・コーポレーションと堀内不動産)との信頼関係は回復されそうにありません。
結局、日本一の座は再び「南阿蘇水の生まれる里白水高原」となりました。現在、堀内不動産が松江市に対し、約47億円の損害賠償請求を求める民事訴訟が進行していますが、せっかくの美術館の貴重な展示物が公開されないのは残念です。いっそのこと再びナゴヤに戻り、こちらの沿線で「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」を開業しないかな。ナゴヤ人は日本一が大好きなのだから……。

投稿者:管理人
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2007年05月22日

大内宿と高遠そば

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先日、新潟の咲花温泉取材の帰路に福島県下郷町の大内宿へ寄りました。ここは国重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、隠れ里といった雰囲気を醸し出していますが、近年は観光地として整備されているため、テーマパーク化している感は否めません。それにしても資料館が一軒あるだけであとは蕎麦屋とみやげ物屋だけとは……それでも月曜というのに大層な盛況ぶりです。
名物は長ネギが一本まるごと箸代わりに出てくる高遠そばです。奥会津地方なのになぜ信州の高遠の名がというと、初代会津藩主保科正之が最初、信州高遠の城主で蕎麦の食べ方が会津にもたらされたのだといいます。
大盛を注文したらとんでもない量のそばが出てきました。ところがネギで蕎麦をすくおうとしてもうまくとれない。重みですぐ落ちてしまうのです。みんなうまく食べてるなと思いきや、箸とネギを使ってうまく食べていたようです。めんどくさいので箸で食べましたが。でもなかなか蕎麦が減りませんでしたが……。

投稿者:管理人
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2007年05月23日

新幹線を運転する7

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ひかり5号は春雨のなか、濃尾平野をひた走る。周りから眺めると、真っ直ぐに見える線路も、運転台からは、ジェットコースターのように急ではないが、段差が繰り返しつづき、前方の線路がなくなっているかのように感じられるような、激しい登り下りがつづく区間もある。電車の上を延びている架線も、50M間隔で立つている支柱ごとにジグザグに架けられ、電車のパンタグラフの集電のスリ板に平均して当たるように設けられている。

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春の雨の日は湿度が高く、運転台の前面ガラスも曇りがち。お互いに声をかけあうと、カバンから洗面用具のタオルと固形石鹸を取り出し、ガラス内側に石鹸を塗りつけ拭いていく。生活の知恵だが、結構曇り止めに効果がある。ガラス拭きをしながら会話がはずむ。
蒲郡付近にさしかかったとき、田村氏に声をかける。
「坂野坂トンネルに幽霊が出る話を聞いたことがあるか!」
彼も振り向き、驚きの顔で、
「あるよ、ある。運転所で噂を聞いた」
はしやぎ顔で答えてきた。
「こういう湿気の多い雨の日に出るらしいね。今日は会えるかも!」
「その幽霊は男かな女かな?」
「白いマントを着た女らしいよ」
「坂野坂の雪女ってところかな!」
互いに、少々ふざけ気味の会話に花を咲かせているうちに、坂の坂トンネルが近づいてきた。トンネルは、愛知県幸田町坂野坂峠の下を通る延長2198Mの長大トンネルだ。ひかり号は坂野坂トンネルの表示を見るや否や、トンネルに突入していく。速度は190K。入ると同時に気圧が変化し、耳をつんざく音、そしてトンネル内の風圧の音に変わってくる。真っ暗の中、前照燈の光がトンネルの舞台を照らし出してゆく。雨で濡れた前面ガラスも、風圧が水滴を跳ね返し、レールの線だけが前方に輝く。互いに顔を見合わせながら、幽霊の出番を冷ややかな目で待つ。トンネルは上り勾配から下り勾配にさしかかる直前であった。フワッー!突然前方が白い霧の幕に覆われた。
「おーい、前が全然見えないぞ!」
田村氏が叫んだ。とたんに、ヒュー!という、空気が吸いこまれるような強い音とともに、二つの目が迫ってきた。

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「出たぁ~!」
私も驚き叫んだ。その瞬間、霧の幕がとれ、上り電車がすれ違っていった。
「あれが坂野坂の幽霊か!」
驚きの顔で息を弾ませているうちに、電車はトンネルの外に出た。何とも気色の悪い一瞬であった。
明日のパート8につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年05月24日

新幹線を運転する8

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前回紹介しました坂野坂トンネルは、湿気と気圧の変化でトンネルで起こる現象が起きやすいことで有名な話題のトンネルなのです。幽霊騒動をあとに、ひかり号は矢作川を渡り、やがて名古屋市街地に入って行く。

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第26番町橋を過ぎ160Kに速度を落とすATC信号が出た。停車駅に近づくと、段階的に210-160-(110)-70-30と速度を落とす指示の出る箇所があり、運転士は頭に入れて速度を調整していく。左手、ナゴヤ球場を横に信号70を表示、そして、名古屋駅ホームが前方に近づいてきた。ホームは溢れんばかりの人でいっぱいだ。信号30をホーム直前で受けると、30K以下ギリギリの速度で、整列した待ち客の集中する視線を受けながら、下り勾配の雨の名古屋駅ホームを停止位置に向かって進む。ホームの号車番号を数えながら進み、やがて2号車後部口、50M手前だ。ブレーキ弁ハンドルをおもむろに掛け、ブレーキの効き具合を確かめる、まずい!? 予想以上に後ろから押され気味だ!再びブレーキを増す。
「行き過ぎだーー!」
田村氏が声をあげる。電車は、増しブレーキとともに約2M行き過ぎて停車した。すぐさま、連絡電話で後部車掌に連絡。
「バックします、ドアは開けないでください」
連絡と同時に、逆転ハンドルを後転にし、停止位置までバックした。幸い、お客の混乱もなかったため、無事、名古屋駅停車となった。

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雨で滑りやすいレールと満席客の車両状態が予想以上の停車ミスを起こしてしまったのだ。
名古屋駅は、私にとっての一番気を遣う駅なのです。

パート9につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年05月25日

新緑の季節は空気が美味いです!

毎度ですー。すっかりご無沙汰しておりました。GWにも色々温泉めぐりに行ってまいりましたがその辺は次回ということで・・・初夏のような良い天気が続きますね。新緑が眩しい季節、久しぶりに山に行ってまいりました。2月に高尾山を紹介しましたが、今回は陣馬~高尾山縦走です。

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 陣馬山は標高857m。頂上は大変見晴らしがよく都心方面、富士山、丹沢などほぼ360度の展望が期待できます。昔の登山ルートは、和田峠まで狭い林道(陣馬街道)を車に注意しながら歩く他無く魅力の無いルートでしたが、近年2合目付近から林道と別れた杉林の中を行く静かな新登山道ができました。しかし直線的に道筋があるので少々勾配がキツメです。頂上に着く頃には大汗をかいてしまいます。山頂付近は草原になっており視界が広がります。30年前と変わり無い、馬の像が迎えてくれます。

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 山頂まで、和田峠からなら20分ほどで着くので付近は車で来るファミリーがお弁当広げて大変賑わっています。私は高尾駅からバスで陣馬高原下終点へ、そこから70分かけ汗だくで登って来ただけに気軽に高原気分を楽しんでいるファミリーがごったがえしているとちょっと複雑な気分になりますわ・・・や、山は下から登れえぇー! しかし高尾山より遠い陣馬山頂がこんなに賑わっているとは思いませんでした。考えてみたら私も30年ぶりの来訪です。昔は和田峠付近は超狭い砂利道でした。現在は全線舗装。藤野側から来れば道幅も広く気軽に来られるようになったのでした。ただし東京側は道が狭いので注意しましょう。
 
 戦国時代に北条氏と武田氏が対陣したことから陣張山と言われ、甲斐武田氏の狼煙台があったとのことです。陣を張ったことから陣場山だったのですが、ローカルネタですが、昭和の中ごろ京王帝都が馬の像を建てて陣馬山の名前で高尾山と共に売り出したのは有名な話であります。そう言えば昭和の頃は、京王線では休日の特急京王八王子行きに「陣馬」のヘッドマークをつけて走っておりました。いつのころからか「陣馬」「高尾」号は消えてしまいましたね。ちょっと残念です……最近まで陣馬高原下行きは京王八王子からバスが出ていたのですが、現在は高尾駅北口から多摩バスが運行しております。

 今回は寝坊してしまい遅くの出発でした。朝飯もカロリーメイトだけでしたので陣馬頂上で早くもハンガーノックに襲われます。富士見茶屋で山菜うどんをすすります。キノコ出汁が効いてまいうーです。一休みして高尾山をめざしたのは13時過ぎでした。これはかなり遅いほうです。800mクラスの低山ですが、影信山、城山、高尾山経由で高尾山口駅までは18キロ以上あります。縦走コースの所要時間は5時間半ほどです。日が長い時期ですがのんびりしていられません。いつもよりペースをあげて歩きます。 つづく。

投稿者:よっちゃん
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2007年05月26日

陣馬~高尾山縦走2

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さてさて、陣場山を後にしてからは緩やかに尾根を下っていきます。休日でも午後2時過ぎでは人影もまばらです。登山者に混じってマラソンマンの格好をした人たちがジョギングしています。このルートはアスリートたちの練習所と化しています。野山を駆け抜けるのは爽快だと思うのですが尻に泥の付いている人も居るのでたまにスリップするのでしょう。巻き添えを食わないよう注意して歩きます。陣場山から明王峠、底沢峠を経て室所山へ立ち寄ります。巻き道があるので立ち寄る人は余り居ないようです。展望は余り良くない山でした。一服していると八王子城跡から来た人と出会いました。この先、底沢峠で別れて美女谷鉱泉に下りていくそうです。周辺はマイナールートもたくさんあるので飽きが来ないのが良いですね。

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 室所山から景信山へは鬱蒼とした針葉樹から抜け出て、鳥の道コースと呼ばれる広葉樹が広がる明るい道になります。カッコウや鶯に混じって聞きなれない鳴き声もたくさん耳にします。鳥の鳴き声を聞きつつ歩いていると時折すばらしく良い香りがしてきます。目、耳、鼻に素敵な刺激を浴びながら2時間ほどで景信山へ着きました。景信山は727M、陣馬~高尾間の中間地点です。すでに15時ですが日が長いせいか案外人が残っています。一服していると又すばらしい香りが漂ってきます。辺りを見回し源を探ると、頭上には大きな葉が特徴の朴の木(写真左)が有りました。よく見ると大きな花(写真中央)が咲いています。直径20センチはあります。朴の木の花、初めて見ました!! まるでジャスミンのような香りを出しています。そういえば何処となく葉の形も似ていますね。つぼみ(写真右)もたくさんあるので、この時期一服するなら朴の木下がオススメです! 

 すばらしい景色と香りを楽しんで体力を充電しました。まだまだ中間地点、後半の小仏峠、城山、高尾山へと向かいます。28日につづく。

投稿者:よっちゃん
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2007年05月27日

『風林火山』第21回「消えた姫」

すいません、日曜は管理人担当の連載ですので、吉野会員の3回連続投稿を途切れさせてしまいました。でも、28日零時過ぎてから書いていますので、吉野会員のほうを先にUPしているんですがね。

はい、前回の続き。由布姫が諏訪の甘酒を三条夫人にすすめ、ぶりぶりぶりっこの本性を剥がそうとしますが、三条夫人はあっさり飲もうとし、それを侍女の萩野が飲んでしまう。以前の『風林火山』と立場が逆転しています。まあなんという性格の悪いヒロインでしょう。これには勘助も家臣から総スカン喰らっています。
このあと由布姫は甲斐から故郷の諏訪へ戻され、さらに小坂観音院へ移されます。ここでかつての『風林火山』でも有名な衝撃シーン。由布姫が輿から逃亡し、身代わりとなった侍女が自害するというストーリー。そのまま勘助ボロボロになって追いかけて、サザエさんみたく裸足でかけて霜焼けになって動けなくなっている由布姫が発見されます。
このあたりは僕がよく愛読しています橋場先生の日次記(ひなみき)にも詳しいのですが、原作は勝頼を産んだあとのシーンなのに、順番が入れ替わっている! しかも勘助は由布姫と駆け落ちしようと言い出す始末。ところが由布姫の心はすでに晴信に奪われてしまっているわけです。でもこの比喩の描写は橋場先生のブログのほうが傑作なので、今後はこちらと併せて読むとより楽しめますよ。
だからそんなに勘助と由布姫のラブを描きたいのなら、いっそのこと『史記』の呂不韋と始皇帝や、春申君と幽王のように自分が仕込んで、「天下人の稚児」としなされ。いや軍師というのはそのぐらいの非情さがないとつとまりません。

史跡紀行では小笠原長時の本拠である長野県松本市が紹介されました。長時の居城であった林城は松本市街の東の山城で、現在の国宝松本城は元は深志城といい、信玄が信濃攻略の拠点とした城です。勘助も縄張りをしたと伝えられていますが、現在の城は天正年間に家康から秀吉に鞍替えした石川数正の頃に原型がつくられたものです。まあそれはともかく、松本城は訪問していますのでスタンプとともにUPできます。

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投稿者:管理人
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2007年05月28日

陣馬~高尾山縦走3

さて、陣馬~高尾山18キロ縦走完結編です。景信山から城山はすぐ其処に見えますが、小仏峠までいったん下ってから又登るので少々しんどくなってきます。重い体重が下りで足に効いてきます。膝に来るより足の甲が痛くなります。アスリートたちにどんどん抜かれていきます。しかしあの方たちは身軽そうに走っていきますね、羨ましいです。

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 30分ほどで小仏峠に着きました。標高560M、言わずと知れた旧甲州街道の要所です。300年以上昔の小さな地蔵様が安置されているのが由来だそうです。明治13年(1880)に明治天皇が山梨巡幸の際に作られた「明治天皇小佛峠御小休所阯及御野立所」の碑も建っています。昔は小仏茶屋がありましたが現在はつぶれています。 ここまでは何人かハイカーも居ましたが、最近NHKの「街道てくてく旅」でオリンピックスケート代表の勅使河原郁恵さんが甲州街道を完全踏破し、小仏峠も紹介されたせいか普段なら人影まばらな旧街道に足を向ける人が多いようです。みんな峠からバス停方面へ降りていきました。

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 小仏から少々登り、独り城山(小仏城山)に着いたのはちょうど16時。また腹が減ってきたので閉店間際の城山茶屋で恒例のなめこ汁をいただきます。ここのなめこ汁は味噌が入ってなく吸い物仕立てでさっぱりしていて美味しいです。ちなみにおでんもオススメです。この時期の城山は広場の木も茂り、木漏れ日の中で休憩できます。今回紹介している関東ふれあいの道、陣馬高尾コースは、陣馬高原下から高尾山口まで登山道の8割方は森の中を歩きます。これからの季節も熱さにやられずに快適なハイクが楽しめそうなルートです。

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 城山からは一丁平、高尾山を経て下山します。一丁平は、桜やつつじ、紅葉などが楽しめる人気のスポットで、トイレ、多くのベンチ、あづま屋などが整備されています。高尾山から往復でちょうど良いハイキングが楽しめます。 のんびり歩いていたら高尾山頂で5時半になってしまいました。ケーブルカーの終電は6時半なので間に合いそうも有りません。明るい南斜面の稲荷山コースで高尾山口まで下山します。下りでの足の痛みに耐えつつ下山したのはちょうど19時。稲荷山コースは3合目辺りで都心が一望できるあづま屋があり、夕陽の当たる街並みがとても綺麗でした。

 高尾山は世界一ハイカーの多い山としてギネスブックにも載っていますが、この度、ミシュランブック初の日本版に三ツ星スポットとして載ることになったそうです。以下、八王子市からのアナウンスです。
・・・「ミシュラン」と言えばフランスのタイヤメーカーとして有名ですが、観光地やレストランを、星の数で格付けしているのをご存知ですか?そんなミシュランが初の日本版旅行ガイドを発売します。4人の担当者が日本各地を約2カ月ずつ訪問した結果、最高の三つ星に選ばれたものの中にはなんと高尾山も !! 都心から交通の便がよいうえ、大都市近郊に豊かな自然が溢れているという点が、選ばれた決め手のようです。フランス人も認める三つ星観光地「高尾山」にぜひお出かけください!……とのことです。

 ミシュランブック日本版、要注目です。今年11月に日本語版と英語版の2種類発行予定です。こんな本を見たらまた旨い物を喰いに行ってしまいそうでコワイ! それまではセッセと減量に励まなければ! 
で、注目の本日の体重、109キロでした! でも水分ばかり減っているから多分戻るだろうなぁー。

投稿者:よっちゃん
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2007年05月29日

マリー・アントワネット猫

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今日も仕事に向かう途中、駐車場に猫がいました。「おいでおいで」をしたら、「ニャ~」と鳴いて擦り寄ってきます。この猫と遊ぶのは2度目ですが、前回は何も食べ物を持っていませんでした。

今日は、会社で食べようと、ついさっきパンを買ってきたばかりなのです。小倉デニッシュの隅っこを少しちぎって、食べさせようとしましたが? フンフンと匂いを嗅ぐだけで食べません。お腹は空いてないみたい。

以前、公園に猫が群がっているのを見たとき、一緒に遊んでもらおうと、近くのコンビニで魚肉ソーセージを買って与えたことがあります。結果……地面にコロコロ転がして遊んでいました。食物を粗末にするなっ!

「キャットフードがなければ、上トロを食べればいいのに」

これじゃまるでマリー・アントワネット猫です。ふだん高価な猫缶ばかり食べていると、パンはおろか、ドライフードや魚肉ソーセージ、ちくわ、かまぼこには目もくれないということか?

これから猫を飼おうという人は、猫っ可愛がりしてはいけません。ふだんはドライフード中心の食事をさせ、家人の食事中はおねだりをさせないよう躾けましょう。

ちなみにマリー・アントワネットの発言、「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」というのは作り話。王妃を妬んだ貴族たちのやっかみで、飢饉の際には、貴族たちから寄付金を集めるなど、国民を大事に思う心優しい一面も持っていたそうです。

しかし日本の幕末で、天璋院篤姫が大奥の飼い猫に“ミチ姫”“サト姫”と名前を付け、年に25両もの餌代を使っていたというのは本当みたいです。25両って、現代だと250万円くらいでしょうか?

投稿者:読者
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2007年05月30日

新幹線を運転する9

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停止位置オーバーランだっひかり号のホーム待ち客も、無事何事もなく列車に乗りこんでいる。田村氏と互いにほっとした気持ちで、発車時刻を待つ。この運転台後部1から5号車の自由席車両は、デッキまで立つほどに超満席の状態で、お客のざわめきが後ろから聞こえてくる。
「かなり乗っているね!」
二人で話し込んでいると、コンコン♪ 乗務員扉を叩く音がする。ドアを開けると、いきなり大きな声で、
「何だよ今の止まりかたは。罰金ものだね?」
同期生の菊池氏が、笑い顔で入ってきた。彼は新大阪まで添乗(運転はしないで移動すること)だ。運転台下のボンネツト内から折りたたみ椅子を出すと運転席の2つの椅子の間に並べた。同期生仲間で話しが盛り上がるなか、ひかり5号は名古屋駅を3分遅れて発車をした。

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名古屋市街を離れると、やがて木曽川、長良川の2大鉄橋を渡る。木曽川手前から岐阜羽島駅手前まで、名神高速道路と並行する。
「この前のひかりの仕業で下ったとき、このあたりで俺の運転するひかりを追い抜きした車があったよ、250Kは出てたかな?」
菊池氏が話してきた。並行する距離は10Kもないが、この間、カーレースならぬ新幹線とレースをする車が出没することがあるのです。
岐阜羽島を過ぎた付近から長い登り坂になっていく。この辺から米原手前ぐらいまで約60キロの区間は、新幹線最大の難所である関ヶ原越えだ。関ヶ原まで、1000分の25、つまり、1キロ進むごとに25m高くなる勾配が続き、前方視界もケーブルカーでも運転しているような景色だ。冬場、日本海からの寒気が伊吹山付近で雪になり、大量の積雪をもたらすところだ。

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大雪のときは、スプリングクラーという、水を散らす装置が線路の両端に設けられ、水を散らすことにより、積もった雪を凍らせ雪の舞い上がりを防ぎ、電車のモーターなどに入って絶縁を破壊したり、床下にこびりついた雪の固まりが線路に落ち、砂利といっしよに飛び散って、床下機器やガラスを壊したりする事故のないようにしている。速度も70Kぐらいまで下げて運転をするため、雪が降ると30分から1時間は遅れてしまうのです。今日は雨の関ヶ原越え。雪の天候と同様に、雨の降る日もレールが濡れているのでよく滑る。それに急勾配も重なり、この様な状況のところでの定時運転は非常に神経を使う。登り坂なので速度が上がらず、油断をすると速度は下がっていく。いきなり加速をしようとノツチを上げると、車輪が空転を起こし速度計の針も左右にスライドばかりして、速度表示が安定しない。仕方なくノツチを戻すという繰り返しの運転になる。このため、速度も上がらず時間も遅れてしまうのです。
定刻どうりの時間でこの坂を登りきるのには、岐阜羽島を過ぎたばかりのまだ平坦なあたりから、全速力でこの勾配を登り始め、途中は小刻みにノツチを操作しながら、速度をできるだけ下げないようにして、だましだまし運転をしていく。この関ヶ原の急勾配は悪天候の時は、新幹線のいちばんの泣きどころなのです(いま700系をはじめとして雪の関ヶ原越えは、電車が線路面の滑り状態を感知して速度を自動的にコントロールするため、遅れも少なくなっています)。
明日のパート9につづく!

投稿者:にわあつし
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2007年05月31日

新幹線を運転する10

ひかり5号は、超満席の重い車両ながら雨の関ヶ原を順調に登りきり、米原を5分遅れで通過した。米原で田村氏と運転を交代。同級生の運転談義に花を咲かせていると、ガラガラという台車を引く音とともに転室扉がノックされた。
「来たよ! 来た、お待たせだね」
菊池氏がすばやく扉に向かい、窓のカーテンを上げると、車内販売の売り子が立つていた。
「コーヒーいかがですか?」
ドリンクサービスにやってきた。
「ありがとう、ホット3つください。あなた笑顔可愛いね」
菊池氏が愛想言葉でコーヒーをもらうと、再び運転台椅子に落ちついた。眠気覚ましのドリンクでホッとするなか、ひかりは、近江平野を走る。

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雨も上がり雲間から明るい日差しが照らしたとき、黄色塗装の電気試験車がすれ違って行った。
「電気試験車の仕業は夜遅いから大変だよね」
「そうだよ、静まりかえった夜中の線路を走るし、おまけに眠気も重なるしね!」
電気試験車は、営業運転の終わった後、専用のパンタグラフを使って架線の状態を検査するために走らせる電車で、この運転仕業は、勤務時間などそれなりに結構ハードな仕事なのです(今は定期的に昼間運転されています)。

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試験車の勤務話に盛り上がるなか、ひかりは右手に琵琶湖を眺めながら走り、そして音羽山、東山と二つのトンネルを越え、2分遅れで京都に到着。京都からは約15分、ひかり5号は遅れを取り戻し、新大阪に定刻どうりに到着をした。新大阪からは大阪運転所の運転士と交代。私たちは、新大阪で3時間半程休憩をとり、トンボがえりで、再びひかり号を運転して夕闇の東京へ戻っていったのです。

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あれから30余年が過ぎました。新幹線車両も、300系・500系・700系そして、N700系と高性能電車が登場しています。運転士が自身の感性で動かしたマニュアル仕様の0系と違い、最新N700系は、運転仕業の個人登録をしたカードと暗証番号による運転室入室、操作、そして、タッチセンサー方式で、モニター画面の指示に従いタッチしながら、運転準備等、機器操作をしていく。ATC信号も、無段階に電車そのものが感知して、ブレーキ調整。走行中の車両故障も、モニター画面を見ながら、必要最少限に故障箇所をカットしていく、まさに一人管理運転の世界です。車両も、支える台車の空気バネの調整で、カーブも速度を落とさないで走ることができ、電車もますますスピード化され、N700系のぞみは2時間半を5分短縮で運転する、東京~新大阪の運転の旅。都市の風景は変貌したが、沿線のローカル風景は今も昔とあまり変わりません。変わったのは0系電車とその時代-時間を楽しみながら、運転の旅をしたあの頃が、0系とその運転に携さわった私達同期生や先輩方の、遠く国鉄時代の思い出の語り草になっているのです。
0系アーカイブ新幹線東京~新大阪運転の旅おわり。

投稿者:にわあつし
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2007年06月01日

はげまされにスリッパ

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 画像は、数年前に通っていた某専門学校のライターコースで、取材の実習があって訪れた、群馬県四万温泉の土産物屋で購入のスリッパです。
 店主の母上に当たるおばあさんの手作りリサイクル品とのことでした。

 細く裂いた古布をわら縄に巻きつけたものを、しこしこと編んだんでしょうね。夜なべをしたかは定かでないですが……。
 糸があちこちほつれていたり、荷作り用のナイロンひもが所々見えていたりするのは、ご愛嬌ということで……。

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 恥ずかしながら、家がスリッパを履くような環境にないものでして、僕はこれをなんとペンケース(ペン立て?)として使っています。
 時々ふと目をやっては漠然と、
 「古布巻きのわら縄じゃないけど、オレも自分の文章をしこたま編んでいかなくちゃ~」
 とか、想いを更新?したりするのであります。

投稿者:ざつはち
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2007年06月02日

SLに乗って俳句三昧

本日は俳号「告水」(こくすい)さんからの投稿です。5月20日、会津若松から「SLばんえつ物語号」に乗車し、咲花温泉の「一水荘」に宿泊した旅行吟。告水詠を何句かいただきました。

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◎国境こえて麦秋遠筑波 (くにざかい。実際は県境ですが。ばくしゅう。遠くに筑波山)
◎SLの白煙植田に流れゆく(植田=うえた。苗を植えたばかりの田んぼ)
◎SLの新緑映す車体かな(ピカピカに磨き上げられたC57 180)
◎壁黒きトンネルを出づ新緑に(SLの煤煙で黒ずんだトンネルから、出た瞬間)
◎青葉宿うすみどりして硫黄の湯(一水荘さんへの、ご挨拶句)

乗車しての私の感想は、動力の最終段階が、実際に見えるのがいいですね。クロスヘッドから主連棒あたり。昭和21年(1946)という、戦後すぐの混乱期に、三菱で製造されたのは感動的です。当時の国鉄に寄せる国民の熱い期待、信頼を感じます。私は長崎出身なので、「門デフ」が一番好きではありますが。最後尾の1号車の一番後ろに陣取って、足元からレールが絶え間なく後ろに流れて行くのを見るのは、鉄道ファン冥利に尽きます。この景色を最初に見たのは、20年ほど前、大井川鐵道の最後尾の展望車からでした。ここから見ていると、この線はトンネルと鉄橋が比較的多いのが気に入っています。

そして最後に追句
◎SLの並走するや青葉風

投稿者:告水
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2007年06月03日

『風林火山』第22回「三国激突」

ようやく録画ビデオが観れて5日にUPします。
今回はまず由布姫がオメデタ。これまでの鬼の形相から打って変わって仏顔になっています。橋場先生曰くツンデレというものです。ツンデレが分からない人は調べてみてね。
で、ずっと忘れ去られていた今川義元と北条氏康登場。今川の軍師・太原雪斎が晴信のもとを訪れ、北条攻めの援軍を求め、小山田信有が北条と武田の同盟を献策しますが、勘助は今川と北条の和睦を提案。雪斎は北条攻めを嫌っているという設定です。それにしても小山田信有という人物は3代続いて同じ名だからややこしい。ドラマに登場するのは二代目出羽守の信有で、三代目信有の弟にあたるのが、最後に勝頼を裏切る信茂となるわけです。
静岡県富士市の善得寺が出てきましたが、ここはのちの天文23年(1554)の甲相駿三国同盟で武田・北条・今川が同盟を結ぶ重要な地です。この時点の天文14年では今川と武田が同盟を結んでいますが、今川と北条を和睦させ、北条が占領した富士・駿東の2郡を今川に返還することでことをおさめることになります。
さて、次回は勘助が北条の援軍として参戦し、厳島、桶狭間と並ぶ三大夜戦のひとつ河越城の戦いに登場。これはなかなかワクワクしますなあ~。
史跡紀行では山梨県都留市の勝山城と大月市の岩殿城を紹介しました。両者とも小山田氏の支配下に置かれていたところで、山に囲まれた美しい町です。都留へは中央本線の大月から富士急行に乗り換えで、昔素通りしてしまった記憶があります。大月はこれまで中央本線の乗り継ぎで何度か立ち寄っているのですが、じっくり町歩きはしたことがありません。でも関東の駅100選に認定されている駅舎は見応えがあります。スタンプは2種類ありますが、スタンプに描かれた岩殿山は駅より西にあり、写真の駅舎の背後の山ではありませんのであしからず。

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2007年06月06日

花電車の運転は6月10日まで

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先日、旅じゃ総会にカメラがなかったのは、別の取材班に都電のバラ撮影に行かせたからです。しかし、すでに6月ではバラも散り際。三ノ輪橋停留所は5月16日に第一期の改装工事が完了。ガス灯や時計塔などが完成しており、レトロな看板も復元されています。やっぱり都内だとここに住みたくなるのは僕だけでしょうか?

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さすがにレトロ車両9000形は撮影できませんでしたが、花電車は撮影できたようです。花電車はレトロ車両導入を記念し、ラッピング電車として6月1日までの運行予定でしたが、好評につき「路面電車の日」である6月10日まで運行延長されるそうです。

pcccar.jpg gakuengo.jpg

さらに5月16日から荒川車庫前にある荒川電車営業所内に「都電おもいで広場」がオープン。開場は土・日曜、祝日の10~16時(入場無料)です。「PCCカー」と呼ばれた5500形(写真左)や「学園号」の愛称で親しまれた旧7500形(写真右)が展示されています。

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2007年06月07日

手羽先炊き上げバージョン

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先日、おふくろが上京した際に買ってきてもらったナゴヤみやげが「うみぁーっ手羽」840円です。ナゴヤ弁なら「うみゃあ」なのになぜ「うみぁー」なのか。まあそんなことはさておき、ナゴヤグルメでそろそろ手羽先を紹介しなければいけないなあと思いつつも、いまや東京でも着実に業績をあげる「世界の山ちゃん」に行く暇もなかったのです。
でも、手羽先でも山ちゃんのように油で揚げるものと、今回の写真のように炊き上げるものがあります。こちらは昆布屋さんの石昆さんが2006年9月からオリジナル商品としてはじめたもので、しょうゆ味以外にも、カレー・あんかけチリソース・八丁味噌・ピリ辛の種類もあるようです。
真空パックでそのままでも食べられますが、熱湯で3~5分温めてからのほうがおいしいです。白皿だけでは味気ないので、包み野菜を下にしいてみました。炊き上げられているため、身が骨からはずれやすく、第一関節もないので手でかぶりついても物足りないかもしれません。
やっぱ手羽先はかぶりつくのが王道でしょう。

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2007年06月08日

ユニーク駅舎1

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真岡鐵道の本社のある真岡駅です。1997年3月にSLの形の新駅舎に改築されました。関東の駅百選にも認定されています。同鉄道で運転される「SLもおか号」も数分停車しますので、撮影にも殺到します。

mokaeki2.jpg

正面はこんなふうになっています。もうさすがに毎日出すネタもないので本日はこのへんで。

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2007年06月09日

サヨウナラ民衆駅

本日は管理人のブログにたびたび登場する読者ドラえもん氏からの投稿です。

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JR東海道本線尾張一宮駅は、人口約37万の愛知県一宮市の中心駅。名古屋鉄道名鉄一宮駅とも接続しています。反対側の名鉄一宮駅舎は近代的な建物ですが、JRのほうは戦後の昭和27年(1952)に建てられた民衆駅です。民衆駅というのは国鉄と地元が共同で駅舎を建築し、商業施設が設けられたもので、現在の駅ビルのはしりです。国鉄民衆駅は豊橋駅が第一号ですが、岐阜駅や富山、高岡など地方都市の駅や秋葉原、池袋など各地に建てられ、駅に活性化に貢献してきました。

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岐阜駅も民衆駅だったのですが、1996年の高架化とともにかつての駅舎は機能を失い、2003年に取り壊されました。55年の歴史を誇った尾張一宮駅舎も老朽化に伴い2007年5月から取り壊しが始まります。時代の流れとはいえ、昭和の遺構がなくなるのは寂しいです。跡地には「一宮市中央図書館(仮称)」が入る予定だそうです。

投稿者:ドラえもん
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2007年06月10日

『風林火山』第23回「河越夜戦」

今回は関東管領山内上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏の連合軍8万を、北条氏康8千の軍で破った有名な河越夜戦ですが、鉄砲のほうがメインになっていました。まず、今川義元が武田晴信に鉄砲を披露し、次いで北条氏康が援軍に加勢した山本勘助に鉄砲を見せています。
さて、第5回「駿河大乱」で福島越前守の嫡男彦十郎をのちの北条綱成と書いてしまいましたが、この綱成の父正成という人物は元今川家臣なのですが、大永元年(1521)に飯田河原の戦いで敗死とも、天文5年(1536)の花倉の乱で討たれたともいわれ、人物像が定まっていません。で、今回、彦十郎の兄として北条の姓を賜った北条綱成が別に出てきたことで、彦十郎は綱成の弟勝広の設定ということが明らかになりました。この勝広ものちに北条姓を賜り、「北条綱房」となります。
河越城を3千の兵で守る北条綱成は連合軍8万に包囲され、氏康は8千の兵で救援に赴きますが、敵の包囲網をかいくぐって城内に伝言する術がなく、間者として上杉連合軍にいる本間江州への使いで勘助が登場します。勘助はそのまま長野業政のもとにいる真田幸隆に接触し、武田家臣に迎え入れようとしますが失敗します。今回のテーマはこちらの伏線なのでしょう。
それにしても上杉憲政のバカ殿ぶりは見事で、史実では信玄の侵攻を6度にわたって撃退した智将長野業政もまったく出番がありません。で、肝心の河越夜戦のほうはあっけない終わり方、上杉朝定に至っては城門手前で降伏を待って陣取っているし……。この戦いで唯一の見せ場は「上州の武士として」とそのまま上杉軍にはせ参じ、北条家臣の清水吉政に討たれるシーンでしょう。
この敗戦を検分する幸隆と勘助を城から見たのは彦十郎。父の仇である勘助を狙撃し、勘助は肩先を撃ち抜かれて斃れます。肩先を撃たれただけでは本来は命に別状はないはずですが、西部劇などでも見られますように結構ショック死があるようです。で、同時期に由布姫が四郎勝頼を出産します。でも、このまま勘助が死んでしまってはドラマが終わってしまうので蘇生するのでしょう。次回はようやくGacktの長尾景虎(上杉謙信)が登場します。
史跡紀行では河越夜戦のあった埼玉県川越市の河越城本丸御殿や三芳野神社、河越夜戦跡碑の東明寺を紹介していました。川越は二度ほど行ったことがあるのですが、見どころがたくさんあり、何度行っても楽しい町です。写真のほうは取材で行ったものなので残っていませんが、スタンプはありますのでUPしておきます。

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2007年06月11日

名古屋港に軍艦がやってきた!

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先日、名古屋港に海上自衛隊の護衛艦DD-125「さわゆき(全長130m、2950t)」が寄港しましたので見に行ってきました。2007年は名古屋開港100周年です。イタリア村も近いのでぜひお越しください。当日はイタリア村内を走る馬車も来ていました。

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投稿者:ドラえもん
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2007年06月12日

鉄道に興味のない人が『特急田中3号』を見ると?

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主人公は鉄ヲタというよりも熱血バカに見えます(『西遊記』の香取慎吾に見えてしまう)。眉ゾリ入ってるし。

同時に高校球児は純粋だ!という人がいるが、何で眉ゾリ入ってるのか?

つまり、人にかっこよく(そう思うのは自分だけですが)見られたいという意識を持っている人は、ヲタとは違うのです。

自分の好きなことだけに没頭して、周囲の見えない人がヲタなのです。

よって、このドラマはヲタものではない。どっちかっつーとお塩系熱血バカのドラマといえるでしょう。

tanaka3go2.jpg

うん、まあ一般人にとってみては電車なんて通勤・通学で半強制的に乗せられるものであって、いつもと違う路線に乗ってみることで喜びなんか感じないのであります。旅行の1プロセスにしか過ぎないもんなあ……。

鉄ヲタでバイク乗るっちゅうのもなあ……。要はテレビドラマ向けに作られた特異なキャラクターだと思うんですが。

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2007年06月13日

秩父鉄道バンザイ!

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先日、5年ぶりに秩父鉄道全線乗りました。雨で付近の名所は撮影できなかったけど、乗っててなかなかおもしろかったので、簡単にPRしておきます。

大半の駅は跨線橋がなく高齢者にやさしい!

全駅有人駅で今では珍しい硬券入場券を発売!(出費も大変だ)

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当日はSLが故障して電気機関車が代行牽引したが、貴重な12形客車に乗れる。

しかもノロノロ運転で、沿線の車窓では運転を見守る人がたくさんいて、互いに手を振ってエールの交換!(汽車の窓からハンカチ振ろう)

パレオエクスプレスでは車内販売もあり、駅弁、飲み物、お菓子、SLグッズ、アイスクリームが買える(またまた出費だ)

急行と普通電車に抜かれるけど、寄居・長瀞・秩父で小休止。記念撮影ができるほか、入場券の購入およびスタンプも押せるよ!

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駅舎は大半が昔ながらの木造駅舎! しかも新駅のひろせ野鳥の森以外は全駅スタンプ設置!(集めるのも大変!)

スタンプあるところに名所・旧跡あり。で、皆野駅では戦前のスタンプを見つけた!(急げ!)

まだまだ書きたいことはいっぱいあるけどネタなので、これ以上は……またね~。

投稿者:管理人
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2007年06月14日

マイナスオーラの女王様にしおかすみこ

sobusen.jpg

あ゛ー!!!! にしおかーすみこだょう。
ふだん総武線を利用するのはどこのどいつだぁ~い?

あたしだょう。

毎日乗ってる・・・暇でな。

おもしろすぎます。
お塩もIZ△Mも石原真○子もヤリ玉にあげられていますが、
悪口ではなく、事実を揶揄ってるからおもしろいのです。

総武線に乗るときは、にしおかすみこを要チェック。

投稿者:読者
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2007年06月15日

ナゴヤ人商魂の結晶ういろだんご

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3月7日にナゴヤ名物ういろを紹介しましたが、今回はういろだんごです。

2005年3月25日~9月25日に行われました愛知万博は、周囲であれだけ失敗するといわれましたが、目標1500万人を大きく上回る2205万人を記録しました。なかには期間中全部行かれた方もいたようで、モトとり根性のナゴヤ人の特性を活かした万博だったといえるでしょう。入場料は4,600円だったのですが、前売りは3,700円と安く、全期間フリーパスは17,500円とかなりおトクだったようです。しかも愛知万博の入場券を見せるだけで愛知県内の多くの施設が割引や無料となる特典もいっぱいついておりましたので、管理人も小牧城を無料で入館しました。

話がずれましたが、前売を買ったにもかかわらず、ずっと行けずじまいだった管理人は、無謀にも最終日に行き、開場前から2時間並んで入場し、混雑を避けて昼過ぎに退場しました。ここで購入したおみやげが冒頭のういろだんごです。ういろではさすがに国際ウケしないとよんだのでしょうか。白い粉にむせるかもしれませんが、ういろというよりモチの食感で、おやつに最適でした。

ところでこのういろだんご、愛知万博終了後は……というと、なんと大河ドラマでネタにされがちな郷土三英傑の信長・秀吉・家康が描かれ、しかも「信長の白」「秀吉の桜」「家康の抹茶」と意味不明なこじつけの3色だんごになっていました。これって昔流行った「だんご三兄弟」じゃないの? どうせならだんごに信長・秀吉・家康の顔を焼印すればよかったのに。まあネタのリサイクルはナゴヤ人の商魂の証でしょう。味のほうは普通においしいですけど。

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2007年06月17日

『風林火山』第24回「越後の龍」

オープニングのいきなりあの気持ち悪いシーンは何ですか?
由布姫はいきなり「勘助の子じゃ」と云ってますし、やはり勝頼は出生疑惑ありですか。
前回、鉄砲に撃たれて絶命したと思われた勘助。安中の長源寺の晃雲和尚に助けられて、10日後に蘇生します。ここでようやく真田幸隆が武田方につくことを決意。妻の忍芽は不満そうでしたが、結局は夫に従うことになります。幸隆次男の昌輝まで登場しましたね。しかし、幸隆は庇護を受けていた長野業政のもとを去ることになり、業政の出番は非常にあっけない。
一方、勘助のいない晴信は由布姫に云われたことで豹変。内山城攻めで城の兵士を皆殺しに出ます。でも、この晴信の虐殺は志賀城のことじゃなかったっけ? これで佐久の領民が敵の村上義清に与することになったため、晴信の北信濃攻略は大いに遅れることになるのですが。
一方、幸隆は村上よりも長尾景虎(Gackt)を恐れ、ようやく登場しますが、単なる顔見せ。今回のキーワードは長源寺の晃雲和尚が餞別に六文銭を渡し、これが真田の旗印となるわけです。で、幸隆が「いずれ迎えよう」と云いますが、のちにこの晃雲が松代の真田家の菩提寺となる長谷寺の開祖となるのです。
史跡紀行では顔見せに終わった上杉謙信の故郷・新潟県上越市の春日山城と菩提寺の林泉寺を紹介していました。しかし、ここも雪景色の季節感のない写真。映像班の明らかなシチュエーションミスといえるでしょう。というわけで今回紹介するのは駅名にもなっている春日山のスタンプです。スタンプ台も味があっていいのですが、ここから春日山城までは歩くのは大変。バスかあるいは直江津駅でレンタサイクルを借りましょう。

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2007年06月24日

『風林火山』第25回「非情の掟」

原稿締切やら雑用やらですっかり更新遅くなってしまいました;^_^)。
それにしても展開が急激にどす黒くなってきました。晴信の声変わりは正直気味悪いです。
由布姫に四郎が生まれたことで、勘助は諏訪家の名代を継がせようと画策し、頼重の遺児・寅王丸を出家させ、駿河の太原雪斎に預けさせます。史実では寅王丸は夭折したことになっていますが、勘助が毒殺など陰謀めいた筋書きにするのはNHKではためらわれたのでしょうか? それにしても幼い寅王丸が祖母にあたる大井夫人を別れるシーンは泣けますね。勘助の悪役ぶりがクローズアップされます。
一般の視聴者には嫌われるかもしれませんが、あの陰謀めいた勘助像は歓迎です。今川義元には「主への忠節を隠れ蓑にしている」と見透かされていますし……。
まあ、勘助が四郎に思い入れがあるのはいいですが、高遠城の勘助郭まで「四郎が郡代になったとき勘助が入る」などというのは強引すぎる気がします。『三国志』の阿斗を子守りする趙雲みたいですな。
太郎義信が飯富虎昌に稽古をつけてもらっている際に妖しげに見つめる勘助。やはり武田の家督は四郎に継がせたいと云い出します。これは原作の小説と同じ展開。そして勘助に操られているわけでもないのに、急激に人格が変わる晴信。またまたおもしろくなってきました。

史跡紀行では市町村合併で笛吹市となった旧石和町を紹介していました。ここは高坂昌信(春日源五郎)の生誕地。山梨岡神社が「山梨」の地名の語源とははじめて知りました。山梨県には県庁所在地でないのに山梨市があるし、他に甲斐市や甲州市・甲府市などあってややこしいんですよね。ちなみに中央本線の駅で石和温泉は未下車なので今回はスタンプがありません。WINS石和や温泉があるので一度は下車しなくてはいけないんですが……。

投稿者:管理人
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2007年06月29日

じい

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どういうわけか、自宅に越前和紙の袋詰めセットのようなものがあります。淡い色調の便箋や封筒、天ぷら底敷きなどが一式入っているんですよね。

 添付のペラ(リーフレット?)には、福井県今立町の産品と書かれてありますが、平成の大合併で、和紙の里は現在、越前市域になっています。

 自分で福井を旅した時に買った覚えは全くないので、遠い日に誰かからもらった可能性が高いですが、それも定かではありません。なんだか浦島太郎状態で申し訳ないのですが......。

jiimen.jpg

 セット中の「色クレープ」という21センチの平方紙で、写真のようなものを折ってみました(もちろん手本を頼りにです)。何に見えますでしょうか?

 実は?翁の面だったりするんですが、紙自体もシワシワのちりめん状だし、玉手箱を開けた風の顔ということで、今回の投稿内容にも合っているかなあと思いセレクトした次第です。お目汚しで大変失礼致しました。

投稿者:ざつはち
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2007年07月01日

『風林火山』第26回「苦い勝利」

ついに晴信の名を貶める史実の笠原城のジェノサイドです。
笠原城を囲んだ晴信に対し、上杉憲政の援軍を待つ笠原清繁。さらに村上義清の挟撃を恐れた晴信は相木市兵衛に偽りの内応をさせ、村上の進軍を止めさせます。義清の「謀略は好かん」というセリフ。思いっきり体育会系に描かれています。
しかし、予算を削ったのか、脇役はどうでもいいのか。長尾景虎の栃尾城の戦いはあっけなく、小田井原の戦いは合戦のシーンもなく終わっています。どうもこの小田井原の戦いというのは、勘助が『甲陽軍鑑』で初めて登場する碓氷峠の戦いと混同される向きもありますが、援軍5000のうち3000を討ち取るなんて、戦いの殺傷率にしてはちょっと高すぎる気もします。
晴信の笠原城の皆殺しの戦略は、信長がしばしとった戦略ですが、結局、この時代、まだ実力が均衡しているときですから、刃向かう者が続出しても当たり前のことで、常勝を誇る晴信が由布姫に「負けることが恐ろしい」と由布姫に泣きついているところは、まだまだ子どもですな。
今回の見どころは、第8回で登場した平賀源心の娘・美瑠姫(菅野莉央)が、成長して笠原清繁の妻(真木よう子)になっていたところです。可愛らしい子役の演技と勘助との絡ませ方からいってどうつながるのか気になっていましたが、こういう設定だったんですね。8回では自害しようとするところを、勘助が止めたわけですが、今回は夫の仇敵となり、勘助の差し出した水をはねのけてしまう。何とも因果な話です。で、笠原城の女・子どもは人身売買で売られてゆくわけですが、美瑠姫は小山田信有の妻になるようです。第22回でも書きましたが、こちらは2代目出羽守で、まさか美瑠姫との間に生まれるのが、最後の最後で武田勝頼を裏切る小山田信茂なのか?と思いましたが、信茂の生誕は天文8年(1539)なので、さすがにそれはないですよね。

史跡紀行では長野県佐久市の笠原城と御代田町の小田井宿を紹介していました。笠原城はJR小海線の北中込駅が最寄ですが、それでも登山口までは徒歩で1時間かかります。北中込は無人駅で、御代田は国鉄時代にしか降りたことがないので、今回は佐久市の中心となる中込駅のスタンプをUPしました。

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2007年07月08日

『風林火山』第27回「最強の敵」

タイトルの意味するものは、いったい何だったのでしょう?
美瑠姫またまた登場。小山田信有が「子ができぬことで憂いておったのだろう」というと、美瑠姫が妊娠しているような感じで腹をさすり、信有と床をともにする。こんな設定意味があるのでしょうか? 生まれてきたのが、武田家滅亡の因をつくった小山田信茂で、それが笠原清繁の落とし胤だったともいうのでしょうか? どうも作者の意図が分からんです。
で、ますます暴君と化する晴信。うーん、やはり家督は利発な信繁に継がせたほうがよかったのではないの? 「戦バカ」になって戦いをやめようとせず、勘助さえもこの暴走を止められない。一方、村上の間者として武田陣に入った平蔵は、村上に戻る途中で甘利に捕えられます。甘利は村上にところへ赴き、内応を約束する。主君を諫めるためにというが説得力がありません。
それでも剛直の板垣は晴信に必死の諫言をいたしますが。そうなのかこのストーリーは晴信がバカ殿だったために、板垣・甘利という重臣を失う設定となるのか。それにしても勘助、出番がまったくなし。あんた軍師でしょうが。

史跡紀行では山梨市を紹介。甘利虎泰が普請した窪八幡や勝頼戦陣の鐘のある永昌院などを取り上げていました。山梨市駅は下車したことあるのですが、このときはまだ使い慣れなかったデジカメ一眼レフの設定を間違えて写真はことごとく失敗。スタンプしかありません。あしからず。

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2007年07月10日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅1

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お待たせしました。鉄道で巡るヨーロッパふれあいの旅の出発です。
TEEヨーロッパ横断特急が全盛だった30数年前、一人で優等列車の乗り歩きをしてから、すっかりそのすばらしさにはまってしまい、これまで幾度訪れたことでしょうか!ヨーロッパの歴史ある街並みや、美しい田園風景は、いつの時代も変わりません。各国の人々とふれあいながらの楽しい旅は、生活感あふれる鉄道に尽きます。

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今回は07年6月に2週間ほど、フランス、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア5カ国の世界遺産を含む観光地を旅しました。総勢11名の参加者の多くは、バス旅が多い一般観光ツアーに不満足だった団塊の女性たち。何度か渡欧を経験している彼女たちでさえ、まるで初体験のように鉄道旅の楽しさに感動しています。案内役の私にとっても感無量です。鉄道が網の目のように発達しているヨーロッパ。日本の新幹線にも劣らぬすばらしい高速列車や、色鮮やかで斬新なデザインのローカル列車が、旅を導いてくれます。
これからのヨーロッパ、自由気軽に鉄道を使って、心に残る旅をしませんか。訪れる季節によって表情が変わり、それぞれに趣があります。私の体験上ベストシーズンは、6月ですね。気候も温暖で、花も咲き揃い、美しい風景を楽しむことができます。ただし、この時期は、ヨーロッパはお祭りシーズンなので、ホテルや乗り物などは、早めの予約が必要です。

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さて、ヨーロッパ鉄道心の旅、その始発となるヨーロッパでの出発地ですが、私はいつもパリです。パリから始まりパリに帰る。私にとってパリは、ヨーロッパの故郷のような所です。パリへは日本からの航空便も多く、航空運賃もリーズナブルな設定ができます。パリは、ヨーロッパ鉄道旅の玄関都市ですね。北欧、東欧、南欧方面そして、ドーバー海峡のトンネルをくぐり、ロンドンまで走るユーロスターなど。国際列車の発着本数が一番多いヨーロッパの中心駅でもあります。パリには、SNCFフランス国鉄の駅が。北、東、サン・ラザール、モンパルナス、オーステルリッツ、リヨン、ベルシーの7つの駅があります。

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どの駅も街の中心を囲むように設けられ、それぞれ行き先の地、国々によって出発駅が違い、また、国際色溢れる違った顔があります。ヨーロッパ鉄道旅、それは駅に一歩足を踏み入れた瞬間から、幕を開けます。歴史ある大屋根の下に繰り広げられる映画のワンシーンのよう。あなたも舞台の上から出発しましょう。パート2につづく

投稿者:にわあつし
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2007年07月13日

にわさんのブログヘのコメント

はい、本日は4月30日以来、2カ月ぶりの真打・森田芳夫代表からの投稿です。

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ついにやりましたね。ヨーロッパのエレガントな鉄道の旅の様子が写真と文章でよく伝わってきます。
 旅はリーダー次第です。皆さんが満足された様子、大変な「心」の社会奉仕をしましたね。

 同じ頃、私は伴侶と二人でスイスの高地、海抜1600mのヴェンゲンに6泊していました。街のはずれ、崖に引っかかったようなホテルです。ユングフラウと氷河に削られたウターブルンネンのU字渓谷を見渡せる部屋のテラスは、今まで20個所以上泊ったスイスのホテルの中でも、最高の展望テラスの一つに数えられます。

 日中は登山電車に乗ってあちこちの山歩きに出かけていましたが、朝晩はこのテラスからヴェンゲナー・アルペン鉄道が上り下りするの動きを飽きずに眺めていました。この登山電車は立体感のあるアルプス景観にしっくり溶け込んで、まるで自然のひとかけらのようにさえ見えました。そして部屋にいると、かすかにcog(歯車)のきしむ音が聞こえたりしてきます。

 優雅なTGVやICEの旅もいいですが、登山電車の2等席に乗り、晴れたり曇ったりする空と、そそり立つ万年雪の山を見ていると、これも、もう一つのヨーロッパの鉄道の旅だと、しみじみ思えてきます。

 パート2を楽しみにしています。

投稿者:森田芳夫
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2007年07月15日

『風林火山』第28回「両雄死す」

明日も連休ということもあって、各先生方は早々と今回のコメントを書いていましたが、管理人は相変わらず更新が遅くてすいません。
NHKさんが『風林火山をゆく』(今はなき英知出版)で提供してくれた内野勘助の甲冑姿の写真は、今回の上田原合戦のものだったのではないでしょうか。とにかくエキストラにお金をかけた感じです。
それにしてもバカ殿を諌めるためとはいえ、死に急ぐこともないでしょうが。
上田原合戦は実際は天文18年(1548)2月の出来事ですが、ロケを春先にやったためか、「早春」と表記されていました。で、甘利の偽降は完全な創作ですが、体育会系の村上義清は疑うことなく、本陣に通しています。すごい勇者ですね。しかも甘利が義清を撃とうとして失敗。いつの間にか弓の名手となった平蔵が手柄を立てています。しかし、捕えられた甘利はいとも簡単に脱走し、背後に矢をいっぱい受け、板垣信方の本陣に駆けつけます。
今回の主役は千葉真一さんが演じる板垣信方です。あれだけ槍で突かれても死なずに奮戦する板垣。あなたは不死身ですか。ハリネズミのように矢を受けて壮絶な最期を遂げましたが。史実では晴信も槍で左腕を負傷しているようでうが、それは次回にとっておくのでしょうか?

史跡紀行では昨年9月に訪れた上田原古戦場を紹介。板垣神社や観音寺、無名戦士の墓などを紹介していました。板垣神社は信方が愛煙家で知られたことから、タバコが備えてあるのですが、このあたりのエピソードにはまったくふれていませんでした。板垣が一服しているところを村上軍に襲撃されて撃ち取られるという説もあるようなので、ドラマでも採用してほしかったものですが。田んぼの中の塚は村上方の将であった伝・屋代源吾の墓ですが、これも紹介がありませんでした。実際には村上方も雨宮刑部などの部将が討ち取られており、結構な被害だったようです。
それにしても上田市は最寄の路線バスが休日運休だし、「上田原古戦場公園」と名のついた史跡とは関係のない総合運動公園はあるしで、結構いい加減です。それでも映像で見る限りでは「風林火山」の旗が立てられていましたが。
上田駅のスタンプは第7回でUPしてしまったため、今回は板垣神社の写真のみです。

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投稿者:管理人
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2007年07月17日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅2

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出発の舞台は駅。ヨーロッパ大都市のターミナル駅は、大屋根のある巨大な空間の行き止まりスタイルが多いです。「中央」と名の付く駅はほとんど行き止まり式で、列車は到着すると反対向きで発車して行きます。そのなかでも、アーケードスタイルの光の入るドーム屋根には圧倒されます。

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歴史の深さを物語る古い鉄骨と、幾何学模様の大屋根。その下に数メートル四方はある大胆で斬新な広告が、幾重にもぶら下がって構内を飾るパリの駅や、ホームの各支柱に薄型テレビを備え付け、広告を発信しているイタリアの駅など、時代物の中に最新デザインがマッチングしている駅の姿はすばらしく、つい目を奪われます。古い物を新しくしても、他の物との調和が取れなく、けばけばしい宣伝広告が、無秩序に貼られている日本の駅と比べると、古き伝統の中に新しさを調和させ、美しく表現するヨーロッパの国々の街創りのセンスに感心します。

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行き止まり式ホームには、最新型高速列車や、年代物の機関車や客車が、カラフルな塗装で並び、鉄道ファンでなくても、旅人の目を引きつけます。駅の広い構内の周りには、ファーストフードやカフェ・レストランをはじめ、キオスク、銀行など、旅に欠かせないショップが並んでいます。とくにサンドウィッチなど軽食を売るファーストフードの店が多いですね。

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表玄関は駅の顔。壮大で、まるで博物館を思わせるような、歴史的建造物が多く、パリのSNCF国鉄の駅もほとんどが、威厳ある駅舎です。リヨン駅もその一つで、正面にそびえ建つ時計塔が、歴史の深さを物語っています。リヨン駅は、その名の如く、フランス第2の都市リヨン方面、南仏への出発駅。また、スイス方面への列車の出発駅でもあります。
ヨーロッパでは、行き先方面の都市名が、始発の駅名に使われている都市があります。ホームが36番線まであるリヨン駅の、構内に置かれた大きなシュロの木が、コート・ダジュールへの旅の夢を誘っています。初めて南仏に走った豪華列車の名にちなんだ、ベルエポック調の高級レストラン「トラン・ブルー」も、同駅構内にあります。TEE(ヨーロッパ横断特急)全盛の頃、フランス国鉄の誇る、世界一の豪華列車と言われたミストラル号も、このリヨン駅のホームから、バカンスの夢を抱く客を乗せて、南仏ニースに走っていました。
私も何度か乗り、軽音楽の流れるバーで、地中海に沈む夕日を眺めながら過ごした、至福の時を思い出します。現在も、昔と変わらないアーケードのホームに、オール2階建ての最新型TGVデュープレックスをはじめ、多くのTGV高速列車が並んでいます。パリからヨーロッパの国々に出るベース地として、このリヨン駅付近がお勧めですね。パリ・シャルル・ドゴール空港からエアフランスのバスも発着。ホテルも、隣接しているメルキュールホテルをはじめ、スタンダードですがリーズナブルなホテルが多いです。また、パリ市内観光へは、たとえば、エトワール凱旋門までは、地下鉄が乗り換えなしの一本で行けるし、セーヌ河沿いに散歩がてら30分も歩けば、ノートルダム寺院に着く好立地です。ヨーロッパのターミナル(終着駅)は、さながら映画の舞台のようです。改札口もない、ホーム前の構内のベンチに腰掛け、リズミカルな音楽の流れるなか、別れを惜しみ抱擁するカップルや、行き交う旅人を眺めていると、日本の駅にはないノスタルジーを感じますね。次は列車に乗って出発です。パート3につづく

投稿者:にわあつし
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2007年07月19日

勘助白桃食べ頃です

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『風林火山』の番外編です。先日、豊橋在住の方から嬉しい贈り物が届きました。そうです7日付の中日新聞でも報道され、第3回でも紹介しました勘助白桃です。
この桃は山本勘助の末裔と伝わる故・山本勘次さんが品種改良した桃で、大粒で糖度が高く大変美味しいと評判です。広島県にも同名の桃があり、苗木が伝わっているようです。
しかし、当社で制作した『風林火山をゆく』(英知出版)では、誌面の都合でこの勘助白桃が紹介できなかったのになぜ? と思って、お礼ついでに聞いてみたところ、やはりこの旅じゃBLOGを見て知ったそうです。本来なら会員の皆様にもおすそわけしたいところなのですが、日持ちの関係もあって今回はできないので、来年の例会にはぜひ皆さんで召し上がっていただこうと思っています。
なお、勘助白桃はJA豊橋のフルーツショップ「ゆめ彩館」でも購入でき、地方発送も行っていますので、どうしても食したい方は下記へ問い合わせてみてはいかがでしょうか? 例年7月下旬頃まで出荷しています。
http://www.ja-toyohashi.com/

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誌面では紹介できませんでしたが、昨年9月にレンタサイクルを借りて豊橋市賀茂町の山本勘助生誕地を取材した際、周辺の見どころを記した案内MAPがあり、勘助白桃も紹介されていましたので、オーナーの方にお願いして写真を撮らせてもらいました。現在の勘助白桃の原木(写真左)は2代目で、初代の原木は根元(写真中央)だけ残されていました。桃の木の寿命は15年程度ですので、木を残すことはできないのですが、苗木などによって勘助白桃も代々受け継がれてゆくことでしょう。

投稿者:管理人
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2007年07月21日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅・特別編

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フランス国鉄TGV、すごいですね!時速574.8km。架線から電気を取って走る鉄道の速度とは考えられません。時速581 kmのギネス記録を持っていても、実験線から先に進まない、JRリニア新幹線(写真右)も顔負けです。日本でこのニュースを知り、パリに着くと早々に、リヨン駅の書店で、SNCFフランス国鉄情報誌を入手しました。TGV試験車のスピード記録は、パリ東駅から、フランス・アルザス地方、ヨーロッパの十字路と呼ばれる美しい古都ストラスブールまで延びる、工事中の高速新線で打ち立てられたものです。

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情報誌で見る工事中の路線は、規模の大きさもさながら、ただ一直線に続く線路でありました。自然の生態系を壊さぬよう、また、風景を変えないようにして、広大な田園風景にマッチさせていく。日本の新幹線の、山々や込み入った住宅地を切り開き、縫うように進む風景とは根本的に違い、列車の速度も当然速く出せるだろうと感じます。それに列車とレール間、そして集電機器などとの絶妙な抵抗バランスなど、フランス国鉄の技術のすごさには脱帽です。
東海道新幹線で私が運転した0系電車の最高速度は210kmですが、カーブや勾配が多く、熱海駅など海岸線のルートや、住宅地の沿線や高架部など、速度制限も多くありました。東海道もフランスのような路線なら、東京~大阪間もかなり短時間で走れるでしょうね? 現在ではN700系など、電車の性能もアップしており、加速時間やカーブでの速度を向上させ、分刻みのダイヤを時間短縮に励んでいるようです。
ヨーロッパの鉄道の線路幅は、日本の新幹線と同じ、1435mm標準軌道(スペイン・ポルトガルは広軌1635mm)で、TGVなどの高速列車は、途中から高速専用線に入る、つまり、駅に関しては、TGV専用駅もありますが、ほとんどが普通列車と同じ駅から発着するため、旅行客には大変便利です。それに日本だったら、御蔵入りになるような年代物車両と、最新鋭の列車とが顔を揃えるなんて、とてもユニークな光景じゃないですか。

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今年5月パリ東駅へ、ドイツ最新高速列車ICE3(アイシーイー)が、初めて乗入れました。国際列車の発着が一番多いパリ。TEEヨーロッパ横断特急全盛の頃は、機関車が牽引する客車スタイルが多く、国境の駅で、次に走行する国の機関車が交代していた時代でした。今では各国の異なる電源区間も走行できる、優れものの高速列車が開発され、ドイツ・ICE高速列車も、パリの東駅に登場したのです。これまでより約2時間短縮の4時間半でパリからドイツ・フランクフルトまで直行。パリからの鉄道旅は、ますます便利になり、私も次回は利用しようと今から楽しみにしています。
ヨーロッパ鉄道心の旅パート3につづく。

投稿者:にわあつし
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2007年07月22日

『風林火山』第29回「逆襲! 武田軍」

原稿締切や引っ越し作業などがあって、遅ればせながら今回も菊地会員の投稿のあとでUPしました(;^_^)
いきなり最初の突っ込みどころは前回早春となっていた上田原の戦いが、今回は史実にもとづいて2月になっていることです。おいおい時代が遡っているじゃないの。しっかりしてくれよ校閲部さんよ。
で、結局上田原合戦の続きがあるわけでなく、あっさり終了。たしか晴信ってこの戦いで負傷して湯村温泉で湯治しているはず。どうせなら内野勘助が「殿、疲労した身体と心には温泉が一番でございます」なんて助言し、空海の如く法力で温泉を掘り当てるなんてしたらおもしろかったのに。
この敗戦で諏訪西方衆が蜂起し、小笠原長時も塩尻峠に出陣します。このとき小山田信有が妻とした美瑠姫が子を出産。だからやはりあの信茂なのか? 時代設定が合わないけど。
今回は塩尻峠の戦いで、諏訪法性の旗がカギとなりました。板垣が晴信に頼んで書いたこの旗が、諏訪明神のご加護とされ、西方衆が寝返ってきたのです。炎天下での戦いにだらけきった長時の陣へ奇襲攻撃をかけ大勝。トンボが板垣の亡霊となって出てきました。なぜ今頃になって泣き喚く晴信??? ところで板垣演じた千葉真一さんが、先週、俳優業を引退する記者会見を行いました。味のある俳優だっただけに残念です。

史跡紀行では塩尻峠の戦いの舞台となった長野県岡谷市・塩尻市を紹介していました。戦死者を葬った銅塚・首塚は、中央本線みどり湖下車のようです。昭和58年(1983)に中央本線の岡谷~塩尻を短絡する塩嶺ルートにある駅で、現在は本線ですがここが完成する前は、伊藤大八という地元の代議士が強引に中央本線を辰野回りにしてしまったわけで、現在は辰野支線の辰野~塩尻間は非常に乗りにくい閑散区間となっています。
実は『風林火山をゆく』(英知出版)制作の際、このエリアはページの都合と重要度の低さから割愛してしまったのですが、他のブログを参照すると、塩尻駅から徒歩20分のところに勘助子育ての乳松(平出一里塚)があるそうです。これはNHKでも紹介されませんでしたが、伝説によると戦場で泣いていた赤ん坊を山本勘助が拾い、平出一里塚の松に根方に隠すと、松葉のしずくを飲んでいたといいます。ところがこの伝説地の看板は割られて横たわっているそうで、抹殺されてしまった伝説地の感が否めません。今回は塩尻駅のスタンプです。

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投稿者:管理人
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2007年07月24日

世界遺産登録をめざす銅山遺跡「蘇るか足尾銅山」1

本日より菊地正浩会員のレポートを3回に分けて連載します。

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 銅(どう)と言わず(あかがね)と言う、わたらせ渓谷鐡道に乗り、絹織物の街桐生を出てから、緑の渓谷と清流を友にしながら上流まで行くと銅の町がある。今この足尾銅山遺跡の町が熱くなろうとしている。

はじめに
平成18年(2006)3月20日、旧足尾町は合併し栃木県日光市足尾町としてスタートした。相前後して黒保根村が群馬県桐生市に、東村と大間々町がみどり市となった。すなわち行政が2県3市にまたがり、観光に依存する、わたらせ渓谷鐡道にも少なからぬ影響を及ぼすことになった。そもそも鉄道もさることながら銅山街道(あかがねかいどう)(現・国道122線)も、足尾銅山の鉱石を江戸・東京へと運ぶために開かれ、沿線も発展してきたのである。銅山遺跡を産業観光資源として生かし、世界遺産登録をめざそうとする足尾町、同時にわたらせ渓谷鐡道の存続を願う沿線住民の動きを追ってみたいと思う。

日本の鉱業と鉱害問題
日本列島は環太平洋火山地帯に位置し、火山や温泉と多くの金属鉱床が存在する。佐渡金山、石見銀山、生野銀山、足尾銅山、別子銅山等が開発され、一時期ジパング(Zipangu=黄金の意味でJapanの語源となった)と呼ばれるほど、金・銀・銅の輸出国であった。当然のことながら鉱毒、塵肺、森林破壊、河川被害等の鉱害問題が顕在化していった。

日本の近代化と公害問題
明治維新になってほとんど国有化されていた金属鉱山や炭鉱等が民間に払い下げられた。なかでも銅は国家なりとされ、生糸と並ぶ主要な輸出産業で、足尾、別子、小坂、日立は四大銅山といわれたが、一方で四大鉱毒事件を発生させた。足尾鉱毒事件と別子、小坂、日立煙害事件であり、当然大きな社会問題となった。とりわけ、日本の「公害の原点」と称される足尾鉱毒事件は、最大の鉱毒事件で、政府の対策にも拘わらず煙害による禿山が残された。この事件は、性格には産業排水によるものとは言えないが、日本の公害の原点と言われ、明治初期から中期にかけての水質汚染例といわれる。

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足尾銅山と鉱毒事件
足尾銅山は江戸時代(1810)に発見され、徳川幕府によって開発された。明治10年(1877)古河鉱業(株)(現古河機械金属(株))の所有となって再開発され、一時期国内はもとより東洋一と言われた銅山であった。この足尾町を上流として利根川に合流するのが渡良瀬川である。足尾銅山の採鉱廃棄物は附近の谷間や斜面等に放置されていたが、幾度かの洪水により流出、下流の各地域で農漁業と人の健康に被害を与えたという事件である。最初の被害は明治11年(1878)秋の洪水で、鮒、鰻等が死んで浮き上がり、河川に浸かった農民達の足の指又がただれるというものであった。以降数回の洪水を経て北関東一円に拡がり、なかでも栃木・茨城両県の被害が甚大で、農作物は枯死、魚類の捕獲禁止、妊婦の流産が続出したという。明治27年(1894)から明治31年(1898)、栃木・茨城両県の出生率は、全国平均比一割以上低く、死亡率は約1.6倍に達した。その他、銅精錬過程での亜硫酸ガスの放出と燃料用等に森林が伐採されたこと等で、附近の山々は禿山となり渡良瀬川源流の美しい松木渓谷は、日本のグランドキャニオンと言われるほど、緑のない岩山と化してしまったのである。

パート2につづく。

投稿者:菊地正浩
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2007年07月25日

世界遺産登録をめざす銅山遺跡「蘇るか足尾銅山」2

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復興に向けて
被害民は地元選出の田中正造代議士を中心に、鉱山の創業停止を求めたが聞き入れられず、明治33年(1900)、請願のため東京に向った約3,000人が警官隊や憲兵と衝突した事件や明治34年(1901)、田中代議士による明治天皇への直訴事件は有名である。このように足尾銅山は公害問題の原点として世に知られているが、日本の近代化に果たした貢献も大きなものがある。大正5年(1916)には、人口がピーク3万8千人を数え、宇都宮市に次ぐ繁栄をみせた。
銅山は昭和48年(1973)に閉山されたが、現在旧坑道の一部が銅山観光用の見学ルートとして残されており、トロッコ列車に乗って実際の坑道に入り、楽しみながら当時の状況を学ぶことができる。禿山となった松木渓谷のほうも砂防ダムの建設、治山、治水、植林事業等復興に向けての努力が今も続けられている。

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世界遺産への登録をめざして
石見銀山が近代化遺産として世界遺産登録された話題は耳新しい。足尾の近くでも群馬県富岡製糸場が名乗りをあげている。足尾町では3年前に地域住民が「全町地域博物館化構想」の、まちづくり策定委員会を立上げ、足尾銅山一帯を産業観光資源と位置づけ運動を開始した。しかし、所有の古河機械金属㈱は古河グループ発祥の地でありながら、積極的な関与はしなかったという。一方、数年前から民間主体で足尾銅山の歴史に前向きに取り組むグループが活動、その先駆けとなった「NPO法人足尾歴史館」(館長長井一雄 通洞駅から徒歩5分。入館料300円。月曜休館。足尾銅山の歴史が貴重な写真や史料から学べる、足尾で生れ育ったというスタッフがボランティアで館内を案内説明してくれる)や平成18年10月に発足した「足尾銅山の世界遺産登録を考える会」等、活動の輪が広がってきた。
これらの動きに古河機械金属㈱も前向きな姿勢を示し、世界遺産登録運動に一定の理解を示すこととなった。地域住民の熱意に応えることと、事業継続を両立させるという課題も少なくない。しかし、古河の姿勢が一歩前進したことは地道な地域住民の活動といえよう。全町地域博物館化構想を進める課題は山積で前途は容易ではない。

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だが、観光資源は豊富である。足尾銅山観光、足尾歴史館、足尾砂防ダム、銅親水公園、足尾環境学習センター、日本のグランドキャニオン松木渓谷、足尾銅山精錬所跡、日本で初期時の道路鉄橋古河橋(写真)、間藤水力発電所跡、鉱山長屋、加えて渡良瀬川沿線の自然観光資源、特別天然記念物日本カモシカ、温泉等々である。定番の観光旅行に飽きた方、一度は訪ねて産業遺産、環境、歴史、社会問題を考える旅をしてほしいし、それだけの価値を持っている所であるといえよう。

パート3につづく。

投稿者:菊地正浩
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2007年07月26日

世界遺産登録をめざす銅山遺跡「蘇るか足尾銅山」3

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わたらせ渓谷鐡道(通称わた渓)の存続を願って
足尾銅山を考えるとき交通アクセスを抜きには考えにくい。日光市からはバス路線とマイカーであるが、何といっても桐生市からの鉄道か銅山街道(現国道122号線)を利用したバス路線とマイカーである。問題のわたらせ渓谷鐡道について考えてみよう。群馬県桐生市桐生駅から栃木県日光市間藤駅を結ぶ44.1km全線非電化、単線でワンマン運転の気動車が17駅を結ぶ。足尾銅山から産出される鉱石輸送のため、明治44年(1911)に開業、国鉄、JRの時代を経て第三セクターとしての現在に至っている。そんな歴史を背負って銅山街道と清流を友に谷筋をさかのぼって走る。とくに初夏の新緑と秋の紅葉が渓谷美を引き立たせる。しかし、足尾から終点の間藤に近づくにつれて、足尾鉱毒公害の面影や禿山の続く異観に歴史の重さを肌で感じるようになる。このわたらせ渓谷鐡道については、旅ジャーナリスト会議のメンバーが執筆した『新・全国フリーきっぷガイド'07~'08』(人文社刊行)の中で見どころなどを含めて紹介しているのでご一読願いたい。しかし、ガイドブックは別にして、実情は問題点も多くこのままでは先行きの存続が危ういのではないかと思う。

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存続に向けて沿線地域住民の動き
平成18年10月23日危機感を持った沿線では「わたらせ渓谷鐡道市民協議会」を設立した。群馬・栃木両県、沿線市の行政関係者、わた渓経営陣、地域住民有志が集まり「市民、行政、鉄道事業者三者の役割を明らかにするとともに、わた渓を支える市民の輪の拡大とネットワーク化に努める」と定め、市民サイドからわた渓を生かした地域づくりに取り組むことを宣言したのである。地域毎に行われた取り組みを挙げてみると、わた渓の利用促進、自然を生かした駅周辺や地域の整備・保全、ゴミ・缶拾いと清掃、花苗・苗木植え、草とり・線路の土手整備、トロッコ列車に手を振ろう、足尾駅祭りの実行、イルミネーション点灯事業、わた渓存続署名運動等に取り組み地域住民が鉄道を残したいと立ち上がった。
しかし、実情は問題点も多くそう簡単ではないように感じられるのは筆者だけであろうか?鉄道の存続だけではない、沿線観光について本気で観光振興に取り組んでいるのであろうか。車やバス利用の観光をも含めた総合的な振興策が求められよう。例えば、駅の温泉がキャッチフレーズの水沼温泉センター(写真左)、神戸駅ホームに停車している列車レストラン清流(写真右)、トロッコ列車に乗り見学できる銅山観光等それなりの施設はあるが、食事となると決して二度とは利用しないであろう。「コンビニのおにぎりや弁当のほうがマシ」と思われることのないよう、勉強と工夫が必要であろう。

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おわりに
既述のとおり世界遺産登録をめざし、全町博物館化構想に取り組む、まちづくり策定委員会並びにNPO法人足尾歴史館等やボランティア、一方、わたらせ渓谷鐡道存続を願う、わたらせ渓谷鐡道市民協議会の活動、各々が動き出している。だが、足尾は日光市、わた渓は桐生市側の感は否めない。すでに栃木県と日光市の観光ガイド関係パンフには足尾の銅山観光が組み込まれPRされている。この現実を踏まえて冷静に考えてみよう。
そもそも足尾銅山の発展とともに、銅山街道ができ、わた渓ができ、沿線が発展してきたことはまぎれもない事実である。いわば桐生から足尾までの沿線観光は一体なのではないかと思う。日光市の足尾として世界遺産に登録され発展したとして、わた渓沿線は取り残されても良いとは考えにくい。ならば、いまこそ栃木・群馬県、日光市・桐生市・みどり市の2県3市の行政と地域住民・団体が協調して広域観光振興を推進していくべきであろう。合併による行政際間の風通しを良くした取り組みが、この沿線発展とわたらせ渓谷鉄道存続、そして足尾世界遺産登録への夢を実現させていくのではないだろうか。いや実現させてもらいたいし、鉄道も存続してもらいたいし、何度でも訪れるリピーターにもなりたいと思っている。
こう思えるのは筆者の老婆心からなのか? いや、旅ジャーナリストの立場からも今後の動向を注視していかなければならないと思うのである。おしまい

投稿者:菊地正浩
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2007年07月28日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅3

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 さあ、列車に乗って出発です。ヨーロッパ各国を走る列車の個性あるカラーは、旅人の目を奪います。とくに目を引き付けたカラフル列車を2点紹介すると、アルプスの白い山々に溶け込むようなスイスの広告機関車(ブリック駅・写真左)、派手な絵柄のイタリア・ユーロスター(ミラノ駅・写真右)。ユーモア溢れるデザインが、楽しいですね。

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 最初の目的地は、ベルギーの古都・ブリュージュです。ホテルのあるリヨン駅から、国鉄RER近郊線で北駅に移動。オランダ・北欧、そして、ロンドンまで走るユーロスター北方面の玄関、パリ北駅から列車の旅が始まりました。ブルージュへは、途中ブリュッセルで、オーステンデ方面のローカル線に乗り換えます。北駅から乗る列車は、レッドトレインと呼ばれる国際特急タリス号で、ブリュッセルまで313km、1時間25分の旅。ボディや車内すべてが、ワインレッドに統一された、フランスTGVの改良型で、北駅ホームに並ぶ姿はとてもお洒落です。

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私たちのグループは、1等用ユーレイルセレクト・セーバーパス(ユーレイル加盟国から3~5カ国の旅行国を絞り2人以上が同一行動する条件の周遊割引パス)を用意しているために1等車を利用。このタリスの1等車は、席までの食事や、アルコール類を含むドリンクのサービスがあるのです(ただし、時間帯により食事内容も異なり、平日以外はドリンクサービスのみ)。パス以外に必要な、タリス号の1等指定券には、サービス料金が含まれ、今回の旅で一番高額でした。タリス号利用は、食事の時間帯に合わせて計画すると、節約効率が良いですね。
指定車乗車口で、車掌の検札と案内サービスを受けると、いよいよ乗車です。駅での乗り換えでは、ホームも低く、列車には、ステップを駆けて乗るため、参加者の皆さんには、トランクは最大60cmまで、できるだけ大きな滑車が付いている物を用意させました。そして、予約無しで乗車しても、比較的空いていて、大人数でもかたまって座りやすい、一等車の利用を決めています。

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列車は発車時間が来ると、ベルもなく発車します。一般のヨーロッパ観光ツアーでバス旅の窮屈など、苦い経験をされた参加者の皆さん、最初に乗ったタリス号では、ゴージャスな車内でのびのびとくつろぎ、出された食事と美味しいワインに酔いながら、広がる北フランスやベルギーの田園風景を眺める至福の時に、鉄道旅のすばらしさを実感していました。ブリュッセルからは、貸し切りみたいに空いた1等車。オーステンデ方面に1時間で、中世の家並みが残り、「天井のない美術館」と呼ばれるブリュージュに着きました。皆さん、静かで疲れない列車の旅に、感動したようです。
パート4につづく

投稿者:にわあつし
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2007年07月29日

『風林火山』第30回「天下への道」

「サザエさん症候群」ではありませんが、どうも日曜は落ち着いてテレビも見れない週が続いております。他の先生方はタイムリーで書き込んでいるというのに。
ところで今回は参議院選挙で時間が45分繰り上がっていまして、ビデオ録画もしていなかったため、前半部分は見逃してしまいました。まあ、土曜の再放送はしっかり録画しておこうと思いますが。
話題は越後の上杉謙信のほうにウェイトが置かれていましたが、まだ村上義清も健在というのに何でかな~。おっと謙信の軍師といわれる宇佐美定満(緒方拳)登場。勘助との謀略合戦が始まるのでしょうか。この宇佐美定満という人物、近年は実在説が否定されており、後世の捏造ともいわれています。たしか最期は野尻池での舟遊びの際に長尾政景とともに溺死してしまうのですが、まあこれは勘助死後の話ですので関係ないのですが。
で、勘助は紀州根来寺まで鉄砲を買い付けにいき、100挺もそろえて今川氏に港を借りる交渉に出ます。今川のほうは西より東に目を向けており、端役でもいいからそろそろ信長・秀吉・家康を絡めてほしい気が……。もっとも勘助がボケてしまうのでたぶん登場しないでしょうが。でも勘助、その100挺の鉄砲を長尾景虎のところにもってゆくことで越後に潜入するようです。
史跡紀行では今回の物語と全然関係のない山形県米沢市を紹介していました。上杉氏が米沢に移るのは江戸期からで、すでに景勝の代になっていますが、これって2009年度の大河ドラマ『天地人』の伏線なのでしょうか? それとも宇佐美定満の居城だった琵琶島城(新潟県柏崎市)を取り上げるつもりが、中越地震で急遽、自粛して差替えでもしたのでしょうか? ということで今回はスタンプはありません。いえ、本当はそろそろ米沢も取材に行かなくてならないのですが……。

投稿者:管理人
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2007年07月30日

味は美人

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 札幌に住む親戚の叔母から、何かの折ごとにもらうのが十勝銘菓、六花亭の「マルセイ バターサンド」です。

 香ばしく焼かれた小麦粉の両表地?の間に、レーズンの入ったバタークリームがはさんでありますが、ラム酒やブランデーなども加えられているらしく、くどい味どころか、上品っぽくってすごくイケるんですよね、これが。

 マルセイとは、明治38年(1905)に北海道ではじめて商品化された晩成社のバターのことで、その発売当時のラベルを復刻させて、パッケージのデザインに使っているんだとか......。しっかり受け売りですみません。

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 2枚目の写真のほうは、現物を自分で持った状態でのショットだったりします。幾度となく撮り直しをしているうちに、無意識に力んでいたのかぐずぐずと形が崩れてきて、手がかなりベタベタになってしまいました。

 まるで要領が悪くてのろい僕を、あざけっているかのようです。味は美人のくせして、撮影され姿がブスいぞ~とか思ったのでした。

投稿者:ざつはち
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2007年08月05日

『風林火山』第31回「裏切りの城」

せっかくドラマをタイムリーで見たにもかかわらず、回線障害でインターネットにつながらなくなり、更新が復旧した翌日午後になってしまいました。
タイトルと番組の中身のギャップがぬぐえません。晴信の姉北の方が死去し、今川との同盟関係が崩れるというので、晴信は娘の菊姫を今川と縁組させようとします。菊姫は史実では上杉景勝の妻になるのですが……。それにしてもチョイ役で出てくる美瑠姫のほうが気になります。笠原清繁の子と思われる男子を出産し、ちょうど四郎勝頼と同年代で設定されていますが、藤王丸というのは小山田信茂(幼名:藤乙丸)を思わせる創作の人物。もちろん小山田信茂をモデルにしているのはいうまでもありませんが、なぜ勘助亡き後の伏線までこのドラマでやるのか意図がよくわかりません。藤王丸の存在になぜかびびる信有。たしか砥石合戦で重傷を負って、それが元で亡くなるのですが。
このドラマでは砥石崩れの敗戦の前に、幸隆がしゃしゃり出ます。『三国志』に出てくる「苦肉の計」を使って、偽りの内応をさせて角原氏を痛めつけ、その謀略によって矢崎氏は討ち取られます。ただの農民であった平蔵が、弓の名手になり、ヒサと結ばれて、幸隆の謀略まで見抜くようになるとは、こちらの成長のほうが微笑ましく思えたりもします。しかし幸隆末弟の常田隆永が村上陣営にいて、幸隆の誘降にも耳を貸さないとはすごい設定ですな。
勘助はまったく出番がなく、長尾景虎に鉄砲をもって面会しますが、なにか見透かされた感じ。「百挺用意しろ」といわれ、越後に留め置かれる勘助。果たしてどうなりますことやら。

史跡紀行では和歌山県岩出市の根来寺を紹介していました。JR和歌山線岩出駅が最寄ですが、バスの便はJR阪和線紀伊駅が近そうです。南紀方面は久しく旅しておりませんので、スタンプはありませんが、先日、武田勝頼公終焉の地・天目山へ行ってきましたので、その写真とスタンプをUPします。

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天正10年(1582)2月、信長が武田討伐の兵をあげると、武田家臣団が次々と寝返り、小山田信茂の岩殿城(山梨県大月市)を頼ろうとしますが、ここでも裏切りにあい、天目山で最期を遂げました。ここは現在は山梨県甲州市ですが、2005年11月の合併以前は大和村でした。駅名も最初は初鹿野でしたが、1993年5月に「甲斐大和」と改称しました。わたしの旅スタンプも駅名改称にともない、新しいのがつくられましたので、状態もまだよいといえます。勝頼公の墓がある景徳院へは徒歩30分。旧村営バスもありますが本数は少ないです。2002年には駅裏手に勝頼公の像も建てられました。

投稿者:管理人
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2007年08月07日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅4

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 パリ=ブルージュ間、美しい風景の中をくつろぎながら過ごした車中の楽しさ。みなさん疲れも見せずに元気百倍。到着後は、船に乗っての運河めぐりや、ライトアップされた夜の街を勢力的に歩き、古都ブルージュを満喫したようです。

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 ヨーロッパの列車の多くは、機関車が牽引や推進運転をする客車スタイルであり、床下から響く、つんざくようなモーター音もなく、車内はとても静かです。タリスやTGV、ドイツICE(ICE-3を除く)、イタリアユーロスターなど、各国の新幹線クラスの列車も、ほとんどが、伝統ある動力集中方式です。国際列車が往来するヨーロッパ。電源車が各国の多種電源区間さえクリアすれば、同じ軌道をどこにでも牽引することができ、客車が多国間を跨いで走れるのも、ヨーロッパならではです。
 乗り心地よい落ち着いた車内。私たちのグループはゆったりとした1等車利用なので、席配置も1等オープンシート車は(2席+1席)がほとんど。個室タイプのコンパートメント車両(一部屋6人)もあります(2等車は2席+2席)。
 さて、鉄道旅はブルージュからブリュッセル経由で、再びタリス号に乗りドイツに入ります。途中、世界遺産であるケルンの大聖堂を観光。そして、ライン河沿いの路線を、ロマンティック街道の玄関、ヴェルツブルグに向かいました。両河岸に広がる葡萄畑と点在する古城、伝説の岩ローレライなどがつづく、コブレンツ=マインツ間のライン河名所を、ローカル列車から車窓観光です。ワインを片手に、陽気な車掌の姿に驚きながらも、とても愉快で笑顔の絶えないライン観光でした。

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 ドイツ国鉄御自慢のパノラマカー付きTEEラインゴールド号も、以前はこのライン路線を走っていましたが、今はケルンからフランクフルトまで高速路線ができたため、ICE等の高速列車のほとんどは、ライン河をはずれた新路線を走ります。美しい風景を堪能するには、コブレンツ=マインツ間を経由する列車を選ぶことです。
 とくにこの区間、ライン河を挟んだ両岸に鉄道がありますが、ローレライの岩が眺められる、コブレンツからマインツに向かう右岸の線を選びましょう。ドイツの鉄道旅には欠かせないお勧めのコースです。夏期のヨーロッパは、夜10時近くまで陽がさんさんと照り、毎日、暗くなるギリギリまで観光。まさに2回分のトクする旅をしてますよ! みなさんとても活動的で、ヴェルツブルグの宿であるホテル・マリティムに着いた時間も、まだ陽の明るい夜の9時でした。
パート5につづく

投稿者:にわあつし
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2007年08月12日

『風林火山』第32回「越後潜入」

勘助が道庵という偽名を使って越後に潜入し、長尾景虎に謁見しますが、そのまま鉄砲百挺用意しろといわれ、越後に留め置かれたままになり、この間に砥石合戦が起こります。村上義清は景虎の叔父高梨政頼と対峙しますが、平蔵の策で政頼と和睦し、砥石城攻めで疲弊した武田軍に襲い掛かります。晴信二度目の敗北となる「砥石崩れ」ですが、舞台は越後ばかりで、戦いはあっけなく終わってしまいました。『甲陽軍鑑』では勘助が活躍する舞台だったのですが。
それにしても宇佐美定満が父為景の仇敵になっていましたが、これは琵琶島城主宇佐美房忠が反乱を起こしたのと関連付けているのでしょうか? その定満に鉄砲を与え、使えるかどうか検分しろという景虎。酒豪を思わせるシーンも出てきましたね。
定満に「軒猿」と呼ばれる忍びが出てきましたが、勘助のほうはあっさりと正体を見破られます。それはそうだろう。晴信の軍師なのだから……。果たしてどうなりますことやら。

今回の史跡紀行は興味深いです。長野県栄村の市河氏館跡。『甲陽軍鑑』以外で、あの勘助の実在を証明した市河文書の一族です。信濃の地頭であった市河家が北海道へ移住した際に携行した文書で、昭和44年(1969)に「山本菅助」なる人物が史料にあり、初めて勘助の実在が明らかになりました。
最寄はJR飯山線の森宮野原駅ですが、飯山線に乗ったことはあるものの、当駅は未下車でスタンプも押していません。もっとも駅から徒歩40分とのことで2㎞以上あります。夏の「青春18」旅行で痛感しているのですが、駅から徒歩15分でも相当こたえます。炎天下の散策は熱射病に気をつけてください。

投稿者:管理人
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2007年08月14日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅5

marienburg.jpg

 何て美しいんでしょう! アルテマイン橋の川面に映るのは、マリエンブルグ要塞の夜景です。そしてマリティムホテルの超豪華な朝食に舌鼓を打つ。皆さん、たった一泊だけなのに、ヴェルツブルグを「再び訪れたい街」のベスト3に入れたようです!
 今日はヴェルツブルグ駅に荷物を預け、中世の面影を残すロマンティック街道の街ローテンブルグへ、ローカル列車で日帰りの旅です。ロマンティック街道は、ローマ時代に造られた歴史遺産の道ですが、車でしか訪れることができない美しい街が点在しています。
 この街道沿いに、フランクフルト=ミュンヘン間どちらの都市からも、朝8時出発して夜9時に到着する1日1便のヨーロッパバスが運行されており、街道めぐりにはとても便利です。以前はユーレイルパス保持者は無料、途中ローテンブルグで約1時間半の停車時間があり、散歩程度の観光もできたのですが、今ではユーレイルパス保持者でもバス運賃は4割負坦。またローテンブルグも30分程度の停車に変わってしまい、フランクフルトからミュンヘンまで直行する場合は、ほとんど車窓観光になってしまいます。バス利用の場合は、途中、気に入った街で下車して一泊したり、また、駅のある街で、鉄道と組み合わせるのも旅プランの一つですね。
 他に、JALユーロエクスプレスやVISTANAドイツ号などの観光バスが、フランクフルト=ミュンヘン間を走っており、昼食付き・日本語ガイド付きで16,000円。チケットは日本の旅行代理店などで購入できます。ただし、これらの観光バスは、出発の曜日が決まっているので要注意です。

reddieselcar.jpg dieselcar-syanai.jpg rothenburg-ensenfukei.jpg

 私たちの旅は、今日中にミュンヘンへ移動予定のため、あえて鉄道を利用し、駅があるローテンブルグの街だけを観光することにしました。ヴェルツブルグからはミュンヘン方面への本線普通列車に乗り、途中駅シュタイナッハで、ローテンブルグまでの真っ赤でスマートな2両編成の汽動車に乗り換えました。
 約1時間余、車窓からドイツののどかな田園風景を楽しみながら進みます。ローテンブルグまでの列車の中は日本人出没度ゼロ! 乗り合わせたドイツの人々とは、言葉よりジェスチャーのほうが気持ちも伝わるようです。まるで御近所同士のようなふれあいの場は、これぞ鉄道旅ともいえるひとときでした。

rothenburg1.jpg rothenburg2.jpg

 ローテンブルグ(オブ・デ・タウバー)駅から徒歩15分。最初の城壁の入口、カルゲン門をくぐって中世の街に入ります。色彩豊かで美しく、古い歴史ある街並みが、現代の生活の中に自然に溶け込んでいる。皆さん感動したようです。そして、各人自由に、ローテンブルグの街を堪能しました。再びヴェルツブルグに戻ると、ドイツ自慢のICE高速列車でミュンヘンに出発です。
パート6につづく

投稿者:にわあつし
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2007年08月16日

涼なりな見舞

syotyumimai.jpg

 毎年この時期になると、ユニークな文面のハガキが届きます。
 九州は大分市の府内(大分)城址近くにある郷土料理の店「こつこつ庵」からです。

 居酒屋に行く感覚というと大袈裟かもしれないですが、気軽に手頃に、有名な関アジ、関サバ、だんご汁(手打ち味噌煮込みうどんのようなもの)、琉球(関アジなどの魚の切り身を甘辛いタレに漬けたもの)、地元焼酎などを堪能できるんですよね。

 訪れれば、ここの店主、松本さんの楽しくて配慮ある人柄?が、美味しさを更に何倍にもしてくれることでしょう。

 建物の外壁を埋めつくすレトロなブリキの看板たちも、夢にうなされてしまいそうなほど、迫力ありますよ。

ところで、今回写真を撮るのに、前出松本さんの愛嬌あるイラストを改めて見てみると、

kaonoup.jpg

 ギャ~~~ッ、目が4つもあるではないですか!怖いーっ!暑気払いにふさわしいキャラクターではあ~りませんか!

 返事の方に、この旨を書いて出してもよいものか、迷っていたりします。

投稿者:ざつはち
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2007年08月19日

『風林火山』第33回「勘助捕らわる」

ここのところ連日30件を超えるアクセスに奮起され、久々にタイムリーで書かせていただきます。
道庵の名で越後に潜入したまではいいものの、いいように利用され、宇佐美定満はじめ越後国人領主を団結させ、挙げ句に鉄砲百挺も長尾景虎に供出してしまう……一体何しに越後へ行ったの? と突っ込みをれたくなりますが、軍師=完璧という構図を描きたくなかったのかもしれません。
それにしても今回は景虎が宇佐美定満に「三顧の礼」ですか。『太閤記』でも秀吉が竹中半兵衛を招くときに創作されましたが、この脚本家『三国志』が結構好きなようです。
鉄砲が来ないので捕われの身となり、誰も助けに来てくれない勘助。生き延びる道は景虎の配下になるしかないのですが、これを断ります。今回は景虎と長尾政景の抗争がメインとなりましたが、これもまた肩透かしを喰ったような流れ。景虎の姉・桃(仙桃院)が政景に嫁ぐことになります。
勘助のほうは大木にくくりつけられ、「殺せ!」と叫び、鉄砲で撃たれるすんでのところで、津田監物が鉄砲百挺を届け、間一髪のところで助かります。しかし、宇佐美定満は勘助を見破っていたものの、景虎は見破っていたのかいないのか分からない設定。Gacktさん、なかなかいい味出してますな。

史跡紀行では、長尾政景の居城・坂戸城のある新潟県南魚沼市を紹介していました。ここは2009年大河ドラマ『天地人』の主人公・直江兼続の生誕地でもあります。最寄はJR上越線六日町駅。北越急行の分岐点で何度か通ってはいるんですが、いつもは越後湯沢から特急を乗り継ぐので素通りになってしまうのです。
ここのところ関連する写真もスタンプもなく、UPできなくてごめんなさい。再来年の大河関連なので一度訪れなくてはいけない場所なのですが。

投稿者:管理人
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2007年08月21日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅6

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ヴェルツブルグからミュンヘンまでは、ドイツ最新高速列車ICE-3に乗車。ICE-3は、日本の電車に多い動力分散式で、ミュンヘンまでは300km、約2時間半の旅となります。真っ白な流線形のボディに、迫力ある赤い線が印象的なICE-3が、駅手前にある高速線合流ポイントから一般線に進入し、ヴェルツブルグ駅ホームに入ってきました。
 ホームの列車編成表で確認した1等車の停車位置で待ちます。ヨーロッパの列車は、国際列車をはじめとして、10数両も連結した長大編成が多く、事前に乗車車両の停止位置を確認することが必要です。私たちのように多人数の場合は、荷物の移動作業もあり、乗り継ぎ時間のロスを防ぐため、確認、また確認でした。国際列車は、行き先が異なる車両の混合編成もあるので、乗車する車両の行き先も確認する必要がありますね。
 列車が停止したらドアは、自分でレバーまたはスイッチを操作して開けます。開くのをじっと待っていたら、そのままスゥーと発車してしまいます。日本の寒い地方で、温度維持のための手動式ドアとは考え方が異なり、個人の責任で動いているヨーロッパの生活環境の中の一コマです。

saleslady.jpg grained-totono-passage.jpg

 乗車すると間もなく、ICEは発車。私たちが乗車した1等オープンシート車は、モニターテレビの仕込まれた革張りシートが並び、すこし硬めの座りごこちは、いかにもドイツ的です。華やかな赤でまとめられたタリス号と比べ、室内は実にシンプルです。車両間を結ぶ通路は、木目調の落ち着いたインテリアでまとめられており、寛ぎながら旅を楽しむリビングルームという感じですね。

ice-observation-car.jpg

 運転室のある先頭車両は、ガラス越しに前方が眺められる展望スタイルです。速度300km以上も出る高速列車の風景を客室で眺められることも驚きですが、運転台まで見られるなんて、日本の新幹線では到底考えられないことです。
 私たちはゆったりとした革シートに包まれながら、ドイツ・バイエルン地方の車窓風景を楽しんでいます。高速線を200km以上の速度で快走するICE-3と、ときおり並行するアウトバーンで、一緒に走る車の速度の速いこと!! このICEを追い越す速度で走る車には、皆さん声を出して驚いていました。

munchan-hbf.jpg hoburoihouse.jpg

 やがて、ICEはミュンヘンに到着しました。今日から中央駅近くのアインホテルに連泊です。今宵はミュンヘン最大のビアホール、ホフブロイハウスで、ドイツに乾杯!

パート7につづく

投稿者:にわあつし
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2007年08月26日

『風林火山』第34回「真田の本懐」

本日もタイムリーで観たのですが、締切に追われUPが遅くなりました。
真田家はようやく三男の源五郎(昌幸)まで出てきましたな。調略の切り札として晴信次男の龍芳が海野家を継ぐことになったのですが、これって海野家再興というより単なる御家乗っ取りじゃないの? 信長や毛利だってしきりにやっていますし……。
今回は幸隆夫人の忍芽と長男の源太左衛門が死を賭して、幸隆の弟常田隆永の説得に出向きます。でも、助かると分かっている設定なので緊迫感がありませんな。結局、隆永は寝返り、砥石城は攻略されます。で、またまたツンデレ。本当にこの脚本家、ツンデレと三国志ネタがお好きなようです。
この功で源太左衛門が晴信の一字をもらって信綱となります。いや、本来は真田家を継いでいたのですが、長篠で戦死してしまうので主役は昌幸に取って代わられてしまったのです。そのため歴史の表舞台にはあまり出てきませんが、今回はもっとスポットをあててほしいものです。

史跡紀行は群馬県藤岡市と高崎市を紹介していましたが、平井城や箕輪城が登場しても、肝心の長野業政が出てこないので拍子抜け。ゲームの能力数値も信長以上に高いので、こちらももっとスポットを当ててほしかったんですがね。で、またまた今回も未踏の地で写真もスタンプもありません。あしからず。

投稿者:管理人
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2007年08月28日

玉長産品

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家からも近い公共施設内の売店で、パッケージに誘われてゲットしたのが、写真の「ねぎ味噌せんべい」です。

 印刷にもある通り、信州産(もちろん長野県、諏訪あたりのもの?)味噌が塗られ、埼玉県の深谷ネギが散らされた、コラボ? な薄焼き米菓という感じでしょうか

negimisosenbei2.jpg

 ガイド文ではないので、食べてみた感想評価を遠慮なく数字にしてみると、満点を100として60くらいですね。ネギの香りが思ったよりも弱いのと、味噌(あるいは砂糖)の味つけが僕としてはかなりしつこい範疇でした。

 でもこういった無国籍ならぬ無県籍な産品は、今や特別珍しいわけではないにしても、それなりに面白いですね。もっともっと斬新なものが登場するのを期待したいです。旅ジャでも何か考えて、どこかに提案するとか......笑。

投稿者:ざつはち
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2007年09月01日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅7

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 朝6時、ホテルの部屋のカーテンの隙間から、ときおり光が注ぎこみます。ミュンヘンの街並みを眺めると、メンバーの皆さんは、早々と朝の散歩を楽しんでおられます。私より人生経験豊富な皆さんの、行動力の凄さ! 今回の旅程も100%予定どおり遂行されつつあります。
 今日はバイエルンの森にそびえる、世界的に有名なノイシュヴァンシュタイン城を訪れます。私も幾度かドイツを訪れていますが、ここを訪れるのは初めてで、たいへん楽しみにしておりました。たいていの観光客はバスを利用するようで、我々のように鉄道を利用してこの城を訪れる観光客は、バックパッカーや地元の人々がほとんど。鉄道での日本人出没度は10%以下ですね。

munchensta.jpg munchensyaso.jpg

 ノイシュヴァンシュタイン城への鉄道を利用した行程は、まずミュンヘン中央駅からアルプスの麓の町フュッセンまで乗車。1日5、6本と少ないですが、ミュンヘン中央駅30番線ホームから直通列車があり、約2時間でフュッセンに着きます。途中、ローカル色溢れる単線の区間を走り、アルプスの山並みを背景に、のどかで牧歌的な風景が続きます。終点のフュッセン駅前からは、路線バスでノイシュヴァンシュタイン城の麓まで行き、山頂の城へは、専用の乗合馬車やバス、または徒歩で40分ほどかけて登ります。城の入場券は、麓のチケットセンターで購入しますが、購入と同時に入場時間が決められており、それも約1時間後ぐらいの設定のため、バスや馬車で行こうと思っても、混雑時は予想外の時間を要してしまいます。私たちは馬車で登る予定だったので、順番待ちを他の人に任せてチケットを購入、予定どおりの時間で、ルートヴィヒ2世の夢の城を堪能してきました。

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 世界に名立たる「白鳥の城」は、観光名所保存のために常に徹底した管理と修復を行っていますが、斬新な趣の観光客用レストランなど、現代建築と中世の芸術が城の中に混在しております。中世のロマンに浸ろうと思って期待していた私などは、ちょっと複雑な感動で城を後にしました。再びフュッセンの町に戻ると、クレヨンで塗りつくされたような、フュッセンの町を散策。お年寄りの姿が目立つ、小さな、そしてカラフルな町並みでショッピングを楽しみ、ミュンヘンへの帰途につきました。

パート8につづく

投稿者:にわあつし
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2007年09月02日

『風林火山』第35回「姫の戦い」

忙しいけどドラマはタイムリーに見て、早々にUPします。
おおっ、『学校の怪談3』で子役ヒロインを演じていた前田亜季さんが、原虎胤の娘リツ役として登場しました。若さから勘助にベタ惚れの様子。こういう天然一途系のキャラは子役のときと全然変わっていませんね(笑)。なんか懐かしさを感じてしまいました。このリツさん最終回まで登場するところを見ると、勘助と無事結ばれるのでしょうか? あの意固地な勘助だけに前途多難そうですが……。
で、新たに晴信に側室が発覚。油川夫人の於琴姫(紺野まひる)です。しかし、由布姫(柴本幸)より役者が年上だし、明らかに設定がおかしいんでないの。勘助は晴信の寵愛が於琴姫に移るのを恐れ、「情けをおかけくだされ」といい、晴信は「由布が怖い」と答えるし、なんとも優柔不断な主君と女々しい軍師のコンビです。
今回のストーリーは原作の小説に近い形で描かれていますが、寅王丸の出家を今頃知ったり、由布は何の脈絡もなく「四郎を武田家惣領として育てる」などと言い出すし、何か変です。で、由布の命令には従う勘助。於琴姫の屋敷に潜入し、独断で於琴姫を殺そうとするところ、リツさんが出てきて次回につづきます。まあ、勘助もいい加減、他人のことばかりを考えておらず、早くリツさんをもらいなさい!

史跡紀行では物語とは関係のない静岡市の久能山を紹介しました。久能山は家康の東照宮があるところですが、それ以前は石垣山(久能山)城が築かれ、山中に勘助が掘ったとされる勘助井戸があります。ただ、信玄が駿河を攻略したのが今川義元が戦死し、第4次川中島合戦の勘助戦死後ですので、これは勘助から築城技術などを伝授された馬場信房が掘ったものかと思われます。ここは昨年9月に取材していますので、本当に久々に写真とスタンプがUPできます。勘助井戸には100円入れると案内が流れる機械がついていますが、僕が行ったときは壊れておりました。あと、ここにも書きましたが、昔は数種あったスタンプが、現在ではロープウェイ久能山駅、日本平駅ともどもシャチハタ形式で印影が同じものというのはちょっと悲しいです。

kansukeido.jpg kunozanropeway.jpg kunouzan-newstamp.jpg

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2007年09月09日

『風林火山』第36回「宿命の女」

にわさんに遅れること4日、ほぼ一週間遅れでUPします。
いつもこれを楽しみにしてくださる方ごめんなさい。

いや、前田亜季さんのリツと勘助は吉本でも通用しそうな漫才コンビでいいですね。重苦しい雰囲気のドラマで一種のカンフル剤になっているようです。で、勘助も物わかりのよい油川の於琴姫を殺すのをやめてしまいます。まあ、晴信とて心中落ちつかない由布姫よりも於琴姫のほうが癒されるのでしょう。
でも、太郎(義信)の嫁に今川の娘をめとり、のちに今川と戦う際には四郎(勝頼)が武田家を継ぐというのは、歴史の結論から強引に結びつけ過ぎはしませんかね。武田が今川を攻めるのは、太原雪斎も今川義元も亡くなったあとですから。晴信だって義元の存命中は簡単に攻め込むことはできなかったはずです。まさかこの原作者、勘助忍者説を採用して桶狭間の戦いで義元の居場所を信長に知らせるのでしょうか?
藤王丸=小山田信茂の説は藤王丸があっけなく死んで消えました。橋場先生のブログを参考にさせていただきましたが、信有の死因は笠原清繁の女に殺されたという説もあるようで、ドラマではそれを取り入れて信有が側室の美瑠姫に殺され、さらにそれを隠蔽するために討死ということにしたようです。でも、討死というのは無理がありましょう。せめて戦傷がもとで亡くなったぐらいにしておかないと。しかし、海ノ口城で無邪気に勘助にふるまっていた可愛い美瑠姫が、その後の運命でこうも豹変するとは……やはり娘のいる方はよい環境で育ててあげましょう。

史跡紀行では山梨県甲州市の黒川金山と鶏冠山を紹介していました。黒川金山はJR塩山駅から車で1時間、さらに徒歩で2時間30分というとてつもない遠さで、登山というより探検に近い遠さです。クマには注意しましょう。で、甲州市の塩山駅のスタンプは第14回で初出していますので、今回は割愛します。史跡紀行のほうもそろそろネタが尽きているようで……。

投稿者:管理人
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2007年09月11日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅8

ミュンヘンでは連夜のビアホール三昧。本場のビールやソーセージなど、ドイツの旨味に舌包みをうち、みな大満足です。ちなみにホフブロイハウスのオリジナルビアは1リットル入、6.6ユーロ(約1000円)と、安い、うまい!
 ミュンヘンからの鉄道旅はEC特急で、ドイツ・スイス・オーストリア3カ国の国境に近い町リンダウへ。リンダウからローカル列車を2度乗り継ぎ、ボーデン湖畔を望みながら、ライン川沿いの古都シャウハウゼンに向かいました。ボーデン湖畔を走るローカル列車は、地元の人々で大変な混み様。大人数の日本人客が珍しいのか、多くの人の視線が集中しましたが、たくさんのトランクの置場や、座席まで空けてくれたりと、現地の人々の親切さにみな感動でした。

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 沿線駅の構内やホームでは、自転車ごと乗り付ける人が目立ちます。ヨーロッパの鉄道では、自転車も列車に積み込むことが一般的で、ホームに上がる階段の端に、スロープやベルト式のリフトを設置している駅もあります。列車も自転車マークが表示されている車両を連結しており、車内に自転車を備え付ける場所が用意されています。

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 シャウハウゼンでは、駅前から路線バスでラインの滝へ移動しましたが、観光時間はわずか1時間半余り。ホーム下通路のロッカーへ荷物を預け、大急ぎでバスに乗り込みます。滝を眺めるのも楽じゃない! 分刻みのハードスケジュールでした。バス停から滝までの急な坂は、みなさんかなり辛かったようで、汗をいっぱい流しながらも、予定のバスや列車に乗り継ぎ、時間どおり、次の目的地シュタインアムラインの町に移動することができました。

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 窓辺の花々と、みごとな壁画。中世の佇まいを残した、この小さな町は実に美しく、みな時を忘れて自由な散歩を楽しみました。シュタインアムラインの美しさとともに、列車の隅々まで行き届いた清潔さと、シンプルでカラフルな内装。思わず「かわいいー!」と、口々に叫んでしまいます。さすが、観光国スイスですね。
パート9につづく

投稿者:にわあつし
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2007年09月16日

『風林火山』第37回「母の遺言」

またまた遅れてのUPでごめんなさい。20日ようやく録画をみました。

タイトルは「母の遺言」となっていますが、さすがにその内容で45分引っ張れるわけもなく、上杉憲政や北条氏康、長尾景虎など話が各地に飛びました。長野業政は出番がありません。新九朗(北条氏政)が登場しました。汁かけ飯のエピソードは採用しないのでしょうか?
今回のハイライトはやはり平井城に残った上杉憲政の嫡子龍若丸が北条氏康に処刑されるシーンでしょうか。重臣の妻鹿田新助の裏切りにあって捕われた龍若丸は、北条氏康がわざと縄を解き、刀を与えて一騎討ちさせます。そこでわざと一太刀入れさせて斬り殺す。氏康ってこんなに武芸の達人でしたっけ? 返り忠を許さず妻鹿田新助を処刑した背景から創られた話でしたが、哀れな龍若丸を引き立てる意味では名シーンでした。
しかし、晴信の母大井夫人というのは予知能力者ですか。「親の因果が子に報い」で晴信が息子の義信に斬られるシーンまで出てきます。前回の藤王丸も小山田信茂なのかという含みをもたせておきながら、あっけなく消してしまうのを見ても、どうもすかしが多い気がするのですが。勘助の戦死でストーリーが終わるのだから、そうもムリに予知能力(未来)を出さなくてもいいでしょうに。

史跡紀行では長野県上田市の生島足島神社と別所温泉周辺の史跡が紹介されました。別所温泉は過去に何度か行ったことがあるのですが、外湯も安くていいところです。今回の『風林火山』の取材でも行きたかったのですが、時間がなく上田原までしか行けませんでした。上田交通の終点・別所温泉駅にはスタンプもあるのですが、今回もまた残念ながら写真もスタンプもUPできません。あしからず。

投稿者:管理人
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2007年09月19日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅9

switzerland-train.jpg bern-streetcar.jpg

「ミストハウス、カンデルシュテーク!」
 スイス国鉄の車内放送は、女声の歯切れよいアナウンスで、カンデルシュテーク到着を知らせます。ドイツ国境近く、スイス北の端シャウハウゼンから、チューリッヒ、ベルンと経由し3時間あまり。ベルン州ベルンルナーオーバーランドの南端、あと1時間も乗ればイタリア国境という、手前の小さな町カンデルシュテークに到着しました。ホームに降りると、ブリュームリスアルプス高峰の谷間から漂う冷気が、身体全体を包み込み、暑さ続きだったドイツの旅から、一転して爽快な気分です。いつも常宿にしているホテルの主人が、愛嬌たっぶりの笑顔で、ホームまで迎えに来てくれました。
 観光国スイスはアルプスの山々と、そこから流れ出す川や澄みきった湖、囲むように広がる緑。そして、景色に染まるように点在する美しい街並みは、誰もが憧れる世界ーの観光国を構成しています。
 スイスの鉄道はとても速く、しかも清潔で快適。ヨーロッパでは、日本だと県境を越える感覚で、次々と国を移り行くのですが、とくにスイスに入国し、スイス国鉄の車両に乗ったとたん。なぜか、ホッ!と安らぎ、旅の疲れが抜けて行く気分になります。私自身、今まで幾度となく、このスイスを出入国した体験から感じるのかもしれませんが、これも鉄道旅ならではの感触ですね。
 スイス国鉄は列車運行も正確で、発着時間の間隔も一定に定められ、大変覚えやすくなっています。構内やホームの列車時刻表には、発車が黄色、到着が白色で掲示されていて、旅行者にも一目瞭然です。

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 チューリッヒ・ベルン間などの主要路線を結ぶIC特急は、車内もお洒落な総2階の列車となっており、子ども向けにレイアウトされた、キッズ車両が連結されている列車もあります。これは見ているだけで楽しくなってしまいます。
 スイスでは4日間、この谷間の街カンデルシュテークに滞在しました。翌朝は澄み切った快晴の空で、宿から徒歩15分ほどにあるリフト乗り場から、リフトで約15分。山の急斜面を擦るように上りながらの風景は、2000メートル級の山の岩肌が連なるパノラマでした。山から流れ落ちる滝の音と、小鳥のさえずる声以外は聞こえないくらい、静かで豊かな時間が流れていきます。

oeschinen-lake1.jpg oeschinen-lake2.jpg

 リフトを降りて、放牧されている牛たちを横目に、整備されたハイキングコースを歩くこと30分。「アルプスの宝石」と称するエッシネン湖に到着しました。そびえ立つ山の岩肌と、神秘的なブルーの湖面の織りなす世界。私たち全員、時が止まったように、呆然と湖を見つめていました。このエッシネン湖は、何度訪れても、「スイスのすばらしさここにあり」と、感動させてくれる景勝地です。
パート10につづく

投稿者:にわあつし
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菊地正浩会員NHKラジオ出演情報(10月30・31日)はこちら
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2007年09月23日

『風林火山』第38回「村上討伐」

いや~本当にすいません。日曜にビデオ録画撮り忘れる大失態。土曜の再放送をみて一週間遅れでUPします。

村上討伐の前に安曇郡の小岩嶽城攻めが出てきましたが、予算を川中島におさえているのであっけなく落城して城主古厩盛兼は自刃します。この古厩氏は小笠原氏に従っていたのですが、いきなりこんな話に飛ばされても視聴者の方々は理解できるのでしょうか。
武田太郎義信の婚儀もありましたが、肝心の義信君にはセリフもなくスルーし、長尾景虎の上洛の話にいきなり飛んでしまう。ここんところ時代が進み方が遅いとはいえ、肝心の村上氏討伐では合戦シーンもない、なんかつなぎのような回でした。
唯一の見せ場は村上義清夫人玉ノ井(中島ひろ子)が、千曲川を渡る船頭さんに笄(かんざしのこと)を渡すシーンでしょう。これは村上義清夫人が支城の荒砥城に落ち延びる際にあったとされる逸話で、長野県坂城町には刈谷原ミニパークとして笄の渡しの案内板も立っています。しかし、川を渡り終えたあと、馬場信春の軍勢に見つかり、義清夫人と一行は自害。平蔵の子を宿したヒサだけが助けられて生き延びます。実際の義清夫人は自害してしまう説(姫宮の跡碑)と、船から川へ身投げしたけど助かった説、川を渡って城が落ちるのをみて涙を流して東国寺に駆け込んだ説(女涙坂)などがあります。ドラマでは姫宮の説を採用したわけですが、笄の逸話が有名だけに衝撃的でした。

史跡紀行はまたもや物語とは関係のない山梨県北杜市の若神子城や馬場信春の菩提寺である自元寺などを紹介していました。第20回で長野県坂城町を取り上げたので割愛したのでしょうか。せっかく笄の渡しの逸話を採用しているのだから、史跡紀行でタイムリーに紹介ほしかった気がします。
ということで今回の最寄はJR中央本線日野春駅。ここはきれいに押したスタンプが見つからないのですが、一応UPしておきます。この駅はSL時代に水を補給したところで、構内には写真左のような給水塔も残されています。そして有名なのが駅前にある鉄道公害訴訟の信玄公旗掛松の碑(写真中央)です。古くから信玄公の旗掛松と伝えられる松の古木があったのですが、ここで蒸気機関車の給水を行い長時間停車したため、その煤煙で松は開業10年後の大正3年(1914)に枯死。鉄道院を相手取って訴訟を起こし、国が地主に対して賠償金を払った最初の事件として、民法の判例でよく用いられます。ただし、松自体は信玄の時代のものでなく、実際は17世紀半ばのものであったことから賠償金は減額されたそうです。

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2007年09月24日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅10

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スイスの旅の2日目は、アルプス観光人気№1、ユングフラウ登山観光です。これはもう「スイスの魅力のすべてが凝縮されている!」といっても過言ではありません。トゥーン湖とブリエンツ湖の2つの湖に挟まれたリゾート地、インターラーケンを起点に、アイガー、メンヒ、ユングフラウなど、4000m級の大パノラマの懐を、登山電車で周遊するベストコースです。
 私がユングフラウを観光する時は、インターラーケンに向かう途中、必ず寄り道して訪れる村があります。片方の湖、トゥーン湖のはずれトゥーンからトロリーバスで約15分。美しい城が湖畔にたたずむ、オーバーホーヘンの村に着きます。35年前、初めてスイスを訪れて泊まった当村のユースホステルで、満天の星の光に照らされた湖と、写し出される城のシルエット、そして月の光に浮かぶ、ユングフラウの山々の幻想的な世界に感動しました。以後訪れるたび、頬ずりをして家族のように迎えてくれるオーナー老夫婦の優しいこと。すっかりこの村のとりこになり、今回も旅の案内人として、皆さんをこの村に引き連れ、古城のある湖畔を散策するなど、癒しの時を過ごすことができました。

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 オーバーホーヘンからは、インターラーケンまで連絡船に乗船。アルプスの白い山々や、湖畔に点在する三角屋根の街並みと、メルヘンチックな風景の中を進む約2時間の船旅は、至福の時を感じさせ、氷上を滑るように静かに進む連絡船も、周りの風景にしっくり溶け込んでいます。船はインターラーケン・ウエストに到着。そして隣駅インターラーケン・オストから、ユングフラウ登山列車の周遊が始まります。アイガー、メンヒ、ユングフラウと、主峰3山を仰ぎ見る展望駅、2061mのクライネシャイデックまでは、2つにコースが分かれており、私たちは、ラウターブルーネン経由で、300mの高さの断崖から流れ落ちるシュタウブバッハの滝を散策して、クライネシャイデックに向かいました。

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 そして、ユングフラウ鉄道に乗り換え、山岳鉄道の頂点である、アイガーの北壁を貫くトンネルの終点、標高3454mのユングフラウヨッホ駅に到着。幸い快晴に恵まれて、トップ・オブ・ヨーロッパの名に値する展望を、楽しむことができました。登山電車に乗れば誰もが簡単に、富士山の標高に近い高さの、雪と氷の世界を満喫させてくれます。一歩一歩労して登る登山者へは、よく整備された道のサービス。また、労せずしても、誰にもすばらしい景色を眺めさせてくれる登山電車。2つのサービスを選択できる、スイスの観光に対する力の入れようには脱帽です。このユングフラウ鉄道は日本からの観光客も多く、登山電車内での日本語案内は以前からありましたが、最近のユングフラウヨッホ駅の中のレストランや売店などの設備はホテル並に整備され、3000m以上の雪に覆われた岩山のなか、存在すること自体が凄いです。
 帰路はグリンデルワルトにて、ヴェッターホルン3700mの雄大な姿を仰ぎながら、スイス料理に舌包みを打ちました。
パート11につづく

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2007年09月30日

『風林火山』第39回「川中島!龍虎激突」

はい、いよいよ始まりましたね。第一次川中島合戦。
第4次以外はほとんど注目されていない川中島合戦ですので、今回は前哨戦となる三度の戦いは、それ相応の内容に膨らみをもたせてくれることでしょう。
ところでこの第一次川中島合戦は別名布施八幡の戦いといいますが、ウチにある資料をあさってもその全容が不明なのです。一般には荒砥城を落とし、青柳城まで攻めたとされていますが、今回の戦いではぐぐっと中入りして、深志(松本)城に近い刈谷原城まで攻めています。青柳城からさらに峠をひとつ越えるわけで、晴信を誘い出すとはいえ、ここまでしますか景虎さん。まあ、戦国最強の部隊ですから包囲されても、その囲みを破ることくらいはたやすいでしょうが。
かわい先生のブログ『豊泉堂雑記』の二番煎じになりますが、そういう意味では今回は、勘助と架空の軍師宇佐美定満の駆け引きのうまさが巧みに描かれていました。場所は違えども互いに地図を睨んでコマを動かすのは、将棋の試合みたいで。
この戦いで諸角虎定が自分だけ長生きしてしまったことを恥じ、命に背いて刈谷原城に籠城してしまうシーン。討たれてしまうのかと思いましたが、勘助が夜襲を進言したため、長尾勢は退却しことなきを得ます。なかなか味のある武田家臣団の結束力がPRできてよかったと思います。
結局、晴信と景虎は川ごしの対面で終わり、無事、第一次合戦を終えて、次回の三国同盟に入ります。

史跡紀行では長野市の善光寺を紹介していました。信玄・謙信ともに信仰の厚い善光寺をめぐって争ったため、寺は荒廃してしまい、本尊は信玄によって甲府に移され、甲斐善光寺が建立されています。その後、本尊は信長によって岐阜、秀吉によって京都、家康によって尾張に移されて、元の善光寺に戻ったそうですが、善光寺も長野県飯田市には元善光寺、岐阜県関市には関善光寺などがあって、全国には善光寺を名乗るお寺が多そうです。本家の善光寺は中学以来行ったことがないので、長野駅のスタンプだけでご勘弁。このスタンプも印影がきれいに写っていないので押し直ししてこなければなりませんが。
それにしても長野駅は乗り換えなどで結構下車しているのですが、肝心の善光寺はずっと行けずじまい。あの寺院風の長野駅舎も好きだったのですが、冬季オリンピックと長野新幹線で立替されてしまい台無しになってしまいました。高架化でホームの駅弁屋や立ち食いそば屋などをすべて排除してしまった隣県の岐阜駅よりかはマシですが。
ところでJR信越本線長野~直江津間は、長野新幹線のため在来線特急あさまに使っていた183・189系車両(写真)が大量に余剰となったため、普通列車だけど特急の車両でリッチな旅が楽しめますぜ旦那!

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2007年10月02日

フォトのフォト

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最近投稿のネタが浮かばないもので、今回はズルい手段に出てしまいまして誠にすみません。

 写真は近くの電機店の年始あいさつでもらった、カレンダーの9月の風景です。

 滋賀県彦根市(撮影時はびわ町だったとのこと)から夕刻の琵琶湖に向かったショットですね。
 神話のふるさとなどでも有名な竹生(ちくぶ)島の黒いシルエットを、みなさん何に見立てますでしょうか。

 実のところ、僕は結構「湖恐怖症(特に深山に囲まれて淀んだような水域が苦手です)」だったりするのですが、この風景はとても心ひかれるものがあります。

 それは、夕陽による紫というかマゼンタ色に染められて、ちょっと官能的に見えるからかもしれません。
 水の中から、美しい妖精姫?でもサ-ーーッと登場してくれるとうれしいのですが......。


投稿者:ざつはち
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2007年10月04日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅11

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 スイス・カンデルシュテークからイタリアへは、目と鼻先ほどに近い距離。トランクや大きな荷物をスイスの常宿に預けると、皆さんリュック一つで、1泊2日のイタリア・ミニ旅行に出発です。行き先は、水の都ベネチア。夕食のとき、宿のオーナーが、「イタリアでは、スリや置き引き、しつこい奴に気をつけて!」と、大きなアクションでスピーチを披露。その滑稽な説明に、皆さん笑いこけていました。
 翌朝、放牧に向かう牛の行列を横目に、私たちはカンデルシュテークの駅に向かいます。山々の岩肌に囲まれた谷間の駅は、列車が到着しない限りは静寂そのもの。裏山に放牧されている牛のカウベルだけが、軽やかに響いていました。

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 IC特急は、カンデルシュテークを発車すると、輪を描くように勾配を上り、レッチェン谷の峠を越えると、ツェルマットに行くBVZ鉄道の中継駅、ブリュックに到着。ここからミラノまでは、イタリア・スイス両国鉄共同運行の、高速特急チザルピーノに乗車です。
 ジュネーブ発のチザルピーノは、このブリックで合流して、イタリア方面に入りますが、ソフィア・ローレンに似た女声アナウンスは、ますますイタリアの雰囲気を盛り上げます。また、カーブでも車体を傾け、速度を落とさずに走れる車体傾斜気構装置を備えており、山間のカーブもハイスピードで快走。乗り心地もとても静かです。
 全長約20kmのシンプロントンネルを抜けると、もうイタリア入国。あの、ヘミングウェイ『武器よさらば』の舞台、美しいマジョーレ湖を左に眺めながら、約2時間でミラノに到着です。
 昨年もベネチアに行くとき、このチザルピーノに乗ったのですが、ミラノ駅到着が定刻より1時間も遅れ、乗り継ぎや、それ以後の行動が、かなり狂ってしまいました。イタリアの列車時間は、遅れて当たり前で、余裕ある乗り継ぎ時間が必要です。今回は乗り継ぎ時間を2時間ほど確保。万が一、定時に到着した場合は、ミラノのミニ観光を計画していました。
 幸いにも、みなさんの行いが良いのか、チザルピーノはミラノへ定刻到着。即タクシーを飛ばして、ドーモやプラダを散策、忙しいながらもミラノの雰囲気を堪能し、予定どおり、フィレンツェ行きの列車に間に合いました。

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 イタリアの経済、そしてファッションの中心地ミラノ。鉄道の玄関であるミラノ中央駅で、歴史ある大アーチドームの下に立つと、構内はまるで大市場のようです。多くの列車が並ぶ前に、土産品店や、ファーストフード、化粧品ほか、あらゆる店が連なっており、そこに行き交う旅客や働く人々のざわめきに、これが本当のイタリアなんだと実感します。
 フィレンツェまでは、イタリアの誇る新幹線ETR500イーエススターに乗車。フェラーリのスポーツカーをも手掛けるピニンファリーナのデザインは、大変なお洒落であると同時に迫力があります。色使いも斬新なイタリアンデザインで、真っ赤な厚みあるシートにゆったりと寛ぐと、車内サービスのドリンクを片手に、イタリアの農村風景を眺めながら、列車はフィレンツェに向けて南下します。

パート12につづく

投稿者:にわあつし
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2007年10月07日

『風林火山』第40回「三国同盟」

取材に出かけ遅れること5日、すでに先行して伊藤さんの投稿をUPしましたが、他の会員からの投稿も相次ぎてんてこまいです。来週の回も迫っているのでまずはこちらを先にUPせねばなりません。
史実では老境にさしかかって勘助と親子以上の開きがあるリツ。この恋愛、イライラさせられるほど引っ張りますね。晴信がいきなりこのことを由布姫に相談するのもすごく変です。所帯をもって漫才のようなドタバタ劇を演じてくれるとよいのですが。
凡庸といわれた今川氏真(風間由次郎)登場。しかし、まだ17歳の若造に補佐もつけずに留守を預けるのはどうかと思うのですが。あれっ? この時点で信長って三河侵出していましたっけ? この時期はすでに家康の父・松平広忠も信長の父信秀もなく、信長は尾張統一に手一杯だったと思いますが。
脚本家はワンパターンとなる信長・家康の登場を嫌ったのでしょうか? それはそれで気概が感じられますが、中身よりも結果。最近の視聴率の低迷が気になります。
晴信の長女梅(杉浦舞美)も可愛らしいですね。北条氏政に嫁ぐとき、三条の方が未練がましく娘を抱きしめる。勘助は「これぞ誠の慈愛」などと感激しているし……。でもこの手のホームドラマ系は歴史ドラマではうけませんぜ。
 史跡紀行では、三国同盟の舞台となった静岡県富士市の善得寺公園を紹介していました。交通アクセスはJR富士駅からバスとなっていましたが、ひとつ東の吉原駅から接続する岳南鉄道の本吉原駅のほうが最寄です。したがって今回は富士駅でなく吉原駅のスタンプをUPします。

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投稿者:管理人
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2007年10月09日

北海道・大雪山山頂の初雪

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10月1日北海道の中央にある大雪山の上空です。高度2300m。高緯度の山らしく巨大な火山と部分的にカールがあり、感激でした。山麓は紅葉、村にも街にも秋は訪れ、紅葉前線スタートです。お鉢平のカルデラと熊ケ岳、左に最高峰の2290mの旭岳がさらに白く冠雪でした。飛行機はセスナ175です。

投稿者:伊藤建介
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2007年10月13日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅12

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 イタリア・ユーロスターは、またも定刻どおり、大理石造りのフィレンツェのホームに滑り込みます。ルネッサンスの都は、快晴に恵まれすぎてか、とにかく暑い日です。約5時間の散策タイムの計画は、市内バスで街が一望できるミケランジエロ広場からスタート。バスは市内を迂回するようにして坂道を登り、駅から20分ほどで、ミケランジェロ作の、ダビデ像のレプリカの立つ広場前に到着しました。
 バスを降りようとした直前、百人以上のイタリア女学生の集団が、折り返しのこのバスに乗ろうと、バスの入口を取り囲んでいます。
「ヤバイ!降りられるかな?」
と思う間もなく、ドアは開き、降りる私たちを車内に押し込むように、勢いよく乗り込んできました。運転手は高見の見物です。私は必死で、前方をふさぎ押し入る女学生たちのグラマーな胸元を、容赦なく押し捲くり、掻き分けながら、必死で旅行メンバー全員を降車させました。女学生たちの無秩序さに、みな少々興奮気味です。広場から望むフィレンツェの美しい情景にたたずみながら、気を和らげることにしました。その後、アルノ川に沿って歩き、ポンテベッキオやドウオモなどの名所を自由散策。そして、再びユーロスターに乗車。ボローニャを経由して、深夜のベネチア・サンタルチア駅に到着しました。
 翌朝のベネチアもすこぶる快晴。ホテルを出ると、すぐ横のサンタルチア鉄道駅前から、ヴィポレット「水上バス」に乗船。ちょうど朝のラッシュ時間帯で、大変な混みようです。20分ほどでサンマルコ広場に到着です。

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 着くとすぐ、みなさんからの希望であった、ゴンドラクルージングの交渉です。広場前の桟橋は、客待ちのゴンドラが並んでいます。さっそくゴンドリエーレ「漕ぎ手」に声を掛けます。ミュージック湊者を付けて1槽120ユーロ(19,800円)を希望。しかし、漕ぎ手をいれて、1槽の定員が7人までなので、私たちメンバー11人では、3槽必要とのこと。
 結局、予算オーバーのため、ミュージックなしで、1槽100ユーロ、2槽で周ることになりました。コースは、ゴンドリエーレ任せでしたが、溜息の橋など、華麗なベネチアの水上の迷路を楽しませてもらいました。ゴンドラは平均1槽100ユーロ(16,500円)、6人まで乗船でき、所要40分~1時間のクルージングが多いようです。値切る交渉も必要で、できるだけ定員近い人数で乗れば割安になります。ゴンドラ乗り場は、サンマルコ船着場あたりが多く、ここからのクルージングは、ベネチアのハイライトを周ってくれるので、初めてのゴンドラ乗船にはおすすめです。

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 細い路地裏を見上げれば、洗濯物が心地よい風に干され、小橋から眺めると、カンツォーネの歌声とともに観光客を乗せたゴンドラが、家並みの隙間の運河を漕いで通って行きます。サンマルコ広場の鳩と戯れる人々や、鐘楼の響きなど、ベネチアは何度訪れても、いつも新鮮に心弾む街です。みなさん、たくさんの土産ものを手に、ベネチア始発のチザルピーノで、再びアルプスの国へ帰ります。
パート13につづく

投稿者:にわあつし
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2007年10月14日

『風林火山』第41回「姫の死」

 前回は取材で更新が大幅に遅れてしまいましたが、今週はタイムリーで観ましたのですばやくUPします。もっともすぐ他の会員の投稿もUPせねばなりませんが。
 今回は由布姫が亡くなってしまうことで、原作にあった晴信と勘助が剃髪して丸坊主になる話がすっ飛ばされていました。二枚目内野勘助を坊主頭にするのをためらったせいでしょうか? 晴信の女癖が治らないので、由布姫と於琴姫がそろって尼になると言い出し、晴信と勘助はじめ家臣たちがそろって頭を丸めるシーンは大変おもしろい場面なのですが。リツさんだって坊主頭の勘助を見て「可愛いー」なんて云ってくれそうですし……。
 しかし、いくら由布姫が男だったらすごい武将になれたからといって、わざわざ越後攻めか木曽攻めかどちらかを姫に選択させますかね。古来、女が政事に口をはさんで崩壊した例は数知れず。しかも由布姫が「木曽に嫁を出して縁組せよ」と進言するのはちゃんちゃらおかしい。それともそこまで武田家滅亡の伏線にもっていきたかったのでしょうか。この脚本家は。
 この間に長尾景虎が信濃へ出陣し、200日におよぶこう着状態の末、今川義元の仲介で雪斎が使者に立つ。おっとこの雪斎の死を前にやっと松平元信(のちの徳川家康)が出てきましたね。6歳から今川家の人質になり、元服まで雪斎が育てたとしたのなら、こんな死の直前に唐突に登場させなくても、勘助などとからませたほうが、話がおもしろくなったでしょうに。
 で、勘助が木曽出陣中に由布姫が亡くなり、これを聞いた勘助は茫然自失になりながらも、敵陣の兵をバッタバッタと斬り伏せてゆく。あんたは鬼神かゾンビですか!
 史跡紀行は物語とは関係ない第30回と同じ山形県米沢市の上杉神社を紹介していました。はっきりいって、これは邪道すぎです。30回で紹介した法音寺と同じ時期に取材したと思われますが、同じ場所を小出しにしてつなぐせこさ。ド貧乏な編プロならともかく、国民の血税で成り立つNHKがこんなたらい回しにして、しかも再来年の『天地人』に食いつなごうとする魂胆みえみえでよいのでしょうか。本来なら木曽攻めの福島城や薮原宿などを紹介すべきでしょう。ということで今回はけしからんので木曽福島駅のスタンプをUPしました。

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2007年10月15日

北アルプス白馬山麓にミニSLが走る1

2カ月ぶりに菊地正浩会員から投稿いただきました。2回に分けてUPします。

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白馬村にニュ-スポット誕生
 信州白馬村八方尾根スキ-場のふもと、和田野の森の一角に、本格的なミニ鉄道とHO(ハーフオ-)ゲ-ジの壮大なパノラマが楽しめる、白馬ミニトレインパ-クが誕生した。

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 平成19年10月6日、大自然が息づく4000坪の敷地に、わずか6棟のコテ-ジとレストラン、浴場が点在する贅沢な宿「ログコテ-ジ・エポック」で、ミニ鉄道のオ-プンを記念して「第一回白馬ミニ鉄道フェスティバル」が行われた。
 長野県、白馬村、白馬村観光局、長野電鉄などが後援、初日にはフアンや子ども連れの家族が多数訪れ、680名がミニ蒸気機関車や新幹線に乗って楽しんだ。

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 このイベントには、信州ミニ鉄道倶楽部の会員たちが多数参加、自慢のSLなどを持ち込んで走らせ競い合った。ミニトレインパ-クはエポックのオ-ナ-、大谷真由巳の父齋藤建夫氏が私財を投じて作ったもので、総延長350mの常設デュアル線路、5mの鉄道橋やミニ鉄道が20台待機できるトラバ-サ、車輌を修理する機関区を完備した。また、自らもO、Sボ-ルドウインモ-ガルパワ-(大西部開拓時代、アメリカ大地を疾走した機関車で、特徴は前に突き出したカウャッチャ-、黒煙を吹き上げる大きなダイアモンドスタック型の煙突、特徴的な大きなヘッドライトで西部劇に登場する当時の機関車)と安全性を誇る最新の7.5インチ蒸気機関車(車体縮尺1/8、大人20人を乗車した車輌を牽引可能)、5.0ンチ電気機関車(車体縮尺1/8、4)は、森林鉄道で木材搬送用に活躍した初期型電気機関車「テキ100」、という3台を所有。これらの車輌基地専用ハウスを建設するなどの懲りようである。来年の第二回フェスティバル開催までには、総延長700mにまで増設、将来は1㎞走行という日本屈指のミニ鉄道施設をめざすとしている。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年10月16日

北アルプス白馬山麓にミニSLが走る2

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 同時に開館した鉄道模型館「HOゲ-ジハウス」は八角形のモダンな建物で、山、川、駅都市や田園風景まで作り込まれ、総延長211m、全7路線のパノラマである。新幹線や蒸気機関車など全17車輌あり、「コイン運転」が楽しめたり、自由に速さを調節しながら運転可能な「貸切ル-ム」もある。ファン自身が所有している自慢のHOゲ-ジ車輌を持ってきて走らせる「持ち込み運転」も可能にしている。鉄道模型が配置してあるテ-ブル下のトンネルを潜れば、パノラマの中心からも楽しむことができるという国内でも珍しいレイアウトとなっている。
 スキ-、登山ハイキング、パラグライダ-、ラフティング、釣、花、温泉、蕎麦など長期滞在型観光にはこと欠かない白馬村であるが、子ども連れはもちろん、ミニ鉄道フアン、鉄ちゃん&鉄子の注目を集めそうなニュ-スポットとなろう。エポックのオ-ナ-シェフ大谷敏彦氏は永年第一ホテルで修業し、白馬の地元食材を生かした料理に腕を振るっている。コテ-ジは6棟、いずれもログハウスだが、中は和風、テキサス風などと趣向を凝らし設備も万全である。自慢の貸風呂棟めぐみの湯は、浴槽に天然石と桧を使用した四角風呂と、天然まごめ石の丸風呂、和洋2つある。白馬山麓から湧き出るミネラル豊富な地下水に炭酸ガスを溶け込ませた炭酸温水が楽しめ、スキ-で冷えた体や登山ハイキング、アウトドアスポ-ツでの疲れを癒してくれる、白馬の温泉とはまた別な味わいがある。

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 長野冬季オリンピック以降白馬村も観光客の減少を余儀なくされているが、このような新しい視点に立った観光スポットができることは歓迎されよう。今後とも長野県も白馬村でも観光振興のため後援していくとのことであるが、何分にも一晩に70㎝~1mも降るという豪雪地帯である。冬場の対策も含め関係各方面の知恵と協力も必要であろう。
 来年の「第二回白馬ミニ鉄道フェスティバル」が盛大に開催されるよう、旅ジャ-ナリストとしても関心を持ち見守っていく必要があると思う。
おしまい

ログコテ-ジ エポック 白馬ミニトレインパ-ク 
〒399-9301
長野県北安曇郡白馬村八方4617-1
TEL0261-72-8233
www.epoch-hakuba.com

投稿者:菊地正浩
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2007年10月17日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅13

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 スイス、レマン湖沿いの古都ローザンヌから、フランス・パリまでは508㎞。フランスTGV(超高速列車)に乗れば、約4時間です。スイスでの最終日は、世界遺産の都市ベルンを散策したあと、IC特急でローザンヌへ向かいました。
 山合いの酪農地帯を抜けると、美しいレマン湖が眼下に広がります。山麓の斜面いっぱいに、太陽の恵を受けた豊かな葡萄畑が連なっています。そこはスイス第2のワインの産地であるヴォー州。アルプスを望む葡萄畑と湖の間、点々とした小さな集落を縫うように、列車が進みます。チャップリンやオードリー・ヘプバーンが余生を過ごした、ヴヴェイやモルジュの町も、湖畔のすばらしいロケーションの中にあります。

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 まだTEE(ヨーロッパ横断特急)が活躍していた30年ほど前、レマン湖の端のリゾート地モントルーで、シヨンの古城をバックに走るTEEの美しい姿に魅せられ、幾度か、撮影にこの地を訪れた思い出が浮かんできます。現在のローザンヌ発パリ行国際TGVは、先端がとがった一次型車両で、フランス国鉄おなじみの銀色ボディーにブルーのライン。車両ドアの横に貼られたスイス・フランスの表示が、国際線列車であることを示しています。
 私たちの乗る最終のTGVは、パリ・リヨン駅到着が深夜。夕食は車内のレストランカーを予定していたのですが、残念なことに乗車予定の列車には、連結されておりません。急遽、スイスフランの小銭の清算も兼ね、ローザンヌ駅のフードショップでファーストフードを買い込み、車内で食事をすることになりました。1等車利用といえど、「リッチにレストランカー」ばかりでなく、みんなで楽しく食事というのも、また結構ではありませんか?

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 TGVはローザンヌを発車すると、カーブの多いジュラ山脈の峠を走り、約2時間で、ブルゴーニュ地方の食の都ディジョンに到着。ディジョンはマスタードやブルゴーニュワイン、そしてエスカルゴ料理でも有名です。ディジョンマスタードは、日本のからしのように、鼻にツーンと沁みるものではなく、独特の酸っぱさが、ステーキやソーセージの美味しさを引き立てます。それに、肉の臭みも消してくれるため、私も土産品のひとつにしています。ディジョンを出ると、TGVは高速専用路線に進入。ブルゴーニュ白ワインの代表であるシャブリの産地を横目に、典型的なフランスの農村地帯を、最高速で一路パリへ向かいます。
パート14につづく

投稿者:にわあつし
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2007年10月21日

『風林火山』第42回「軍師と軍神」

 タイムリーで観れず、23日にようやく録画を観ました。
 由布姫の死で立ち直れない勘助と、家臣の統制がとれない長尾景虎が高野山で鉢合わせという設定は、ある意味新しいチャレンジともいえるのですが、結局は殺陣シーンを演じただけに終わり、どうもちぐはぐな内容でした。この一騎討ちを無量光院の清胤が止めますが、このあとで勘助と景虎の二人を並べて諭し、そなたたちは「天と地じゃ」というあたりは、海音寺潮五郎の『天と地と』を意識しているのでしょうか。
 結局、長尾政景が高野山に来て景虎を説得。景虎が隠居している間に大熊朝秀で謀叛を起こすのですが、その前の北条高広の謀叛は完全にスルーされてしまいましたね。で、景虎は史実どおり春日山に帰ることになります。
一方、甲府に戻った勘助は由布姫との嫁をもらう約束を反古にし、リツを嫁でなく養女にします。なんでこんなまわりくどいことをするのでしょうか。勘助の子は一体どうなるのでしょうか。次回予告では勘助は坊主頭になるようですが、今後の展開は次を観るしかないですね。
 史跡紀行では和歌山県の高野山を紹介していました。ここはまったく未踏の地。最も近い場所でJR和歌山線橋本駅を通ったことはありますが、この先はいつ行けるのでしょうか。信玄や謙信ほかいろいろな武将の墓がありますから一度は行かなくてならないのですが。ということで今回はスタンプも写真もなしです。JR橋本駅では楳図かずおのまことちゃん像ができたので、ぜひ撮影したいのですが。

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2007年10月25日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅14

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 フランス・ノルマンディー地方にある世界遺産のひとつ。僧院の島、モンサンミッシェルは、パリから約450km、東京から京都ぐらいの距離に位置します。日本人にも人気の高い観光地であり、観光ツアーに組み込まれるか、あるいはオプショナルとして、必ず掲載されています。ヨーロッパ鉄道の旅も終盤を迎え、残るはあと3日間のパリ滞在。ユーレイルパス有効日のラストは、このモンサンミッシェルを日帰り観光することになりました。

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 観光ルートは、パリ…鉄道(TGV)…レンヌ…バス…モンサンミッシェルの往復コース。パリ・モンパルナス駅9時05分発のTGVに乗車。ブルターニュ地方の中心都市レンヌまで365km、2時間の鉄道旅です。TGVはパリを出ると、地平線まで続く、なだらかな田園地帯の中を進みます。ときおり遮るポプラ並木、そして、赤茶色の屋根に石壁の村落が、遠くに通り過ぎて行きます。イル・ド・フランスの、のどかでそして、穏やかに広がる美しい大地。ゆったりとしたソファーにくつろぎながら、車窓を眺めるひとときは、列車旅の幸福感を感じさせます。レンヌまでの国内線TGVは、車体こそスイス・フランス間の国際線と同じ一次型車両ですが、1等車の座りごこちはとてもソフトで、シートにも厚みがあり、リクライニングの動きもたいへんに滑らか。天国にいるような心地よさです。

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 大聖堂のある町シャルトル、24時間自動車耐久レースで有名なルマンの町を過ぎると、レンヌに到着。ここからモンサンミッシェルまでは、バスで約1時間半の道程です。料金は、10.1ユーロ(約1,700円)。モンサンミッシェル行バスターミナルは、黒い石の彫像の立つレンヌ駅玄関の右手にあり、日本から来た大勢のフリー旅行者がバスを待っていました。モンサンミッシェルへの日帰り観光は、TGVが着くレンヌからバス利用のコースがベスト。日本のガイドブックも、ほとんどこのコースを紹介しているようです。

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 パリを出発する時は、雲ひとつもない快晴だったのですが、モンサンミッシェルに着く頃は、今にも泣きそうな曇り空。バスを降り、島の入口の門をくぐったあたりで、大粒の雨が降りだしました。修道院を登る参道の土産品店で、皆さん、簡易なレインコートを購入。ところがこれは、薄いビニールを広げ、頭に被せるだけの代物なのに3ユーロ(約500円)と高い!この話題は、帰国時まで続きましたね。有名なブラール叔母さんのオムレツは食べられませんでしたが、大天使ミカエルの修道院は時間をかけ、ゆっくり見学することができました。
 パリへの帰途、乗り収めの列車なるTGV車内では、鉄道旅の思い出話に、みなさん盛り上がっていました。パリに近づき、列車のデッキに立っていると、隣のデッキでは仕事終わりの乗務員が、口笛で「パリの空の下」を吹いていました。私のヨーロッパ鉄道旅は、いつもパリから出発し、パリに帰ります。このメロディを聴くと、故郷に帰る安堵感に包まれます。そして、パリの街のざわめきがわくわくと伝わってきます。そういえば昔、列車が東京に近づく時に、鉄道唱歌が流れ、わくわくした時代がありましたね!

パート15につづく

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2007年10月28日

『風林火山』第43回「信玄誕生」

 今回は晴信が出家してようやく「信玄」になります。史実では永禄2年(1559)なので、時代的には整合性があるのですが、原作の信玄の女を戒めるものが、甲斐・信濃の領民を慈しめるための出家では、いささか偽善っぽさが残ってしまいます。そして信玄と一緒に勘助は「道鬼」、真田幸隆は「一徳斎」、原美濃守は「清岩」とそろって坊主になるわけです。
 リツを養女にしたまま、相変わらずのドタバタ漫才。幸隆は勘助に「親の慈愛があるか」と図星をつき、「次男・三男はやらん。妻にしてしまえ」と云う始末。勘助はリツを太吉の婿にしようとするが、リツは拒否。勘助は「伝兵衛でもよいのか」と怒り出す始末。たしか勘助の嫡男で長篠の戦いで戦死する山本勘蔵信供は弘治2年(1556)生まれとなっているし、寿命まであと2年しかないのに、いったい勘助の子はどうするのでしょうか。それともやはり養女にしたリツに婿を娶らせて跡取りを生ませるのでしょうか。それでは全国で山本勘助の子孫を名乗る人に申し訳ないでしょうに。
 あと今回の見どころは第三次川中島合戦のあと、さりげなく信濃豪族の市河氏に書状を出していました。これが勘助の実在の証明する「市河文書」となるわけですが、だったら「菅助」と字を間違えてほしくないものです。まあ、当時は編集技術などありませんから仕方ないのですが。

 史跡紀行はまったく関係のない山梨県甲州市の放光寺と恵林寺を紹介していました。甲州市は既出ですし、物語とはまったく関係ありません。今回は舞台が苦しいにしろ、なんでこんなところを紹介しますかね。おかげで写真もスタンプもなしです。すいません。

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2007年10月30日

「鉄道博物館」THE RAILWAY MUSEUM

御料車や蒸気機関車など36両の実物車両
集められた鉄道アイテムはなんと58万点!

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 鉄道の日(10月14日)にオープン、JR大宮駅から埼玉新都市交通ニュ-シャトルで一つ目の、鉄道博物館駅(旧大成駅)で下車して改札を出るともうそこが入口である。旧「交通博物館」から移設した、D51が出迎えてくれる。

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 館内は「エントランス」「コレクション」「ラ-ニング」「パ-ク」という5ゾ-ンと「ノ-スウイング」から構成されており、エントランスゾ-ンとノ-スウイングの間を「ミニシャトル」がアクセスしてくれて人気の一つとなっている。車両の展示だけでなく、日本の鉄道歴史年表、数々のコレクション、鉄道の原理や仕組み、シュミレ-ション体験など訪れる者を飽きさせない。

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 日本最大のHOゲ-ジ模型鉄道ジオラマは、解説付きでゆったりと見られるナレ-ション付である。総延長1400mにおよぶ線路を、山手線、埼京線などの在来線から、寝台特急カシオペア、SL、伊豆急踊り子号、新幹線のぞみ、こまち等々が駅のホ-ムを次々に発車していく。朝の始発、昼間から夕景、夜景の走りと一日の移り変わりが楽しめる。

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 疲れたら小休止、昔懐かしいレストラン「日本食堂」がある。メニュ-も思いでのカレ-、ハヤシライス、カツサンドなどで売り切れてしまうことがしばしばらしい。ミュ-ジアムショップに立ち寄れば、肩のぶつかるほどの盛況で、ミニチュアや様々なグッズが処狭しと陳列されている。鉄ちゃん、鉄子ならずとも大人も子どもも一日中楽しめる博物館である。
「Teppa倶楽部」(てっぱクラブ)という会員組織づくりも進められており、年間フリ-パスやその他の特典を設けている。新しい鉄ちゃん、鉄子の誕生をみるであろう。

DATA  開館10~18時
      休館火曜日・年末年始(除特別開館日)
      入館料 大人1000円 小中高生500円 小児200円
          団体・障害者割引制度有
      問合せ TEL 048-651-0088
          http;//www.railway-museum.jp/

投稿者:菊地正浩
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2007年11月01日

鉄道で巡るヨーロッパ心の旅15

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 鉄道で巡る心の旅も、締めくくりは起点の街パリです。異国において周遊して最初の街に戻るコースは、とくにその街への親しみが湧くものです。パリは初めて訪れる人には、不思議な懐かさを感じさせ、再び訪れると、なぜか安堵の溜息を漏らさせる街。同行の皆さんも、パリの街並みを見て、ホッ! としたようです。美しい歴史ある街の景観は、いつ訪れても変わらない。鉄道駅やメトロ、バス停やホテルなど、人々の集ういたるところで漂う、甘い香水の香り。私も初めて訪れて以来、この香りを嗅ぐ度に、パリに来たんだなあ、という実感に包まれます。

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 作曲家・黛敏郎さんの、パリを唄う詩の一節に、
「どんなにみすぼらしい恰好にも、誰も妙な顔をしない、そして、どんなに金をかけた盛装にだって、誰も振り向いてはくれない。パリは自由そのものである」
という、語りがあります。パリは古き伝統ある街並みに、斬新さが、どこよりも風景に馴染み、そして溶け込んでいく街。パリの人々は、誰もが自由に、自分を表現して生きています。私自身、人目を気にする性質なので、パリは最高に気ままに動ける街です。

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 パリ市内観光は、こんな自由なパリを肌で感じてもらおうと、案内役の私の一存で、リヨン駅近くのホテルから、セーヌ河に沿って、ノートルダム寺院、サンジェルマンデプレ、ルーブル美術館、そしてシャンゼリーゼ、エトワール凱旋門まで、約10㎞の道程を歩きながらの散策でした。快晴の空に、突然の激しい雨が降る、気まぐれな天候の中でしたが、ゆったりと充実したパリ巡りでした。
 ヨーロッパの旅の終わりに語ってくれた、みなさんの鉄道旅の感想ですが、パリから始まり、ベルギー、ドイツ、スイス、イタリア、そして、フランス・パリまで、5カ国を周遊し、移動距離は約5,500㎞。これは札幌から鹿児島を往復するぐらいの距離です。タリス、ドイツICE、スイス・チザルピーノ、イタリア・ユーロスター、フランスTGVなどの豪華高速列車や、ローカル列車を乗り継ぎ、言葉の壁を越えて、気軽に各地の人々と触れ合えたこと。鉄道ならではの心に残る旅ができ、たいへん感動した様子です。ヨーロッパ鉄道・心の旅は、今回で終了です。私もまたヨーロッパへ、新たな心のふれあいを求めて出発します。それでは次回をお楽しみに!

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次回のヨーロッパの旅へつづく

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2007年11月04日

『風林火山』第44回「信玄暗殺」

開いた口が塞がらない茶番劇とは今回の物語です。
宇佐美定満が平蔵を使って今川への使者に立ち、出家した頼重の遺児・寅王丸に信玄の殺害をうながす。平蔵が駿河に出る前に妻のヒサが「無事ですまないし、それでは平蔵が寅王丸を殺すことになる」と図星をつく。この図星にしたいがためにこの可能性の低い暗殺劇をしかけたのでしょうか。だったら定満が従える軒猿でも使ったほうが確率は高いでしょうに。
本来の寿桂尼だってこんなアホなことは考えないでしょうに。寿桂尼は出家して長笈を名乗る寅王丸に「父はそなたが継ぐと思って自害した。姉は殺されたも同じじゃ」などといって寅王丸をそそのかすくせに、援助は全然しない。武芸の心得もない寅王丸が信玄を暗殺できると思ったのでしょうか。しかも寅王丸は家族のいる平蔵を退かせ、単独で実行しようとする無計画さ。
御琴姫に近づいて話をするといったって、偽名も使わず長笈を使うものだから信玄は最初から知っているし、肝心の平蔵は寅王丸を連れ出したにもかかわらず、太吉と源助に見つかり、挙げ句、ヒサの図星に気づき「寅王丸を助けてくれ!」と勘助に言い出す始末。だったら最初からこんな計画にのらなけれないいのに。で、肝心の寅王丸はもちろん失敗。せめてここで成敗されていればまだましだったのですが、なぜか信玄は不動明王の前に寅王丸を連れていきます。ここでいきなり義信がしゃしゃり出て、寅王丸は「すべてをさらけ出す」などアホなことを言い出す。いや、いっそのことすっぽんぽんになればいいものを、不気味に義信に近づき、義信の短刀を奪って襲いかかり、それをかばった萩乃が死亡。それでもなお、まだ成敗せず、信玄は「寺に閉じ込めておけ」と言ってるし、太吉は平蔵に家族がいるからと逃がし、勘助はぶん殴るだけ。あ~、こんなくだらん暗殺の企てに1話を使ってしまうとは。まだ勘助とリツのラブコメにしたほうが……。だから子どもはどうするんだよ勘助!

史跡紀行では山梨県甲府市の甲斐善光寺と東光寺を紹介していました。東光寺は行けなかったのですが、甲斐善光寺は昨年8月に取材していますので写真とスタンプをUPできます。お寺でも御朱印以外に参拝記念スタンプがあります。宝物館もあるし、門前には茶店もあってなかなかの賑わいをみせています。甲斐善光寺へはJR身延線の善光寺駅が最寄ですが、ここは無人駅なのでスタンプはありません。その代わり中央本線酒折駅は甲斐善光寺を印影にしています。善光寺駅から徒歩10分、酒折駅からでも徒歩15分ぐらいでしょうか。東京方面から向かう場合、甲府で身延線に乗り換えるより、酒折駅のほうが便利でしょう。

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2007年11月06日

ふるさと心の旅

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 ふるさと心の旅、今回は私の故郷静岡県由比町にある景勝地、薩埵(さった)峠を紹介します。
「トンネルを抜けると突然、窓越しにはまばゆいばかりの青い海が広がり、そしてその向こうには、覆い被さるように堂々とそびえる富士山が…… 」
 東名高速道路なら、静岡から上り線薩埵トンネルを出たとき、JRなら東海道本線興津駅から上り薩埵トンネルを出たときに、お天気次第で前方に写る光景です。峠はトンネルの出口付近の頭上、薩埵山を通る旧東海道の峠をいいます。
 薩埵山はその昔、南北朝時代の『太平記』では足利尊氏とその弟直義とが戦い、戦国時代は武田信玄・今川氏真・北条氏康らが、三ツ巴の争いを繰り広げた戦いの山です。東海道の難所薩埵峠は、鎌倉時代の『海道記』に、北国の道中にも此の名ある、親不知子不知の話に名高く、「ここを通る時は、親も子を返り見る暇なく、子も親を頼りにすることができない」と語られる峠です。険しい峠ゆえに、見渡す景色は美しく、山部赤人の『万葉集』で「田児の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」と当時、興津から原までを広く、「田子の浦」と言っていた頃、赤人が険しい薩埵峠越えで、開けた眺望に感激して、この詩を読んだと言われています。残念ながら、『東海道中膝栗毛』に登場する弥次さん喜多さんは、ここ倉沢の海岸で獲れた、鮑やサザエに舌包みをうっている間に大雨になり、美しい景色も見ずに急ぎ足で、興津の宿に下ったようです。安藤広重の五十三次の由井の風景は、この薩埵峠から見た駿河湾と富士を描いていますね。

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 峠の下は海岸線すれすれに、国道1号線、東海道本線など、日本の大動脈が通っています。当時、ルート選定で、山岳地帯は工事難と多額の経費がかかるため、海岸線に決定しました。鉄道に至っては明治21年(1888)1月から由比海岸の工事が始まり、翌22年7月東海道本線東京~神戸間全線開通。ちなみに東京~大阪間の旅行費用は、明治初年の頃は、かご賃や宿賃その他で、11円36銭(約14万2000円)、鉄道開通時の明治22年は、わずか3円33銭(4万2000円)で、所要20時間余りだったそうです。当時、酒1升は約12銭でした(鉄道料金は、酒1升1500円として換算。ただし、当時の価値観は定かではありません)。
 現在は新幹線に多くの客が移り、ローカル色が濃くなった東海道本線ですが、以前は峠の下、山下海岸を壮大な富士山をバックに、国鉄の花形列車が走る姿は、絵の世界そのものでした。

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 今でもこの海岸は、鉄道写真のベストロケーション。富士山が見える晴れた日には、数少ないブルートレインなどの撮影に、多くの鉄道ファンが線路脇で、カメラを構えています。薩埵峠へはJR由比駅下車。駅前の旧国道を西へ200mほど進み、山側に折れると、寺尾・倉沢の集落のなか、旧東海道を約3キロ半、ゆっくり1時間のハイキングコースです。自動車でも小型車なら、倉沢の西端からの急坂と、狭い道に注意すれば、峠の近くの駐車場まで行けます。峠までの道は整備されていますが、周りの景色は昔のままです。由比名産のビワとミカンの実る道を、広重の世界へ歩きませんか?
※インターネットの由比ライブカメラで薩埵峠をいつでも見れますよ。

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2007年11月11日

『風林火山』第45回「謀略!桶狭間」

前回に引き続きあぼ~んなシナリオの謀略にとうとうアゴが落ちました
 前回で成敗されればよかった寅王丸は、幽閉先の寺から逃亡して討ち取られますが、二度も襲い掛かった危険人物への警備ってそんな手薄なのですか。戦国の世に平和ボケも甚だしい。
 で、今川だって寅王丸が信玄暗殺に失敗したのに、何も警戒しないのでしょうか。謀略というぐらいだから、勘助忍者説にちなみ、桶狭間で義元の居場所を信長に教えるかと思えば、ただ義元に進言し、義元を怒らせて逆の行動をとらせただけ。寿桂尼だって勘助の二度目の訪問前に普通気づくでしょうに。で、川中島で予算かけるためなのか、桶狭間の戦いを入れると川中島がボケてしまうのを恐れたのか、戦いのシーンや義元が討ち取られるシーンはまったく出てこない。たしか桶狭間は野営していたはず。なのに屋敷にいて晴れたところをいきなり鉄砲で襲われるとは本当に警備怠慢なドラマですな。
 肝心の信長も出てきません。この脚本家、これまでの信長・秀吉・家康のワンパターンから脱却したいのか。その心意気は認めますが、オリジナルでかえってくだらなくなるのだったら、こんな1話「義元が討たれました」で終わらせなさいっちゅうの。この脚本家を調べてみたら僕と同年代の若さで、妙に『三国志』のエピソードにこだわるのはそのせいかもしれません。各歴史家の先生方が怒るのも無理ないでしょう。あり得ないことですが、もし僕がシナリオを書くとしたら監修者なり時代考証家などに意見をうかがいます。なんかこの脚本家、独断でくだらないシナリオをつくってしまったような気がします。周囲の意見をきかないのは今川義元でなく、あなたでしょうに。

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 史跡紀行では愛知県名古屋市・豊明市・豊川市を紹介。桶狭間古戦場は名古屋市緑区と豊明市の2つの説があり、どちらで義元が討たれたのか結論は出ていません。大体は中京競馬場前に近い桶狭間古戦場のほうが紹介されるようですが。高徳院にあった桶狭間古戦場資料館は2004年に閉館されてしまい、市で受け継ごうとしないやる気のなさには呆れます。今回の桶狭間古戦場は豊明(写真左)と名古屋(写真右)の両方行きましたので写真はUPできますが、スタンプがありません。JR牛久保駅は下車したのですが、大聖寺はいけませんでした。牛久保駅には勘助のスタンプができたようです。

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2007年11月12日

東伊豆町(稲取)の風力発電1

富士箱根伊豆国立公園内の観光地、東伊豆町で、クリーンな新エネルギー導入か、自然環境、植生、生態系の維持、騒音・低周波公害から守れるか。行政と事業者VS風車問題を考える住民の会が、是か非かで揺れている。

観光地におけるウインドファーム(風車牧場)の是非を問う
 10月16日(火)、旅ジャーナリスト会議有志メンバーは実情を調査するため稲取に行き、現地視察と取材を行った。結果、筆者は観光立国を宣言した我が国が、貴重な観光資源を失うことになりかねない、即ち、自然景観・植生・生態系等の連鎖的崩壊かつ、観光に携わる地域住民の人的被害を勘案すれば、東伊豆町でのウインドファーム(風車牧場)は似合わないと思う。以下、いくつかの問題を提起して考察しその是非を問いたい。

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地形図でウィンドファーム建設予定地を見る。○印は浅間山、天目山、三筋山、大峰山(国土地理院発行:5万分の1) 

○東伊豆町とは
 静岡県賀茂郡東伊豆町、伊豆半島の東岸、相模湾に臨む町。北は伊東市に接し、昭和34年(1959)5月3日、稲取町と城東(きとう)村が合併、現在人口1万4745人。眼前に大島が望める漁業の町で、伊豆半島最大の漁港といわれた稲取港をはじめ、大川、北川(ほっかわ)、白田(しらだ)の各港があって、半島随一の漁獲量を誇る。後背地は天城山へと連なる山岳地帯で、ミカン、山菜、ワサビ等の名産地として知られる。
 もともと豊かな資源に恵まれた土地であったが、大川、北川、熱川、片瀬、白田、稲取の各地に温泉が湧出、昭和36年(1961)には伊豆急行が開通し、レジャーブームに乗って新興温泉町へと変貌していった。明治19年(1886)大日本帝国陸地測量部発行の地形図、昭和22年(1947)内務省地理調査所発行の地形図、いずれを見てもこの地域での温泉地図記号の表記されている所は、片瀬のみ1カ所である。国土地理院発行の最新の地形図を見ると十数カ所におよび、いかに戦後になって温泉観光地へと変貌してきたかが判る。海岸線一帯は磯釣、船釣、山岳地帯は狩猟やミカン、オレンジ、イチゴ、山菜、ワサビ、熱川バナナ園、ワニ園、ゴルフ場と観光資源も揃い別荘地も点在している。
 江戸時代には伊豆の各地で採石が行われ、稲取などからも江戸、大坂城修復用の石が運ばれた。白田では江戸中期から硫黄を採掘、公害訴訟も起こった。隣接には河津桜で有名な河津温泉郷から天城路へと続き、東伊豆町はこれらの玄関口ともなっている。

misujiyama1.jpg三筋山

○東伊豆町における風力発電計画とは
 既設の浅間(せんげん)山(516m)3基、19年度完成をめざし建設中の通称天目山(箒木〈ほうき〉山1023mの手前天目地区約5~600m)10基、風況調査を実施し補助金採択がされた三筋(みすじ)山(821m)と大峰(おおみね)山(491m)に25基。計画通り完成すれば合計38基、高さ100mの巨大風車が伊豆半島の観光地に出現することになる。我が国の国立公園内観光地に、これほどのウインドファーム(風車牧場)は他に類例を見ない。当然のことながら色々な影響が考えられよう。この建設の是非をめぐって行政・事業者側と風車問題を考える住民の会が対立し揺れているのである。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月13日

東伊豆町(稲取)の風力発電2

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○建設地域の環境と現況
 富士箱根国立公園内の観光地で、箱根仙石原をはるかに凌ぐ大草原には、県文化財指定の細野湿原が拡がる。背後には天城高原をひかえ、眼前には伊豆七島の眺望が広がる一大パノラマの絶景地である。標高821mの三筋山はパラグライダーの聖地とも言われる。細野湿原には兎や鼠などが棲息している。この湿原をめぐり動植物の生態系が維持されており、例えば我が国の保護鳥、オオタカが各地から飛来して兎や鼠を獲りながら、ある程度の集団に集結すると台湾へと飛び立って行く基地にもなっているという。
 三筋山から下方へはスコリア層(岩滓〈がんさい〉といって玄武岩質の黒っぽい色をした軽石)があって、雨水を浸透させ長い時間をかけて地表に湧出させるという熊口水源を有し、麓の住民は永年にわたりこの良水を利用生活している。また、水源を守るために植林などをして手厚く保護してきた。こうした微妙な自然のバランス上に細野湿原はあり、永年、人・動物・植生に好影響を与えてきたのである。実際にこの水を飲むとまろやかで美味しいし、コーヒーを沸かすと一味も二味も違った。また、東伊豆町だけではなく、分水嶺である三筋山の尾根、反対側は河津町であり、河津温泉郷や天城の観光地でも他人事とは言えない地域なのである。

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画像提供:EyesPic

○巨大風車建設により考えられる影響
 自然環境破壊、とくにこの地域の観光資源に大きな影響を与えることは必然であろう。尾根が削られ、森林が伐採されて6m幅の道路が新設されるし、スコリア層の熊口水源や樹木の伐採、草原の破壊などは動植物に与える影響は大きいと考えられる。分水嶺である三筋山に巨大風車を林立させれば、単に自然景観を壊すのみならず自然のバランスを崩し、水源・湿原を枯れさせて洪水の危険すら予想される。当然兎や鼠も棲息できまい。ということはオオタカも集結して台湾へと飛び立って行けなくなる。植生、生態系の維持ができなくなると予想されるのである。また、着工中の天目山にいたっては、天城高原万二郎岳の山続きでシヲヌタの池・モリアオガエルの生息地として有名な場所の近くでもある。人体への影響も当然発生する。人家や別荘地も近くて予想される騒音のほか低周波の被害が考えられる。
 これまでにも、全国各地で建設された風車による人体への被害は、公害訴訟として争われているところもある。単なる騒音だけでなく、頭痛や耳鳴り不眠などの健康被害が報告されている。水源が汚染されたり、枯渇したりするようなことになれば、日常生活にも影響が出るし、自然環境・景観の破壊は地元のみならず、伊豆半島全体の観光に影響をおよぼさないとは言い切れまい。巨大建造物である風車は耐用年数が17年とも試算されている。17年が長いか短いか、20年後くらいには巨大なゴミとして誰が、何時、何処の負担で撤去するのか、放置されていることはないであろうか、いまだ明確にはなっていないようである。そして一度破壊された自然環境と景観は、撤去したとしても復元できないことは明白である。

パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月14日

東伊豆町(稲取)の風力発電3

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○まとめ
 伊豆半島に限らず観光地への風力発電、とくに多数林立するウインドファーム(風車牧場)建設は慎重であって欲しい。すでに南伊豆町にも1基設置されているが、景勝地石廊崎にも計画されているという。南アルプスの眺望できる長野県伊那市では、市長の勇断により反対を表明された。このたびの伊豆半島ではどうしたのであろうか。町長自らが建設を推進しているという。地元の人が反対するのは当然のこととして、静岡県観光協会、東伊豆町、北川、熱川、片瀬、稲取温泉観光協会、自然保護や野鳥関係などはどのように考えているのであろうか。また、行政・事業者・地元住民は勿論、経済産業省(資源エネルギー庁)、観光の国土交通省、自然保護や騒音の環境省、公害問題の厚生労働省などや産業界など各界有識者、学識経験者によるシンポジウムを開催して、目に見える是非論の展開をするべきではなかろうか。そのうえでの建設推進・反対論と言えるのではないだろうか。
 旅ジャーナリストからすれば観光資源を護り、観光振興を図る立場にある。ましてや我が国は観光立国を宣言して、2010年には外国人観光客1000万人招致を国策としている。このため観光庁の新設まで検討しているという。今や流れは、持てる自然観光資源をいかに護っていくか、各地では世界遺産登録をめざしている時代である。クリーンな新エネルギー推進という錦の御旗を掲げ、観光振興に反し伊豆の宝を未来に残すことができなくなる恐れがあるので、筆者としては反対の立場をとらざるを得ないであろう。独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(通称NEDO)は新エネルギー導入促進事業2007により、いろいろな導入の手伝いをしている。もとより筆者とてなんでも反対するわけではない。地球温暖化対策に基く新エネルギー風力発電の意味するところは充分承知している。その上でなおかつ国立公園伊豆半島でよいのですか、と是非を問いたいのである。オオタカよこれからも東伊豆に集結し、台湾に飛び続けろ。こう願うのは筆者だけであろうか。
おしまい

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波崎ウィンドファーム(株) 平成16年3月竣工 12基 高さ:64.5m プロペラ直径62m ドイツ製
茨城県神栖9基・波崎20基・千葉県銚子29基。犬吠埼を中心に、利根川をはさんで約60基のウィンドファームは日本一の規模を誇る。
写真左は波崎、写真中央は銚子港、写真右は九十九里屏風ヶ浦の景勝地

コラム  風力発電について
 1990年代から地球温暖化問題に伴って各国で風力発電の導入が盛んになった。ドイツ、スペイン、アメリカ、インド、デンマークなどを中心に6000万kwを超えている。いまや世界の風力発電設備は原発60基分にも相当するといわれている。クリーンエネルギーに対する意識とヨーロッパという地理的条件にもより、導入が盛んであったが自然環境保護や騒音などの人的公害を重視して、現在の設置基準は厳しく制限されたものとなっている。日本でも、1990年代後半から急速に増え、2006年6月現在での設備要領は120万kwを超え、ジャンボジェット機の翼幅と同程度の直径60mを超える巨大風車が、1000基以上も回っていることになる。風車にも種類があるが、大型発電用には水平軸のプロペラ型である。このような風車を風の強い場所に集中的に設置することからウインドファーム(風車牧場)と呼ばれる。導入以来全国各地でいろいろ問題も発生していることは事実である。我が国は山岳丘陵地が多く、陸上での風車設置の適地が限られているので、今後は3万㎞を超えるといわれる長い海岸線の沿岸を利用して、洋上風力発電を展開することが予想されている(日本国際地図学会シンポジウムより)。

投稿者:菊地正浩
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2007年11月15日

中仙道武州蕨(わらび)宿「宿場まつり」1

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24年前蕨宿中仙道の活性化を目的に始まった「宿場まつり」は、年々盛大になり今年は約10万人の人出で賑わった。同時に中仙道六十九次宿場の「宿場会議」も開催され、記念として荒川では往時を偲び木造船による「戸田の渡し」を復活、訪れた観光客の人気を得た。

○はじめに
 蕨市とは、埼玉県南部に位置し荒川左岸の沖積低地。市名の由来は平安時代の初め、第51代平城(へいぜい)天皇の孫で六歌仙の一人、伊勢物語の主人公と言われた在原業平(ありわらのなりひら)が武蔵野に来たとき、日も暮れて道に迷った際、立ち上る白い煙に人家を見つけて泊めてもらった。寒さ凌ぎに一晩中稲藁の火で暖をとってくれたと言う。未だ里の名がないところから、これからは「藁火の里」とせよと名付けたと言う。
時代を経て室町時代の中頃、渋川義鏡が関東に下向し城主となったが、藁火城では城に火の字がつくのは良くないと考えた。そこで先祖の地、上毛渋川郷蕨山の地名と、この附近一帯に生える「さわらび」から「蕨城」と名付けたとされる。
わらび、ぜんまい、左巻きと言って春の山菜として知られる。平地ではあるが小高く日当りの良いところに群生し、古代からわらび粉等にしても食して来た。古くはアイヌ民族の長が帯びている短刀の柄に、わらびの紋様がほどこされており、この短刀を「わらび手刀」と称している。

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 昭和34年(1959)4月1日、蕨町が単独で市制施行した。我が国で面積がもっとも小さく、現在の人口約7万人は人口密度日本一としても知られている。毎年1月に全国で行われる成人式は成年式として蕨が始めた発祥地であり、現在でも成年式としている。また、地図上では長野県伊那市と同緯度の、北緯35度49分であることは知る人ぞ知るである。地勢は平坦で江戸時代には中仙道第二の宿場町となり、本陣2、脇本陣1、旅籠23が整えられ、旅人で賑わう一方、物資の集散地として栄えた。江戸後期の文政8年(1825)塚越村の高橋新五郎が高橋機という織機を考案、木綿織物の生産を広め、昭和35年(1960)錦織物の双子縞が開発されてから。昭和初期まで織物の町として発展した。現在でも8月の七夕まつりは「機まつり」と称しており、近郊からも見物客で賑わう。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月16日

中仙道武州蕨(わらび)宿「宿場まつり」2

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●盛大になる宿場まつり
 11月3日文化の日、往時の名残が見られる旧中仙道では恒例となった「中仙道武州蕨宿宿場まつり」が盛大に行われた。地元や近郊の見物客約10万人とも言われる人々でごった返した。年々趣向を凝らしてきたが、今年は第21回中仙道宿場会議蕨宿大会も同時開催され、132年ぶりに木造船「戸田の渡し」も復活し好評を博した。
「戸田の渡し」とは、江戸時代荒川には防衛上橋は架けられず、人も馬も木造船を利用し渡っていた。明治8年(1875)5月になって戸田橋ができてから、戸田の渡しはなくなった。今回、中仙道宿場会議の蕨宿開催を記念して、木曾街道六十九次に描かれている蕨宿の錦絵「戸田の渡し」を再現したのである。その他本陣跡と歴史民俗資料館を中心とした各会場では、色々なイベントが花を添えた。蕨南町太鼓の会、須賀町鼓笛隊、南小学校・第二中学校吹奏楽部、ミス宿場小町、織姫道中パレ-ド、サンバパレ-ド、子どもたちによる中仙道六十九次パレ-ド等々盛りだくさんのイベント、アトラクション満載の1日を楽しんだ。

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●おわりに
 来年は25回記念になり、地元の実行委員会を中心に色々なアイデアで盛り上げてくれるであろう。かくいう筆者も蕨ロ-タリ-クラブという奉仕団体の一員として安心・安全まちづくり防犯パトロ-ルのミニパトカ-と警察の白バイにも協力してもらい、子どもたちに乗ってもらい、ポラロイドカメラで記念撮影、その場で写真をプレゼントして大変喜ばれた。一方姉妹提携の群馬県片品村からは産地の農産物などを持ち込み即売、その他の団体でも様々なバザ-やフリ-マ-ケットで好評だった。
 だが、課題も感じられる。旧中仙道という狭い道路で歩行者天国を実施しての行事であるが、まつりとなると相も変らぬたこ焼き、焼きそばなど定番の屋台が所狭しと出店し興を副いでいる。往時を偲ぶ折角の「中仙道蕨宿宿場まつり」が、どこのまつりにでもある屋台がはびこっては先行きが思いやられる。今のうちに対策を立てこれぞ「宿場まつり」だといわれるようなものにしないと、リピ-タ-が減少し衰退していかないであろうか。このような危惧を抱くのは筆者一人であろうか?

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2007年11月18日

『風林火山』第46回「関東出兵」

『風林火山』も最終回までカウントダウンが近づいてきました。テレビこそタイムリーで観たものの、来年の大河ドラマ『篤姫』関連本はかきいれ時で、まったくUPしている時間がとれませんでした。師走も近づきますます慌しくなる時期で、各先生方の大河ドラマ批評も出足が遅れている模様です。
今回はようやく四郎が元服し、勝頼となります。勘助は海津築城にとりかかり、勝頼を城に入れようとしますが、高坂昌信は「城を打って出ててはいけない」といいます。で、高坂は34歳になるにに独身(?)のようで、勘助はリツをすすめるようなふくみをもたせますが、どうなるのでしょうか。
で、景虎改め政虎の関東出兵。関東管領の威光もあったのか、あっという間に10万の軍勢に膨れ上がり、おごりが生じます。今回は忍城主の成田長泰とのエピソードに時間を割いていました。長泰の妻伊勢は政虎の母虎御前に似ていることで人質としますが、これは謙信が恋をしたという上野国平井城主の千葉釆女の娘・伊勢姫から引っぱっています。で、小田原を包囲しますが城は落ちず、政虎は城の前で一人酒をかっ食らう始末。で、鎌倉の鶴岡八幡宮で関東管領に就任したのすが、その帰り居並ぶ諸将は皆拝礼をしていますが、長泰だけは下馬もせず馬上から謙信を見ています。これに怒った政虎は長泰を打ち付けます。なぜ長泰が下馬しなかったかというと、これもエピソードがあるようで、藤原家の流れをくむ成田家は、源氏の八幡太郎義家に対しても馬上から挨拶をした名門だったそうです。この故事を知らない政虎は多くの武将の前で顔を打って恥をかかせたため、関東の諸将の離反を招いたとか。政虎の気性の激しさを物語るエピソードで知られています。

史跡紀行は群馬県前橋市の厩橋城跡を紹介していました。しかし、これとて物語の関連性が薄いです。成田長泰とのエピソードや伊勢姫の話を出すのであれば埼玉県行田市の忍城か群馬県藤岡市の平井城を取り上げるべきでしょう。ということで今回は菊地会員に取材してもらった忍城と行田駅のスタンプをUPします。

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投稿者:管理人
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2007年11月25日

『風林火山』第47回「決戦前夜」

 ここんところ、投稿が多いせいもあってもしタイムリーに観ていても、UPするのが21時以降、でもって日付の変わる24時には月曜の原稿をUP。だから日曜の原稿がトップに来る時間は極めて短いのですが、テレビを観たあとすぐにダウンしてしまったため、先に月曜分をUPしてから遅れてUPになってしまいました。
 忍城主の成田長泰が政虎を見限って、人質を残したまま城に戻ってしまい、政虎は人質の伊勢姫に諭される始末。情けないですね。一方、信玄は越後国境に近い野尻湖近くの割ヶ嶽城を攻略。これで政虎も越後に引き上げます。
 で、今回の手柄は河原伝兵衛ということで、『甲陽軍鑑』に出てくる甲州碁石金を三すくい信玄からもらうエピソードが出てきます。結局、これをやりたいがために勘助の従者という架空の設定にしたのでしょう。いきなり万馬券をとったような伝兵衛はそのまま葉月と結ばれています。
 一方、リツの父原美濃守虎胤はこの戦いで負傷し行方不明に、でも史実では永禄7年(1564)まで生きているのだから、とりあえず生きているとしたいですね。で、勘助はリツの婿に高坂弾正を勧め、「リツはわしの城、城取りの奥義が知りたければ娶れ」などとおかしなことを云っています。そういえばリツさん、勘助のもとにきてからもう6年くらいになるのですかね。で、結局、山本家は弾正とリツの間に生まれた男子が継ぐのか、これもおかしな話ですね。
 のちに政虎(謙信)の養子となる卯松(景勝)登場。これは再来年の『天地人』の伏線でしょうか。慈愛をもった政虎が穏やかになるのはともかく、川中島の戦いに出陣する際の衣装やめてもらえんかね。甲冑の外に見える紫色、あれではアニメのコスプレ衣装で気持ち悪いっすよ。

 史跡紀行では第30回で取り上げるべき新潟県柏崎市の琵琶島城を紹介していました。第30回の時点では中越地震があったので自粛もやむを得ないでしょう。柏崎といえばもうひとつブルボンのお菓子本社が置かれるところです。こちらはBourbon Corporation、当社はBourbon Creationで、社名は似ていますが何の関連もありません。いや本当は提携したいのですが。ということで今回は柏崎駅のスタンプをUPします。

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投稿者:管理人
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(管理人よりお詫び)菊地会員より超大作をいただきましたが、先週前半は仕事に追われUPできませんでした。長文にわたるため、明日から6回に分けてUPしてゆきます。

2007年11月26日

観光地トイレの向上について1

毎年11月10日はトイレの日である。(いいトイレ)トイレのない人は世界で26億人いるという。今年インドで開催されたワールド・トイレ大会では45カ国が参加、国際社会のテーマとして2015年までに、トイレのない人半減の13億人を目標とした。我が国では11月9日、第23回全国トイレシンポジウムが開催されたが、そのなかから観光地トイレの整備について考察してみる。

●はじめに
 平成18年12月13日、観光立国推進基本法(昭和38年の観光基本法を前面改正)が与野党一致で成立、今年1月1日より施行された。その目的や基本理念はさておき、我が国は平成19年6月29日の閣議決定を受けて観光立国を宣言した。策定された観光立国推進基本計画における基本的な目標は平成22年(2010)までに、
一、外国人旅行客を733万人から1000万人(現在世界一位はフランスの7600万人で日本は32位)。
二、日本人の海外への旅行者1753万人を2000万人。
三、国内における観光旅行消費額24.4兆円を30兆円。
四、日本人国内旅行宿泊数年間2.77泊を4泊。
五、我が国における国際会議開催168件(平成17年)を252件(平成23年)
 とした。この動きを受けて国土交通省、環境省、総務省等国の機関に加え各地方自治体が中心となって、観光振興策に乗り出した。また、新たに観光庁を創設することも検討されている。
 日本トイレ協会ではこれまでに、公共・公衆トイレ、学校トイレ、災害時トイレ等とともに、早くから観光地トイレ、山岳トイレの向上をテーマに取り組んできた。今回、観光立国宣言で観光振興の盛り上がり機運を受け、あらためて観光地トイレの向上について、シンポジウムで活発な議論が交わされた。そこで、このテーマについて旅ジャーナリストの立場から、その内容の一部を紹介するとともに、私見を混ぜ提言し関係者の忌憚のないご意見を拝聴したいと思う。

●これからの観光地トイレ
 観光地のイメージはトイレの良し悪しによって左右されると言っても過言ではない。観光地における適切なトイレの整備と管理は観光地としての必然的な課題といえ、単に排泄という問題に限らず、今や地球温暖化や節水対策、衛生問題などへの配慮が必要で、かつユニバーサルデザインやバリアフリー、メンテナンスへの配慮について欠くことは許されない状況になっている。これまでの観光地は「観光資源として何があるか」が叫ばれてきたが、これからは「観光地として何ができるか」ということの、情報提供が必要であり、観光コースとしての活動の中で最も重要な補完施設がトイレであることは論を待たない。安心・安全な観光拠点の整備を図る第一歩としても、最近の好事例を紹介しながら考察してみたい。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月27日

観光地トイレの向上について2

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●都市型観光地トイレの起爆剤となるか--情報の町秋葉原に有料トイレ「オアシス@akiba」誕生(全国より350件応募の中から区内在勤女性が命名)
 東京都千代田区は皇居を中心として、東京駅、有楽町周辺から日比谷公園、国会議事堂、靖国神社、神保町古書街、近年著しく変貌した秋葉原などを抱える典型的な都市型観光地といえる。千代田区内には30カ所にのぼる公衆トイレがあるが、メンテナンスやランニングコスト、それにもまして破壊などによる汚れ、破損が絶えず「暗い・臭い・汚い・怖い・壊れている」の5Kそのものである。千代田区まちづくり推進部では、首都東京の顔としてのイメージアップを図るため抜本的な見直しをして、平成15年に調査を開始「公衆トイレに関する検討協議会」を設置、提言を受けてモデル有料トイレの設置に踏み切った。平成18年12月16日オープン。美しいユニバーサルデザインの先端を行くトイレ、もちろん障害者、子供、乳児、オストメイト、着替え、化粧と万全な設備を整えている。また、無料のインターネット検索ができるパソコンを設置、文字通り情報の発信地秋葉原の駅前に相応しい憩いの場である。スタッフが常駐し安心・安全・綺麗を売物に公衆トイレのイメージを一新、隣りには喫煙スペースも備えている。利用料一人一回100円(小学生以下・身障者無料)、7時~22時とし年中無休。この約1年間の利用者数は7万5000人、1日当たり約200人だが、最近の利用者数は倍増している。筆者の取材時もテレビ取材の時で放映後の反響もあって増えているらしい。

●今後の展開
 千代田区の分析では概ね好評を得ているとしながらも、意見として「利用料100円の価値はある」「とても綺麗」「着替える時に便利」「支払にスイカが使えて便利」などといった肯定的な意見が多い一方、「公衆トイレが何故有料なのだ」「用を足すのに100円は高すぎる」「税金の無駄」「喫煙コーナーはいらない」等の否定的な意見もある。しかし、着実に常連が増えてきており、定着しつつあると考えている。ただ男女別利用者の問題、即ち男8割、女2割をどう考えるか、やはり女性はトイレはタダが良いと思っているのであろうか、今後の推移を見守りたい。

●有料トイレへのアレルギー
 我が国ではトイレは「タダ」という意識が定着している。もつとも江戸時代から戦後しばらくの間、農作物の肥やしにするため便所の汲み取りは、金を払い引き取っていた時代があったほどである。チップ制は当り前のヨーロッパとは異なる。千代田区内にしても公共施設、JRや地下鉄、オフィスビル、大手デパートや商業施設等トイレはタダで利用でき、しかも綺麗で快適なトイレがほとんどである。果して都市型観光地、この千代田区に限らず東京をはじめ札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、福岡などに波及できるか? トイレはタダという我が国で果たして定着するだろうか? 今後の動向が注目される。

パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月28日

観光地トイレの向上について3

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●他地区のトイレ状況
 都市型観光地で外国人観光客の多い典型的な例を紹介しよう。「浅草」である。ご承知のように仲見世から浅草寺にいたるまでのトイレ事情は、外国人ならずとも観光客泣かせと言わざるを得ない。案内板やパンフレットにトイレの位置は表示されている。でも、あればいいというものではない。設備といえば到底外国人観光客の満足のいくものではない。
 旅ジャーナリスト会議のメンバーで通訳ガイドをしているSさんの話では、仲見世を観光中トイレに入っても、あわてて飛び出してくる。そして近くのホテルへ駆け込み用を足すのだそうである。日本トイレ協会でも観光地トイレの調査を行った際、筆者も実際に浅草を調査してみたが、これでは当然だと思った。観光立国宣言、外国人観光客1000万人誘致どころではない。ほかに「上野」なども同じような状況と言える。

●国立公園での有料チップ制の現状
 我が国の国立公園は29か所208万6790ha、国土面積の5.52%ある。最近は世界自然遺産登録をめざすところが増加している。世界自然遺産というのは観光振興の観点はない。むしろ尚一層の保護の徹底が必要とされる。しかし、この趣旨が理解されずに我が国では観光振興の道具にされているという。そして世界遺産ブームとなり多くの観光客が大量かつ、季節によっては大変な混雑でピーク時対策に追われている。これは本来避けるべき事態なのである。このような意見は当然のことながら環境省や国土交通省にもある。
 一方、観光立国宣言により観光振興、観光客誘致を推進する国土交通省の観光関係部局や経済産業省などとは意見を異にする。また、国定公園56カ所、都道府県立自然公園309カ所ともなると、地方自治体の管轄となる。今年は自然公園法制定50周年、国立公園法制定から76年目を迎えており、富士山をはじめとする山岳、国立公園でのトイレ対策は喫緊の課題と言えよう。

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上高地の有料トイレ

●上高地、尾瀬にみる有料チップ制の成功例
 山岳トイレ補助金(山岳環境等浄化、安全対策緊急事業費補助)により、環境保全型トイレを整備した山小屋においては、トイレのチップ制導入や有料化を実施している。公衆トイレについては、チップ制導入箇所は少なく、成功例は上高地と尾瀬であり、それ以外は概ね赤字となっている。上高地はバスの駐車場側(マイカーは乗り入れ禁止)にある公衆トイレで、スタッフが協力金を徴収している。協力依頼金は一人一回100円。この一カ所の協力金で公園内の各所のトイレ管理、メンテナンスに充当しているのである。
 しかし、マイカー乗り入れ禁止により70万人の観光客が35万人と半減、収入も半減した。尾瀬でも60万人から33万人に半減しているという。さらにチップは硬貨であるため、集金する銀行員が背負って下山するなどの問題も抱えている。多くの観光客は「トイレはタダ」という観念を持ちつつも、上高地や尾瀬のようなところでは環境保護意識の高まりからか、チップ制は定着しているものと思われる。いずれにしろ受益者負担と行政サービスの配分について多くの課題を抱えているのである。

パート4につづく
投稿者:菊地正浩
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2007年11月29日

観光地トイレの向上について4

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秩父鉄道三峰口駅前の無料トイレ

●その他の観光地トイレ
 都市よりもローカルになればなるほどトイレを探すことが大変になる。自然観光地になればなるほどトイレの整備が進んでいないし、ピーク時対策、男女比対策も進んでいない。もちろん、和式のトイレが多く、車椅子用のトイレもない。施設管理者は利用者がどのようにトイレを使っているか把握しているのだろうか? 手の力だけで便器に乗り移れない人もいるのである。ひと昔前と格段に身長、体重も増え体格が良くなったことも考慮しているのであろうか。サービス産業としての宿泊施設で寝床とトイレは完璧でなくてはならない。だから今までの既成概念を取り除き、物事の基準を自分に置かず、関係者の意識の統一化を図ることが重要である。
 観光振興策について聞かれることがある。筆者は必ず「トイレ」のことを提案する。そのくらい満足な観光地は少ないと言える。行政も観光協会や観光関係の方々も、皆一様に頷くがそれから先一歩も進んだためしがないといっても過言でない。観光客誘致策として不可欠な一つにトイレ問題が重要ことは判るが、対策は進まないのは何故か、筆者はトイレは行政のやることと思っているところが多いことを指摘しておきたい。トイレはタダ、しかも鉄道や行政がやってくれるものと勘違いしている観光地の人たちが多い。観光振興策の一環としてトイレ問題に地域ぐるみで取り組んでいるところもある。いくつかの好事例を紹介してみたい。

京都東山観光マップ
 大規模な観光地のトイレ対策として、観光トイレマップを作成して提供している。この取り組みの趣旨に賛同する会員から協力金を集め、観光リーフレットなどのほか、地域で統一されたトイレ利用可能を示す表示を行う点や、民間協力による事例である。
千葉県銚子市トイレマップ
「どなたでもご自由に」をキャッチフレーズとして、トイレの所在地リストと場所を表示した地図を置いて配布している。ホテル、スタンド、お寺、ラーメン、寿司、市場、観光施設等々で参加54カ所にのぼる。
福島県会津若松市
 アネッサクラブ(商店街の姉さま)。地元商店街が一体となって取り組んでいる「4つのどうぞ」①お茶をどうぞ、②お荷物をどうぞ、③椅子をどうぞ、④トイレをどうぞ、である。トイレについては個人商店も含め既存施設の活用を図りサービスしている。
宮城県気仙沼市
 1995年第14回全国トイレシンポジウム開催市。早くから行政と地域住民一体となった取り組み。市役所職員、商店主、会社員、主婦などのボランティアにより公衆トイレの清掃、メンテナンスを行っている。
群馬県
 ぐんまビジタートイレ認証制度(認証マーク)。①清潔、②安心・安全、③誰でもみつけやすい、④誰でも使いやすい、⑤まちにあったものを。県内約600カ所の公衆・公共トイレを調査し、平成18年度末で約100カ所を認定した。
富山県
 富山県快適トイレ推進プラン。「いつでも、どこでも、だれでも、安心して、快適に」利用できる。「環境に配慮した」トイレの推進。富山県トイレマップの作成。「環日本海トイレフォーラム」の活動。「トイレガイドマップ」の作成。
新潟県
 観光客へのトイレをどうぞというメッセージ。「まちなか、みちなか、どこでもトイレ事業」
熊本県
 「商店街がUD事業でトイレの提供」中心市街地6商店街がトイレを無料で提供。(私たちはお手伝いします)トイレが使えますシールを店頭に掲示。

パート5につづく
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2007年11月30日

観光地トイレの向上について5

●長野県伊那市に注目
 平成18年3月、伊那市、高遠町、長谷村が合併して新しい伊那市が誕生した。同時に中央アルプスの山腹を貫いて権兵衛トンネルが開通した。これによりJR中央線、飯田線、中央高速道、長野自動車道、甲州街道、三州街道、中山道を利用した広域観光エリアが形成された。中央アルプス、南アルプスに抱かれた、伊那路が新しい観光地として脚光を浴びようとしている。さらに飯田市、伊那市、富士見町、大鹿村は南アルプスの世界自然遺産登録をめざし、すでに協議会も設置して推進を図っている。
 恵まれた自然環境を生かしながら、産業と観光振興を図る取り組みが行われているが、観光資源としては充分過ぎるくらい持っていると言っても過言でない。あとは観光立国の一翼を担うアイデア、仕かけ、取り組みなどが期待される。その一環として筆者は昨年「観光地トイレの整備と充実」に関する提案を行った。関係者も関心を持って前向きに検討している。幸い地元には立派なモデルケースがある。
「かんてんぱぱガーデン」のトイレである。南アルプスの景観を眺めてのヘルシーで美味しいかんてん料理も良いが、このガーデンのトイレはユニバーサルデザイン、メンテナンス、数ともに申し分ないと思う。きっとリピーターも多いことであろう。春には高遠城址公園の桜が有名で、多くの観光客で賑わうがトイレ対策もさぞ苦労していることであろう。今後、伊那市が南アルプスの世界自然遺産登録をめざす上からも、総合的な観光地トイレの向上にどう取り組んでいくか注目していきたい。

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長野県伊那市、中央構造線分杭峠の磁場ゼロ地、浄化槽式有料エコトイレ

●観光地トイレの今後と対策
 前述のごとく観光地といっても東京のような都市型や上高地・尾瀬といった国立公園型では大きく異なる。なかでも、国立公園や自然遺産地域での維持管理やコスト負担のあり方が大きな課題となっている。このため有料チップ制や指定管理者精度の導入等が模索されている。また、地球温暖化やCO2削減は、トイレの分野においても処理レベルの維持を図りつつ、省エネ化や節水化が進められている。
 世界では今や6㍑便器は当たり前の時代であるが、日本では依然として10~13㍑便器を使用している。1回に流す水の量が世界に比べて倍であり、いくら水の豊富な日本だといっても、世界からは無駄遣いと言われている。「受益者負担の原則」がある一方、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」第五条には、「清潔の保持は市町村固有の業務」が定められている。今こそ、誰がどのようにして負担すべきなのかが問われている。

●観光地トイレの印象は観光地全体の印象に影響する
 いわゆる「暗い、臭い、汚い、怖い、壊れている」の5Kが印象の悪いトイレであり、かつ外国人観光客ならずとも、近年は洋式、水洗、乙姫と広さが求められている。観光地トイレに関するアンケート調査によっても、①清潔、②メンテナンスが良い、③ユニバーサルデザイン対応済。であり、悪いトイレは①不潔・臭気、②便器の数が少ない、ピーク時対策がとられてない、③メンテナンスが悪い(トイレットペーパーが無いなど)である。印象の良いトイレにするためには設置者の悩みもある。①メンテナンス②落書き、いたずら、破壊、③利用者マナー、④維持費の財源、などがあげられる。

パート6につづく
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2007年12月01日

観光地トイレの向上について6

●解決策は
一、 これまで述べてきたように観光客誘致には地域ぐるみの取り組みが必要であり、行政や観光施設、業者などだけが携われば良いというものではない。事例で紹介したように、地元商店街や市民団体、ボランテアなどによる協力体制が必要で、これに取り組んでいる観光地のトイレは良い印象を受けている。
二、落書防止や破壊防止等に安心・安全街づくりとして地域ぐるみで取り組んでいる。
三、ピーク時対策や男女比対策にも取り組んでいる。
四、様々なトイレのタイプ(処理方法)にも積極的に取り組んでいる。例えば、浄化槽方式、浄化循環式、コンポスト処理(バイオトイレ)、焼却式、土壌処理、汲み取り、また災害時トイレで活躍する仮設トイレなどである。
五、重要な財源であるが現在のところ我が国では、環境省、国土交通省、経済産業省、財務省、総務省それぞれが縦割りで、各々トイレの重要性は認識しつつもその域を出てはいない。大幅な予算化にはほど遠い。
 したがって各々の観光地で好事例を参考にしながらも、地域にあった方法を知恵を出しあわなければ解決しないし、トイレの向上は図れない。自分たちの問題として資金を出したり、スポンサーを得るか、有料チップ制を導入するか、商店や個人までもトイレを提供するか(改装や増設資金の補助を行政に働きかける)、広告トイレの導入を図る、また山岳地では登山客に排泄物を持ち帰って貰う、等々である。

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靖国神社のトイレ(狭い和式で高齢になった遺族会には気の毒)

●おわりに
 観光地でのトイレ問題がクローズアップされた原点は、19世紀末、エッフェル塔の完成にあわせたパリ万博と言われる。フランスは国の威信をかけてトイレの改善を図り、世界に先駆けて下水道処理を行った。我が国でも1970年の大阪万博、その後の沖縄、つくば、大阪花博、愛知万博と続き多くの外国人観光客受け入れを機に、ユニバーサルデザイン化とメンテナンスの向上が図られてきた。この流れは都市型観光地を中心としてトイレの改善が急ピッチで進み、世界でも有数のトイレ先進国となっている。
 背景には日本人の綺麗好きもさることながら、電力事情、豊富な水資源、良質なトイレットペーパー、メーカーによる設備の研究開発、などがあげられる。一方で地方の観光地トイレの問題は、観光立国を宣言し、2010年に外国人観光客1000万人誘致や、国内では団塊の世代による旅行の増加見込みに対して、やや立ち遅れていることは否めない。早急に観光地トイレの充実を図るべき時にきていると思われる。
 地方から東京への修学旅行といえば、本郷、上野界隈の旅館であったが、今の子どもたちは洋式で水洗、乙姫でなければ用を足せないから、ディズニーランド周辺のホテルや設備の整ったホテルに宿泊するのだという。逆に本郷の旅館では多少の改善をして、低料金と日本の風情を求める外国人観光客に人気があるという。いずれにしても観光立国宣言は観光地トイレの整備抜きには考え難い。時間も限られている、早急に官民一体となった取り組みが期待されるところである。

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2007年12月02日

『風林火山』第48回「いざ、川中島」

今回の『風林火山』は川中島の一騎討ちなど熱演シーンが多数とれたため、49回で終わるドラマが1回増えて50回になったそうです。実はこれ9月下旬に発表されたのですが、今頃気づいてどーする。このあとも菊地会員の投稿が控えていますので、こちらはあっさりと。
 勘助の養女になって6年以上待たされたリツさん。ついに高坂昌信と結婚するようです。しかし、これから出陣のときに「エイエイオー」はないでしょうに。で、勘助が四郎勝頼を連れて川中島に出陣する前に諏訪の小坂観音院にある由布姫の墓参りに出かけます。ここでなぜか由布姫の亡霊が出て「勘助なりませぬ」と一言。これで勘助は勝頼の初陣を1年遅らせることにします。しかし、側近の秋山信友なかなかかっこいいですな。本題からはずれますが岩村城攻めをドラマでやってほしいものです。
 さていよいよクライマックスの川中島ですが、両軍はずっと対峙したままで、なんと上杉政虎は兵18000のうち5000を善光寺に残して、海津城の南西の妻女山に陣取るという奇策に出て、信玄軍も茶臼山から海津城に入ってさらに対峙します。海津城は当時は珍しい平城で、あまり防御に向いていないように見えてしまうのですが、穴城と呼ばれる小諸城も設計した勘助です。やはり攻めるは難しの仕掛けがあったのでしょう。
 軍議がすすむなか、原美濃守の生存が確認されます。おふくという怪しげな老婆に助けられたが、とにかくがめつい婆さんです。ここでムカデ油が出てきました。ムカデをゴマ油にひたしておくと毒素を出してこれが止血や皮膚病などに効能があるとか。昔ながらの民間療法ですが、よくWEB上でも紹介されているように、これがよく効くとか。昔の古い家はムカデが天井から落ちてきてパニックに陥ったこともありましたが、今思えば貴重な薬源だったんですね。ということであと2回川中島の戦いが続きます。本当に1回分延ばす熱演が撮れたのでしょうか。またそれは見てのお楽しみということで。
 史跡紀行では海津城と妻女山を紹介しました。妻女山は直接行ったことないのですが、松代城は行きました。ちょうど長野電鉄松代駅に無料のレンタサイクルがあって典厩寺などにも足を延ばすこともできて便利でした。もっとも現在の松代(海津)城の復元は、真田家が藩主となってからものですが。松代駅はなかなか味のある駅舎ですが、僕が昨年行ったときは「スタンプ無し」といわれました。情報では有るとなっていますし、観光地なのですからスタンプはないと困るのですが……。

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投稿者:管理人
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2007年12月03日

「はんなり」Hannari Geisha Modern

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京都の歴史と文化の象徴、花街。伝統文化の継承に魂を注ぐ芸妓と舞妓、これを支える多くの人々。「おもてなしの心」と美の世界を追求する日本の伝統文化が、ハリウッドから日本へ逆輸入され反響を呼んでいる。

●「はんなり」とは
京都で華やかさを表わす「はななり」という言葉から「はんなり」というタイトルにしたという。およそ1200年前に、都が「京都」に置かれた。以来様々な文化を創造し、今なお多くの伝統文化が世界に発信されている。昔、北野天満宮(京都市上京区、祭神は菅原道真)へ参詣に訪れた人々を、お茶で「おもてなし」したことから始まったとされる。お茶屋は、やがて酒席のおもてなしへと変わり、花街が形成されていった。京都の花街とは、先斗町(ぽんとちょう)、祇園東(ぎおんひがし)、祇園甲部(ぎおんこうぶ)、宮川町(みやがわちょう)、上七軒(かみしちけん)、島原(しまばら)の6カ所にあり、今も昔ながらの街並みや文化が息づいている。この花街のシンボル的存在が、芸妓と舞妓さんたちなのである。職人達の匠の技で作られた、着物、帯、扇子、小物類等々、最高級の伝統工芸品で身を包み、約300年以上経った今でも、日夜修業を積み重ね、美しい舞等の伝統芸能や作法、言葉づかいを「心の美」として演じ発信している。

●「はんなり」の意味するところ
 我が国は観光立国を宣言、2010年には外国人観光客1000万人招致を目標としている。緑豊かな自然観光資源と、数多くの歴史と伝統文化を発信し、広く世界からの観光客招致をめざすことにしたのである。その意味でも京都の歴史と文化は、我が国の観光資源として貴重なものと言えよう。なかでも、花街文化は春の都おどりをはじめ、四季を通しての景観と華やかさがあり、外国人観光客ならずとも、日本人でも一度は触れてみたい世界といえよう。これまでも多くの人達が取材すべくカメラを持ち込もうとして来たが、「一見のお客さんお断り」と同様、やんわりとその扉を閉められてきた。これまで「フジヤマ・ゲイシャ」に関するマスコミ報道や映画はかなりあったが、決して本当の姿が描写され紹介されていたわけではない。花街としてはむしろ沈黙を守ってきたのである。
 先頃話題を呼んだ中国人女優による「さゆり」などは、典型的な誤った芸妓像といえよう。今回の製作者であり監督曰く「本物の芸妓、舞妓は常に芸事に精進し、はっと息をのむほどに美しく、まさに生きる芸術である。日本女性独特の凛とした中に、薫る、思いやりある優しい心遣い、その美しさを支える伝統芸能や伝統工芸の匠の技が一体となっている」、と語っている。この「はんなり」こそ芸妓・舞妓の美の世界を追及する貴重なドキュメンタリーと言えるであろう。2006年9月に行われたジェトロ主催のシャパン・パビリオンでの出展で絶賛され、2008年春から全米で上映されることになった。これに先だち11月23日六本木ヒルズ49で上映記念イベント、特別試写会が行われた。これから順次全国各地で紹介されていく。全米で上映のあかつきには、大きな反響を呼ぶことであろう。

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●製作者・監督のプロフィール
 曾原三友起、サクラプロダクションUSA代表で今回プロデュ-サ-、監督、脚本の三役をこなす。ロサンゼルス在住、SAG米国俳優組合に所属。宮崎県都城市出身、幼少の頃よりバレエ、ダンスを学びミュ-ジカル俳優をめざしていたが、18歳の時に膝の怪我で断念。日本のイベント会社、局アナウンサ-、FM、DJなど経験、1999年に渡米。現在、制作プロダクション及び劇団を主宰しながらハリウッド映画制作現場などに於いて、日本文化のアドバイス、コ-ディネ-ト、映画やイベント、舞台のプロデュ-ス、脚本、演出などを手掛け、二児の母でもあるス-パ-ウ-マン。今回、ハリウッドの日本人女性監督として、日本に帰り自らが芸妓を体験、その強い熱意についに花街も動かされた。そして、京都の全花街が協力するという世界初の快挙を成し遂げ、この貴重なドキュメンタリ-映画は作られたのである。そして、見る者に感動を与え、伝統文化継承に一石を投じることとなろう。

日本での上映  12月2日(日)~14日(金)
        渋谷アップリンクX(03-6825-5503)
        当日券1500円 学生1200円 シニア1000円
        前売り1200円 和服での来場者当日券1000円
        他、京都シネマ、宮崎キネマ、都城ウエルネス交流プラザ他
        問合せ http://www.hannari.info

投稿者:菊地正浩
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2007年12月09日

『風林火山』第49回「死闘川中島」

 NHK大河ドラマは本来の最終回となる49回目を迎えました。本日は別の場所にいたのですが、20時の大河ドラマに間に合わせるため、JR・地下鉄と乗り継ぎ交通費を余分にかけてでも戻りました。もうここまでくれば執念です。まともに全部、大河ドラマを見たのは昨年の『功名が辻』に続いてでしょう。
 勘助がいわゆる「啄木鳥の戦法」を提案し、妻女山を挟み撃ちにしようとしたのを、政虎(謙信)が見破って信玄本陣と激突する第4次川中島の戦いは、勘助と政虎の軍師宇佐美定満の思惑が交錯したような描かれ方になりました。つまり勘助は霧の出る日が奇襲の日、宇佐美は糧食尽きて妻女山を降りる日となっていたようです。政虎の出番はほとんどありませんでした。もっと野生のカンを発揮してほしかったのですが。
 あの怪しげなおばばはあくまで中立を守ったようで残念です。あそこまでがめつい性格にするのならば、いっそのこと勘助の計画を売り込みに行き、政虎に斬られたほうがおもしろかったでしょうに。今回は信玄の弟信繁にスポットを当てた形となり、そういう意味で川中島の本戦を2回に分けたのは成功だったようです。まさに最後の打ち上げ花火といった形で、これまでの番組制作費をケチったぶん、大々的に戦いを演じています。
 川口素生先生の『山本勘助101の謎』(PHP文庫)にも書かれてありましたが、妻女山の迂回した際の武田方の物見や謙信の動きを探ろうとした密偵は、ことごとく上杉方に討ち取られたようで、上杉方のスパイの優秀さが浮き彫りにされます。それならもう少しその部分を描いてほしかったのですが。
 戦い前日に信玄は信繁と対面し、信繁に「法華経の陀羅尼」を与えます。信繁はこれを春日源之丞に命じて嫡男の信豊に届けさせ、自分は諸角虎定とともに討死するわけですが、板垣同様、槍で突かれても突かれても不死身のゾンビぶりを発揮しておりました。信繁は村上義清が討ち取った説もあるのだから、もっと義清の執念ぶりを描いてほしかった気もしますが……。
 あと内野勘助さん、特殊メイクばかりと思っていましたが、今回のために丸坊主にしたんですね。せっかくの男前を犠牲にして……役者魂に感じ入りました。かわい先生のブログにあった「ぶっちぎり」というのは、これを意味しているのでしょうか?(全然違ったりして……)

 史跡紀行では八幡原古戦場の史跡公園と信繁の墓がある典厩寺を紹介していました。八幡原は2年前に、典厩寺は昨年レンタサイクルで行ってきました。八幡原の史跡公園には長野市立博物館や佐久間象山の像があり、典厩寺には川中島合戦記念館があります。両者ともスタンプがありますので今回は長野市立博物館と典厩寺のスタンプをUPします。

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 さて、来週はいよいよ最終回です。一年間長いようで短かった『風林火山』のブログ最後までお付き合いください。

投稿者:管理人
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2007年12月14日

ヨーロッパ鉄道心の旅・クリスマス編1

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 ヨーロッパ鉄道心の旅は、ホットなクリスマス編です。世の中は今、クリスマス一色ですね。本場ヨーロッパの11月末頃から始まるクリスマスシーズンに合わせ、かねてから楽しみにしていた、フランス・TGV東ヨーロッパ線の高速営業運転世界一TGVに乗車。フランス・アルザス地方の中心都市で、クリスマス市で賑わうストラスブールと、ルネッサンス時代の木骨組みの町コルマールを訪ねました。

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 11月のヨーロッパは、日照時間が短かく、天候も不安定。朝の7時はまだ真っ暗闇です。日曜のせいか、パリ東駅に向かう地下鉄は、大変空いており、ゆったりと移動。新線開業とともに化粧直しされた東駅コンコースは、日本の都市の駅のように明るい照明はありません。1849年に開業し、150年の歴史と風格をもつ駅舎内は、最新の列車案内板や斬新な広告などのインテリアが自然に調和されており、ヨーロッパデザインのすばらしさを物語っています。
 乗車する7時24分発のシュツットガルト行きのTGVは、5番線ホームで発車時間を待っていました。30番線まである広い大ホームの列。そして私の乗るシュツットガルト行き10両編成のTGVは、多客時間帯なので、ストラスブール止まりの10両編成TGVが連結され、なんと20両もの長大編成です。列車案内の駅員に、チケットを見せて乗車。ステッブを上がり、予約してある1等車の指定席に座ります。

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 1等のシートは、グレーの配色のシート並びに、4席ほど薄いグリーンのシートが、不規則にアクセントを付けています。床のマットフロアーは、大理石模様を施す、とてもシックな内装。片側2列・1列の座席の、テーブルを照らすスポット照明や車内の照明も、大変柔らかく、落ち着かせてくれます。車内を仕切る壁は大胆な紫色。1等のシックな内装に比べ、2等は片側2列づつの席配置。紫色のシートの並びにオレンジ色のシートが不規則に配列された、大胆かつモダンな配色。何となくウキウキさせてくれる車内です。
 これら、東ヨーロッパ線TGVのインテリアデザインは、フランス・ファッションデザイナー、クリスチャンラクロアが担当したようで、もう一つの車両であるビュッフェは、カウンターやテーブルの色も紫。そしてビュッフェの名前が「すべてすばらしい」という、自信たっぷりの車内店名なのです。
 TGVは時刻どおりに、パリ東駅を発車。まだ暗い、パリ郊外の星を散りばめたような、周りの電灯の光の中を、速度を増して進みます。ストラスブールまで450㎞、2時間20分。速度320km/hの営業運転は世界一の速さです。日本の新幹線も、東海道では最高時速は270km/h。300km/hを出せる、500系やN700系も、最高速度を発揮できるのは、山陽新幹線の一部区間だけで、この東ヨーロッパ線TGVは、今や高速列車を走らせている国々の頂点にたっているのです。最高時速330km/hを誇るドイツICE-3も、この東ヨーロッパ線でパリに乗り入れ、320km/hの速度で運転しており、ドイツもフランス同様に、世界一になっています。車窓の景色が薄明るくなるなか、TGVはまっすぐに延びるシャンパーニュの田園地帯を、320km/hの速度で走り抜けて行きます。その感覚は旅客機が飛び上がる時に似て、音や振動は少ないものの、「早い!」の一言に尽きますね。
 景色の移り変わりが早く過ぎる割りに、静かな乗り心地に感動しているやいなや、TGVはもう高速線を降り、ストラスブールの町に近づいてきました。
パート2につづく

投稿者:にわあつし
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2007年12月16日

『風林火山』最終回「決戦川中島」

 1年間長いようで短かったNHK大河ドラマ『風林火山』も今回が最終回。
 いつもの45分でなく、56分という特別編にさすがの川中島合戦も時間延ばしに苦戦が見られます。いきなり脈絡もなく、三条夫人が於琴姫に会いに行き、「三人目です」と語っていたり、大井夫人や板垣・甘利が回想で出てきたりで時間稼ぎもいいところです。
 勘助は由布姫の亡霊が止めるにも聞かず、いきなり本陣に突進し、宇佐美と一騎討ち。宇佐美は「共倒れになる陣をひけ」といいますが、これは同じNHKの「その時歴史が動いた~川中島の戦い 引き分けの謎」(2006年7月18日放送)で、川中島の戦いは実はパフォーマンスで、合戦が偶発的に起こったという説を採用しているのでしょうか。で、一番肝心の謙信(政虎)と信玄の一騎討ちシーンはどっちらけ。馬上から三度斬りつけて信玄が受け止めた軍配に7つの刀傷が残った「三太刀七太刀」のシーンは、馬上からGackt政虎がアップで斬りつけるシーンだけで迫力も何もない。やはり馬で三度行ったり来たりのシーンでなければどうしようもないでしょう。おまけに信玄は顔に傷すら負っていないし、尻を槍で突かれた馬も血すら出ていない。
 で、肝心の勘助のほうは不死身のゾンビぶりを発揮するのはお約束ですが、刀で斬られても矢が刺さっても、鉄砲で撃たれてもなぜか血が出ません。これは鎌で斬られても相手から血が出ない大仁田劇場ですか? NHKが血を自粛したのかどうか分かりませんが、これでは迫力も半減するだけで、「終わり悪ければすべて悪し」のような結末となってしまいました。
 平蔵もいきなりどこから飛んできたか分からない矢に刺さり、しかもそこで死んだかと思えば再び蘇生して歩いている。あんたは顔に矢を受けても歩く『三国志』の麋芳ですか。そして伝兵衛が勘助の勘助の胴体を運び、太吉が勘助の首を取り戻してくる。胴体はともかく、いったい首はどうやって取り戻してきたのでしょうかねー。で、肝心の首は映らないくせに、信玄が「クビが笑っている」とか云ってるし、どうにかならんかね。そんなに気持ち悪いシーン見せたくないなら、もう戦国ドラマなんて止めなされといいたくなりました。
 で、「最後に生きて愛して散っていった」というナレーションがあり、ミツの声がしてです。ミツ役の貫地谷しほりさんのほうは現在朝の連ドラ『ちりとてちん』でヒロインを演じていますが、こちらも視聴率が苦戦していると聞きます。朝の連ドラなんて観ませんが、NHKの番組自体「冬の時代」を迎えているのでしょう。

 最終回の史跡紀行では、川中島にある山本勘助の墓や武田家終焉の地である山梨県甲州市の景徳院などを紹介。なんで史跡紀行で「武田家のその後」をあんなすっ飛ばし方で紹介するのか、よく分かりません。景徳院の最寄り甲斐大和駅は第31回で紹介しましたので、最後はJR信越本線の川中島駅で締めくくりましょう。ただし、駅名は川中島でも、古戦場(八幡原史跡公園)までは東へ4kmと遠く、当駅からはバスの便もありません。古戦場へのバスは長野駅からの発着です。こちらを利用しましょう(でもスタンプは押そう!)

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あとがきにかえて
 1年間愛読ありがとうございました。以上をもちましてNHK大河ドラマ『風林火山』のブログは終わりです。総集編は12月31日に風の巻(13:55~14:53)、 林の巻(15:00~15:58) 、火の巻(16:00~16:58) 、山の巻(17:00~17:58)の4部構成で行われますが、たぶん当日はタイムリーで見ることもないでしょう(ビデオで保存しようと思いますが……)。なお、1年分の『風林火山』はカテゴリーにて総集で読むことができます。
 最後にあと少しだけお付き合い願います。管理人がこのNHK大河ドラマの批評を当ブログで書こうと触発されたのは、先にあった橋場先生かわい先生をはじめとする歴史作家先生方のブログでした。途中から毎回トラックバックを貼らせていただいたのは、やはりドラマを観るにしてもそれぞれの感じ方は違うし、実際に歴史を研究されている先生方のコメントはいろいろと参考になったからです。ただ、このブログを書くにしても先にはじめたshugoroの日記は、土日に中央競馬の予想(全然当たらないので有名ですが……)をしているので、当旅じゃブログの開設と同時にスタートに至ったわけです。当初目標としました毎日更新は途中で挫折してしまったものの、この存在が最低週1の更新を維持できたのはいうまでもありません(ただしshugoroの日記のほうはずっと続いています)
 当社でも歴史紀行シリーズとして『宮本武蔵』『新選組』と連続して本を作ってきましたが、別のところからの嫌がらせもあって、このあとのNHK大河ドラマで歴史紀行シリーズが制作できなくなっておりました。そういう意味で2006年11月発行の『風林火山をゆく』(英知出版)は実に3年ぶりの制作に至ったわけです。1カ月後に重版の勢いをみせた同書ですが、その後2007年3月に肝心の版元が倒産の憂き目にあってしまい、1年間の販売実績の数字をみることなく終わってしまいました。大量に注文してくださった取材先の方々にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。ただ、まだAmazonを見ると、まだ在庫は購入可能ですので、大河ドラマが終われば一気に客足も遠のき、本も処分されてしまうであろう同書を買うなら今がチャンスです。倒産した版元ということもあってプレミアがつくかもしれません。
 これで大河ドラマの史跡紀行シリーズも終わってしまうと思いましたが、幸いにも来年の大河ドラマ『篤姫』は新しいスポンサーの版元が見つかり、四條たか子先生の執筆で『天璋院篤姫と幕末を旅する』(一水社)が11月30日に発行となりました(詳細は後日ということで)。『風林火山』終了後、次の『篤姫』の一部紹介がありましたが、これも苦戦が予想される番組にしろ、また来年も他の歴史作家先生同様にコメントを描き続けられればと思います。
 すでに僕のほうは再来年のNHK大河ドラマ『天地人』に目が向いておりますが……。

投稿者:管理人
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2007年12月18日

ヨーロッパ鉄道心の旅・クリスマス編2

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 パリを出た世界最速TGVの旅も、美しいシャンパーニュの風景と、くつろぎの乗り心地に酔いしれているうちに、20両もの長編成列車はストラスブールのホームいっぱいに停車しました。ストラスブールは長い歴史の中で、フランスとドイツの国籍になんと5度も変わった町です。ヨーロッパの十字路と呼ばれるこの町の、歴史の深さが、重厚な駅舎の色に、染み込まれているようです。
 TGV新線開業に合わせ造られた、総ガラス張りの大ドームがこの駅舎を覆い被さり、近未来的な風貌を表しています。それにしても、歴史ある駅舎をそのまま残し、最新デザインと共有させるという、ヨーロッパの町造りには、感心させられますね。
 モミの木にクリスマスツリーを飾る発祥の町であるストラスブールは、クリスマス市が町のあちらこちらで開かれていて、クリスマスを楽しむ人々で賑わっています。長い夜が続くこの季節は、夕暮れになると町の目抜き通りや、建物の壁面に飾り付けられたクリスマスイルミネーションが輝き、いっそう華やかさを盛り上げています。日曜日のためか、たくさんの観光客が世界遺産に登録されている名所プチィットフランスの、木骨組みの建物が並ぶ美しい風景を散策しながら、イル川の河岸に沿って歩いて行きます。

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 夕暮れ時、私たちもこの人並みを追うようにして、スポットライトに照らされ聳え立つ、ノートルダム大聖堂まで歩きました。赤色の砂岩で260年の年月を架けて造られた高さ142mのゴシック様式の傑作です。大聖堂の周りには、ケーキや、チョコレート、ローソク類やオモチャ、人形など、クリスマスツリーのオーナメントなどを売る屋台がところ狭しと並び、本場クリスマスの賑わいを醸し出しています。特設のメリーゴーランドには、サンタ帽をかぶった子どもたちが、廻る光の中ではしゃぎまわります。また、チャップリンの真似をした道化師や、サンタクロース姿のおじさんも、広場に集う人々と、クリスマスの雰囲気を楽しんでいます。

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 時と共に鳴り響く、大聖堂の壮厳な鐘の音が、お祭りの賑わいに拍車を懸け、本場のクリスマスのムードが最高調に達します。頭上に、エンジェル模様のイルミネーションが輝く通りを、クレベール広場まで歩くと、高さ20mはあろうかという伝統のモミの木の、巨大ツリーのイルミネーションが、輝く星のように光っていました。ドイツとフランスの景色や文化遺産を持つ、古都ストラスブールは一度に二つの国の雰囲気を楽しめます。また、花が咲き、町が美しく飾られた季節と、クリスマスでイルミネーションで輝く時期の、二通りの町の顔がある、奥深い素敵な町ですね。
パート3につづく

投稿者:にわあつし
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2007年12月28日

ヨーロッパ鉄道心の旅・クリスマス編3

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 ルネッサンス時代、木骨造りの家並みが残る町コルマールは、アルザスワインの故郷でもあります。TGV東ヨーロッパ線開通により、パリから直通のTGVに乗ると、2時間50分で訪れることができる身近な町になりました。
 パリに住む友人が、フランスで訪れたい一番の町は? と訪ねた時に、即答したのが「コルマール」。私もいつか訪れたいと、憧れていました。ストラスブールから約30分の列車移動でコルマールに到着。駅前はホテルなど近代的な建物が並び、煉瓦色の時計塔のあるお洒落な駅舎だけが、歴史の町に訪れたことを印象づけています。めざす木骨組みの建物のある町並みは、ガイドブックに駅から歩いて15分ほどと記載。しかし、駅前を左折し、広い道路に沿って歩き、途中、クリスマス用のモミの木などの植木を売る露店商の並ぶ公園を眺めながら、それらしき町並みに着いたのは約30分後でした。

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「頭の家」という、変わった名の前の、ホテル兼用の建物の前に到着しました。目の前は木骨造りの家並みが続き、まるで中世の世界に迷い込んだ雰囲気です。クリスマス市の買物客や観光客などで、入り組む通りは大変な賑わい。ストラスブール同様に、たくさんのクリスマスオーナメントを売る屋台が連なり、広場にはミニ観覧車やメリーゴーランドが設けられ、子どもたちがはしゃぎまわっています。
 小雨がぱらつき、底冷えするので、屋台で名物のホットワインを飲み、温まりながらの散策。アルザスワインやチョコレートなど、お菓子を売る店が多く、甘い蜜のような香りと、華やかな飾り付けに、つい足を止め、店に引かれます。16世紀に建てられたというブフィスタの家の、木造りの格調ある出窓と、描かれた絵、ウロコ屋根が、歴史の深さを物語っています。軒先の店表示の凝った看板を眺め、石畳に足を一歩一歩踏み締めながら、奥深いメルヘンの町並にしばし感動。戦災に影響を受けず残された町、コルマールの美しさに、時の止まるのを感じた一日でした。後ろ髪を引かれる想いでコルマールをあとに、再びTGVで、イルミネーション華やかな、パリに帰りました。

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 シャンゼリーゼ、そして、パリの巨大デパートを覆い尽くす、イルミネーションの美しさ。肌で感じた、本場ヨーロッパのクリスマスの世界でした。
 来年も鉄道で巡る心の旅を、次々と計画しています。ヨーロッパの美しい、また、かわいい町を、列車で訪れていきます。乞うご期待ください。
2007年締

投稿者:にわあつし
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2008年01月01日

今年も雪中行軍

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新年明けましておめでとうございます。
 ネズミ年なのでJR羽越本線の駅からスタートします。旅じゃBLOGも開通2年目を迎えました。遅ればせながら新年の挨拶とさせていただきます。さて、昨年元旦よりスタートしました当ブログ。毎日更新を目標に頑張っておりましたが、やはり全体のモチベーション低下で半年余りで挫折してしまいました。このモチベーションを保ち続けることの大変さ。これは発足6年目を迎える当会にとっても大きな課題といえましょう。やはり森田代表が先頭に立って先導しないと、なかなかうまくいかないものです。
 さて、昨年同様管理人は元旦早々、「正月パス」を使って再び東北へ取材に行きました。昨年と違うのは晦日に「青春18きっぷ」を使い、青森入りして青森の終着駅を中心に回ってきました。晦日の行程はとんだハプニングがございましたのでこちらをご覧ください。正月の様子は簡単にダイジェストで紹介します。

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 青森駅は雪の中……一番列車で竜飛岬への最寄り津軽線の終着三厩駅(写真右)に向かいました。

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 雪中の弘前城。もちろん城は冬期休業中。撮影のためとはいえ、あやうく八甲田山になるところでした。

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 津軽鉄道のストーブ列車です。今冬から別料金300円が必要になりましたが、不況にあえぐローカル私鉄ですから仕方ないのでしょう。でも正月早々ツアーも入って大盛況でした。ストーブで焼くスルメがいい香り。おすそ分けまでいただきましたが、なるほど地酒でも飲みたくなる列車です。

それでは会員の皆様のお正月の様子をお知らせください。
投稿お待ちしております。

投稿者:管理人
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2008年01月06日

『篤姫』第1回「天命の子」

いよいよスタートしました『篤姫』。今回は視聴率がとれない幕末もので、途中で気分が萎えてしまうのではないかと心配ですが、他の先生方のブログ同様、とりあえず最後まで書き続けることを目標にしたいと思います(大丈夫かな)。なお、この『篤姫』関連でもっと詳しく知りたい方は歴史作家桐野先生のブログ「膏肓記」がおすすめです。

 史実でも原作でも篤姫(於一)のエピソードは少ないのでしょう。母お幸が懐妊し、怪しげな坊主が「その娘を江戸に連れてまいれ」などと言い出すし、1837年のモリソン号事件では、3歳のミニ於一1(永井穂花)がいきなりアメリカとの交渉の場に飛び出してくる始末。どうせならもう少しモリソン号事件にも時間を割いてほしかったんですけどね。でも、今和泉の浜辺を登場させながら、原作にあった兄忠冬が近所の子にいじめられているのに立ち向かった武勇伝くらいはドラマでも演じてほしかった気がします。
 さらに成長してミニ於一2(岩本千波)に。ここで百姓がご飯食べられないのを知り、いきなり「どうして私は食べられるのか」などと云って断食するし、郷士の西郷吉之助(隆盛)は自談判しているし、ずいぶん農民層の視点で描きすぎている気がしないでもありません。せっかくなら幼馴染の設定でミニ肝付尚五郎(小松帯刀)も出せばよかったのに……。
 それにしても初回は、メインのキャストを総出演させたような内容で、時代もすっ飛んでいき、もうヒロインの宮崎あおい於一まで成長しています。徳川家祥(家定)の堺雅人さんのバカ殿役はちょっとおかしかったです。『新選組!』ではインテリの山南敬介役だっただけに、このギャップが。
 あと、高校レベルの教科書では藩政改革をした傑物として紹介されていた調所広郷は、ずいぶんと悪人役で描かれていますね。あとで斉彬が藩主になることを考えれば仕方ないのかもしれませんが。その調所に於一が直接、今和泉家の窮状を訴えるというのもすごく変。しかも、調所は於一に琉球密貿易のことをばらしているし。藩の機密をいきなり訪ねてきた小娘に暴露しますか。どうしても主人公と絡ませたかったのかもしれませんが。
 史跡紀行ではいきなり鹿児島の鹿児島市と指宿市の2箇所を紹介していました。取材した鶴丸城跡、今和泉本邸跡、今和泉小学校の手水鉢など懐かしいです。しかし、初回でこんなに飛ばして大丈夫なのでしょうか? 鹿児島と江戸以外はあまり関連舞台が少ないだけに心配です。ということで第1回は鶴丸(鹿児島)城跡と城内にある黎明館のスタンプをUPします。日本の名城100でスタートしたスタンプラリー。鹿児島城もそのひとつですが、スタンプは黎明館に保管されています。

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はい、今回からはじまる篤姫関連写真・スタンプのコーナーの元ネタは、大河ドラマ『篤姫』の副読本となる下記の本です。ただし、場合によっては本で紹介しきれなかった写真やスタンプが登場することもありますので乞うご期待!

atsuhime.jpg 『天璋院篤姫と幕末を旅する』 B5版 128P 1000円 2007年11月発行。12月2刷。第13代将軍徳川家定の正室として薩摩の島津家から嫁ぎ、激動の幕末を徳川家とともに生きた天璋院篤姫49年の生涯。本書では生誕の地の鹿児島から江戸、さらに幕末の舞台となった下田・横浜・京都などへエリアを拡大。篤姫や関連人物ゆかりの史跡からグルメ・おみやげ・沿線の記念スタンプまで旅の情報も充実しています。当会員の久芳勝也画伯の絵地図も必見。

→詳細ページへ

購入

 初回は19~21時の時間帯に特番が目白押しだっただけに、視聴率もちょっと心配。なお、このあとテレビ朝日でかつて大河ドラマにもなった海音寺潮五郎原作の『天と地と』(松岡昌宏主演)が放映され、続けて観ておりましたが、前回の大河ドラマ以下の内容にまたも居眠りしてしまいました。こちらのコメントは割愛させていただきます。

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2008年01月09日

ヨーロッパ心に残る町1

シュタインアムライン〔スイス〕

 もう30数年も前になるだろうか。初春のまだ薄ら寒い朝、ラインの流れる川面に上がる朝靄に陽に照らされた光の粒が輝き、靄の隙間から現れた民家の鮮やかな壁画模様。その美しさに、しばし呆然とたたずんだという、この町の強烈な印象が思い出される。
「ラインの宝石」に相応しい町シュタインアムラインは、あの緩やかなラインの流れからは想像もつかぬ、豪快な「ラインの滝」のある古都シャウハウゼンから、カラフルな電車で30分の道のりだ。ゆっくりとラインを船で楽しみながら訪れる行き方もある。

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 久々に訪れたシュタインアムラインの空は、透き通るほどの青空で、遮るものは何もない初夏の陽射しが、肌を多い尽くす。静けさ漂う小さな駅を降り、坂道を10分ほど下ると、目の前はライン川。架かる橋のその向こうには、針先のように天を指す塔が目立つ。11世紀に建立された、この町の名の歴史を物語る聖ゲオルグ修道院である。そして、連なる家並みが、シュタインアムラインの旧市街になる。
 橋の中央の欄干では、観光客らしき老夫婦が、しばし川面を眺めていた。「何か見えるのですか?」と、そっと声をかけてみた。
「ここからの景色眺めていると、身体中がリフレッシュされ、心地良い気分になるんだよ。時々、二人でここに来て時を過ごすのさ」
 老夫婦は明るい笑顔で答えてくれた。青く澄み切った空の下を流れる、ラインの水の聡明さと、川岸ののどかな風景を見ていると、時の流れも止まり、安らぎの時を感じさせるロケーションだ。

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 橋を渡り、緩やかな坂を上がると、目の前は市庁舎広場。石畳の広場の周りの家並みの壁には、中世の絵画の世界が広がる。人々や動物、調度品ほか、生活感溢れるさまざまな絵が描かれており、色鮮やかというよりは、歴史の深さが色として滲み出ている。まさに町並そのものが生きた美術館だ。なかでも、ホテル・アドラーに描かれた、画家アロイスカリジェの壁画は、あまりにも有名。そして、それぞれの家が、赤牛の家、王冠の家など名前を付けているのも大変ユニークである。壁画のすばらしさもさることながら、囲まれた窓にはゼラニウムやベゴニアなど、赤白のさまざまな花々が飾られ、賑わいを増している。スイスを旅していると、家の窓辺に必ず花が飾られている光景を目の当たりにするのだが、壁画と花々の調和した美しさは、この町ならではの風景だ。
 旧市街のメインストリートは、市庁舎前広場から、ウンター門まで300mもない短い距離。車の通行が禁止の通りには、花屋さんや、レストランのテーブルなどが道に乗り出して店を開き、人々が集う。騎士像の立つ噴水では、水遊びの子どもたちが騒いでいる。

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 賑やかなメインストリートを逸れて、路地に一歩入ると、裏通りは人影もなくひっそりとし、壁画の家こそ少ないが、中世の世界がそのまま現在に残っている感じ。横道から突然、「鎧の騎士」や「お姫様」でも現れそうな、心ときめく通りが幾つも存在する。また、ラインの川岸には、おいしい川魚のレストランが並び、川の美しい風景を眺めながら舌つづみを打つ。そして、この町の歴史を調べたいのなら、3カ所ある博物館を訪れるとよい。
 シュタインアムラインの町は、旅人を中世の時代にタイムスリップさせ、忘れ得ぬ癒しの時を与えてくれる、心に残る町である。
パート2につづく

投稿者:にわあつし
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2008年01月13日

『篤姫』第2回「桜島の誓い」

はい、日・月と上越・東北方面へ取材に出かけており、取材から帰ってきたあとさっそくビデオ観ました。実はビデオの調子が悪くてここのところ録画も満足にできませんでしたが、出かける前にビデオが修復しましたので、安心して取材に行けました。映像もしっかり撮れており何よりです。それにしても東京は寒い部屋の温度は7度しかなく、東北から帰ってきた実感が湧きません。

 さっそく本題。相変わらず情けない肝付尚五郎。於一(篤姫)の噛ませ犬ですか。於一が調所のところへ行ったあと、於一の父忠剛の謹慎が解けましたが、これに対して詫びを入れる西郷吉之助らに対し、於一の兄忠敬が西郷に対して挑み、於一がかばおうと飛び出したところを西郷が助ける。で、次の瞬間、西郷が忠敬の木刀を奪ってしまう。あれ、西郷って剣術がからきしダメじゃなかったの。後日、肝付尚五郎が剣の試合を挑むが大久保正助にあっさりとやられてしまう。それにしてもあの木刀、ジャンボ麩菓子みたいですな。
 まあ、今回は調所が薩摩藩の密貿易の責任をとって自害する設定がメイン。そこに於一を絡ませているところは前回よりもストーリーに丁寧さが見られました。斉彬が阿部正弘に密貿易を密告し、それによって調所が自害。さらに斉興の側室お由羅が斉彬の子女に対し呪詛していた疑惑が持ち上がり、お由羅騒動へ発展していきます。しかし、斉彬の高橋英樹さんは少々老けすぎ。いくら40歳とはいえ、もう少し若づくりしてくれよ~といった感じです。
 史跡紀行では鹿児島市の小松帯刀像と肝付本邸跡や小松家別邸などを紹介していました。肝付尚五郎は23歳で小松家の養子となり、のちに「天下の名宰相」といわれるまでになりますが、僕のほうは時間がなくて篤姫関連の取材だけで終えてしまいました。今回取り上げますのは、僕も撮影しました小松帯刀像。宝山ホールの前に建っており、当4階は鹿児島県立博物館の別館となっています。県立博物館はプラネタリウムを除き無料。こちらにはプラネタリウムや恐竜の化石などが展示されていて、スタンプもあります。本書のほうでは紹介できませんでしたので、スタンプをとくとご覧ください。

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2008年01月20日

『篤姫』第3回「薩摩分裂」

『篤姫』第2回は、初回より視聴率が高かったようで、まずまず順調な滑り出しの様子です。本書も売れますように。
 しかし、今回のストーリーはタイトルとかけ離れた内容でしたな。物語の構成自体は決して悪くないものですが。メインはお由羅騒動ですが、その血生臭い展開を避けるように、大久保正助(利通)の謹慎処分ばかりが中心になってしまいました。於一(篤姫)は下級武士と交流をもつ肝付尚五郎に頼んで大久保邸を訪問し、カツオをプレゼント。嗚呼、カツオの刺身のうまそうなこと。
 肝心の家督争いのほうはあっけなく収拾してしまった印象で、斉彬が藩主に就任します。そしてバカ殿であるはずの家祥(家定)が、意味深なことを斉彬に語り、ただの暗愚ではない印象を与えました。今後に注目です。
 斉彬が帰国してもまだ謹慎は解けない様子でしたが、大久保の髯が伸び、明治維新後の風貌が笑えました。今回も於一篤姫は酒と鯛をもって登場。さらに貧しい暮らしに自分のかんざしを勧めますが、大久保の母に「己の生き方に誇りをもっている」といわれ、出入り禁止を言い渡されます。誇りを傷つけたと思う篤姫に対し、母が「傷つけたと思うのは驕り」といいます。随分道徳的な感がしますが、下級武士と上級武士の母という視点での描き方が見事でした。それだけにタイトルは拍子抜けの感が否めませんが。
 史跡紀行では島津氏発祥の地・出水市を紹介。木之牟礼城跡、感応寺、米ノ津川、野間の関所跡、麓武家屋敷群など意表を突かれました。野間の関は『日本の街道ハンドブック』(三省堂)で原稿を書いたこともあるのですが、取材に行けるわけもなく、訪問したのは20年近く前の話でスタンプもありません。米ノ津川を渡る1両の肥薩おれんじ鉄道に哀愁を感じました。九州新幹線開業と同時にJRから分離されてしまった第3セクター。しかも土休日休みのところが多く、スタンプも押しづらい傾向にあります。ただし出水は新幹線の駅ができたので昔廃止されてしまった駅弁が復活した経緯もあって、昨年の京王百貨店の駅弁フェアで「かごんまくろ豚弁当」1050円を購入しました。京王百貨店の駅弁フェアは今年も22日(火)まで開催しておりますが、なかなか現地までは行けず、こういう機会しか写真が撮れません。今年も19日に駅弁を購入しましたが。

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2008年01月22日

ヨーロッパ心に残る町2

カンデルシュテーク〔スイス〕

 スイスの人気観光地で一番に上げられる地域と云えば、インターラーケンを中心に、アイガー、メンヒ、ユングフラウの3大名峰を望み、麓にツゥーン、ブリエンツの2つの湖が広がるベルナー・オーバーラントであろう。スイスの観光のすべてが、この地域に凝縮されていると言っても過言ではない。インターラーケンを起点に、登山鉄道が走る近辺の村は、日本ツーリストのメッカである。
 カンデルシュテークは観光客の雑踏からはかけ離れた、このベルナーオーバーラント地域の西はずれ。ブリュームリスアルプスの2000mを越す山々に囲まれた谷間にある小さなリゾート村である。鉄道でベルンやインターラーケンからは約1時間、また、マッターホルンの山麓ツェルマットに行く、BVZ鉄道の出発駅ブリックへも、30分もかからぬ距離にあり、私のスイス観光はいつもこの町が拠点となる。スイス各地へ鉄道で移動する場合はとても便利な町で、列車が谷間を下り、車窓に写るのどかな町の風景は、心落ち着くスイス旅の故郷でもある。

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 IC特急も停車する山合の小さな当駅の、裏の丘には牛たちが放牧され、列車の往来がない時は、山々の冷気の漂う静けさのなか、牛のカウベルの音だけが、谷間の風に乗せられながら響いている。私の常宿は、数軒ほどの商店が並ぶ駅前の静かな通りを5分ほど歩いた、小さな教会の隣に建つプチホテル。町はアルプスからの澄んだ雪解け水の、流れる音が響く小川に沿って、数軒のホテルと商店があるぐらいで、車の往来も少なく、辺りは牧歌的風景が広がる。

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 このカンデルシュテーク一番の観光スポットにエッシネン湖がある。「アルプスの宝石」と言われ、むきだしの岩肌の山の下、流れ落ちる幾つもの滝や、天候により極端に変わる湖水の色は、実に神秘的だ。高台のレストハウスでくつろぎながら、表情を変える湖や、湖畔に放牧された牛たちの光景を眺めていると、緩やかに流れる至福の時を感じさせる。湖まではカンデルシュテークの駅からは、ホテルのある町並みを抜け、お花畑の広がる風景の中を、ゆっくりと散策しながら、約20分でリフト乗り場に着く。

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 2人乗りのチェアリフトに乗ると、約10分で山頂に到着だ。このリフトからの移り変わる景色がまたすばらしい。眼下には放牧された牛たちが戯れ、周囲の山々を望めば、幾つもの滝が流れ落ちる雄大な大自然のロケーションで感動の連続だろう。リフトを降りると、広がる視界のなか、整備されたハイキングコースを、エッシネン湖に向かって歩く。途中で湖まで、林の中を抜けるコースと、牧草地を通るコースの2つの道に分かれるが、行きは放牧されている牛たちの中を歩き、山々をバックにツーショットも、楽しい思い出だ。

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 私のお勧めのベストシーズンは初春。それも6月がよい。カンデルシュテークの町の周囲も、エッシネン湖のハイキングコースにも、可憐な花々が咲き揃い、牛たちが遊び、残雪を抱く山々の姿が、美しい絵の世界で迎えてくれるだろう。
パート3につづく

投稿者:にわあつし
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2008年01月27日

『篤姫』第4回「名君怒る」

徹夜明けになってしまい、急な仕事も入ってきて48時間近くまもとに眠れなかったので、タイムリーでは観ずに、ビデオ録画にしてあとで観ることになりました。それにしても篤姫の視聴率が伸びる一方、やっぱりドラマのつくりが以前より丁寧になっているからでしょうか。とりあえず今のところは……。
 しかし、於一の言葉使いなんとかなりませんかね。「えーっ」「すごーい」とか時代に適さないと、一緒に観ておられた歴史作家で代々木ゼミナール人気講師の高木浩明先生が申しておりました。なんか於一って柳原可奈子のキャラがかぶりすぎてませんか。
 今回は斉彬が藩主就任したのに、忠教(のちの久光)一派は処罰されず、謹慎処分になっている大久保にも赦免がないので、不信に思う於一たち。そこで藩主とのお目どおりに対し、於一が斉彬にこのことを問いただします。脇にいた小松清猷がいい味出しています。結局、お由羅騒動の原因となったお由羅ですらお咎めがありませんでしたから、このあたりを強調したかったのでしょうか。だったら大久保だけでなく、お由羅や忠教の視点での動向も出してほしかった気がします。
 於一の問いに対し、「争いは争いを生むだけ」という斉彬。「信じれんのなら国を出てゆけ」と於一にいいますが、タイトルの「怒る」というニュアンスにはちょっと。僕はもっと斉彬の逆鱗に触れて、手討ち寸前になるところを期待していたのですが(これでは志村けんのバカ殿か)。
 ということでタイトルは毎度拍子抜けしてしまいますが、ドラマの構成はまずますです。ただ、今回は結構あまり知られていない人物が多いので、もう少し説明があったほうがいいと思うのですが。於一に一目惚れする忠教の子右近って、久光の次男久治ということが分かりましたが、これって脚色ですよね。

 史跡紀行では仙巌園(磯庭園)の反射炉跡と照国神社を紹介していました。磯庭園は市街からはずれた海沿いですが、ここはカゴシマシティビューの循環バスで行くのが便利です。鹿児島本線も海沿いを走っていますので、本当はここに駅があるとすごく便利なのですが。今回は磯庭園のスタンプと照国神社の探勝園にある斉彬・久光・忠義の像(左から順)をUPします。照国神社境内には照国文庫資料室もあり、100円で入館できますよ。

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投稿者:管理人
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2008年02月01日

ヨーロツパ心に残る町3

オーバーホーヘン〔スイス〕

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朝日が眩しく車窓を照らすなか、バーゼル行きのIC特急は、トゥーン駅の長いホームに停車した。平日の朝8時頃なら、通勤客などで混雑する時間帯なのに、ここトゥーンの駅は、乗降客もまばらで、ホームは閑散としている。列車のドアを開け、ステッブを降りると、さわやかな初夏の冷気が身体全体を包み込み、しごくリフレッシュな気分だ。心地よい空気の中をトゥーン駅前のバスターミナルに向かう。
 めざすオーバーホーヘンは、トゥーンからトロリーバスで約15分ほどの、トゥーン湖畔にある小さな町。バス車内の自動券売機でチケットを購入。2.2スイスフラン(約220円)である。バスは右手に美しいトゥーン湖を見ながら走ってゆく。スイス・ベルナーオーバーラントのこの湖岸には、4つの円筒の塔を持つ城がある古都トゥーン、ユングフラウ登山の玄関の町インターラーケンや、ゴールデンパス・ラインの中間の町シュピーツなどが、日本でもよく知られている。

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 まるで童話の絵本の中から抜け出たような美しい町が点在しており、オーバーホーヘンもそのなかの一つだ。町のシンボルは、湖岸に張り出して建つ12世紀構築のオーバーホーヘン城。尖った屋根の水塔があるこの城は、幾度か戦争で領主が変わり、要塞にもなった。現在は歴史博物館になっており、ゴシック、ルネッサンス、バロックなど、時代の流れを室内装飾に見ることができる。庭園もたくさんの花々で飾られ、とてもメルヘンチックである。
 城のすぐ横には、トゥーン湖の連絡船乗り場があり、トゥーンやインターラーケンから、船で訪れることもできる。バスはこの連絡船乗り場から、民家のあいだの坂道を登り、国道沿いに停車する。オーバーホーヘンは、小高い丘と湖に挟まれた小さな町。町の人々は、子どもから大人までみな笑顔で迎えてくれ、とても親しみ深い。

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 湖畔に出ると、オーバーホーヘン城の向こうには、ベルナーオーバーラントの名峰アイガーやユングフラウの山々が顔を揃え、目の前はピラミッドのような独立峰ニーセン(2362m)が、湖を覆い被さるように、雄大な姿を見せている。湖畔沿いのベンチに、しばし腰掛けて、青く澄んだ湖に戯れる水鳥たちを眺めながら、ぼーっと時を過ごす。ここからのロケーションは、城と白いアルプスと青い湖それに赤や黄色の花々が色を加え、鮮やかな絵画の世界を創っている。私はスイスを旅するときは必ず立ち寄り、無心の時を過ごすことにしている。とても気のなごむ癒しの町だ。

パート4につづく
投稿者:にわあつし
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2008年02月03日

『篤姫』第5回「日本一の男」

 うーん、不思議。苦戦すると予想していた『篤姫』が回を重ねるごとに視聴率があがっております。不倫や離婚騒動が当たり前の世の中だから、憧れているのでしょうか。ああいう生き方を。
 今回の物語はほとんど創作で、あだち充『タッチ』幕末版のようなラブコメノリでしたね。自由恋愛がほとんど許されない当時に当てはめたからこそよかったのかも。しかし、歴史ブログランキングで上位を争う桐野先生の『膏肓記』では、縁談相手となる島津忠教の次男右近では年齢が合わないと書かれています。たしかに於一より右近のほうが6歳年下では……。
 それにしても今回は古臭い青春ドラマでしたね。篤姫が桜島を望んで「私にとって日本一の男に嫁ぎたい」と肝付尚五郎に語り、それに奮起した尚五郎は熱血して剣術に励む。おおっ青臭い。そして於一の家を訪ね、尚五郎はついに父忠剛に「妻に欲しい」といいました。さらに、
「大切なのは日本一の男になれるかではなく、なってみせるという決意」
と熱弁。忠剛もこれに感激し、「縁談を断る」と申します。しかし、斉彬のところに登城すると、斉彬は養女にくれといいます。哀れ尚五郎……幼馴染とは結ばれず、この失恋をバネに立派な家老へと成長してゆくのでありました……では、ベタすぎます。

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 史跡紀行では今回登場したジョン万次郎の故郷・高知県土佐清水市を紹介していました。しまった! こう来たか。『天璋院篤姫と幕末を旅する』(一水社)ではノーマークの場所でした。土佐清水というと土佐くろしお鉄道の沿線からはずれたところで、中村駅からバスで行かなくてはならない場所なので、そう簡単に取材にも行けませんが。ということで5回目にしてとうとう写真もスタンプもナシになってしまいました。すいません。

投稿者:管理人
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2008年02月09日

雪の帯広へ

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 1月24日は羽田から帯広空港への便は雪で欠航。翌日私は帯広行のため、 余裕をみて羽田→札幌新千歳空港→南千歳駅からJR特急で帯広に向かった。北海道の鉄道の旅も、ウトウトできていいものです。

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 高架線上の帯広駅はすっかり装いを新たに、まるで「全国共通新幹線駅」の様相で、かつての北海道らしい重厚さがなくなりましたが、とても明るい雰囲気です。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月10日

『篤姫』第6回「女の道」

 薩摩藩主斉彬が養女にと申し出たことで、ぽか~んとしている於一。なぜ気に入られたのか分からない様子です。肝心の尚五郎のほうは婚約を反古にされ嘆き悲しみ、西郷吉之助の祝言にも泥酔。しかし、於一が迷っていると同時に養育係の菊本(佐々木すみ江)の様子もおかしくなっています。
 於一が養女に選ばれた理由を尋ねに行く際に菊本は「女の道は一本道。道を引き返すは恥」と説きます。しかし、小説の中の話ですが、菊本の自害の理由はわけが分かりません。ドラマも原作に忠実に再現しているのですが、「本家の養女となる於一を身分の低い自分が育てた事実を消し去る」というのが、理解し難いのです。そんな華やかな舞台に立とうとするところで、自害すれば於一が悲しむばかりか、ノイローゼになってしまいます。どうもこのあたりは作者の史観で描いているため言及する気になれません。
 斉彬が於一を養女に選んだ理由のひとつで「母に似ている」といいますが、斉彬の母は周子(1792~1824)は弥姫(いよひめ)といい、鳥取藩主・池田治道の娘です。嫁入り道具に史書を大量に持ち込んだ話は史実のようです。しかし、斉興の寵愛は側室の由羅に移り、弥姫も早世したため、のちにお由羅騒動の悲劇を生むのです。
 あとジョン万次郎が国防のため、沿岸に砲台を築き、的確なビジョンを語っていました。これはなかなかかっこいいです。万次郎は世界一栄えている町をイギリスのロンドン、清の北京、日本の江戸と語っていますが、当時の江戸は人口も100万ほどいたのに、日本で絶滅したカワウソと共存できたすばらしき平和と環境保全のモデル都市だったのです。

『篤姫』をもっと詳しく知りたい方はコチラ

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 史跡紀行ではまた鹿児島市に戻り、西郷・大久保の生まれ育った鍛冶屋町と高見橋の大久保利通像や城山麓の西郷隆盛像を紹介していました。西郷隆盛像は第2回で紹介した小松帯刀像からほど近いところにありますが、身長5.257mもあってとにかく巨大です。大久保利通の像は鍛冶屋町に近い甲突川の高見橋の近くにあります。ともに像のスタンプもありますのでUPしますが、西郷のスタンプは鹿児島県立博物館、大久保のスタンプはJR鹿児島中央駅の鹿児島市観光案内所にあります。銅像のある場所にスタンプがあるわけではないので、押したい方は注意してください。

さて、今週は他の会員からの投稿が殺到しており、トップにUPされる時間は短いのですが、ぜひとも愛読よろしくお願いします。明日からは菊地正浩会員のルポを6日連続でUPしますので、お楽しみに。 

投稿者:管理人
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2008年02月11日

水上バスで東京散歩1

~隅田川から東京ベイエリアへ~

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江戸の昔、武蔵の国から下総の国へと渡ったことから名付けられた両国橋。忠臣蔵の赤穂浪士たちが、深川の吉良邸から芝高輪の泉岳寺へ行くのに渡った永代橋。下町の歴史と文化が薫る隅田川を水上バスで潜り、お台場海浜公園を巡るゆらり旅である。

●はじめに
 昔は「綺麗な川」を意味するアイヌ語のアラペツとか、あばれ川とか呼ばれていたが、この荒川も現在の隅田川の位置を流れていた。たび重なる洪水により大規模な治水工事が行われ、昭和5年(1930)に荒川放水路が完成し、これまでの荒川本川を「隅田川」と呼び、荒川放水路を「荒川」と呼ぶようになった。戦後、隅田川の流域では市街化が進み、路面舗装、建築物の乱立によって遊水や保水能力も低下、大雨時には水が急激に流入するようになった。また、近年は地下水の汲み上げで地盤も沈下、隅田川より低い土地が沿川に広がっており、海面上昇とも相俟って水害の危険性が心配されている。

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●浅草~お台場海浜公園クル-ジング
 (財)東京都公園協会の東京水辺ライン、両国・お台場クル-ズでフィ-ルド学習が楽しめる。地球温暖化による海面上昇を実感したり、ひと味違った超近代的に変貌している東京を眺められる。昨年12月、「聞いて、見て、分かる、面白い」というタイトルでテクニカルツア-が行われた。低地を水から守る、橋梁の想い、洪水、高潮、地盤沈下、防潮堤や水門の整備等々を学習するものである。テキスト代込みで大人1500円であるが、満員という人気であった。それだけ関心が高いということであろう。今回の水上バスは両国国技館前を出発し、お台場海浜公園で折り返し、両国へ戻ってからはさらに浅草の桜橋まで行って帰る。この間約2時間30分、大人2000円というゆらり旅である。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月12日

水上バスで東京散歩2

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●両国橋を潜り次々と由緒ある橋を潜る
 両国国技館前の発着場をゆったりと出発するとすぐに両国橋を潜る。近年は観光客を乗せた屋形船や東京湾での釣り船が人気を呼んできたが、満潮時になると海面上昇の影響で橋を潜れなくなってきた。船底に水を注入し船を沈めるという対策を取っている。また、川の両岸に造った遊歩道にも水が上がってくるようになった。水上バスは近代的なデザインで船型も低く快適な乗り心地である。

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 続いて、新大橋(上段左)、清洲橋(上段中央)、隅田川大橋(上段右)と潜り、永代橋(下段2点)にやってくる。赤穂浪士たちが渡った時は木の橋であり水面はかなり下であったはずである。今は鉄骨とコンクリ-トでしかも船上のデッキで飛び跳ねると手が届きそうである。やがて越中島に到着する。観光客だけでなく日常の足として利用している人もいる。

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 次に比較的新しい中央大橋(左)を潜ると佃大橋(右)に来る。橋の無かった昔は佃煮を買い求める人が渡し舟を利用していたが、現在は車で簡単に来られるようになった。船上から見る佃島は昔の面影がまだ少し残っているようである。

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パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月13日

水上バスで東京散歩3

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●霊岸島の水位観測所跡
 越中島、佃島の対岸に昔は「霊岸島」といい、東京湾の水位観測所があった。現在は逆三角形のモニュメントがある。明治6年(1873)に我が国の陸地の高さを測量するために設置されたものである。明治6年6月から12年12月まで東京湾の潮位を測り、その平均海面を0mとして決めたのである。この0mを基準として明治24年(1891)5月、東京都千代田区永田町1-1憲政記念館構内に日本水準原点を設置、ここを標高24・5000mと決め、我が国の陸地の高さを決める原点にした。大正12年(1923)の関東大震災後は三浦半島油壺験潮場に移転、同時に内陸部の不動と思われる地点からの、直接(一等)水準測量の平均値を検討した結果86㎜の修正が行われ、24・4140mと定められた。この日本水準原点を中心として全国の主な国道や主要地方道に沿って、一等水準点が約2km間隔、2万2000カ所に設置されている。このように霊岸島水位観測所跡は、我が国の陸地の高さを決めた草分け的な場所なのである。

●勝鬨橋~浜離宮恩賜庭園
 水上バスは次の発着場、明石町・聖路加ガ-デン前に到着する。眼前には高層の聖路加病院やマンションが建ち並び、再開発により超近代的な都市に変貌した東京の姿がある。よく見ると、もうすぐ東京湾に出ようとするこの辺りにも遊歩道、公園、トイレなども整備されている。子どもを連れた人の散歩、ジョギング姿などが水辺利用の楽しさを映し出しているが、満潮時には水が上がるのであろうか、遊歩道にはくっきりと水の跡が見てとれる。

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 発着場を出発してすぐに勝鬨橋を潜る。ここも船上のデッキで飛び跳ねると手の届くような高さになってしまったし、交通量も多くなったので船のために橋を開けなくなってしまった。だから低い船しか通行できなくなったのである。

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 移転が決まっている築地魚市場(写真左)を横目に見ながら、浜離宮恩賜庭園発着場へと来る。浜離宮恩賜庭園は防潮堤で護られているので、水門(写真中央)を潜らなければならない。水上バス一隻がギリギリ通行できる水門で、この日現在の「水深4.1m」(写真右)と電光掲示板に表示が出ている。水上バスはしきりに警笛を鳴らし、ゆっくりとした速度で水門を通り発着場に向う。水門の中では他の水上バスが出るために待機している。入るも出るも一隻ずつしか通れない水門なのである。浜離宮恩賜庭園ではそんな船の光景を眺めたり、散策を楽しむ人たちが手を振ったりしている。

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パート4につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月14日

水上バスで東京散歩4

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●レインボ-ブリッジ
 お台場海浜公園までのクル-ジングで最後に潜るのがレインボ-ブリッジである。船上のデッキから上を見上げると違った風景が見られる。もちろんほとんどの船は潜れるが、クイ-ンエリザベス号やタイタニック号は潜れない高さになっている。なんでも羽田空港発着の飛行機に支障のないように高さ制限されたのだそうである。そういえばしきりに飛行機の飛ぶ姿が見られる。

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●お台場海浜公園発着場
 1時間が過ぎて東京湾に出てきた。竹芝桟橋に停泊している船や行き交う大型船、通って来た後の超近代的に変貌した東京の景色を眺めしばしくつろぐ。幕末にペリ-が来航し開国を迫られたとき、幕府が砲台を造った跡のお台場を傍に見る。そしてゆっくりと発着場に向かう。

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 正面にはフジテレビの本社ビルが迫ってくる。発着場にはすでにたくさんの人が折り返し出発する水上バスの到着を待っている。外国人観光客の姿も多く国際色豊かで、東京湾のクル-ジングを楽しむのであろう。到着すると乗客全員が下船、水上バスは点検と清掃のためしばらく停泊し乗客を待つのである。

パート5につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月15日

水上バスで東京散歩5

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●再び両国をめざし東京湾から隅田川へ
 来た航路を戻り、逆の方向から眺める景色も違った趣がある。林立する高層ビルやマンションに混じって遠く東京タワ-の姿も見え隠れする。来た時には目にしなかった物も見えて楽しい。夜のクル-ジングは夜景もすばらしくカップルに人気があるという。

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 両国に戻ってからは蔵前橋(上段左)、厩橋(上段中央)、駒形橋(上段右)、吾妻橋(下段左)、言問橋(下段右)と潜る。沿岸には隅田川公園があり桜並木が1kmにわたり植えられ、春には花見客で賑わう。浅草では屋形船や釣り船が沿岸に横づけされており、観光シ-ズンを待ちかねているようだ。水上バスはまもなく終点桜橋に到着、休む間もなく両国へと折り返して戻った。

●変貌する隅田川沿岸都市
 下町の文化と歴史が薫る隅田川沿岸であるが、ますます近代化の波が押し寄せている。平成23年度(2011)には業平橋、押上地区に、デジタル放送用アンテナを付け、450mの高さに展望台を備えた、約610mの新タワ-が完成する。国内外から世代を超えて多くの人々が訪れる国際観光都市に変貌することであろう。カナダ・トロントにある553mのCNタワ-をはるかに凌ぐ世界一の新タワ-と共に、超近代化した下町文化の薫る隅田川沿岸地域、まちがいなく東京の賑わいが隅田川に架かる多くの橋々を渡り東へ展開していくであろう。かつて江戸時代に両国橋を渡り、武蔵の国から下総の国へと人・物・金の流れを創ったようにである。

パート6につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月16日

水上バスで東京散歩6

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●災害は忘れた頃やってくる
 東京深川の木場に州﨑神社がある。この神社の境内に波除碑・津波警告の碑があることは今の人にあまり知られていない。5代将軍綱吉の生母桂昌院の守り神として建立され、弥生(3月)の潮時には海岸で蛤がとれた絶景地だったという。
 寛政3年(1791)9月4日、深川の州﨑一帯に襲来した高潮によって附近の家屋がことごとく流され、多数の死者、行方不明者が出た。火事と喧嘩は江戸の華と言われ、明暦の振袖火事(1657年)に代表されるごとく、大火は定期的に発生、その対策には色々と手がうたれていた。しかし、海からの高潮、津波対策は手薄であった。
 幕府はこの災害を重視して、州﨑弁天社から西のあたり一帯の東西285間(約518m)、南北30余間(約54m)、総坪数5467余坪(18000㎡)を買い上げ空地とし、これより海側に人が住むことを禁じた。そして空地の東北地点(州﨑神社)と西南地点(平久橋の袂)に波除碑を建てた。寛政6年(1794)に完成した石碑は、砂岩で脆く関東大震災と東京大空襲での損傷が著しいが現存している。現在この附近は開発され何事もなかったかのようにビルやマンションも建っている。しかし、地球温暖化による東京湾の海面上昇が進み、満潮時の台風による高潮、大地震による津波の襲来による被害で、折角の波除碑による教訓が生かされなかったというようなことにならないよう祈りたい。

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●おわりに
 今回のクル-ジングでも明らかなように、隅田川、東京湾沿岸、旧江戸下町が変貌し熱くなろうとしている。ちなみに、東京23区の総面積は621.4k㎡(平成16年)であるが、干潮面以下の低地124.3k㎡(20%)、満潮面以下の低地31.5k㎡(5.1%)、満潮面以上ではあるが高潮危険地254.6k㎡(41%)、合計410.4k㎡(66%)であり、実にこの大半が東京湾岸、隅田川東部地区だということを忘れてはならない。昭和22年(1947)のカスリン台風、昭和24年(1949)のキティ台風、昭和33年(1958)の狩野川台風による浸水被害を忘れてはいけない。2010年には外国人観光客1千万人誘致をめざす。今秋には観光庁も新設される。世界の観光地日本、その玄関口の東京、隅田川、東京湾岸、下町が賑やかになっていく。災害は忘れた頃やってくるという、万全を期した防災対策と普段の備え、関心を怠ってはならない。

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2008年02月17日

『篤姫』第7回「父の涙」

 会員一部の方は伊豆へ研修に行かれたようですが、当日本の校了と重なってしまい、行けなかったばかりか、朝帰りでドラマをタイムリーで観れなかったため、こちらの更新も2日遅れになってしまいました。『篤姫』の視聴率も第5回をピークに下がりはじめているのが気になります。
 今回は於一と尚五郎のラブストーリー最終回でした。まったりと流れていた時代も一気に2年も進みましたね。しかし、菊本の自害は解せないと思っているのは、僕ばかりでなく桐野先生も申しております。やはり普通に歴史を知る人ならそう思うのも無理ありませんね。しかも菊本が亡霊になって枕元に出て、「姫様を見守る」と云っているし、『うしろの百太郎』ですかあなたは。
 あとは嫁入り物語のような話でしたな。娘を送り出す父親の心情という感じで、於一に逢うと涙が出てしまうため、つい避けてしまう忠剛。「友の証」として御守を交換する於一と尚五郎。その一方では黒船の来航が刻一刻と迫っています。しかし、あの黒船はおもちゃの模型みたいでチャチですな。

 史跡紀行では鹿児島県指宿市を紹介。しかし、指宿の砂蒸し温泉はじめ、山川港や異国船番所跡、知林ヶ島、今和泉郷など、市内各所を一度に紹介した感じでまとまりがありません。第一、同じ指宿市内でも今和泉と指宿、山川では結構離れています。ということで今回はJR薩摩今和泉駅と指宿駅のスタンプをUPします。薩摩今和泉駅はJR化後に無人化されたのですが、大河ドラマの舞台ということで篤姫観光ガイド案内所として観光ボランティアガイドが常備されるようになりました。有人駅時代に「わたしの旅スタンプ」の類似スタンプが設置されていたので、ぜひ記念スタンプも復活してほしいです。なお、指宿市内の駅では二月田・指宿・山川などにスタンプがあります。

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投稿者:管理人
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2008年02月18日

凍結した糠平湖

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 北海道・十勝平野から40㎞ほど北の山中に、糠平湖がある。
 上士幌町からの国道横に、かつての国鉄士幌線の路線跡橋梁が見所になっている。第三音更川橋梁を見た。私はかつてこの路線を十勝清水駅へ向かったわけだが、鉄道への感傷はあまり生じない。「糠平国道」の表示に、悪路を走行した昔を思い出す。
 この朝、まだマイナス20度もの冷気を吸うので、咳こむし、吐き気までしてきた。湖面の結氷は厚さ50㎝とか。さらなる自分の軟弱を体験した。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月19日

信州木島平村のてんぷら

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 信州木島平村の珍しい天ぷら。
 私には馴染みのない食材ですが。左上からヤーコン、ヨモギ、干し柿、シメジそれに、あわてて食べてしまい姿を消したリンゴの天ぷら。ソバのツキダシに、写真をとる前にほとんど食べつくした野沢菜。ソバは地元産の10割。天ぷらは、すべて珍しくて新鮮です。エビ天のないスガスガしさを感じました。
 村のそば打ち研究会が開いている、そば処『樽滝』にて。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月20日

ヨーロツパ心に残る町4

ベネチア 〔イタリア〕

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 ベネチアを訪れるときは鉄道がよい。映画『旅情』冒頭のシーンでは、「ベニスの夏の日」のメロディとともに、ヒロイン、キャサリン・ヘップバーンが、鉄橋を渡る列車の中で、まるで子どものようにはしゃぎながら映写機を回し、初めて旅するベネチアの街に期待と喜びを表現。ラストシーンではせつない汽笛とともに、サンタルチア駅を離れる列車の窓から身体を出して、やるせぬ別れの気持ちを演じるシーンなどが登場し、ベネチアと鉄道は、旅人にとって最高のロケーションになるからだ。
 列車は陸側のメストレ駅を出ると、海を渡る長い大鉄橋に入る。鉄橋を渡る列車のリズミカルな音とともに、やがて海の向こうに、赤茶けた屋根の揃った美しいベネチアの町並みが現れ、列車は近づいて行く。心ときめかせながら、これから訪れる水の都への憧れにワクワクしながら行くのも、鉄道旅ならではの感動である。できるなら、列車の窓から思い切り顔を外に出して、潮風に迎えられながら眺めて行きたい(ユーロスターやシサルパンなどの特急列車は窓は開かない)。

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 やがて終着駅であるサンタルチア駅に到着。列車を降りた乗客たちは、それぞれに旅の荷物を持ちながら、ドドッと駅舎に流れて行く。駅舎を突き抜けて玄関前に出ると、運河と活気溢れるヴィポレット「水上バス」乗り場の雑踏が突然目の前に拡がり、海の中にある異色の街に来たことの強烈な印象を与えてくれる。
 鉄道旅では、荷物の移動などの都合上、宿は駅の近くに決めることが多い。昨年泊まった宿は、サンタルチア駅から徒歩3分の4つ星ホテル「ベリー二」だ。世界的観光地だけに、ホテル料金は他の都市と比べ割高だが、ベネチア市内ではサンマルコ広場などメインストリート付近に比べ、駅付近は安いようだ。宿のつくりも廊下こそ、この町のように迷路みたいであったが、メゾネットタイプの部屋にベネチアンスタイルという年代物の内装は、大変趣があり落ち着かせてくれた。
 ベネチアは街のすべてが写真の被写体になり、シャッターボタンから指を外す暇がないほどだ。入り組んだ個性ある歴史的また芸術的建築が海を埋め、その細い路地の運河を、波を軒先にチャプチャプと当てながら、観光客を乗せたゴンドラが行き交う。時折、狭い運河の交差点で、建物の間に吊り下げられた信号機に従って、向きを変えている運搬船やゴンドラのゴンドリエーレの交わす大きな声が、活気ある運河の路地裏に響く。
 潮の香漂う哀愁の街ベネチアの観光は、旅人に無限のテーマを与えてくれる。ガイドブックを見ながら、地図を頼りに歴史的建築物を訪れるもよし。ゴンドラに乗り運河めぐりを楽しむもよし。サンマルコ広場のハトと戯れ、楽団の演奏に酔いしれるもよし。また映画『旅情』のヒロインになりかわり、ロケ地めぐりもおもしろい。

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 私はいつも、迷路のような町並みを、道に迷いながらただ歩き、細い路地裏で頭上の洗濯物を眺め人々の暮らしぶりを感じたり、数えられぬほどあるショップを覗いたりして人々と接する、ぶらり散策が楽しい。ベネチアは何度訪れても新鮮な気持ちで迎えてくれ、まるでイタリアの磁石のように引き寄せられる、飽きない街である。

パート5につづく
投稿者:にわあつし
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2008年02月21日

雪国信州の普通の雪

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 信州の木島平では今年はじめての大雪。これが普通の積雪で、それでも平地で1.5mは積もり、2時ごろ、雪が解けたころにクルマを掘り出した。
 今年は粉雪で積雪が少なくて、地元では「助かる!」という。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月22日

東京の夜景のスタート

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 新宿の京王プラザホテル「樹林」で夕方打ち合わせ中でしたが、 にわかに外の樹がピカピカ。電気使用量の少ないLEDでしょうが、こんな混雑した街中まで電飾は不要です。たしかに「きれい」ですが、「きれい」よりも発電の原料はなにかを思うと、辛いわけです。
 世界共通貨幣にいずれ「酸素」が浮上すると思うからです。

投稿者:伊藤建介
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2008年02月23日

『ローカル線の旅』を使って

旅じゃBLOGを初めて早1年が過ぎました。ここんところ珍しく会員からの投稿が殺到したため2月9日から毎日連続して2週間も続きました。とりあえず27日までは埋まっていますが、この日だけ空いていましたので、本当に久々に埋め草記事を書きます。このまま記録が伸ばせるのでしょうか、それとも27日で途切れてしまうのでしょうか。半年以上も書いていない森田代表にそろそろ登場してほしいものです。

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先日、以前に制作した『懐かしい風景に出会うローカル線の旅』(人文社)の本を持参して、第2章の「房総路をゆく」ということで小湊鉄道(森田芳夫取材)、いすみ鉄道(上田取材)、銚子電鉄(小関取材)の3つのローカル線を旅してきました。

bosoodan.jpg kazusatsurumai.jpg kominatosyanai.jpg

 小湊鉄道といすみ鉄道を乗り継ぐには「房総横断記念乗車券」1600円がおトクです。普通にきっぷを買えば小湊鉄道1370円、いすみ鉄道620円ですから390円もおトクで、さらに一方通行になりますが、途中下車も可能です。
 ただし、小湊鉄道養老渓谷~上総中野間は5往復しかなく注意が必要です。始発は養老渓谷行なので、どこかで途中下車ということで選んだのが、関東の駅百選の上総鶴舞駅です。駅舎は当時のままですが、すでに無人駅。近くにいろいろ名所がありますが、残念ながら本書には周辺地図がないため、散策は光明寺だけにしました。次の列車まで1時間20分の待ちは非常に寒かったです。小湊鉄道はやはりシーズンオフということもあって、途中から車内は貸切状態になってしまいました。

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小湊鉄道と存続が決まったいすみ鉄道を接続する上総中野駅です。しかし、接続といっても互いのレールには車止めがあり、房総横断列車運転の実現には至っていません。

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最後は銚子電鉄です。1両の電車ですが結構賑わっていました。昔は1日フリーきっぷの弧廻手形620円のサービスについていた観音駅の鯛焼き。餡がたっぷり入っていておいしかったです。こちらもすぐに品切れました。なお、弧廻手形には現在、犬吠駅でぬれ煎餅1枚サービスの引換え券がついています。

投稿者:管理人
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2008年02月24日

『篤姫』第8回「お姫様教育」

 旅じゃBLOGも菊地会員に助けられる形で、現在のところとりあえず3月2日までは連続して更新できます。新たに投稿される会員はUPが3月3日以降になることご了承ください。まあ1週間が過ぎるのは早いものですから、昨年は6月18日までモチベーションが保てたことが不思議なくらいです。結局、どこまで続けられるかは会員の皆様次第なんですが、関心のない方も多いようで……。
 
 本題に入ります。於一は斉彬不在のまま鶴丸城に入ったようですが、周囲の嘲りぶりがむごいようで、さすがの於一も翻弄されている様子です。またまた桐野先生の『膏肓記』を参考にさせていただきますが、大奥は江戸城だけのものと思っていたら、大名家や上級公家にもあったようです。「大奥=江戸城」の固定観念にとらわれないよう。
 時代背景的には嘉永6年(1853)のペリー来航ですが、篤姫がメインとはいえ、ペリーの久里浜上陸のエキストラがないのは不満。ちょうどこの時期にようやく大久保の謹慎がとけ、於一は小松家の姫お近を呼び寄せます。このときお近は於一のところへの届け物があればと、於一の母や肝付尚五郎のところにも寄っています。すばらしい性格ですな。ところでこのお近は、のちの小松帯脇となる肝付尚五郎の妻になるのですが、ドラマでは7歳年上の姉さん女房です。お近は史実では千賀といい、生年は不詳なのですが、兄の清猷が尚五郎より8歳年上なので、まあ7歳年上でも問題はないのですが、結婚するのが清猷が亡くなった安政2年(1855)なので、当時では27歳という珍しく晩婚になってしまいます。実際はもう少し尚五郎の年齢に近い気もしますが……。
 で、お近が持ってきた母の手紙となぜか渡される菊本が自害前に書いたという手紙。まあ、この手紙の内容からでも菊本の自害はムリがありますが、とにかく菊本の手紙を読んで変身する於一が不気味。一方、京都の近衛家から於一の養育係にもらい受けた幾島(松坂慶子)が鶴丸城に入り、さらなる教育が施される模様です。

 史跡紀行ではペリー来航の神奈川県横須賀市を紹介。ここはライターの古賀氏に取材してもらった箇所で、ペリー上陸記念碑や燈明堂、渡し舟などが出てきました。今回はペリー公園内の上陸記念碑とペリー像およびもうひとつのJR久里浜駅スタンプをUPします。この取材は慌しく月曜に出かけたため、ペリー記念館のスタンプは押せませんでした。残念。

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投稿者:管理人
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2008年02月25日

三浦半島油壺湾1

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浸食谷の沈水による狭い湾内は油を流したように波穏やかである。ヨットハーバーとして有名だが、国土交通省国土地理院の験潮場が設置され、毎日水位測定が行われている。日本水準原点に送るデータや、地球温暖化による海面上昇、地震予知等に資する重要なところなのである。

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●京浜急行とバスを乗り継ぐゆったり旅
 旅ジャーナリスト会議の会員である、(有)ブルボンクリエイション小出文彦氏が企画・制作し、会員の多くが執筆と写真協力した、『新・全国フリーきっぷガイド‘07~‘08』(人文社発行)の中から、京浜急行電鉄(鈴木龍生記)のガイドを参考にしよう。京急品川駅で「三浦半島1DAYきっぷ」(1900円)を購入、特快で三崎口駅まで約1時間余のゆったり旅である。乗車して走り出すとすぐに気がつく。なぜか車内がゆったりしており、騒音も振動も感じない。
 鈴木氏によれば、「明治32年(1899)日本で3番目、関東では最初の電車として、生まれた時から標準軌1435mのレールで走り続けており、軌間で考えると新幹線などは孫みたいなもの」と評している。そのとおりの実感でスピードこそ違うが、新幹線のぞみの気分といってもよい。1DAYフリーきっぷの特典をあらためて見てみると、京急バスは金沢文庫以南で全線乗り放題のほか、優待割引となる施設が色々とある。三浦半島のチラシを見ながら、あれこれ計画を練るのも旅の楽しさである。

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●三崎口駅から京急バスで油壺へ
 終点三崎口駅前からは各方面へのバス路線が多くある。電車から降りた観光客の多くは、城ヶ島や三崎港へのバス停に並ぶ。やはり城ヶ島の景色と日帰り温泉、そしてお目当ては三崎魚市場のマグロなのであろう。それに比べ油壺へのバス停は心なしか寂しい。バスは約20分間隔で運行されており、結構便利である。フリーきっぷを見せるだけで何処でも乗降できるのも便利である。バスは三崎口駅前を出発すると、15分位で終点の油壺に到着する。暖冬なのであろうか1月だというのに、菜の花や梅の花が咲き、畑では農作業をする姿も見られる。沿道には所々マグロの料理が食べられるお店の看板が目について途中下車したくなる。
 終点油壺のバス停(写真右)は、何と立派な公衆トイレの建物の真ん前である。観光地トイレの充実は筆者の取り組んでいるテーマの一つであり、このような光景を見ると心なしか嬉しいものである。しかし、折り返しバスの発車場所前には、昔の駄菓子やのような古いおみやげ屋が2軒並んでおり、それぞれにおばあさんがいるだけである。店を覘いても、どうも売れそうにないみやげ物で、なんとも侘しい光景である。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月26日

三浦半島油壺湾2

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●国土交通省国土地理院油壺験潮場
 バス停から約100mほどのところに験潮場入口という標識が立っている。足元の危険な階段状の狭い道を下りて行くと、ほどなく一等水準点(写真右)に突き当たる。ここは、全国に設置されている基準水準点83点の一つで№.26である。昭和5年(1930)に設置され、標石上面が東京湾平均海水面からの高さ(標高)を表わしている。その高さは16m6905となっている。

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 さらに下っていくと海となり、そこに験潮場が設置されている。北緯35度9分37秒、東経139度36分56秒に位置し、明治27年(1894)7月から観測が開始された。験潮場は2棟あって奥にあるレンガ造りのほうが最初の験潮場(写真左)、手前が新しい験潮場(写真右)である。古い験潮場には「建設省国土地理院油壺験潮場」という古びた木の看板が掲げられている。
 現在は手前の新しい建物が使われており、館内には海面の上がり下がりを自動的に、精密に記録する験潮儀が設置されている。この記録は高さの基準を決めたり、土地の変動や地震予知のために非常に大切な資料になる。我が国は明治政府が国土の測量を始めたとき、東京湾の霊岸島験潮場のデータを使用していたが、関東大震災後は油壺験潮場のデータを基準としている。
 毎日水位観測を行い、東京都千代田区永田町1―1憲政記念館構内にある、日本水準原点の基準値に使用されている。当初は25mであったが、関東大震災による地盤沈下と潮位の変化により86㎜修正されて、24m4140となり現在に至っている。この基準により全国の標高が定められ、富士山は現在の3776mとされているのである。また、毎日のデータは海岸昇降検知センターにも送られ、気象庁や海上保安庁、全国の自治体による験潮データと併せまとめられている。最近の地球温暖化による海面上昇や地震予知などに不可欠な資料となっているのだ。

rockhopper-penguin.jpg ●京急油壺マリンパーク  験潮場からさらに100mほど足を延ばすと小網崎の先端にマリンパークがある。1DAYフリーきっぷを提示すると、入園料大人1700円が1000円になる。ここは昔、三浦氏の本拠、新井城があったが、三浦道寸(義同〈よしあつ〉)のとき、永正15年(1518)北條早雲によって滅ぼされた。この城跡に油壺マリンパークという海のレジャーランドがある。360度ぐるりとドーナツ型の大回遊水槽には、全長3mのサメ「シロワニ」が遊泳していたり、色々な魚の餌付けが見られる。大海洋劇場ファンタジアムでは、イルカ、アシカショーやキタイワトビペンギンなどが身近に見られる。しかし、油壺の特徴的な物といえば、「海洋深層水」であろう。このマリンパークでは海洋深層水を利用した世界初の展示施設「海洋深層水館D・S wonder」が見どころである。

パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月27日

三浦半島油壺湾3

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●21世紀の水「海洋深層水」
 近年、様々な分野から「海洋深層水」が注目されている。これは、大陸棚より沖合いで光合成に必要な太陽光が届かない、水深200m以上のところにある海水である。極海の海域で冷えて比重が重くなった海水・ブルームが、海底に沈みこみ長い年月をかけて、一度も大気に触れず何世紀もかけて地球を回っていると言われる。低音で細菌がなく生物に必要なミネラル等を豊富に含んでいる。飲料水、食料品、医療、健康、水産業、エネルギー等々多方面での利用が期待されている。油壺の取水設備では、三浦沖約5㎞、水深330mから取水した海洋深層水は原水、ミネラル水、塩水、淡水、ミネラル塩水の5種類に分けられる。このような施設は試行も含めて全国に約30カ所あるが、ここは相模湾で陸地より至近の海底から取水できるという利点がある。

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海洋深層水露天風呂効用書と名物マグロ丼1200円

●海洋深層水の利用例
 京急油壺マリンパークに隣接して、海洋深層水の取水施設がある。その隣りのホテル京急油壺観潮荘では、海洋深層水の露天風呂があり、日帰り入浴もできる。1DAYフリーきっぷを提示すると、入浴料1000円が2割引となる。この露天風呂の特徴は、海風を吸入する「空気浴」、太陽の光を浴びる「日光浴」と海洋深層水による「海水浴」を同時に行える。この温浴はタランソラピー(海洋療法)としても優れているといわれ、アトピー性皮膚炎などに効用があるとされる。色々な入浴方法が楽しめるが、実際にちょっと舐めてみると正しく塩味である。その他、海洋深層水を利用した飲料水や健康食品、日本酒、焼酎、水産加工品、お菓子類等々お土産品も豊富である。21世紀健康志向の高まるなか、海洋深層水の利用が注目されるであろう。海に囲まれた島国の日本だからこその研究開発であり、大いに期待したいと思う。

●おわりに
 旅ジャーナリスト会議では、旅と地球温暖化というテーマに取り組んでいる。海面上昇による色々な出来事も報告されているが、今回、水位観測をしている油壺験潮場を訪ねたところ、思わぬ副産物を得た。海洋深層水である。これからも、海面上昇について注目していくとともに、海洋深層水の行く末にも関心を高めて行きたいと思う。

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2008年02月28日

河津桜と早春の爪木崎1

春を待ちかねていた多くの人が河津桜を観賞して、ひと足早く春を肌で感じようと訪れる。旅ジャーナリスト会議でも2月17日(日)~18日(月)に、森田代表他6名の会員が河津桜と爪木崎の水仙と秘湯を訪ねる研修旅行を実施した。

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●河津町(かわづちょう)
 緑と清流と温泉、面積101k㎡、人口9千人足らずの町が、年に一度町をあげて取り組む河津まつり。伊豆半島の東海岸に位置し、大部分が天城山系の山林である。町の中央を天城峠を発源とする河津川が流れ、わずかに下流部分のみが平地である。河津川の流域は上流に河津七滝や大滝、七滝温泉、中流には湯ヶ島、下流には峰、河津浜、今井浜温泉があって河津温泉郷を形成している。河口付近には砂浜が広がり海水浴で賑わう。山、渓谷、温泉、海と観光資源にはこと欠かない河津町。年に一度、まつり実行委員会のもと、役場、観光協会、商工会賛助店、河津桜まつり賛助会員や町民あげての熱い1カ月におよぶイベントが繰り広げられる。

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●河津桜
特徴は開花時期が早く、2月上旬から3月上旬まで約1カ月にわたって咲くことである。花が大きくピンク色で、緋寒桜と早咲きの大島桜が自然交配したものと考えられているが、昭和50年(1975)4月、河津町の木として指定された。伊豆急河津駅より1.3㎞上流には、河津桜の原木が凛として咲き誇っている。原木の地は民家の庭先で駐車場も無いため、近くの河津町役場が駐車場やトイレも提供して、ボランティアが活躍している。

●河津桜原木物語(原木前の看板から引用)
「昭和30年頃の2月のある日、この家の主であった飯田勝美氏が河津川沿いで(豊泉橋上流の田中地区側)、冬の枯れ雑草の中で芽吹いていた1m位に育った桜の若木を偶然見つけて庭先に植えた事が始まりでした。約10年後の昭和41年1月下旬、やっと花が咲き始めました。同年4月、主の勝美氏は花が咲くのを見届けて永眠しました。その後きれいに咲く桜を見て譲って欲しいという話もありましたが、思い出の桜のため手放さなかったそうです。当時、この家の屋号からこの桜は「小峰桜」と呼ばれ親しまれていました。その後の調査で新種の桜とわかり昭和49年には河津で生れた桜であることから「河津桜」と命名され昭和50年4月に河津の木に指定されました」(飯田ひでさん談)
原木の大きさ 木高約10m 樹幅約10m 幹間約115㎝

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 原木を観賞しての帰り道、ふと商店の店先に置いてある鉢植えが何ともいえない不思議なものであった。仏手柑(ぶしゅかん)という種類の柑だそうである。

●町をあげてのイベント
 花見は昼間も楽しいが夜桜もまた格別の感がある。まつりの期間中は河津駅前会場と峰温泉、それに約10㎞も離れた河津七滝ループ橋下まで、あちらこちらで夜桜ライトアップが楽しめる。足湯のサービス処、甘酒や火鉢で暖をとるサービス、伊豆踊り子と記念撮影、スタンプウォーク等々盛りだくさんである。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年02月29日

河津桜と早春の爪木崎2

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●爪木崎
 河津温泉郷も魅力ではあるが、雑踏と喧騒を逃れて少々足を延ばし爪木崎を訪れた。今年は寒い日が多かったせいか、水仙まつりとアロエまつりが終ったというのに、まだまだ見てくれと言わんばかりに咲いている。

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 池の段とよばれる草原一帯に、冬は水仙。アロエ、夏にはハマユウが咲き誇る。

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 海岸は海食崖で爪木島、田浦島の岩礁が見事な姿をしている。六角柱状節理を伴う安山岩が、海食で露出する俵磯海岸は県の天然記念物となっている。須崎遊歩道での散策、先端に行けば爪木崎灯台に出て、伊豆七島の眺望がすばらしい。海水浴や磯遊びも楽しめ、須崎御用邸がこの地にあるのも納得できる。

●秘湯の宿「風」
 伊豆急下田駅から爪木崎行バスで約15分、下田・爪木崎公園、須崎御用邸に隣接し海水浴、森林浴、加えて温泉と豊富な海の幸が味わえる。館内にはペリー開国当時を思い起こさせる、西欧アンティークや骨董が飾られたりして、和洋とりまぜての癒しの空間となっている。

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 この「風」こそ、日本の秘湯を守る会の宿であり、屋上にある露天風呂からの眺望は、寝姿山に沈む夕日、伊豆七島と海から昇る眩いばかりの日の出、まさに秘湯の名に相応しい露天風呂である。この「風」は、江戸情緒を楽しむ宿、江戸の遊びを楽しむ宿として知られる、浅草の助六の宿「貞千代」が経営しており、永年の経験と地元の豊富な食材を使っての料理と地酒がなおいっそう心に残る。

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パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年03月01日

河津桜と早春の爪木崎3

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●下田港・ペリーロード
 下田は幕末開港の歴史探訪や黒船下田港内めぐりによる湾内からの眺望も趣がある。華やかさはないものの、町おこしのひとつとしてペリーロードの散策が静かなブームにもなっている。

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 日露和親条約が結ばれた長楽寺、日米下田条約が結ばれた了仙寺(写真左)(境内裏手には古墳跡(写真右)がある)辺りから用水路の両側に沿って、ペリー上陸記念碑のある港まで続く。ここは幕末当時の下田の花街跡。ミニ倉敷のように情緒溢れている。町おこしの一環として用水路を綺麗にしたり、趣のある品揃えの店、ちょっと入ってみたくなるような飲食店などゆったりとした散策が楽しめる。

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●むすび
 今回、河津桜まつり取材と秘湯の宿爪木崎「風」に泊まり、早春の南伊豆の旅を味わった。今年のNHK大河ドラマ『篤姫』は、これからペリー来航による幕末の開港、開国の場面を迎える。下田開港博物館に立寄り、さらに知識を高めることで一層興味が湧くであろう。伊豆急下田駅からは特急踊り子号で帰京の途に着く。ホームには無事帰るように祈る石造の「カエル像」が見送ってくれる。

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おしまい
投稿者:菊地正浩
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2008年03月02日

『篤姫』第9回「篤姫誕生」

 幾島(松坂慶子)登場。広川よりきつい教育にさすがの於一も圧倒されている様子です。しかし、「口にしたことは守り通す」という姿勢いいですね。口先ばかりの人間が多い世の中ですから人間的にもすばらしいことです。その一方で於一の薩摩訛りを指摘しており、これが菊本自害の理由に強引に結びつけようとしているのがミエミエです。だったら最初からそのような出自の娘を養女にもらわなければすむことですから……。
 この幾島についてまたまた桐野先生のブログを参考にさせていただきますが、調べてみますと家定正室篤姫の御年寄(奥向きのすべてを取りしきる役)で、最初は「藤田」と名乗っていたそうです。元々は薩摩の出身で、斉彬の祖父にあたる島津斉宣の娘郁姫に仕え、京都の近衛忠煕に嫁いだ際に上京。嘉永3年(1850)に郁姫が亡くなると出家して「得浄院」と号していたそうです。しかし、ドラマを観てますと剃髪していない様子。また幾島は「こぶ」のあだ名で呼ばれてように史実では大きなこぶがあったそうです。
 そしていよいよ於一が本題の「篤姫」を名乗ることになります。これは11代将軍家斉に嫁いだ正室広大院(8代藩主島津重豪の娘)が「篤姫(とくひめ)」を名乗っていたことにちなんで「あつひめ」と名づけられたそうです。
 一方で13代将軍となる家祥が父家慶の死に際してネジをまけとか、雨の中花に水をやっていたりと馬鹿殿ぶりを強調していましたが、どうもこれってわざと演じているようにもみえてしまうんですね。それとも『三国志』の阿斗(劉禅)のようなキャラなのでしょうか。

 史跡紀行では再び鹿児島市内に戻って石橋記念公園の西田橋と鶴丸城跡を紹介していました。元々は甲突川に架かっていた石橋を移転・復元したのが石橋記念公園で、ここには西田橋のほか、高麗橋・玉江橋も架かっています。併設の記念館は無料で見学でき、スタンプもあります。最初に行ったときは休館日でしたが、最終日に再度訪れてスタンプをGETしましたのでUPします。

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 それにしても鶴丸城跡の大奥跡があの駐車場とはビックリしました。昨年の『風林火山』でも高遠城跡の勘助郭跡も駐車場になっていたし、観光開発と史跡保存のギャップを感じてしまいます。

投稿者:管理人
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2008年03月03日

ヨーロツパ心に残る町5

ブルージュ 〔ベルギー〕
「天井のない美術館」と言われる、美しい街ブルージュは、首都ブリュッセルから、オーステンデ方面への急行列車で約1時間。車窓いっぱいにベルギー・フランドル地方の広がる田園地帯を眺めながらの、のどかな列車旅だ。
 13世紀頃から北海に通じる航路の拠点でヨーロッパ最大の港町として栄えたブルージュは、15世紀末、港への航路が泥で埋まり北海への道が絶たれると、繁栄の町から閉ざされてしまい、20世紀初めに新しい海路が開かれるまで何百年もの間歴史の蔭に埋もれていた。

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 中世ハンザ同盟の町として、豪華絢爛に輝いていた時代そのままに現存する町並みは、心に響くものがある。ブルージュ駅から街の中心マルクト広場に聳えるベロアの塔までは、ゆっくり歩くこと約30分。メロディを奏でるカリヨンの音とともに、366段の石段を登り詰めた高さ83mの鐘楼からの眺望は、煉瓦色の屋根の鮮やかさと、三角形の切り妻の家並みの階段状の形が、宝石のカットのような美しさに見える。そして「北のベニス」と呼ばれるほどに、迷路のように張り巡っている運河の輝きは、名の如く宝石を散りばめたような世界である。
 今回訪れた6月のブルージュは、曇り空に時折小雨のぱらつく肌寒い気候であった。濡れた石畳の通りを歩き、見上げるゴシック建築の市庁舎やベロアの塔は、フランドル特有の霧が、覆い被さりまた流れて行き、幻想的な世界を描き、深い眠りの歴史を映し出しているようである。

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 遊覧ボートで巡る町並みはまた違う顔がある。橋梁の下すれすれに進むなか、運河の両岸には歴史的建物が続き、建物を覆う蔦や木々とともに運河に映る。折り返し地点近く「愛の湖」には、白鳥が戯れ子どもたちが遊ぶ。すぐ近くには、かつて中世ヨーロッパで流行した「らい病」で、帰らぬ子どもたちを収容したという、ペギン会修道院の白い建物があり、激動の時代の哀れさを語りかけているようである。

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 昔、アントワープで貿易会社をしていた友人家族に連れられ、初めて訪れたブルージュのマルクト広場の屋台で子どもたちと食べた、マスタードをたっぷりとつけた揚げたてフライドポテトの味が忘れられず、今回も移動屋台を探す。観光馬車乗り場横に屋台を発見し、寒いなかホカホカのフライドポテトを、昔を思い出しながら食べる。

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 ブルージュでの味は、本場ベルギーのまろやかな味の琥珀色ビールと愉快なチョコレート、そしてホカホカのフライドポテトが最高のグルメであった。

パート6につづく
投稿者:にわあつし
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2008年03月04日

倍率325倍、公募のいすみ鉄道社長に吉田氏

本日のお客様は実に約8カ月ぶりのカリスマ編集者森田芳夫氏です。

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 2月28日付けの朝日新聞千葉版は、経営再建中の第三セクター「いすみ鉄道」が公募していた社長に、吉田平氏(48)が選ばれ、4月1日から2年間就任すると報道した。
 同社は1988年の開業以来、赤字続きで県などの支援を受けていたが、民間の経営感覚をとりいれて再生をはかろうと、年収7百万円で社長を公募したところ、全国から325人が応募、年齢も21歳から76歳だったという。吉田氏は旧千倉町(現南房総市)生まれで、父が創業した千葉市にあるバス・タクシー会社平和交通(有)など3社を経営する。千葉市内で「買物バス」の企画をするなど、新サービスの企画や豊富な経験とノウハウが評価されたと報じられている。
 紙面の最後には「客の視点を大切に再生の実現に努力したい」という本人のコメントが掲載されていた。

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投稿者:森田芳夫(写真提供:上田)
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2008年03月05日

「向う両国」門前仲町の魅力1

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江東区西部、深川との境を首都高速5号線が通り、永代通りと清澄通りが交差し、その下を地下鉄営団半蔵門線と都営大江戸線が走る。近代化されはしたが今なお江戸下町の名残を止める。地下鉄を降りて地上に出ると、深川不動堂や富岡八幡宮に参詣する人、参道の両側に並ぶ店で土産品を買う人、名物深川蒸篭めしに行列をつくる人、一年を通して終日賑わいを見せる、それが東京の下町門前仲町の魅力である。

●いわれ
 承応2年(1653)四代将軍家綱の時、永代寺地所に門前町屋を開き、永代寺門前仲町と称したのが町名の起源とされる。8月15日を中心に行われる「深川八幡祭り」、10月初旬越中島橋そばの臨海公園で催される「深川の力持」、大横川ほとりの黒船橋公園で公開される「木場の角乗り」は有名である。

●隅田川への架橋
 明暦の大火「振袖火事」によって多数の犠牲者を出したことを反省し、幕府は大川(隅田川)に橋を増設することとなった。それまでは江戸城を守るという軍事上の見地から、千住大橋の一か所しか架かっていなかった。最初に現在の両国橋より下流20~50m付近に大橋を架けた。その後、元禄6年(1693)に新大橋が架けられると、それまでの大橋を改め武蔵国と下総国、両国を往来することから何時しか江戸っ子が「両国橋」と名付けたという。元禄11年(1698)には永代橋、安永3年(1774)に吾妻橋(当初は大川橋と呼んだ)が完成し、以降順次隅田川への架橋がなされていったのである。
 ちなみに両国橋だけでも5回焼け落ち、大水により2回流失、破損による改修は十数回にのぼる。明治8年(1875)にやっと新しい木橋が完成するも、明治30年(1897)に夏の川開きで大勢の人の重みにより、両側の欄干が落ち数十人が死傷した。明治37年(1904)に鉄橋となるも、大正12年(1923)の関東大震災により改修、昭和7年(1932)やっと現在の姿になったが、昭和20年(1945)3月には東京大空襲にもあっている。

●江戸下町とは
 橋が架けられると橋番という係を置き、広場を造った。人が来るから必然的に店や見せ物小屋ができたのである。武蔵国側では広小路という繁華街ができて、江戸の気取った人たちで賑わった。一方、下総側の東両国を「向う両国」と呼んで、少々見下していたのである。しかし、向う両国のほうがざっくばらんな江戸下町の人情溢れる人たちで賑わったという。粋な築地、浜町河岸の芸者と人情味ある深川、辰巳芸者に代表されていたようである。日本橋を出て広小路の繁華街を抜けて両国橋を渡ると大相撲発祥の地「回向院(えこういん)」があった。それから紀伊国屋文左衛門の屋敷(現在の清澄庭園)を抜けると門前仲町に行けた。永代橋が架かると、日本橋からまっすぐに門前仲町に行けるようになった。『忠臣蔵』で有名な赤穂浪士も吉良邸討入り後、この永代橋を渡り、江戸城の近くを通り三田から芝高輪の泉岳寺へと歩いて行ったのである。

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パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年03月06日

「向う両国」門前仲町の魅力2

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●富岡八幡宮
 徳川幕府が開かれた当時、深川一帯は江戸湾内に点在する砂州の集まりであった。いたるところ葭葦が茂り、住む人も少なく漁業する人が主で集落程度でしかなかった。その一角に永代島と呼ばれる小さな島があり、その一帯を菅原道真公の後裔といわれる長盛法印が埋め立てて、社地を氏子の居住地とし、寛永4年(1627)八幡宮を創設したとされる。この開拓地が現在の八幡宮境内、深川公園、富岡町、門前仲町に該当、6万508坪という広大な社有地であったといわれる。その後、真言宗大栄山永代寺を建立、長盛法印自ら初代住職となった。明治維新となってから神仏分離令により、永代寺は廃止させられ、現在跡地は深川公園となっている。およそ千年前の利根川は向島辺りで東京湾へと流れていたが、治水工事により銚子のほうへと流れを改修、従って隅田川はずっと後に出現したのである。
 隅田川の出現により同じ氏子地域である深川と日本橋、京橋の一角を分断することになってしまった。深川側となった永代島にある八幡宮なので、昔は「永代八幡宮」とも言われた。この永代島八幡宮(富岡八幡宮)と永代寺に、江戸の人々が参詣するようになると、大名、小名の下屋敷や豪商の別邸などが建ち賑わうようになった。そして、門前町が発生し江戸文化の華が開くこととなる。辰巳芸者に代表されるごとく辰巳情緒、下町情緒なるものが醸成されていったのである。

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●門前町
 江戸湾の魚貝を獲って細々と暮らす漁師町であった小さな永代島が、深川という広い地域に展開されていき、門前町が発生した。隅田川に注ぐ支流や堀川という水利の便は木場となり、佐賀町の倉庫地帯となり、やがて下町の工業生産地帯を形成していった。現在、東京でも比較的純朴な下町情緒溢れる土地柄で、その沿革を辿ると八幡宮との歴史的結びつきによるものであることがよく理解できる。この一帯の人々は富岡八幡宮を尊敬し、祭礼を愛好し伝統を守り続けている。


パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年03月07日

「向う両国」門前仲町の魅力3

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●富岡八幡宮の祭礼(深川八幡祭り)
 毎年8月15日を中心に行われ、江戸三大祭りの一つに数えられている。他の二つは山王日枝神社と神田明神で「神輿の深川、山車の神田、だだっ広いが山王様」と言われ、それぞれ百か町村以上の氏子町内を有していた。寺社奉行直轄免許の祭礼で「天下祭」と呼ばれていた。なかでも八幡宮の祭礼は下町風の勇み肌祭礼として、勇壮な神輿振りで庶民に人気があった。当初は御船祭であったが、元禄時代深川に屋敷のあった紀伊国屋文左衛門が、金銭に糸目を付けず総金張りの大神輿を奉納したことから神輿祭りになったという。しかし、大正12年(1923)の関東大震災で惜しくも焼失してしまった。
 粋で神輿好きな深川っ子の悲願は、平成3年5月にようやく成就、台輪幅1.5m、屋根の最大幅2.9m、高さ4mを越え総重量は約4.5トンに達するものである。大きさ重さともに日本一を誇り、装飾には多くのダイヤ、ルビ-、24Kの純金がふんだんに使われるという真に見事なものである。奉納の儀式は目を見張るものであったが全国にも報道された。まさに江戸下町っ子の心意気そのものであろう。
 3年に一度行われる「本祭り」には氏子各町から大神輿ばかり五十数基が列を組んで約2㎞も練り歩く。沿道には7~80万とも言われる見物客で埋まる。神輿の担ぎ手に水を浴びせることから別名「水掛祭り」とも言われ、昔からの伝統を守り江戸の粋を伝える唯一の祭りとなっている。

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●深川不動堂
 元禄時代に江戸町人を中心に不動尊信仰が広まった。成田山新勝寺は信徒数も増え、寺格も上り本山へと発展していった。この過程で成田山のご本尊、不動明王を江戸で参拝出来ないものかと考えるようになった。元禄16年(1703)4月に初めて江戸に於ける出張ご開帳が実現した。“お犬様”で知られる五代将軍綱吉の母桂昌院が、成田山の不動明王を江戸で参拝したいと言って実現した。桂昌院は深川の木場にある州﨑神社(境内には波除碑・津波警告の碑がある)の守り神にもなっている。成田山を出発した総勢約300人の行列は、ご本尊共々一週間かけて到着、2カ月にわたる江戸ご開帳は大変な人気であった。
 このご開帳場所となったのが永代寺境内で、深川不動堂の起こりとされる。明治になり神仏分離令によって永代寺は廃寺となり、明治2年(1869)現在の地に深川不動堂が認められた。同14年に本堂が完成したが、関東大震災と東京大空襲と二度も焼失した。幸いにもご本尊は焼失を免れた。昭和26年(1951)、千葉県印旛沼の龍腹寺を移築して現在の本堂とした。江東区最古の本造建築で老朽化が著しく、平成3年大改修をした。平成14年、300年記念事業として内佛殿を建立、東都随一の不動霊場として幅広い信仰を集めている。

パート4につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年03月08日

「向う両国」門前仲町の魅力4

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●百万歩の男「伊能忠敬」
 我が国の地図史は伊能忠敬(1745~1818)抜きには語れない。延享2年(1745)、上総国九十九里浜のほぼ中央、小関村の名主の家で誕生した。名を「三次郎」といい、幼少より読み書き、算盤などの基礎教育を受け書物を好んだ。17歳で佐原の酒造元伊能家へ入婿、商才を発揮して財を成した。当時、地球が円いことは判っていたが、大きさ、距離は判っていなかったので、地球を測ることを考えていたという。49歳で息子に家督を譲って江戸に出て、天文学者高橋至時(よしとき)の門下となり測量術の習得に励んだのである。

●江戸黒江町の隠宅
 伊能忠敬は江戸の住まいを黒江町、現在の門前仲町一丁目に構えた。19歳も年下の高橋至時の弟子となり、暦学、天文学を学ぶ傍ら、門前仲町の隠宅を中心に深川、浅草辺りまで歩測して地図を作成したという。伊能は訓練の結果一町を158歩で歩いた。一町は60間、1間は6尺、1尺は30.30cmとすれば、歩測の一歩は69.03cmとされる。寛政12年(1800)4月19日、幕府の命を受け全国測量に出発する。早朝に富岡八幡宮に参拝してから蝦夷地に旅立ったといわれる。伊能は17年の歳月をかけ全国を測量した。この時、日頃訓練した歩測に加え、間縄と天体観測を駆使して測量していった。この間10回の旅立ちであったが、その都度富岡八幡宮に参拝し無事を祈ったのである。

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●伊能忠敬の銅像
 平成13年1月20日、富岡八幡宮参道入口大鳥居前に銅像が建てられた。大きな黒御影石に刻まれた日本地図を背景に、杖先方位盤を手に測量へと旅立つ姿である。銅像の隣りには、国土地理院による新地球座標系の国家基準点(三等三角点)が設置され、まさに近代日本地図の祖、伊能忠敬に相応しいものと言えよう。多くの参詣者、観光客が名物深川めし(あさりのせいろむし)、甘酒屋を訪れるが、この銅像も必ず目に触れ、後世に永く語り継がれていくことであろう。                                      
●むすび
 隅田川への架橋は順次行われ、近年はレインボ-ブリッジも出現した。かつて永代島から深川へ深川へと埋め立てられ拡大されていった「向う両国」であるが、今や超近代的な都市に変貌しつつある。平成23年度(2011)には業平橋、押上地区に、デジタル放送用アンテナを付け、450mの高さに展望台を備えた、約610mの新タワ-が出現する。「向う両国」、下町などと言われ見下されていたようなことは、武蔵国側にお返ししたい気持であろう。忘れてならないのは、あくまでも埋め立て地である。地球温暖化による東京湾海面上昇は何時災害をもたらすか判らない。木場の州﨑神社境内にある「波除碑・津波警告碑」を決して忘れてはならないと思う。

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2008年03月09日

『篤姫』第10回「御台所への決心」

「お姫様教育」ならぬ将軍正室の「御台所教育」としてエスカレートしていきます。箸の使い方から三味線、鼓打ちなど相変わらず大変ですな。篤姫はまたも目に落書きしていますし。さすがの幾島も覚悟のない篤姫に困り果て、斉彬に真相を話すべきと云っております。
 ついに篤姫に真相を打ち明けると、篤姫は茫然自失。眠れない夜についに城から逃亡まで企ててしまいます。そこで斉彬に真相を問い質し、ようやく御台所になることを決意。「己の意志で江戸へ赴き、国を守りたい」と云っています。しかし、幕政破綻の一因として大奥の奢侈があったのではないですかな。そのあたりは江戸に行ったあとの篤姫を見ないと分かりませんが。
 そして相変わらず家祥の馬鹿殿ぶり。折しも黒船来航でてんやわんやで、老中の阿部雅弘は大名・幕臣から庶民にまで対策を求めたようです。家祥が採用した「酒でもてなして、火薬庫の所在を調べ、相手が眠ったところに火を放てばよい」という案のもとは、新吉原の遊女屋主人藤吉の献策がもとになっています。たしかこの案が成功した暁には「吉原一廓の門の通用を許してほしい」というものだったのですが……。あと庭でアヒルを追いかけてずっこける家祥。この話は創作のようですが。今回、初耳だったのは海防掛の深谷盛房(野村信次)。生年は1767年で没年は不詳だそうですが、一応、老年のため致仕する嘉永7年(1854)までは存在が確認できます。しかし、時代設定からみると当時87歳! 野村信次さん(63)でも若すぎたようです。
 
 史跡紀行では徳川斉昭の故郷・茨城県水戸市を紹介しました。何たる奇遇。実は昨日、梅の花を見に偕楽園へ行ってきたばかりなのです。今年は寒かったせいもあってか。梅の花はまだ八分咲きでしたが、ものすごい人だかりでした。偕楽園の徳川斉昭と七郎麿(のちの15代将軍慶喜)の像も見たばかり。今回はその偕楽園と水戸駅のスタンプをUPします。

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≪追伸≫
桐野先生が15日にようやく再放送で観れたそうです。相互リンクということで。先生のブログもどうぞ。

投稿者:管理人
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2008年03月10日

「天下第一の桜」信州高遠城址公園のお花見にJRが臨時列車と臨時バスを運行

天下のカリスマ編集者として名を馳せ、会代表および伊那ふるさと大使でもある森田芳夫氏より速報です。

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園内約1500本の桜のうち、最も美しいと合併前の高遠町長ご推薦の銘木。
高遠美術館にほど近い。

アルプスの残雪を背景に、ピンクの色取りが美しく浮かび上がる高遠城址公園の桜、1500本が一斉に満開となる時期にあわせ、今年はじめて臨時列車「高遠さくらまつり号」と臨時バスが運行される。
 運転日は満開の見通し日である4月12日(土)・13日(日)、19日(土)・20日(日)の4日間に限られる。往復とも一日一本。

≪往き≫
高遠への臨時列車■松本駅9:28発→岡谷駅9:57着・10:10発→伊那北駅10:50着(中央線から飯田線へ乗り入れ)
■千葉・東京から岡谷駅でこの臨時列車・臨時バスに乗り継ぐためには「あずさ3号」千葉駅6:38発→新宿駅7:00発→岡谷駅10:05着・10:10発に接続。
高遠への臨時バス(臨時列車利用者専用)伊那北駅11:00発→高遠さくらホテル11:25着(公園までは徒歩10分)

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山城だった城跡から町をのぞむ。

≪帰り≫
高遠からの臨時バス(臨時列車利用者専用)高遠さくらホテル15:00発→伊那北駅15:25着
伊那北駅からの臨時列車■伊那北駅15:57→岡谷駅16:33着・16:39発→松本駅17:14着■新宿駅へは岡谷駅で17:15発「スーパーあずさ28号」に接続。新宿駅19:36/13・20日のみ岡谷駅で15:51発臨時列車「あずさ56号」に接続。新宿駅19:21着

 なお、臨時列車利用者に限り伊那北駅~高遠さくらホテルの往復バス代と公園入園券がセットになったパスポートが1000円で発売される(伊那北駅)。伊那北駅にはこの期間、臨時の売店や祭りが開かれ、歓迎ムードを盛り上げる。

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高遠の桜は「花が咲く」というより、「花がたわわに実る」という感じ。

投稿者:森田芳夫
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2008年03月11日

-18℃の町のごちそう

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 厳寒の北海道・旭川ではラーメンが「ごちそう」です。ラーメンスープの油膜が熱あつを保っていて、湯気も出ません。
 全国ラーメンチャンピオンにもなった、熊っ子チェーン本店/相原さんの店では、魚や昆布も使った出汁で、まろやかで熱いあつい醤油ラーメンを出してくれます。この暑さが寒気をやっつけてくれるわけです。

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 こんな、デカネタのすし店もありますが。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月12日

ヨーロッパ心に残る町6

アヴィニョン〔フランス〕
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 夕暮れ迫るのアヴィニョン橋は、ローヌ川を照らす夕日の輝きで、小金色に染まっていた。澄んだプロバンスの空の下、絵のように美しい風景は、つい踊りたくなるような幸せの気分にさせられる。

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 童謡でもおなじみのサン・ベネゼ橋は、中世の城壁で囲まれた町のはずれ、穏やかに流れるローヌ川のほとりで、川面に浮かぶように架けられている。城壁に囲まれた古都は、クリスマスを真近に控えてイルミネーションが町並みを飾り、露店の焼き栗屋では、熱く香ばしいひとときの味覚が、寒い街行く人々を誘う。

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 元ローマ法王庁であった巨大な宮殿を筆頭に、数々の美術館や美しい教会など、城壁の中の町並みには見どころが溢れている。忙しい時間で訪れた古都の、土産店の壁で賑やかに鳴いていたプロバンスの蝉の「チ、チ、チ」と唄う声が、毎日、私の店の壁でも鳴いている。冬に連れて来たプロバンス蝉だが、夏になって、我が町清水の蝉と仲良くなるだろうか? 鳴き声を聞くたびに、アヴィニョンの美しい風景を思い出す。

 アヴィニョンへは、パリ・リヨン駅からTGVで約2時間40分。アヴィニョンTGV駅から町の市内まではシャトルバスで15分。在来線で他の都市から来ると、到着するアヴィニョン・セントル駅は町の入口だ。駅前からレビュブリック門を入ると、メインストリートがまっすぐ延び、法王庁や、サン・ベネゼ橋へは直線距離である。

パート7につづく
投稿者:にわあつし
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2008年03月13日

だんだん変わってくる

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 銀座2丁目の大成建設のビル跡に、「デ・ビアスビル」ができた。私はかつて、この近くの実業之日本社の社員だったので、大成建設ビル爆発事件直後、編集部のニコンFを持ってかけつけたら、生々しく硝煙臭があった。
 このビルは光井純という方の作品だそうだが、作者は天才なのだろうか? 心のゆらぎや、落ち着きを、町の景色を無視した、マネーのための作品のように感じる。50年、100年後に重厚さを増して気高くあるだろうか。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月14日

信州・須坂の三十段雛飾り

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 信州の須坂市では人形博物館で、雛人形を市民の持ち寄りで飾っています。五段や七段飾りではなく、タイトルのとおり三十段もの雛飾りです。その前に立つと圧巻です。雛壇の横には「つるし雛」が飾られています。
 おそらく日本一の人形集合でしょう。4月13日(日)まで展示しています。
 ゆっくり写真をみてください。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月15日

春のユニバーサル・スタジオ・ジャパン新アトラクション発表

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 3月4日午後、東京で「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」の4月からの新アトラクション「ファンタスティック・ワールド」の発表会があった。キャッツ風のキャラクターが登場。ロンドン生まれでアメリカ育ちの「キャッツ」がいかにハリウッドでも影響を受けているかがわかる。CMは私でも知っているWaT。
なんだか春到来を感じつつです。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月16日

『篤姫』第11回「七夕の再会」

 時代も話もデンデンムシのように進みませんね。
 まあ、本編の江戸に入ってしまうと話が急速に進みそうな気がしますが、あえて3月までは鹿児島で引っ張るようです。その前に篤姫にはもう一度だけ両親や幼馴染などに会わせてやりたいという制作側の配慮なのでしょうか。
 篤姫が御台所になる決心をし、輿入れの時期も近づいているので、今和泉家の両親にももう一度会わせてやろうという斉彬の配慮。ひょんなことからこれが肝付尚五郎に知られ、尚五郎は「江戸へ行かせてくれ」と言い出す。これがきっかけで篤姫と尚五郎が七夕の日に再会できましたとさ。めでたし、めでたし。といったところで特筆すべきところもなくなってきました。どうも江戸と鹿児島の二元中継が鹿児島に重きを置きすぎて、江戸の話が散漫になっているような気にがしてなりません。
 あと、ひとつ気になったのは、尚五郎が茶屋で食していたのは両棒(ぢゃんぼ)餅ではなかったかという点です。両棒餅は鹿児島の郷土菓子で、串が1本でなく2本刺さっているのが特徴です。ぢゃんぼとは鹿児島の訛りで上級武士が刀を2本脇に差していた姿だそうで、そこからつけられたそうです。餅の面積が広いので串を2本刺してバランスをとっているのでしょう。仙巌園(磯庭園)の名物です。

 史跡紀行では鹿児島県南さつま市坊津町を紹介していました。今回登場した星合香のルーツとなる香を伝えたのが、奈良時代に唐から戒律を伝えるためにやってきた鑑真ゆかりの地です。江戸時代には薩摩藩密貿易の地になっていたようですが、今回は坊津を紹介するために強引に香の話をもってきたような感じです。何もそこまでしなくてもと思ったのが正直な感想で、未踏の地ですので写真もスタンプもありません。今回はこれにて失礼させていただきます。
 前回、家祥がアヒルを追いかけるシーンを創作と書いてしまいましたが、桐野先生の御指摘でこれは史料にも見られる出来事で史実のようです。不勉強のため失礼致しました。詳しくはこちらをご覧ください。


投稿者:管理人
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2008年03月17日

和紙の里探訪1

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日本の伝統美「小川和紙:細川紙」
我が国独特の技術と上品で素朴、強靭な和紙。経巻、書道、文庫、工芸紙をはじめ色々な紙が漉かれ広い分野で使われてきた。我が国の歴史と文化そのものであろう。埼玉県比企丘陵一帯に1300年の歴史が息づく「細川紙」を漉く和紙の里がある。

●紙の伝播
 後漢の時代(105年)に蔡倫(さいりん)が麻から紙を作った。紙漉きの始まりである。それまでの木簡、竹簡、ヨーロッパではパピルスの葉、羊皮紙などにかわる画期的な発明であった。蔡倫の発明した紙漉き技術は、シルクロードを経てすぐ伝播すると思うであろうが、歴代の皇帝達は決して外部には漏らさなかったようである。もっともそれだけ紙は貴重品であったという何よりの証拠である。ヨ-ロッパへの伝播は、751年、唐と西の大帝国アッパース朝が、中央アジアのタラス(カザフスタンとキルギスの上辺)で戦争をした。結果はアッパース朝の大勝に終わり、捕虜となった唐人のなかに紙漉き職人がいたのである。791年にこの職人はバクダッドに送られた。紙漉き技術はやがてアラブ全域、ヨ-ロッパ、アメリカへと伝播していった。中国製紙法の西方伝播はシルクロ-ド史上特筆される事件であった。ちなみにイギリス、アメリカへの伝播は発明以来実に約1000年の歳月を要しており、この間、パピルスの葉、羊皮紙などの時代が続いたのであった。

●日本への伝播
 推古18年(610)に高麗人の僧侶、曇徴(どんちょう)によってもたらされたと言われる。これより先607年に第一回遣隋使として小野妹子などが派遣された。また、隋が滅んだあと引き続き行われた遣唐使のなかには真言宗開祖の空海(弘法大師)、天台宗開祖の最澄もいたので、色々な技術とともに経巻に纏わることゆえ紙漉き技術を持ち帰ったとして何ら不思議ではない。
 大化改新(645)で孝徳天皇が詔を発したなかに、「よろしく国々のさかいを観、或は図し持ち来たって示したてまつれ」(『日本書紀』)とある。我が国で最初の地図の作成命令とされる。もちろん紙がなければできない話であろう。天平10年(738)諸国に命じて、「国郡図」を作成させている(『続日本紀』)。
 さらに、平安中期になると源氏物語前編のなか、鈴虫では「唐の紙はもろくて、朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋(かんや)人を召して-----------心ことに清らに-------」とある。朝夕におけるトイレの紙のことである。この頃の紙はもろかったので、日本独特の和紙が生まれていく。もっともトイレの紙を使えるのは相当身分の高い者であり、江戸時代でも庶民は竹箆を使用していたくらい紙は貴重品であった。やがて日本の和紙は中国へと逆輸出されていくことになる。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年03月18日

和紙の里探訪2

●武蔵国(武州)和紙の里~東秩父村・小川町~
 東秩父村は外秩父山地の北東部。昭和31年(1956)8月1日、槻川村と大河原村が合併、村の8割が山林である。和紙製造は奈良時代より続いており、約1300年の歴史と伝統を有し小川和紙の発祥地とされている。当時の面影を今に伝える和紙の里として、手漉き和紙の見学や紙漉き体験ができる。小川町は昭和30年(1955)2月、旧小川町、八和田村、竹沢村、大河村が合併。翌年、寄居町と一部境界変更して今日に至っている。南西部は800m前後の山々が盛り上り、北東部は100~200mの丘陵地である。南部は槻川、左岸に支流の兜川が流れ合流点が町の中心地である。穴八幡古墳、行人塚古墳群などがあり歴史は古い。774年「正倉院文書」の図書寮解や、924年延喜式などの文献に紙を奉じた記録が残されている。紙漉きが産業として栄えるようになり、江戸元禄期の文化、文政時代には江戸から最も近い紙の産地として発展していった。
 現在、東秩父村と小川町では、手漉き和紙業者12名が「細川紙」の技術保持者として伝来の家業に励んでいる。機械漉き業者4社と併せ、伝統的な和紙生産に加え、後継者育成、日本文化の伝統を担う産地として取り組んでいる。

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江戸末期の細川紙紙漉き家屋

●小川和紙:細川紙
 小川和紙を代表するものに「細川紙」がある。古くは武蔵紙とも呼ばれ、小川付近に移住してきた高麗人の技術がもたらしたとも言われている。宝亀5年(774)光仁天皇の頃、図書寮解「諸国未進紙並筆事」の条に、「武蔵紙四百八十帖、筆五十管」と記録されており、この地の和紙が献上されていたことを物語っている。その後の経過を表わす文献は見当たらないが、東秩父村、小川町で約1300年もの間漉かれ作られ続けている良質の和紙である。原料には楮100%を使用した未晒し紙で、独特の技術によって上品、素朴で丈夫な紙である。この地を代表する細川紙は、淡黄色の明るい紙色と光沢を持ち、地合の締まった、毛羽立ちが生じにくく強靭で存在感のあることが特徴と言われ、多くの愛好家に親しまれている。

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 由来については確たる文献など見当たらない。紀伊の高野山麓にある紙漉き村、細川村で漉かれていた奉書紙が、徳川幕府の初め武蔵国小川に移されたとも言われる。江戸の紙問屋からは一番近い唯一の紙漉き生産地であり、小川和紙の一種として「細川紙」を珍重したと言われる。その純粋性と強靭さは昔のままの姿で漉き続けられており、全国的にも類例が少ないことから、昭和53年(1978)3月、国の重要無形文化財に指定された。

パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年03月19日

和紙の里探訪3

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●和紙の原料
 古くから和紙の原料は、(こうぞ〈写真左〉、桑科の落葉低木で3m位に成長。主に西日本の山地に自生、四国、高知産が多い。当地では埼玉、茨城、群馬産を使用。コウゾ・カウゾ・カンズ・カウソなどと呼ばれたがカミソ、紙麻の音便とも言われる)、三椏(みつまた〈写真右〉、沈丁花科の落葉低木で2m位に成長。紙幣の用紙として使われる)、雁皮(がんび、沈丁花科)の靭皮繊維を中心に使われ各々特徴がある。このほか麻、桑、竹、パルプなども用いられる。ネリには黄蜀葵(トロロアオイ、アオイ科の一年草で根を使用)。ネリは美しく均等な厚さの紙を漉くために不可欠なもので、国内では茨城県産が多い、四国の土佐産が根太く粘りも強いとされている。美男かづら、ノリウツギ、ニベなども使うが、紙がやや赤くなったりしてトロロアオイにはおよばない。

genryonokouzo.jpg 原料の楮

●紙漉きに向く土地柄
 紙漉きにあった土地の条件を備えていなければならない。もちろん原料の楮やネリの黄蜀葵などが入手可能なことは言うまでもない。また、楮や黄蜀葵の栽培、育成が難しいので、農作業の知識も必要となる。重要なのは清流、綺麗な水がなければ和紙は漉けないし、太陽の陽が当たらないと乾燥させることができない。
 東秩父村、小川町は秩父山系の麓の小川盆地で、町の南側を槻川が流れており、支流の兜川など豊かな清流に恵まれていたことが、小川の手漉き和紙を育んだといって良かろう。紙漉きは農家の副業(冬)として作られ、12~3月までは寒漉きといって最も良い時期とされる。夏場は原料が傷みやすく、黄蜀葵の働きが悪いからであるが、何といっても農作業の繁忙期であることも否めない。現在、槻川は水量も減少してしまい、古の清流ではなくなり、残念ながら井戸水を使用するようになってしまった。

パート4につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年03月20日

和紙の里探訪4

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●高麗(こま)神社と高麗郷
 はるか二千年以上の古に、東アジアでいち早く国家を形成したとされる高句麗。隣国などの猛攻にも耐え、多くの文化、芸術を残して消えていった国。その国より渡来した王族、高麗王若光を祀る高麗神社。そこは武蔵国、高麗川の清流と緑豊かな土地であった。霊亀2年(716)5月16日、女帝の元正天皇のとき新設された高麗郡の中心地であった(『続日本紀』)。
 現在、高麗郡建部から1300年に当たる平成28年(2016)に向けて、色々と町興しの企画がされている。高麗王若光は東国の七国に住む高句麗人1799名の人々と共に移住し、高い技術でこの地を開拓、紙漉き技術も伝播したと言われる。このとき朝廷からは従五位下の位を与えられ、その後王の位を授かって大和朝廷の官人として仕えたのである。その遺徳を偲び作られた霊廟が高麗神社の始まりである。明治29年(1896)入間郡への併合により高麗郡の名は消えたが、高麗神社、高麗川、高麗峠、高麗本郷、西武秩父線高麗駅、JR八高線高麗川駅などゆかりの名前が残る高麗郷は健在である。高麗郷とは明治元年(1868)の郡制によると、現在の日高市、鶴ヶ島市の全域と飯能市、入間市、狭山市、川越市の一部にまたがる広大な地であった。

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●高麗神社をとりまく史跡と自然
 高麗神社の創建にあたった高麗氏は、平安末期から明治に至るまで34代にわたり修験者であった。現在の宮司は高麗家59代である。この神社には歴史を綴る宝物、文化財が数多く残されており、なかでも高麗家住宅は国指定重要文化財となっている。境内は穏やかで清浄なる神域で、豊かな緑の中季節ごとに花が咲き、訪れる人を魅了してやまない。政界や文化人など多くの名士が訪れ、参拝記念に手植えをした樹木を見ると歴史の重みを感じる。

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●高麗にも「雷門」がある
 雷門といえば浅草の浅草寺にある門にかけられている大提灯を思うであろう。しかし、高麗神社の至近にある、聖天院の門にも、なんと雷門と同じような大提灯がぶら下がっている。この聖天院は高麗王若光の霊廟がある。高麗神社と並び訪れて参拝、見学する人が絶えない。時を越えて古の遠い高句麗に想いをはせることができる。

パート5につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年03月21日

和紙の里探訪5

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●おわりに
 一口に和紙といっても種類はたくさんある。紙漉き技術が中国で発明され遣隋使、遣唐使や高麗人の僧侶、曇徴によって我が国に伝播されたが、日本人の英知と器用さは、さまざまな原料を使い、さまざまな用途に合う日本独特の和紙を作るようになった。やがて、多くの絵師や書家、美術家、芸術家、工芸家などの手により、見事な書、絵画、地図、工芸品、美術品、襖、屏風、扇子、伝統工芸品、絵画などの形となり、たくさんの文化・芸術を生んできた。

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 今日、博物館、美術館、民族・歴史資料館などで目に触れるものの多くが、和紙の発達なくしては考えられなかったことである。もちろん都が京都・奈良にあった時代のことゆえ、紙漉き技術は近畿、四国、中部地方を中心に発達、徐々に北上していった。しかし、武蔵国が都から遠いにも拘わらず、比較的早く伝播したのは高麗人たちのおかげかもしれない。近年は書くことよりも印刷やコピ-などに頼り、和紙を使って書いたりして直接触れることが少なくなったが、日本の伝統美「和紙」も忘れてはならないと思う。

おしまい

今回の主な施設とアクセス

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東秩父村 和紙の里
電車=JR八高線・東武東上線小川駅からバス20分
クルマ=関越自動車道嵐山・小川ICから15分
入場無料/9~17時(体験は15時まで)/毎週月曜(祝日の場合は翌日)休/問合せ0493-82-1468
http://www.washinosato.co.jp/

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埼玉伝統工芸会館
電車=JR八高線・東武東上線小川駅から徒歩10分
クルマ=関越自動車道嵐山・小川ICから10分
入場大人300円/小中学生150円/9時30分~17時/毎週(祝日の場合は翌日)休/問合せ049-372-1220
http://saitamacraft.com/

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高麗神社
電車=西武池袋線高麗駅から徒歩40分あるいはタクシー5分、JR八高線高麗川駅から徒歩20分
クルマ=関越自動車道鶴ヶ島ICから20分
問合せ042-989-1403
http://www4.ocn.ne.jp/~fkoma/

投稿者:菊地正浩
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2008年03月22日

どうにかならなかったのか!

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 3月6日、湘南短大の帰りに横須賀港に停泊中のイージス艦「あたご」を 見ました。
 一番目立つ桟橋に停泊していて、ここは事故を起こす前からの 定位置です。
 船首には傷跡が見えますし、船上には救命ボートも、海上に 投げるとすぐに膨らむゴムボートもちゃんと着いていました。
 写真を撮ってすぐに、少々辛い思いで港を後にしました。
 上の写真は横須賀港で右側に潜水艦が2艘停泊中、「あたごは」中央左上です。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月23日

『篤姫』第12回「さらば桜島」

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 鹿児島編最終回です。篤姫が輿入するため、別れの宴ということで島津4家や他の武家などと別れの宴を行います。しかし、実の父母に対しても言葉づかいや態度に関してビシビシいう幾島、たまりませんな~。嗚呼、篤姫とうとう泣いちゃったよ。このあたり実に人間臭さが出ていていいじゃないですか。
 これに対し、無様と怒る幾島に対して、斉彬は父母と直接面会させる配慮をとります。ウチの母なんか実家がすぐ近くでしたから、いつでも会える反面、僕の場合は休みに出かける楽しみもなかったわけですが、一生故郷に戻れないというのはそれはそれで時代の悲劇といえましょう。
 今回は今和泉島津家の総出演で兄の忠冬、忠敬まで登場。父の忠剛は今回病で斃れてしまうのですが、翌年には亡くなってしまいます。忠冬も安政6年(1859)に亡くなり、長生きできたのは忠敬(1892年没)だけなんですね。
 最後に篤姫は船で大坂へ向かう前に桜島の見える場所に立ち寄り、桜島に別れを告げ、「薩摩を思って泣くのは最後」と戒めます。宮尾登美子の小説では都井岬を経て、国東~下関~丸亀と海路を大坂に向かう設定になっていますが、実際はJR鹿児島本線~山陽本線のルートに近い陸路で向かったようです。しかし、次回はもう江戸。道中での話や京都での話はすっ飛ばしてしまうんですね。
 
 史跡紀行ではタイトルの通り鹿児島市の桜島を取り上げました。現在は鹿児島市に編入されましたが、桜島フェリーで渡る島の西半分は桜島町でした。桜島へは桜島桟橋から頻繁にフェリーが出ており、10分で対岸を結んでいます。この桜島フェリー実に短い船旅ですが、船内では立ち食いうどんも味わえます。なぜか船にのるとこういううどんが食したくなるものですね。フェリーのスタンプ第18桜島丸しかないようで、押せるかどうかは運不運もありそうです。対岸の桜島は温泉や恐竜公園、ビジターセンターなどがあって楽しめます。

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 そういえば先週月曜の『新ヤッターマン』の第10話は「タイガードラマーアツヒメだコロン!」で、時事ネタを話題にしていたようですね。桐野先生のブログのコメント欄で知ったのですが、全然気づかずに見過ごしてしまいました。

投稿者:管理人
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2008年03月24日

春の東京湾 観音崎・鴨川の浜辺

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 3月8日土曜日に新ワカメをゲットしに観音崎へ。岬の灯台の近く、鴨川の入り江で一息をつきました。浜辺では自転車で遊ぶ子どもや犬も走り回って、海水も暖かく、春の到来です。東京湾を隔てて、千葉の鋸山が近くにあります(写真中央)
 鴨川は小さな入江に汐の香りも漂い、ほっとします。携帯カメラで撮りました。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月25日

十勝三股駅の盛衰

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 北海道十勝平野の奥、大雪山の東側に、かつて材木で栄えた十勝三股がある。私が訪れた1971年には、まだ国鉄士幌線の終着駅だった。広い駅構内には、材木運搬の貨車が数えきれないほどで、駅前には材木が大量に積まれ、材木店、食堂、理髪店、雑貨店があって、山中のちょっとした町であった。しかもツーンと材木の匂いが漂っていた。一日に50本も材木搬出貨物列車が出発していたそうだ。
 運搬がトラックに変わり、材木の伐採も終わると、人々が去った。写真のようにかつての駅舎らしきと駅前らしき場所に2軒家があるだけの、あまりにも息を呑む別世界の風景だ。そこに生まれ、生活していた人々をふと思った。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月26日

ヨーロッパ心に残る町7

二ーム〔フランス〕

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「ちょっと見て! 私の車掌姿似合うでしょ! 」
 ニーム駅ホームで、発車するまでの間、TGVから降り立つ女性客に帽子をかぶせ、和やかな場を創っている車掌のユニークさに脱帽。ニーム駅でのワンシーンである。

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 南フランス・プロバンス地方のニームは、ローマ時代の遺跡が多く、ゴッホの絵の舞台アルルと共に、イタリア的な顔をもつ町だ。パリ・リヨン駅から最新2階建TGVデュープレックスで約3時間。TGVはパリを離れ高速路線に乗ると、最高速度でフランスを横切るように南下。2階車窓から流れるさまは、緑溢れる田園と牧歌的風景から始まり、シャンパーニュの葡萄畑、やがて絵の具で塗り尽くしたような真っ青な空と、土色の家並みと渇いた大地に変わり、隣国スペインに近づいた実感を覚える。

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 12月なのに、快晴の空気はまるでクールミントのように清々しく、身体全体がリフレッシュさせられた。奴隷同士の残酷な戦いの場であった古代闘技場跡の片隅で、気持ちよく眠りについている猫の姿に「平和だなー!」と、プロバンスの町に酔いしれた旅であった。

パート8につづく
投稿者:にわあつし
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2008年03月27日

ああ上野駅

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 茨城県笠間市に用があり、上野駅へかけつけました。特急「スーパーひたち」で友部駅まで1時間。普通列車で2時間です。迷わず普通列車で向かいましたが、窓側に座ったので、嬉しくて、子どものように景色を眺めていました。
 上野駅のホームでは、60年代のスキー行で夜行列車に乗ったころを思い出しました。
 かつて構内には「東北弁」がゆきかい、啄木がそのなかをさまよったのでしょう。
 「集団就職列車」も、夜行急行の「津軽」もいまはありませんが。

 懐かしい関連記事「スタンプ物語26・上野駅」もご覧ください。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月28日

富岡製糸場は世界文化遺産になるか

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 群馬県富岡市の旧片倉の製糸場は、貫禄充分。写真は明治5年(1872)建造の操糸場です。フランス+和式の建物です。最初に訪れた昭和338の秋、レンガ造りの建物の中で、操糸の大きな音を背景に、女工さんが黙々とこなしていました。緊張感に満ちて、だれもおしべりをしていません。その姿が思い出されました。
 その建物を「世界遺産に!」と、地元は盛り上がっていますが、富岡の製糸は世界一の生産量で、これで日本は外貨を稼いで、横浜の正金銀行が潤い、その資金で日本は日露戦争へと突入しました。
 そういった位置付けはありますが、絹を生産した蚕糸の環境は皆無で、輸出港の横浜との結びつきも今では皆無です。富岡・養蚕地・街道・横浜までが点、面、線で描かれないと登録は無理でしょう。
 むしろ、地元はこの生産地を造り上げながら惨殺された「小栗上野介忠順」を顕彰すべきでしょう。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月29日

下仁田ネギの美しさ

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 見事な下仁田ネギ。ここは群馬・吉井町の知る人ぞ知る馬庭念流の樋口家道場前の畑です。
 ネギ越しにその道場が横たわっています。道場はかつての長屋門ですね。
 畑にその主がいらっしゃれば、ネギを分けてもらえるかな? と周囲をキョロキョロ。
 写真だけ、その立派さをいただいてきました。みなさんにも「お裾わけ」です。

投稿者:伊藤建介
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2008年03月30日

『篤姫』第13回「江戸の母君」

 ここんところバタバタしており、ビデオを録画したものの1週間ほど観れずじまいでした。更新もままならぬ状況でしたが、菊地・伊藤・丹羽会員の協力もあり、ストックだけはありましたので更新だけはとりあえず維持できました。
 翌日のニュースにもありましたが、『篤姫』の視聴率は視聴率20%以上をずっと維持し続けており、人気の秘密については、「家族愛」が注目されています。まあ、僕も最初は幕末だし、失敗するだろうと思っていましたが、今回のドラマは随分とストーリーの作り方が丁寧な気がします。本の売上げにも反映するとよいのですが。

 前置きが長くなってしまいましたが本題に入ります。海路でいきなり船酔いの篤姫。僕も大阪~志布志の「さんふらわ」でやられました。史実では陸路だったのですが。京都で近衛忠煕の養女となり、江戸へ向かいます。江戸までの道中はいかにあっさりでした。このあたりで2~3話引っ張ってほしかったのですが。京都では忠煕にライチを贈っていましたね。ライチは「茘枝」と書き、桐野先生の『膏肓記』によると、中国や琉球ばかりでなく、鹿児島の佐多や山川の薬園で栽培されていたようです。あと江戸の母君は京都で西陣織、江戸の薩摩藩邸ではお菓子を篤姫に贈っていましたが、江戸に着いてからなかなか会ってもらえず、おまけに御簾ごしでの面会。御台の話は早合点だといい、篤姫を驚かせます。斉彬の正室の英姫は「ひさひめ」と紹介されましたが、「ふさひめ」とも読むようです。のちに恒姫と改めますが、斉彬死後、落飾して栄樹院となってから、あとを追うように2カ月で亡くなってしまうようです。
 一方、江戸行を希望していた尚五郎は、その役を西郷に取って代わられ悔しがります。そして小松清猷のもとを訪ねますが、清猷のほうも琉球に行くことになることを話し、尚五郎は自分を恥じて泣きます。清猷は琉球で亡くなってしまうのですが。

 史跡紀行では京都の近衛邸跡や錦小路薩摩藩邸跡、京都御苑などを紹介していました。京都御苑は以前取材したことがあるのですが、近衛邸や薩摩藩邸跡などは行けずじまいです。ということで今回はUPできるような写真もスタンプもありませんので、割愛させていただきます。

投稿者:管理人
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2008年03月31日

皇居東御苑散策と花だより1

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道路元標のある江戸日本橋から永代通りを皇居へ向うと、大手濠と桔梗濠に突き当たる。橋を渡ると江戸城正門の大手御門である。古の栄華を偲ばせる見事な石垣と渡櫓、同心番所、百人番所、大番所などが続く。そこには都心の喧騒を忘れさせる緑豊かな空間があり、綺麗に咲く花々や数多くの樹林、植物が出迎えてくれる。

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●大手御門と渡櫓
 大手門とは城の正門である。かつて江戸城の正門であった証しが数多く残されている。門内に入ると大手門渡櫓に圧倒される。明暦の大火(1657年)で焼失し再建されたものの、昭和20年(1945)4月、米軍の空襲でまた焼失した。現在のものは昭和43年(1968)に再建された櫓である。当時の櫓の屋根に飾られていた「鯱」が、歴史の証人として鎮座ましましている。

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●見事な三色梅と各番所
 大手門最初の番所が同心番所(写真左上)である。近くに咲く黄・白・紅の見事な三色の梅に目を奪われる。番所とは警備の詰所で、現在残っているのは、この同心番所と百人番所(写真左下)、大番所(写真右下)の三カ所である。城の奥へ行くほど、位の上の役人が詰めることになっていた。最初の同心番所は、登城する大名の供の監視に当たったとされる。次が百人番所で、本丸と二の丸を通じる要所なので、大手三之門の前に設けられていた。鉄砲百人組といわれ、甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組の4組で構成され、同心100人ずつが昼夜交代で警備していた。しんがりが大番所で、前の坂を上ると本丸の入口、中雀門(ちゅうじゃくもん)がある。ここは、位の高い与力・同心が警備した。

パート2につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年04月01日

皇居東御苑散策と花だより2

shinamansaku.jpg ●大番所前に咲く見事なシナマンサク  シナマンサクはマンサク科の落葉低木で、山地に自生し3m位となる。早春、黄色い線形の四弁花を開き、楕円形の蒴果(さくか)を結ぶ。茶花(ちゃばな)として栽培、花季が早いのに珍重される。葉は止血剤となる。成長したシナマンサクの見事な開花姿である。
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●本丸にある三椏(みつまた)
 本丸正門に進んでくると視界がパッと開ける。かって、本丸、大奥、天守閣のあったところで、現在は芝生でボランティアの清掃奉仕によって手入れも行き届いている。その入口の傍らに三椏が咲いている。中国原産で漢名を黄瑞香といい、繊維植物として日本暖地に栽培された。ジンチョウゲ科の落葉低木で、2~3m位に成長し枝は三つに分かれる。樹皮は和紙の原料となり、我が国の紙幣に使われている。皇居にも紙幣の原料、三椏が見事な花をつけていたのである。


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●天守閣の代用として使われた「富士見櫓」
「櫓」とは、倉庫や防御の役割をもった建物で、かつて江戸城には19櫓が建っていた。今では、伏見櫓、桜田二重櫓、富士見櫓の3つが残っている。中でも富士見櫓は唯一の三重櫓である。明暦の大火(1657年)で焼失した天守閣の代用としても使われ、将軍が両国の花火や品川の海を眺めた。もちろんその名のとおり富士山も眺められたのである。明治に入ってから我が国の測量を行うにあたり、一等三角点の第一点とし、以降測量に必要な三角点標石を全国に設置していった。

パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年04月02日

皇居東御苑散策と花だより3

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●松之大廊下跡碑と寒桜
 元禄14年(1701)、浅野内匠頭長矩と吉良上野介義央の刃傷事件があったところ。後に赤穂浪士が討入りし『忠臣蔵』として有名になった。廊下に沿った襖間に、松と千鳥が描かれていたのが名前の由来。江戸城の中でも2番目に長い畳敷の立派な廊下であったという。今は松林に変わり見事な寒桜が咲く名所の一つである。

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●石室(いしむろ)
 抜け穴とか金蔵とか諸説がある。ここは、大奥の御納戸脇であった場所柄からすると、非常時の際に大奥用の調度品などを納めたところらしい。伊豆半島産の安山岩を運んで来て作った。

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●天守台
最初の天守閣は慶長12年(1607)、二代将軍秀忠のとき完成した。その後、大修築をして寛永15年(1638)、三代将軍家光のとき、国内で最大の天守閣として完成した。19年後、明暦の大火で飛び火により全焼してしまい、以降再建されなかった。天守台に上ると四方の眺めがすばらしく訪れる人が絶えない。

パート4につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年04月03日

皇居東御苑散策と花だより4

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●桃華楽堂
 昭和41年(1966)、香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂である。八角形の建物、屋根はテッセンの花弁を模っている。八つある壁面は、各面とも大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ日、月、星、松竹梅、楽の音などをイメ-ジした図柄が、陶片で描かれている。香淳皇后のお印「桃」にちなんで命名された。

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●北桔橋門(きたはねばしもん)
皇居東御苑内の一般公開はここまでである。乾門、西桔梗御門、蓮池御門を渡って宮殿の方へは行けない。だから北桔橋御門を通り、桔橋を渡り竹橋御門のほうへ出てみる。桔橋とは、跳ね橋、撥ね橋、刎橋のことであり、城門などで普段不必要な時は綱で吊り上げておき、必要に応じて下ろす橋である。ここから眺める平川濠は美しい。

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●竹橋御門と紅梅、ハクモクレン
 旧江戸城内曲輪15門の一つで、天正18年(1590)、徳川家康が江戸入国の頃、「竹を編みて渡されしよりの名なり」と、その由来が伝えられているが、他にも諸説がある。いづれも定かではない。御門を通る道は、桜田門外の変により一時閉鎖されたが、明治3年(1870)、再開通して今の通称、代官町通りへと変遷する。現在のア-チ型竹橋は、大正15年(1926)、帝都復興事業で架設され、平成5年3月改修、白、黒、桜のみかげ石の橋となった。

パート5につづく
投稿者:菊地正浩
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2008年04月04日

皇居東御苑散策と花だより5

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●平川橋、平川御門と見事な紅白の梅
 平川濠と大手濠を挟んで平川橋が架かっている。橋を渡ると三の丸を守っている平川御門である。平川御門から反対側を見ると、その先は御三卿の一家である一ツ橋殿の屋敷があったところで、日本橋川のほうには一ツ橋が架かっている。平川御門の中に入ると、見事な紅白の梅がたくさん咲き誇っている。石垣と梅がマッチしていてなかなか見応えがある。

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 散策も終了に近づくと、皇居正門石橋旧飾電燈に出会う。今ではめったに見られない代物である。やがて大手御門に到着し東御苑を一周したことになる。入った時とは反対に門内から永代通りを望む景色は高層ビルの建ち並ぶ超近代的な江戸である。この景色を見たならば、徳川家康はさぞ驚くことであろう。

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『天璋院篤姫と幕末を旅する』(一水社)より抜粋(作成:久芳勝也)

●むすび
 我が国を代表するシンボル的な公園は、皇居の宮殿を中心にして、皇居東御苑、北の丸公園、12の濠によって皇居を取り巻いている外周地区がある。総面積115ヘクタ-ルといわれ、このうち濠の水面部は37ヘクタ-ルといわれる。濠とは、敵の進入を防ぐため、城の周囲を堀って、水をたたえたところである。今回は春の花便りとして東御苑を紹介したが、北の丸公園や12の濠に架かる橋と御門、即ち、内堀と外堀一周も見どころがたくさんあって興味が尽きない。また、昔の江戸城から考えると浅草見附や四谷見附、喰い違い道路など歴史の証人はいくらでもある。次の機会に譲ることとしたい。 

おしまい
投稿者:菊地正浩
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2008年04月05日

春の横浜港 飛鳥Ⅱ出航

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 花より、風よりも、憧れに似た春の風物。横浜港の大型客船の入港、出航は見ていて気持ちが明るくなります。
 空、港の建物、見学見送りの人々、飛鳥Ⅱの重低音の「ボーーーーーッ!」
「この船に乗ってどこかに行きたい」ではなく、見ているだけで満足してしまいます。豪華客船を見るだけで満足なんて。
「もっと、おじさんよ 大志を抱け!」

投稿者:伊藤建介
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2008年04月06日

『篤姫』第14回「父の願い」

更新が1日遅れとなりましたが、ようやく追いつきました。第13回と2回分を一気に観て書きましたので合わせてお読みください。
 今回の将軍宣下で家祥がついに家定となりました。家定という人物がほとんどクローズアップされてこなかったので、なかなか興味深いです。家定の生母本寿院登場。この本寿院は12代将軍家慶の側室で、出自は幕臣・跡部正賢。家定の乳母であった歌橋も登場。家定は母を描くといってアヒルを描いているし、宮崎あおいのアフラックのCMを意識しているのでしょうか。あれ、NHKは広告はいけないのでは? それにしても家定公、ずいぶんと絵画が上手なようで。実際には前回にも煎り豆が出てきましたが、菓子づくりが得意だったようです。ムリに荷が重い将軍職を継がなければ、この人ももう少し長生きできたのではないでしょうか。
 江戸では水戸斉昭と井伊直弼の攘夷と開国での対立が出てきましたね。でも、あの両者の対立の原因となったとされる近江牛の話は出てこないのでしょうか。斉昭が近江牛を欲しがり、直弼が殺生が嫌いと断るあの話。「食い物の恨みは怖い」といいますから。
 あと江戸藩邸には島津虎寿丸がいましたね。斉彬の5男で篤姫が見とれていましたね。この虎寿丸、安政元年(1854)に7歳で亡くなってしまうそうで、これで斉彬の男子はすべて早世で、忠教(のちの久光)の子茂久(のちの忠義)が養子となりますが。
 今回は先に実父忠剛が亡くなります。遺言では死を秘匿したようですが、斉彬に知らされて篤姫は号泣します。江戸入りしたため葬儀にも行けないというのは悲しいことですな。

 史跡紀行では井伊直弼の故郷・滋賀県彦根市の彦根城などを紹介していました。彦根城にはまだ行ったことがなく、JR彦根駅も現在のスタンプが出てこないので、今回も写真・スタンプは割愛します。

 あといつものことですが、リンクしている桐野先生の『膏肓記』も、ぜひお読みください。


投稿者:管理人
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2008年04月07日

千鳥ケ淵の桜は天下一品

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 3月29日(土)、早くも皇居周辺の桜が満開となった。内濠である千鳥ケ淵は「千鳥」の形をしていることから名付けられたという。昔は半蔵濠と一体であったが、明治33年(1900)に道路建設によって埋め立てられ、二つに分けられた。天下一品(筆者の主観)の桜は、靖国神社前の田安門(門内は武道館で北の丸公園)から始まる。千鳥ケ淵を挟んで見事な枝振りの桜が満開となった景観は、濠の水、白鳥や鴨、堤塘(土手)に咲く花々、花見のボ-ト、それら一体のコントラストがすばらしい。花見客は千鳥ケ淵戦没者墓苑のある公園側からも繰り出してくる。早朝より夜桜見物まで終日賑わう、その数12万人。今年も皇居周辺は春爛漫となった。

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写真左から半蔵門付近・桜田門・最高裁判所前

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投稿者:菊地正浩
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2008年04月08日

軽トラ冬姿! 春でも元気

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 平地の雪も消えた、信州・野沢温泉のローカル・スパー前の軽トラ。
 荷台になにやら、硬めのフード。もうお気づきでしょう。そう、雪よけですね。
 豪雪の野沢あたりでは、良く見る軽トラの冬姿。
 雪国の人たちはがんばっていますね。有機肥料満載で、4WD君は田んぼの中でも、動き回っています。「日本の農村の元気は軽トラから」です。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月09日

ヨーロッパ心に残る町8-1

ローテンブルグ〔ドイツ〕[1]

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 城壁に囲まれた町ローテンブルグは、中世のたたずまいの中に現在の生活が、何の違和感もなく溶け込んでいる。
「始めに高いところから町を眺めようか!」
 町が眺望できる市庁舎の塔に登る。一人やっと通れる木造の狭い階段と梯子を登り、塔上に出ると、真っ青な快晴の空の下は、とんがり屋根の家が連なりメルヘンチックな世界が広がる。町を囲む全長3.4キロの城壁の外は、鮮やかな緑の田園地帯が地平線いっぱいに広がり、目を爽やかにさせてくれる。

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幾重もある石畳の通りは、個性顔の看板を出した商店が並び観光客の目を誘う。
「ねえ、ちょっと!あの古い燭台ステキね?」
「どのシュネーパルがオススメ?」
買物客の会話が、通りを賑わしている。
[シュネーパルはローテンブルグ名物のパン菓子]

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「オーイ馬車がきたよー!シャッター・チャンスだ?」
連続する美しい町の光景に、観光客も目を休ませる暇もない、美しいローテンブルグのひとときである。

ローテンブルグ[2]につづく
投稿者:にわあつし
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2008年04月10日

ヨーロッパ心に残る町8-2

ローテンブルグ〔ドイツ〕[2]

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 ローテンブルグは町のすべてが観光名所である。
「観光と買物と、よく歩きもうくたくた。疲れたな! 景色の良いところでちょっとひと休み! お腹も空いたし、何か食べようかな?」
プレーンラインで少休止だ。
「おばさんたちみたいに、ベンチで青空サンドも楽しいね?」

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「オーイ! こちらの青空レストランも美味しいよ……隣においでよ」
 陽気なアメリカ人ご夫妻のお誘いで、昼下がりのひとときは青空レストラン。名物ソーセージとポテトそして、フランケンワインの美味しさに、酔いしれる贅沢なランチタイムであった。鉄道でローテンブルグまでは、フランクフルト中央駅からヴェルツブルグまでICE特急で約1時間。ヴェルツブルグでアンスバッハ方面支線に乗り、スタインナッハ駅乗り換えで終点ローテンブルグタウバー駅下車。71㎞約1時間。駅前から歩き、緩やかな坂道を登りきること15分ほどで、左奥に町を囲む城壁の入口であるタウバー門が見えて来る。門を潜ればそこはもう中世の世界だ。

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パート9につづく
投稿者:にわあつし
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2008年04月11日

名古屋の「ひつまぶし」

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 突然、名古屋へ。町の景色よりも名古屋食が楽しみです。
 私は肝機能も血糖値もC。「ウナギをちょっとだけ」と、いいつつボリューム たっぷりのひつまぶしを注文。ウナギは関西風に焼くので、表面はカリカリ。 脂身の少ない高知四万十川産の天然ものを2段重。なんと豪勢なことか。天然ものです。『名古屋ひつまぶし備長』の店名は、料理内容そのもの。甘辛く濃い目の味です。

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<食べ方>
最初はこれをそのまま茶碗に一杯取り、そのまま食べる。
次はおかわりのように2杯目を取り、薬味(わさび・のり・みつば)をのせて食べる。
3杯目は2杯目ものに、お茶漬けのようにお茶orだし汁をかけ、さっぱりと食べる。
最後は1-3のうち最も気に入った食べ方で食べる。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月12日

春到来、残雪のリンゴ畑

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 やっと信州・木島平村にも春が到来。でも梅も桜も咲きません。
 畑の雪が減って樹木もやっと姿を現しました。葉も実もないリンゴの木はただの枯木のようですが、これでも養分たっぷり。この畑の主は、とても気のいい方で、リンゴが実ると、私に「好きなだけ採っていいよ」と声をかけてくださいます。大きなフジリンゴを2個、握って満足しています。
 5月の連休ごろに、白いリンゴの花と、菜の花、梅、桜、桃が一斉に咲き、幸せな土地の表情になります。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月13日

『篤姫』第15回「姫、出陣」

 先週のドラマはビデオをとり忘れてしまい、19日の再放送でようやく観ました。ずっとこの日だけ歯抜けになっていて申し訳ありません。
 篤姫と実の姉弟のようにしていた斉彬の嫡男・虎寿丸が亡くなってしまいましたね。なかなかいい味を出していた子役だっただけにもう少しドラマで引っ張って欲しかった気がします。その心労からか斉彬まで斃れて床についてしまいます。
 江戸でも薩摩でも再びお由羅の呪詛によるものという騒動が再燃。お由羅を成敗しようとし、一触即発の危機に瀕します。これを解決するのが、薩摩の黄門様こと篤姫様ということで、隠居した斉興とお由羅のいる高輪の屋敷へ赴き、ずけずけと「呪詛の噂がたっております」とストレートな問い質し。あり得ない、絶対あり得ない。なぜあり得ないということは桐野先生の『膏肓記』にゆずりますが、どうも大河ドラマというのは主人公を無理矢理絡ませてしまうのがお約束のようです。
 結局、このあと斉彬も快方に向かうのですが、どうもお由羅の個性が活かしきれていない気が……。今回はそれほど特筆すべきこともないのでここまでにいたします。
 
 史跡紀行は東京都目黒区の目黒不動尊(泰叡山瀧泉寺)を紹介していました。西郷隆盛が斉彬の快方を祈願したところだそうで、これも上記桐野先生のブログが詳しいです。あと地理的な関係ではかわい先生のブログ『豊泉堂雑記』もどうぞ。なんか今回は後追いとなってしまったこともあって、先生方のブログリンクに走ってしまいましたが、目黒不動尊もすぐ近くのくせに御恥ずかしながら行ったことがないのです。罪滅ぼしに目黒駅のスタンプをUPします。あと懐かしい「スタンプ物語9・目黒駅」でもUPしましたが、前回のものと見比べてみてください。印影に失敗したところは持参の朱肉で押し直しもしているのです。

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投稿者:管理人
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2008年04月14日

アマゾな

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 いきなりだけんど、上に写るは球形のも、さざれのも、「アマゾナイト」っちゅう一応パワーストーンなん。青緑な色味がなかなかイケてると思わん~?

 んで画像をアップしたのはねっ、ねっ、下に見える我の著作が、「アマゾン」でもネットショッピングできるようになったもんで、その記念に名前が似てるから登場させただけのこと~~~、汗汗。あははは、なにか......?

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 ってわけで引き続き、ざつはち推薦(公認?)、ミサキノバルの詩集「乙」、詩集「乙」にみなさまの清き1票を~じゃなくて、温か~~~き購買意欲を1冊に注いで?頂きますよう(日本語おかしい?)、どう~~~かよろしゅうに~~~、願願願~~~♪♪。

投稿者:ざつはち
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2008年04月15日

日本橋、桜の花の魅惑

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 4月3日、東京・日本橋も桜が満開で、橋には桜が咲いています。
 美しいのですが、橋の上には首都高が架かり、景色はメチャクチャで台無しです。
 およそ都会の美しさを解しない、役所の方々が、ソソレイケ主義で東京オリンピック前に通したもので、ついでに地名まで変えてしまいました。

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 この日本橋から徒歩7分で東京駅八重洲口です。ここもゴチャゴチャで美しい街ではありませんが、桜が飾ってくれています。
 家康の顧問だったオランダ人ヤンヨーステンの屋敷がこのあたりにあり、「八重洲」の地名になったものだそうですが、友人はこの話を信じてくれません…。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月16日

5月3・4日は両国にぎわい祭り1

「両国にぎわい祭り」5月3日(土)・4日(日)11~16時

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墨田区では地元両国をはじめ各町会、商店会のほか、江戸東京博物館、日本相撲協会その他多くの団体と協力して、一昨年より「にぎわい祭り」を開催してきた。ネ-ミングよろしく回を重ねるにつれ、「にぎわい」を増してきた。実行委員会では、今年も大いに盛り上げようと準備をしている。ここにパンフレットを掲載して祭りの概要を紹介したい。

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●食・遊・学が楽しめる
 JR両国駅を降りると、もうそこが会場である。歩行者天国となる国技館通りのメイン会場と、両国国技館、江戸東京博物館、回向院の各会場では、「食・遊・学」というテ-マで盛りだくさんのイベントが企画されている。両国をおなかいっぱい召し上がれ! というキャッチフレ-ズのとおり、メイン会場では各相撲部屋が自慢のちゃんこ料理を競演する。「一杯500円で売り切れ御免」であり、毎年お目当てのちゃんこを味わおうと行列ができる。お相撲さんの作る多量のちゃんこも、あっという間に売り切れてしまう人気である。
 食もいいがさすがは相撲の町だけのことはある。各会場にも大相撲に関係する行事がいっぱい、普段見ることのできない稽古風景、やぐら太鼓、相撲甚句等々、家族連れやカップルでも一日中楽しめる。

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 食・遊のあとは学といこう。江戸東京博物館(写真左)では江戸時代や明治・大正・昭和の戦前時代にタイムスリップした気分を味わえる。至近のところには東京都復興記念館があって、関東大震災と東京大空襲の犠牲者を安置している慰霊堂(写真右)があり、資料の保存、展示をしている。さらに、「両国ぶらり散歩ツア-」に参加して歴史散策するのも良い。明日以降、筆者のおすすめポイントを2~3紹介しよう。

パート2につづく

投稿者:菊地正浩
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2008年04月17日

5月3・4日は両国にぎわい祭り2

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●回向院
 明暦3年(1657)、振袖火事といわれる江戸の大火が発生した。下町一帯は勿論、江戸城天守閣まで類焼するという凄まじさで、死者10万8千人といわれている。この状況を視察した将軍家綱の叔父が、将軍に進言して本所に50間四方の土地を与え回向院を建立した。犠牲者のほとんどが身元不明の武士、町民であったが、回向院では石碑を建て、身分や宗派の差別なく弔った。初代の住職には、徳川家菩提寺である芝の増上寺から幕府の命を受けて就いた。後に寺の境内で、慰霊の勧進相撲が興行されたが、これが我が国の大相撲発祥となったのである。因みに、旧両国国技館は回向院の隣地にあった。

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 境内には、海難供養碑(ロシアへ漂流した大黒屋の船、船型の碑)、江戸文化の担い手達の墓碑(浄瑠璃の竹本義太夫等の他、三味線の皮となる猫や犬の供養)、猫の報恩伝説(魚屋利兵衛と商家のとら猫)、義賊・ねずみ小僧次郎吉の墓(写真左)相撲力塚(10代から76年間の相撲塚)(写真右)などが見られる。祭りの当日には本堂で、大本山増上寺雅楽会による雅楽の演奏が行われたり、江戸太神楽、投扇興などのほか法話も聞ける。普段では見聞できない行事なので、毎年大勢の人が訪れ本堂はいっぱいで入り切れなくなってしまう。

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●吉良邸跡(回向院の裏手)
 墨田区両国3丁目、旧本所松坂町に、なまこ壁に囲まれた吉良邸跡がある。赤穂浪士47士が討入りしたところで、『忠臣蔵』として有名になった場所である。見事に仇討ちをして、その首を洗ったとされる井戸(写真下左)が残っている。吉良上野介追慕碑(写真下中央)吉良家の忠臣20士の碑(写真下右)もあり、今も訪れ供養する人は絶えない。現在、都の指定旧跡となっている。

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パート3につづく

投稿者:菊地正浩
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2008年04月18日

5月3・4日は両国にぎわい祭り3

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●両国花火資料館(回向院の並び両国橋方面)
 両国隅田川といえば、夏の風物詩「花火」であろう。享保18年(1733)、両国川開きとして始められた花火が、納涼花火大会の発祥である。大輪の華の歴史を今に伝える資料館には、花火の現物や打ち上げの筒、江戸情緒、火の芸術、花火師の心意気などを感じることができる。

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その他、相撲部屋の声が聞こえる両国界隈ぶらり散歩マップ(JR東日本、駅からマップ)を参考にしてはいかが。

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問い合わせ●両国にぎわい祭り実行委員会事務局(江戸東京博物館内)03-3626-9974

http://ryogoku.weblogs.jp/sanpo/files/nigiwai_200805.pdf

おしまい

投稿者:菊地正浩
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2008年04月19日

梅之

 2月25日、ざつはちを乗せた船は水陸両用ってこって~~~w、行ってきたんは東京~世田谷の羽根木公園なり~~~♪
 写真はそこでの1枚~~~♪

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 やっぱ我的にゃ~、桜よか梅のがラブリ~~~なんだよね~~~♪。モヤシみたいなメシベ(オシベ)とかも~~~w。樹の下で酒盛りするんは寒くてやだけど~~~、汗汗。
 ちい~と時期が早かったか~、咲いてるは~白いのがほとんどだったり~~~、軽泣。上のヤツは「鹿児島紅」っちゅう数少なかった色つきの花を無理やりパチリ~~~♪。

 そういや~、よう知らんが~、昔の格言? 「桜切る○カ、梅切らぬバ○」とかってある~~~?

 んなら~今日の我は、まさに「梅撮る○○(別にこう書かなくてもいいんだけど~w)」って感じやん~~~、汗汗。

投稿者:ざつはち
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2008年04月20日

『篤姫』第16回「波乱の花見」

 タイトルと内容があっていないぞ~。もう東京では花見の季節は終わり、せめてもう1~2週間前に放映されたほうがよかったのではないでしょうか。
 今回は水戸斉昭が島津斉彬の薩摩藩邸を訪れるという史実から篤姫と斉昭を絡ませたようです。斉昭に会う前に編纂した『大日本史』を読み、斉昭に対し攘夷のことを問い質す篤姫。あり得ない話ですが、そのまま斉昭は怒るどころから笑って、「大奥を束ねるのは篤姫」と御台になることを承認します。だからどこが波乱なんでしょう? それにしても今回は裏で斉彬の正室英姫が篤姫に『大日本史』をすすめていたのは意外でした。冷え切った夫婦間を暖める美談。離婚が当たり前になっているご時世だからこそ視聴率を集めるのかもしれませんな。
 家定公のお菓子クッキングでは煎餅を焼いていました。ここまでやるなら毎回、いろいろなお菓子を出してほしいものです。今回は煎餅の焼き具合で御台を迎えるかどうか決める家定。斉昭を嫌いながらも「煎餅が香ばしい」という本寿院。これで篤姫の輿入れは決まりましたと。
 もっともっと詳しく知りたい方はこちらのブログをどうそ。

 史跡紀行では小石川後楽園と丸紅本社に敷地内にある一橋邸跡を紹介していました。今回初登場した徳川15代将軍慶喜は、小石川の上屋敷で生まれています。小石川後楽園はJR水道橋駅のスタンプでも紹介されていますが、僕は恥ずかしながら後楽園自体はまだ一度も行ったことがないのです。サクラの季節などは絶景なのでしょうね。ということで今回は森村彩さんが撮影したサクラの後楽園をお楽しみください。あと懐かしい「スタンプ物語31・水道橋駅」にも関連記事が載っています。

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投稿者:管理人
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2008年04月21日

ヨーロッパ心に残る町9-1

パリの街角で[1]

paris1.jpg 「おお! この青く澄み切ったパリの空、なんとすばらしいだろう! この私の燃える思いを、この一輪の花に込めて、誰かに捧げたい!」
paris2.jpg「ちょっとマダーム、ボンジュール! 私の熱い気持ちをあなたに捧げます、受け取ってね、いいでしょ、ジュテーム!」
paris3.jpg 「ねぇ、私にも花を頂戴よ」

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夕暮れのモンマルトルの丘からのパリの街は、夕日がまばゆく輝いていました。

パリの街角で[2]につづく
投稿者:にわあつし
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2008年04月22日

ヨーロッパ心に残る町9-2

パリの街角で[2]
 パリは、町の美しさもさることながら、誰もが自由に自分を表現して活きずく町です。そしてパリは、恋人たちの熱いふれあいが、街角に大変馴染むロケーションです。

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世界遺産の背景になるノートルダム寺院の前の1シーン。

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 鉄道駅は出会いや別れが時を刻む舞台です。
「今度はいつ逢えるかな……? 気をつけてね……!」
「別れたくない…離れたくない…!」
 気持ちが伝わって来るようです……パリ・リヨン駅で

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日没のエッフェル塔はまたロマンチックな景色です。

パリの街角で[3]につづく
投稿者:にわあつし
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2008年04月23日

重要文化財「日本銀行本店(旧館本館)」1

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 明治中期の西洋式建物で、赤坂離宮(現在の迎賓館・紀州徳川家跡、明治42年〈1909〉片山東熊の設計で竣工)とともに、我が国の二大傑作と言われる。明治29年(1896)、5年半の歳月をかけて完成。設計者は東京駅や旧両国国技館も手掛けた辰野金吾で、ベルギ-中央銀行を見本にルネッサンス様式を取り入れたネオバロック建築。関東大震災、東京大空襲にもめげず、110余年経過した今でも日本橋のシンボルとして、昔の面影と美しさを保っている。とくに大正12年(1923)9月1日の関東大震災では、独特の耐震建築で倒壊しなかったものの、翌2日になって、堅牢な石造りをもってしても周辺の延焼の火の手により、3階の明り取りの窓から炎が侵入してしまった。行員による必死の消火活動で、3階は全焼したが1、2階は一部だけにとどまった。震災時こそだから中央銀行の使命を果たそうと、翌3日定刻より少し遅れたものの開店、震災に伴う混乱回避のため、金融などの緊急対策を打ち出していった。その後、東京大空襲にもめげず歴史の証人として美しい姿を保ち続けている。

matsukatamasayashi.jpg 松方正義(1835~1924)

●日本銀行の創立
 明治維新は徳川幕府260年余にわたる封建制度を解体した。富国強兵、殖産振興を目標としつつ、新政府が着手したのは貨幣制度の改革で、明治4年(1871)5月には、早くも新貨条例を公布した。問題山積のなか、財政上の必要から太政官札以下数種の不換政府紙幣を発行した。結果、自ら貨幣制度の基礎を危うくし、ついに明治10年(1877)2月、西南戦争勃発を機に矛盾が露呈した。戦費調達のため、27百万円の不換政府紙幣、15百万円の不換国立銀行紙幣を乱発したため、銀紙の値開きが著しくなった。米価は2倍、貿易収支赤字、正貨流出、金利高騰、投機熱などインフレ-ションの展開となってしまった。このインフレ-ション対策には不換紙幣の整理が必至であつた。明治14年(1881)10月、松方正義の大蔵卿就任により着手され、明治15年(1882)6月、不換紙幣整理方策の中核として、日本銀行が創立された。

パート2につづく

投稿者:菊地正浩
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2008年04月24日

重要文化財「日本銀行本店(旧館本館)」2

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●創業と初代総裁
 日本銀行条例が制定され、同年10月10日に営業を開始した。場所は東京日本橋区北新堀町21番地、旧北海道開拓使出張所の建物を店舗とした。隅田川の永代橋、そこに注ぐ日本橋川の豊海橋のところ(写真左)に位置していた。初代総裁は吉原重俊(鹿児島藩士の子で松方の郷党の後輩)で、38歳という壮年で就任、43歳の若き現職のまま病に倒れ、惜しまれて逝去した。明治16年(1883)4月28日の開業式当日、周辺道路両側は数千の提灯が掲げられ、永代橋にも電燈がとりつけられた。
 会場内は幔幕、提灯、万国旗、草花などで飾られ、陸海軍による吹奏、まるで鹿鳴館を思わせるようであった。式典や晩餐会には松方大蔵卿、吉原総裁をはじめ、皇族、大臣、参議、外国公使など内外名士による参列者数千、夜の12時まで繰り広げられた。夜空を飾る幾百幾千の提灯やランプと電燈、隅田川での仕掛花火は日本橋っ子の度肝を抜いたといわれる。現在この地には、記念碑(写真右)が建てられて当時を偲んでひそかにたたずんでいる。(参考文献『日本銀行八十年史』)

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●本店移転
 明治29年(1896)3月22日、3代目川田総裁のとき、日本橋区本町常盤橋前に移転した。移転地には、金融経済の中心地として日本橋が選ばれ、なかでも江戸時代の金座跡地に決定した。金座とは、金貨の鋳造、鑑定、発行所で、江戸のほか駿府、佐渡、京都の4カ所にあった。各金座は江戸中期までに廃止または縮小されていたが、江戸座も明治2年(1869)、造幣局の設置で廃止された。ちなみに、日本橋を渡ると銀座で、銀貨の鋳造、発行所があった。現在は銀座という地名だけが残っているが、この金座、銀座辺りは金融、経済の中心地であり、両替商が軒を連ね貨幣に縁の深い土地である。三越の前身、越後屋呉服店、三井住友銀行の前身、三井両替店などは代表的といえる。

tokiwabashikarakkyuhonkan.jpg 常盤橋から見る旧本館

●重要文化財 旧本館
「にほん銀行」か、「にっぽん銀行」か、結論はどちらも正しい。しかし、日本銀行の人たちは皆、「にっぽん銀行」と言う。定かではないが、初代総裁吉原重俊が薩摩出身で、威勢がよく、「にっぽん銀行」と呼んでいたということらしい。いずれにしろ江戸時代の流行語に「いよ! にっぽんいち」という掛け声がある。芝居や歌舞伎でも聞かれるし、現在ではスポ-ツの応援で、「にっぽんチャチャチャ」などという声援が聞かれる。あらためて、堂々たる旧本館の建物を見てみよう。さすが、「にっぽんいち」だけのことはある。建築様式については冒頭記述したとおりである。

パート3につづく

投稿者:菊地正浩
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2008年04月25日

重要文化財「日本銀行本店(旧館本館)」3

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写真左から中庭へと入る西口通用門・中庭内部・中庭から見た館内

umanomizunomiba.jpg ●中庭

 正門を中に入る。当時は馬車の時代であった。その名残が今も残っている。馬の水飲み場であり、馬を繋いでいた場所である。我が国中央銀行としての歴史とともに歩んできた、中庭にある馬の水飲み場で貴重な遺跡である。

kaheimuseum1.jpg kaheimuseum3.jpg kaheimuseumstamp.jpg

●貨幣博物館
 貨幣の誕生は、永らく和同開珎とされてきた。平成20年(2008)は、和銅元年(708)から1300年になる。しかし、平成10年(1998)に、奈良、飛鳥池遺構の発掘調査で「富本銭」が、和同開珎より古い7世紀後半に鋳造されていたことが判り、貨幣史は大きく変わった。古代から現代に至るまでの貨幣史について、日本銀行金融研究所では、昭和57年(1982)、日本銀行創立100周年記念事業として、旧本館前に貨幣博物館をオ-プンした。古来、貨幣類や江戸時代の貨幣、藩札、利札、日本を中心に東アジアの貨幣、在日米軍軍票等々、およそお金に纏わる大コレクションが公開されている。貨幣誕生とその変遷について、最新の研究成果を踏まえ、多彩な資料に触れられ飽きることがない。
●入館無料/9時30分~16時30分/月曜日、祝日(ただし土・日曜と重なる場合は開館)休

http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/index.htm

●おわりに
 3月末で第30代日本銀行総裁が任期切れとなり、しばし空席となった。日本銀行創立以来、前代見門の出来事である。昨今のねじれ国会の影響によるものであるが、ようやく白川総裁が就任することとなった。日本銀行の歴史で後世の語り草となるであろう。そんなことには関係なく今日も旧本館は凛として建っている。日本銀行総裁の話題でマスコミが賑わった機会を捉え、重要文化財の旧本館とその歴史の一端を紹介したものである。

おしまい

投稿者:菊地正浩
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2008年04月27日

『篤姫』第17回「予期せぬ縁組」

 安政2年(1855)の出来事として尚五郎が江戸へ上洛。西郷は篤姫婚礼の仕度品の調整でてんわやんわといったところでしょうか。篤姫と尚五郎の久々の対面も上洛して3カ月後で、この間に琉球にいた小松清猷が急死。尚五郎は急遽、故郷に帰って清猷の妹千賀と縁組して、小松家を継ぐことになります。しかし、清猷は29歳まで妻帯していなかったんですね。千賀も当時では珍しく晩婚ですし。
 尚五郎が故郷に帰る途中の10月2日に安政大地震が発生。死者は4000人とも1万人ともいわれますが、水戸藩では斉昭腹心の戸田忠太夫、藤田東湖が亡くなるという悲劇に見舞われます。もっとすごいのはこの年は11月4日、東海地方でM8.4、11月5日に南海地方でM8.4と三大地震が起こったほか、伊賀や飛越地方にも大規模な地震が発生しており、この地震の総死者数は1万をゆうに超えたでしょう。いや地震は本当に怖いです。阪神淡路大震災で都市機能が停止したように、東京も直下型地震がきたら壊滅しかねませんから……。
 あと話から脱線しますが、今回も何気なく家定クッキングのカステラ登場。斉彬に試食させていましたが、どうせならちゃんと焼き方からきちんとやってほしかったですね。

 史跡紀行では薩摩藩邸の芝屋敷と渋谷屋敷を紹介していました。桐野先生「さつま人国誌」によれば薩摩藩は江戸の桜田・芝・高輪・田町・白金・渋谷の6カ所に屋敷があったそうです。渋谷屋敷は嘉永5年(1852)に購入したのですが、芝・高輪が海岸に近いこともあって、異国との戦いに備えた避難用だったそうです。篤姫は芝屋敷にいたのですが、地震で倒壊したため渋谷屋敷に移ってきたのです。薩摩藩渋谷別邸跡は渋谷区郷土博物館の向かいにありますが、この郷土博物館にはスタンプがありません。なので今回は田町駅と渋谷駅のスタンプをUPします。渋谷のスタンプの金王八幡宮は源義朝の家臣渋谷金王丸を祀る神社で、渋谷の地名の由来にもなっています。このあたりには渋谷城が築かれたこともあって、義朝の側室であった常盤御前(義経の母)が植えたと伝わる常盤松がありました。渋谷別邸の碑はその常盤松を偲んで薩摩藩士によって建てられたのです。

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投稿者:管理人
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2008年04月28日

4月11日の新潟県十二峠の残雪

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日本一の豪雪地帯の十二峠付近の様子です。気温が低く、谷に霧が湧いています。
ここは新潟県南魚沼郡塩沢町の西、清津峡の入り口で、中里村になりますが、あまりなじみではありませんね。しかし、私はこの景色が好きで、深呼吸してしまいます。
地元ではやっと雪に解放されて、外に出て背のびしていました。
今は東北で桜の話題ですが、まだま残雪に覆われた地域もありますし、京都では八重の桜が満開です。テレビやラジオ、新聞のニュースだけでは、日本の今の風景がが伝わりにくいようです。

投稿者:伊藤建介
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2008年04月30日

京都御所、春の公開

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京都御所の春の公開(4月9~13日)で、内部を見てきました。初めての見学です。
御所は一言でいって「贅を尽くして侘び寂びを表現した美の殿堂」ですね。
正殿の紫宸殿と右近の橘、清涼殿の御簾、純日本庭園で回遊式の御池庭。
まさに源氏物語の中心部の生活ぶりも伺えました。いま、光源氏の洛中マップをつくっているので、興味しんしんでした。
かつて、庶民からの上納で地位を保った王家の存在を、国の姿を、改めて感じ入ったわけです。

投稿者:伊藤建介
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2008年05月01日

ヨーロッパ心に残る町9-3

パリの街角で[3]

 パリは幾度訪れても新鮮に迎えてくれる奥深い街だ。パリでも興味深いところの一つに、墓地がある。その人の生前の生きざまを形として残しているお墓のスタイルは、とても感慨深い。パリに集った多くの芸術家たちの、眠るモニュメントを訪ね歩くのも、パリ散策の一つである。

cimetiere-du-pere-lachaise1.jpg cimetiere-du-pere-lachaise2.jpg

 なかでも、パリで一番広く、多くの文化人が眠っているペール・ラシェーズ墓地は、見応えがあるところ。落日の墓道は、木葉が舞い落ちて寂しさの中にロマン漂う情景だ。この墓を見ると、優しさ思いやりの深かった家族の絆が、見る人の心の中に深く染み込むようである。

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 生々しい形は、そのまま銃弾に倒れた様子を墓にした、19世紀のジャーナリスト、ヴィクトル・ノワールの墓。

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 アイルランドの劇作家オスカー・ワイルドの墓は洗練されたスタイル。

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あまりにも有名な、シャンソンの女王エディット・ピアフの墓。広い墓地を巡り巡ってやっと見つけたピアフの墓は、多くのファンが捧げた花で飾られていた。

パリの街角で[4]につづく
投稿者:にわあつし
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2008年05月02日

荒川豊蔵の可児と笠間(4/20)

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 4月20日に笠間市の茨城県陶芸美術館の『荒川豊蔵展』を見てきました。
人間国宝の氏は明治27年(1894)、岐阜県多治見市に生まれ、大正11年(1922)に京都に移り宮永東山が経営する東山窯の工場長となります。
 昭和2年(1927)に北大路魯山人に招かれ鎌倉の星岡窯に移ります。その当時の建物は笠間の春風万里荘となっています。
 昭和5年(1930)に可児市久々利大萱の牟田洞の古窯跡で、桃山時代の志野茶碗の陶片を発掘、桃山時代の志野が美濃で焼かれていたことを実証する「世紀の大発見」といわれました。その後、可児市大萱に桃山時代と同じ単室窖窯を築いたそうです。

 写真上は20日の美術館、美術館横の登り窯ですが、下は先日4月12日の岐阜県のJR可児駅、名鉄新可児駅の様子です。

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 こんなことを知らずに、旅行者として可児へ行っていたわけです。

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「荒川豊蔵展」に行って、さらに焼物に魅力を感じました。写真は昭和30年(1955)の奥村樗牛絵・荒川豊蔵作の志野です。楽しいものです。
連休はこの美術館のある、笠間市芸術の森公園で笠間焼の販売イベント「陶炎祭り」が開かれます。

投稿者:伊藤建介
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2008年05月04日

『篤姫』第18回「斉彬の密命」

風邪で寝込んでしまい、序盤10分ほど見過ごしましたが、本日の批評を書かせていただきます。
肝付尚五郎が帰郷し、小松家の跡を継ぐべく、清猷の妹お近に縁組を申し出ますが、お近は7歳年上を理由に断ろうとします。この7歳年上説の疑問は桐野先生のブログを参照させていただきましたが、時代考証家の原口泉氏の持説によるもので、可能性としてはあり得ないわけではないのですが、出典が分かりません。たしかに29歳まで嫁がないというのは珍しいですしね。まあ、お近が尚五郎に想いを寄せているのですが、尚五郎が篤姫を慕っていたというのはドラマだけのお約束ということで。
 今回のメインはやはり斉彬の密命ということで、「将軍家定を支える」「世継ぎを生む」「次の公方を慶喜に決める」など重大な使命が課されます。ただ、家定はこのとき30過ぎ。他の側室にも子ができなかったことを考えると、もはや篤姫は大奥での発言力を高めるための輿入となってしまい、あまりにも可哀想なことになってしまいます。せめて短い夫婦生活は円満に描いてほしいものですが。結局、慶喜を将軍を推すどころか、慶喜嫌いになってしまう篤姫。このあたりは大奥に感化されてしまったのか、あるいは嫌いになる事件でもあったのか、ドラマでの描き方が気になります。
 最後に大奥年寄の滝山(稲森いずみ)が登場。これから波乱となる大奥の序曲といったところでしょうか。
 ところで今回は家定のお菓子クッキングが出てこなかったのでしょうか。「ハリス様から牛乳の献上です」なんて差し出され、「角が生えるから嫌じゃ」なんてギャグをもうけてほしかったのですが。

 史跡紀行ではちょこっと出てきた静岡県下田市の玉泉寺を紹介していました。玉泉寺にはハリス記念館のほかに牛乳の碑、屠殺木、ディアナ号遭難者の墓所などがあります。すごく気になったのは屠殺木と呼ばれる仏手柑の木の跡。領事館員の食糧のため、この幹に牛をくくりつけて殺したそうで、たしかにこれまで牛馬を喰らう風習のなかった村人は面くらったことでしょう。今回は玉泉寺とハリス記念館のスタンプをUPします。

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投稿者:管理人
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2008年05月05日

東京ディズニーランドは25歳となった

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早いもので、TDLは25歳になりました。いまや数少ない成功テーマパークですが、「ゲスト」といわれる「客」への接客が良かった。4月15日の25周年を迎えての10日夜のパーク内ですが、雨で新イベントは中止。それでも、「25」の文字の溢れる、いい雰囲気。
わがカンタンデジカメで撮りましたが、うまく撮れないものですね。

投稿者:伊藤建介
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2008年05月06日

ターコイズんやっぱ

 今日も船の周辺の海域はおだやかやけん~、そんなんにふさわしい手製のアクセを紹介するよ~~~w。

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 どやろ、このネクレ?「さざ波」っぽいイメージなんやけど~~~、汗汗。金具の部分以外は、オール ターコイズ~~~!
 玉の大きさが7ミリあるんで、まあまあ「迫力」あるとか思ってんねんけんど、矛盾してる~?
 アジャスターがついてるから、服の上から下げてもよろし気かと~......。

 これも後日レンタルボックスのハコウリさんに、出品予定かて、どぞよろしゅうねん~~~♪。

投稿者:ざつはち
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2008年05月07日

ヨーロッパ心に残る町9-4

パリの街角で[4]

パリの街は西欧文化の傑作である。統一されたクラシカルな街並みは、旅人を気軽に迎え入れ、ただ歩き眺めているだけでもウキウキとさせてくれる。街角には、心奪われる被写体が満ち溢れていて、ワクワクの連続だ。一見、自由気ままそうに見えるが、実に開放的で魅力的な街にまとめてある。そこには、パリを愛し生活する人々の、美しい街づくりの長い歴史と、結束された規律と秩序に守られて街が動いていることの他ならない。

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世界に名だたる名画に、実に気軽に接することができる(オルセー美術館で)

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どうして間に入ったのか? どうして出すのか? 縦列駐車のベテランさん教えてちょうだい!(自由なパリの駐車風景)

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 おーい!刈り込み過ぎたかな?(セーヌ川岸で)

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似ても似つかぬ描写だね!(芸術橋の上で)

パリの街角で[5]につづく
投稿者:にわあつし
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2008年05月08日

京都の春が去る前に

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京都はいつまでも桜が咲いています。樹種が多いことと、シダレや八重も多いからでしょう。4月16日現在、鴨川では名残の桜を追うように川床に菜の花が満開で、川面に花の匂いが漂っていました。

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御室仁和寺の御室桜(おむろざくら)は、円山公園のシダレ桜が終わってから、満開を迎えました。仁和寺では偶然にも、祇園花街御用達のカメラマン溝縁ひろし先生が、舞妓さんを連れて撮影していました。
右下のレンズは溝縁先生です。五重塔の位置がちょっと悪いんですが。


投稿者:伊藤建介
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2008年05月09日

輪ハチ巣の

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上に見えますにゃ~、またも手製のアクセなり~。名づけてってほどじゃないがあ~、「蜂の巣ブレス」ちゅうねんっ。

 作ったきっかけは、大分前だけどマイカカ様が、どっかのバザーで売れ残った大量ビーズを引き取ったんがはじまりで、更に我に回ってきてしもうたような......。
 んでそれらん中でも特に、画像の左手前にある竹型のもんがおそろしく多かったん。
 クリアー(透明)な色味?だったりとか、両端に丸みがなくて切り落としただけ~って感じが、あんま好きになれなくてね~、汗汗。

 しても、使わないでただドバッと捨てちゃうのは忍びない気がしてさっ。なんか作るにしても好みのビーズとかじゃないから~、高価な金具とかつけたくねえ~~~......w。などなどと、考えたり、いじったりしてるうちに仕上がっちゃったり......、汗汗。
 ま、それなりにシンプルでもユニークそうに見えるからよいかいなあ~と~w。

 現在ハコウリさんのB-1-4スペースにも、2コセット100円でいくつか並んでるんで、どぞよろしゅうにん~~~♪。ある程度はのびるんで、ペアでつけてもらっても、一人で重ねるのもありかと......~~~♪。

投稿者:ざつはち
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2008年05月10日

日本海糸魚川、春の海

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4月27日、日本海の糸魚川へ。一路、横浜から松本経由で白馬を抜けて、糸魚川へ。
電車ではなくドライブです。年間に4万キロを超えました。さて、途中の白馬村の様子は後日に回して、糸魚川の穏やかな海を見て、心落ち着きます。
なぜだろう? 太陽を背にして海を見るからでしょうか? はるばる感でしょうか?
写真は糸魚川港と紅ズワイガニ漁の漁船。
水分の多いプリプリの紅ズワイガニは美味でした。

投稿者:伊藤建介
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2008年05月11日

『篤姫』第19回「大奥入城」

 篤姫いよいよ大奥入りです。
 起きるときも指示があるまで起きれない、食事中にも髪を結うなど大奥のしきたりに戸惑う様子。魚はひと口食べただけで新しいものに取り替えていたようです。そのしきたりに従わないのがいかにも篤姫といったところでしょうか。
 本寿院や側室のお志賀の方(鶴田真由)とも第一印象はよく、まだ確執は出てこない様子。滝山と幾島の争いはすでに始まっていましたが。家定唯一のお志賀の方は生没が不詳ですが、家定よりもひとまわり年上だったといわれます。家定死後は落飾して豊倹院となりますが、それにしても没年も不詳とは本当にひっそりと亡くなられたのでしょう。
 肝付改め小松尚五郎は新婚で平和な日々を「のうのうと過ごすので死んでる気分」と云っていましたが、これは『三国志』の劉備の「脾肉の嘆」といったところでしょうか。暇な田舎暮らしが合わないのでしょう。
 あと桐野先生のブログにもありましたが、「駿河の下田」は明らかに脚本家のケアレスミス。伊豆の人が聞いたら怒りそうです。『風林火山』のときにも年号違いがありましたが、NHKというのは校閲部とかしっかりしていたのではないでしょうか。まあ最近はどこもかしこも人員削減の傾向は見られますが。
 最後に篤姫と将軍家定の初対面となりました。ミカンを投げたり、かくれんぼしたり、病弱とはいわれていますが、ずいぶんと元気な将軍様ですね。

史跡紀行では皇居東御苑や大手門などを紹介していました。皇居東御苑はスタンプもありますが、今回は未訪のため割愛させていただきます。

投稿者:管理人
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2008年05月12日

スイーツっぽ

カワ系やキャラ系の雑貨とかが苦手の我~~~、汗汗。んでも、それじゃあ~イカンと訓練w?がてら作ってみたんが以下の画像のヤツ~~~♪。つっても、オリジナルじゃなくて教本の受け売りぽかったりなんだけど~~~、汗汗。

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 そろばん型のビーズを12個を、テグスに通してキューブ状に編んだだけ~、シンプルプル~~~w。見た感じは昔風の和菓子、コンペイ糖ってか~~~?

 はあて~、これらをモチーフに、どないなアクセにしていきますかいなあ~~~♪。もしハコウリさん(B−1−4の箱)の方にラブリ~~~な作品にな(るかど~かわかんないけど~、汗汗)ってが並んだりした時は、どぞよろしゅうねん~~~、願願願~~~♪   

投稿者:ざつはち
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2008年05月13日

唱歌『朧月夜』の花は、野沢菜です。

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5月2日夕方の飯山市「なのはな公園」です。千曲川と斑尾山が霞んでいます。
「菜の花畑に、入日薄れ、見渡す山の端 霞深し…夕月かかりて におい淡し」の、
高野達之作詞の舞台で、昔も今も菜の花は野沢菜です。

投稿者:伊藤建介
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2008年05月14日

カワく

 我の手製アクセは、ごっつうだったり、エスニック風だったりとかだけど~、レンタルボックスなんかを利用さしてもらうようになってから、お客さんはやっぱカワ系のアイテムを求めて訪れる方々が多いんだなあ~、と改めて感じててさっ、汗汗。
 ってこって、ちい〜とだけそれっぽいつもりのもんに挑戦!?!以下の画像でござい~~~♪

teseiacce.jpg

 ど~~~こがだよ~~~って感じ、汗汗?まだまだ去年の余韻中だったり~かいなあ~~~、滝汗。
 ターコイズん時と似たパタ~ンだよね~~~w。金具の部分以外は、オール ロードナイト~~~ww!これからの季節っぽくないかい~~~?
 4ミリ玉の部分は約40センチで、+6センチのアジャスターつき~~~♪。トップのしずくは30ミリw程度なり~~~!
 あなたの胸元を落ち着いた天然ピンク~で飾ってみてはいかが~~~?是非是非~~~♪♪。近日ハコウリさん(B−1−4の箱)に出品予定なんで、どぞよろしゅう~~~、願願願~~~♪♪。

 では突然に1句を~、

    売るけれど 春うらら~ん(って雰囲気)な 首飾り

 意味不明でスマソ~鉄砲汗。

投稿者:ざつはち
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2008年05月15日

塩船観音のツツジまつり

そろそろストックネタも枯渇してきましたので、久々に埋め草記事を書かせていただきます。会員の皆様の協力がなければ毎日更新記録は途絶えてしまうのですが、ま、それも現在の体制では仕方のないことなのでしょう。

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皆さん、GWの過ごし方はいかがでしたか。あまり天候も思わしくありませんでしたが、不覚にも風邪をひいてしまい寝込んでしまいました。ただ、4月29日に東京都青梅市の塩船観音寺に行ってきました。毎年4月中旬~5月上旬はつつじまつり(入山料300円)が開かれます。さすがにつつじももう見納めになるのでしょうが、写真をお楽しみください。

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投稿者:管理人
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2008年05月16日

直角交差

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 クロスっちゅうと、アクセじゃ~、ハートとかと並んで超定番なモチーフだよね~~~♪
 
 やっぱ何事も基本をしっかりおさえんと~と思ってさっ、一応シンプルながら~、そろばんビーズで作ってみてん~~~、画像のヤツ~~~、汗汗。

 そう~いや今年の流行は、星モチーフの雑貨だとか聞いてたけどなぁ~~~。なんかイマイチ盛り上がりに欠ける気がするんは、我だけかいなぁ~~~……。

投稿者:ざつはち
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2008年05月17日

ヨーロッパ心に残る町9-5

パリの街角で[5]

 パリはナポレオン・ポナパルトの時代から「世界一美しい都市にしよう」とめざして整備されてきた。街並の美しさもさることながら、超斬新なデザインも違和感溢れるオブジェも、なぜかそこにあって当たり前のように、街に染まってしまうから不思議だ。そして、そこに生活する人々もまた同じである。

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ヘンリー・ミラー作の「聴く人」のオブジェ(マレー地区、サン・トゥスタッシュ教会前)

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街行くパリジャン(サンジェルマン・デ・プレにて)

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斬新な広告のバス(ノートルダム寺院で)

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観光客を乗せたお洒落な電動三輪車(オルセー美術館近くで)

パート10につづく
投稿者:にわあつし
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2008年05月18日

『篤姫』第20回「婚礼の夜」

18日取材に出掛けておりましたので、1日遅れのUPとなります。
 今回のストーリーは「将軍家定はうつけか否か」のような展開で流れていきました。まあ、たしかに家定にとってあのような婚礼儀式は三度目だから疲れるのでしょう。篤姫の江戸入りが嘉永6年(1853)で、婚礼が安政3年(1856)12月18日ですから、江戸にきて3年。随分と長くかかった嫁入りでした。
 大奥で重要となる床入りですが、屏風ごしに待上臈と茶坊主(女)が控えており、寝所での会話などを報告する義務があるため、プライバシーなどありません。家定は「面白い話をしろ」といい、篤姫がハリスなど政治がらみの話をすると嫌がります。昔話を命じた篤姫は一言話してすぐに寝入ってしまいますが、これを報告された本寿院はダウン。その後、篤姫の寝所へのお渡りがなくなってしまいます。このあたりの史料は桐野先生の『膏肓記』が詳しいのでこちらをどうぞ。
 で、篤姫は家定の本性を見極めるため、家定と一緒にアヒルを追いかけ、危うく池に落ちそうになるところを家定に救われる。この一件で家定は暗愚でないことを悟ります。しかし、これでは話としておもしろくありません。家定が暗愚か聡明か見極めるなら、もう少し家定の行為に付き合うべきでしょう。一緒にお菓子をつくったり、かくれんぼしたりするとか。

 史跡紀行では鹿児島県日置市日吉町吉利の小松帯刀ゆかりの史跡を紹介していました。帯刀像のある清浄寺、お仮屋敷、鬼丸神社、園林寺跡などを紹介していました。鹿児島と水戸は廃仏毀釈が盛んだったようですが、その爪痕が残っていましたね。なお、日置市は2005年5月に広域合併で誕生した市で、今回紹介された吉利は旧日吉町にあたります。かつては伊集院~枕崎を結ぶ鹿児島交通南薩線がありましたが、昭和58年(1983)の豪雨災害のため、翌年3月に廃止となってしまいました。もちろん未訪の地ですので写真やスタンプは割愛させていただきます。

婚礼や床入など大奥の話題が多くなってきましたが、大奥の職制やしくみを知るには下記の本をおすすめします。

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『大奥』(清水昇・川口素生 共著/新紀元社)
A5判 1995円 ISBN978-4‐7753‐0595‐9

2007年12月発行。おなじみ歴史作家で著作を多数出している清水・川口両先生による大作です。本書は①大奥とは、②大奥と将軍をめぐる陰謀、③大奥の歴史、④徳川将軍家の妻妾や生母などの資料編と4部構成にし、1・2章を清水氏、3・4章を川口氏が執筆しました。江戸時代の大奥全般について詳しく紹介し、まさに「大奥大事典」と呼ぶにふさわしい一冊です。

購入


投稿者:管理人
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2008年05月19日

立山・室堂、雪の大谷(4月28日)

18・19日は取材で出掛けていますので、先に19日分をUPしておきます(管理人)

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富山県立山・室堂の、唸るほどの残雪です。常に5月の連休でも約20mもあります。
この積雪をもたらした気象条件も貴重ですが、「よくきれいに掘ったなあ」と、そっちのほうに興味を持ってしまいます。
かつて同行した冒険スキーヤーの三浦雄一郎さんが、茶目っ気を出して、このあたりの雪上で、私に人払い役をさせて、この谷を飛び越しました。そんなことを思い出しながら、空を見上げていました。


投稿者:伊藤建介
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2008年05月20日

ペアネクレで

 我を乗せて沖合を進む海賊船は、お宝ザクザク~~~ってわけじゃないけどさっ。今日は恥ずかしながら、手製のアクセをちい~と紹介~♪。

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 ま、写真に注目よろ~、。ごっつうネックレス2点なん。トップについてるのは、なんだと思うに~?
 実はこれ、ヤク(ウシ系の動物)の歯なんだそうな、ひゃ~~~!

 中央にあるマークは、「ペルベウ」っつうてチベットの方での~永遠の絆とか愛、調和を意味するシンボルらしく~~~♪。
 連なったサザレ石、ブルー系はターコイズ、ピンク系はロードナイトなり~~~♪。この二つのパワーストーンって、結晶の形が同種で、相性いいんだとか~~~♪♪。

 最近利用さしてもらってるレンタルボックスのハコウリさんに~、置くつもりでいるんで、どぞよろしゅうに~~~♪。
 仲むつまじ(くなりた)いカッポウ様など~、いかがでっしゃろ~~~♪?


投稿者:ざつはち
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2008年05月21日

飛騨高山は、取り残されつつ

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飛騨高山市へ、4月29日にドライビング。街中は「焼きとり」ならぬ「焼き飛騨牛」を各店先では「どうして、こんなに柔らかくおいしい飛騨牛を食べないの?」といった顔。
でも、でも、飛騨牛は脂身が多く、牧草の味はなく、トウモロコシの油のような味ですよ。
中心部の店は、午後4時にはもう終了。高山ラーメン店も、塩ブリの店もシャッター。
仕方なく古い家並みの上三之町へ。そして朝は、朝市へ。なんだか、私には興味が湧かない物足りない、静かな高山です。

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投稿者:伊藤建介
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2008年05月22日

あまりスト

5月9日の投稿でも登場してるけど、蜂の巣ブレスん時の竹型ビーズのあまりのあまりとか~、他のアクセで利用したパーツのしょう~~~もない残りの残りとか~を使って、作ったんが下の画像~~~♪

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左右の長さがアンバランスな部分があっても~~~、はしっこがギザギザえぐれてるビーズがあっても~~~、構へん構へん~~~~、汗汗w!マイストラップにするけん~~~♪

 ちっちゃい頃から「さあ~みんな~~~、好きな同士で2人組作って~~~」とか言われると、奇数メンバーの集団中で「あまり1」になる可能性が異様に高かった我にピッタシやんか~~~、半泣w。

投稿者:ざつはち
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2008年05月23日

岐阜・金華山はどちらが正面か?

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岐阜市街地に聳え立つランドマーク・金華山は、その山容の北側の長良川から見ると実に静かで優雅です。戦国時代の齋藤道三の山城も見るからに堅牢です。
写真中央の山頂に天守閣が小さく見えます。
長良川の鵜飼はこの川面で、今月11日から始まり10月15日まで続きますので、今年こそ鵜舟見物と思っています。
写真は4月中旬の宿泊先、名鉄・岐阜グランドホテルの部屋からのものです。

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投稿者:伊藤建介
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2008年05月24日

故郷心の旅日記

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幻の滝は幻であった!
 5月21日、雨上がりの快晴の中、小山町観光協会主催の富士山幻の滝探検ツアーに参加しました。期待わくわくで、JR駿河小山駅から送迎バス乗車。富士山5合目須走口から、残雪残る道をスタートです。

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 参加総勢約100名、多くは中高年の元気な女性陣で、静岡おやま案内人「四季の旅人」のガイドに先導され片道約40分の山歩き。ダケカンバやヒメシャラなどの木々を掻き分け、残雪に足を滑らぬように踏み締めながらの登山でした。そして、標高約2500m、須走口特有の砂地の道を進むと、やがて幅は30m、長さは100m以上はあろうと思われる大きな雪渓にぶつかりました。
 休憩の間、案内人が雪渓付近を慎重にチェック。嫌な予感と思い気や……「皆さん誠に残念ですが、今日は雪解けが遅く水も流れていないため、今回の滝発見は幻になりました。次回のチャンスにまたお出かけください」……でした。「幻の滝」とは、毎年5月中旬頃の晴れた日、雪解けの水が岩の壁を流れ落ち、高さが10m以上の滝ができるそうで、発見する時間帯も昼下がりから2時ぐらいまでで、3時以降は水が枯れて滝が消滅してしまうようです。場所も毎年決まってはいないそうで、今回は例年よりも寒く雪解けも遅いようなので、再度挑戦する方は6月初旬頃までに探策に来てくださいとのことです。

grandcanyon-jpn.jpg

 帰途は馬返し付近にある和製グランドキャ二オンなる富士山の断層を散策。そして、日本桜百景に選ばれた富士霊園の桜並木、富士スピードウェィの外観などをバスで車窓観光。残念ながら幻の滝は見えなかったものの、「四季の旅人」の皆さんのきめ細かな案内の良さに、心に残るすばらしい1日となりました。ちなみに今回の参加費は、バス代、お土産の絵葉書含め1500円でした。次回は絶対に幻の滝を見つけたいですね!
 追伸--「幻の滝」の名を登場させたのは、須走口5合目で山小屋を経営する「菊屋」の主人故高村豊さんで、平成2年小山町議会だよりに掲載したのが最初だそうです。

投稿者:にわあつし
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2008年05月25日

『篤姫』第21回「妻の戦」

 篤姫へ二度目のお渡りがみられないため、本寿院・歌橋・滝山・幾島の四つ巴の密談。大奥での髪型おすべらかし・根取り下げ・おまた返しなど出てきましたね。家定の興味をひいてもらおうと、篤姫を人形のようにいじくりまくり、生け花のようにかんざしを頭にさす。「重い、首が折れる、減らしてくれ」は宮崎あおいがやっているからよりリアリティを感じますな。あの髪型からして首の細い彼女は、何時見ても首が折れそうで心配ですから。
 結局、篤姫の懇願で将軍家定はお渡りすることになります。うつけなのか否かを問い質す篤姫。今回の物語は家定にしろ、お志賀にしろ、滝山にしろなかなか実体をつかませないですね。家定は「わしには子はできんぞ」「もつ気もない」と云っていますが、このあたりは家定が性的不能なのか気になるところですが、このあたりは桐野先生のブログで史料とともに解説されていますので、ぜひそちらをお読みください。
 篤姫は側室のお志賀の方を呼び寄せ、公方のことを聞くと、お志賀は「純粋に好き」といい、篤姫はそのことを将軍に問い質す。愛情と嫉妬の愛憎劇のはじまり--お志賀の方は独占欲が強かったとされていますが、このあたりはドラマでどう描かれるのでしょうか。

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 史跡紀行では、小江戸の埼玉県川越市を紹介していました。川越は当社制作の『天璋院篤姫と幕末を旅する』(四條たか子著/一水社)でも詳しく紹介されていますので、ぜひお買い求めのうえお読みください。川越は昨年10月30日に初めて本格的に取材しました。このときテレビで出てきた氷川神社・喜多院なども訪れましたし、なぜか鹿児島とも縁が深いサツマイモも紹介されていましたね。時の鐘をはじめ、蔵造りの町並み、駄菓子屋横丁など江戸を思わせる町は散策におすすめです。

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投稿者:管理人
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2008年05月26日

しっぽげ

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写真のリングは~、手製のもんじゃないんだけどね~~~、汗汗。一見普通~~~のシルバーアイテムってっ感じ~?
 実はチューブ?状で、ところどころ欠け凹んだ部分からのぞいた黒いヤツは~、ゾウの自然に抜け落ちた尻尾の毛なんだと~~~!
 これを身に着けてると苦労を遠ざけ、幸運を呼び寄せ願いが叶うんだそう~な~~~♪w。

 そんならばってわけで~~~ぇ、最近の我の指にはまるヘビロテになっているのだわん、じゃなくて、にゃ~~~、でもなくて、予想通り~月並みだけど、なってるのだゾウ~~~、汗汗。

投稿者:ざつはち
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2008年05月27日

白馬は「はくば」か「しろうま」か

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北アルプスの白馬三山(しろうまさんざん)の最北に白馬鑓ケ岳(しろうまやりがたけ)があります。その頂上右下の岸壁に、5月の上旬に雪形・代掻き馬(しろかきうま)が出現しました。それを目安に、この地では田を起こします。この写真は5月4日です。
ここからこの山を「しろうま」と呼んでいました。稲作前には別の名だったようですが。
「代馬」はいつか「白馬」に変わりました。さらに信濃四谷駅は「白馬(はくば)駅」、町名も白馬(はくば)町となりました。「はくば」のほうが、白馬童子、天使、ロマンなのかも、です。地名は中心地の機能によって変化するものですが、ここはあまりにも安易です。もっと白馬(しろうま)を称えたいものです。
写真を、よーく睨んで見つけてください!


投稿者:伊藤建介
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2008年05月28日

星いる

 今年は、星モチーフの雑貨とかがキテルってことらしい?にもかかわらず~、それについては斜に構えていた我だったが……。
 ははは~、あまりビーズで作ってしもうたわ~~~、下の画像のヤツ~~~、汗汗。安っぽいとか責めんといて~~~、泣泣。

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 この時期~東京近辺の灰色夜空じゃ、当たり前だけど流れ星なんか期待できないよなあ~、なんて思いつつ、ベランダ~いやデッキwに出る。
 この時期~フリマにでも、上のネックレス並べたら、1つくらいは売れるかいなあ~、と期待しつつ願う~~~w。

投稿者:ざつはち
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2008年05月29日

西丸震哉記念館がオープン

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長野県大町市木崎湖畔に、西丸震哉先生(食生態学者、登山家、探検家)の記念館と併設のギャラリーが5月4日にオープンしました。
西丸先生の「フォレストワンダラーズ6重唱団」の私たちもかけつけました。

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めずらしいニューギニア食人種の狩の矢などの展示があります。
一度、この北アルプスの谷でお茶でもどうぞ。金曜~月曜開館です。
所在地:長野県大町市平 TEL.0261-22-1436 
http://park20.wakwak.com/~snsl/nishimarukan/


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<西丸震哉先生のプロフィール>
1923年、東京生まれ。食生態学者、登山家、探検家。
東京水産大学山岳部の創設者。1980年、国の食品行政に疑問を呈して、
農林水産省食品総合研究所官能検査研究室長を辞す。現在、食生態学
研究所長。登山は1936年より始める。ニューギニアでの食人種の調査、
ガダルカナル、アラスカなどの遠征や、画家、作曲家としての活動。
日本熱帯医学協会顧問、日本極地研究会、日本旅行作家協会理事。
著書は『食生態学入門』『未知への足入れ』『山歩き山暮らし』『山の博物誌』
『イバルナ人間』『41歳寿命説』『日本百山』など多数。島崎藤村の甥。

投稿者:伊藤建介
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2008年05月30日

伸びしれ

 ここんとこ毎年んようにマイプランターで栽培してる植物が、タデアイと下の画像のベニバナだったり~~~……♪。

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 タデアイは、水やりさえ注意すれば外でほっといてもよくて、結構育てやすいんだけど~、ベニバナん方は、あんま雨に当ててはダメだしい、害虫や病原菌にやられやすくて~、実は今までまともに花を咲かしたことがないんだよね~~~、汗汗。
 画像の株で、特に下の葉っぱなんかに不規則な線?とか斑点が出てるのわかるかいなあ~~~?ハモグリバエ(線)や炭素病原菌(斑点)の仕業らしく~~~、こんにゃろ~~~怒!

 そいでも過去の幾度かの栽培挑戦の時ん比べて、大きく立派目に育ってる感じなのはうれすぃ~限り~~~♪。
 種まき(3月下旬)から平均気温を累計して1300度になる頃(6月下旬~7月上旬)、アザミに似た形で黄~朱色の花が咲くの期待してるねん~~~♪。

 今日の投稿は、いつになく真面目であったろかの? ざつはちにも、まだ文章を書く伸びしろがあるんだと自分勝手に解釈しておく~~~、汗&♪。

投稿者:ざつはち
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2008年05月31日

水戸納豆の変化

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ここは水戸市内。納豆オンパレードで、黄門様までご登場。まあそこまでしなっくっても。
健康食の王様ですから。
ご当地食の優等生です。黄門様の力を借りなくても大丈夫でしょう。
私はこの納豆が大好きです。

投稿者:伊藤建介
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2008年06月01日

『篤姫』第22回「将軍の秘密」

はい、ほぼ週遅れでUPします。当日は総会があってこちらの報告を先にUPしまして、その後のハードスケジュールにて更新が遅れてしまいましたm( )m。
 今回の注目どころは公方(家定)は本当にうつけかどうか、そして英明だが自信過剰の一橋慶喜の二者がメイン。一橋慶喜に関しては桐野先生の『膏肓記』が詳しいです。その間に備後福山藩主の老中阿部正弘(草刈正雄)が亡くなってしまいました。あまりにもあっけない死でしたね。
 さて、今回の「将軍の秘密」ということで、うつけのふりをしていたが実は英明だったということになり、それはあまりにも過大評価ではと物議を醸しています。たしかにこれでは信長ですね。それにしても家定公がここまで国政を考えているなどとはちょっとびっくりの展開でした。
 家定曰く「阿部が挙国一致の政事をしていたので、幕政は阿部に任せておけばよかった。将軍はお飾りでよかったが、阿部が亡くなったのでうつけのままでおられなくなった」などと申していますが、後継には自信過剰の慶喜は好かぬ様子です。でも、そのうつけの理由が馬鹿らしい。家慶の子で唯一生き残ったのは家定だけで、他の子は早世。ここには大奥の陰謀で毒をもられてみな亡くなったとされています。そして家定も毒をもられ、もう身体がボロボロといっていますが、随分活発に城内を駆け回る姿からそれはないかと。それにもし毒をもられているのなら脳には影響は出ていないのでしょうか。一説には脳性麻痺といわれているのに……。
「わしを残したところで何もならない。天に分からせてやりたかったのじゃ」
と駄々こねる公方様。信長公の不良時代は少年期のことですが、30過ぎたおっさんがやることですか!
 まあ、若くして未亡人となってしまう篤姫様が可哀想だからこういう設定にしたのでしょう。母性愛で救おうとする篤姫に対し、「わしは誰も信じぬ」という家定。さて二人の夫婦愛はどうなりますことやら。

 史跡紀行では阿部正弘の故郷、備後福山(広島県福山市)の福山城を紹介していました。ここは以前、宮本武蔵の取材の際、原稿を書いたことはあるのですが、予算がとれず現地取材はできませんでした。ただ福山駅のスタンプはありますのでそれをUPしたいと思います。福山には競馬場もあるので一度は行ってみたいものですが、西日本エリアは東京からだと動きづらいです。せめて名古屋・京都・大阪ぐらいに拠点がないと。

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投稿者:管理人
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2008年06月04日

越後の桐の花は満開

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女の子が生まれたら桐の苗を植えて、大きくなる頃に花嫁道具の桐の箪笥をつくる。
かつてそう言われた越後の桐です。
ここは新潟県津南町で、十日町に接する地域です。まだ桐の大木が、まるで畑のよう。
旅ジャーナリスト会議の先輩2名と一緒です。
5月26日には、ちょうど花が満開でした。桐の花の甘い気だるい匂いがあたりにただよって、山国の遅い春の佇まいです。
地元のご婦人によれば「桐は安くて、だめでね」とのこと。
こんなに美しいところに、観光客は来ていません。


投稿者:伊藤建介
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2008年06月06日

Ledの恐怖-山﨑カメラマンの初投稿に寄せて

 Ledは目を射るかのようによく鋭く色が見え、長持ちし、色変化がすばやく、しかも省エネになるとの謳い文句だが、おかげでクリスマス前になると、屋根から壁いっぱいにテカテカと恥じらいも飾り、むしろ得意になっているように見える家が増えた。
 みんなLedを使った豆電球の集合体であり、電気屋はこれを売り物して、季節商品の目玉にしているかのようだ。
 我が家の周りにも増えた。それらの家を撮ってえみると、撮るたびに光の色分布が違ってしまい、まるで違う家かと思ってしまうほど奇妙な感覚にとらわれる。

 これを列車の先頭に使われると、「カメラマンは泣く」ことが分かった。
 山﨑さんは、この業界トップクラスの売れっ子と自他ともに認め合う名人だけあって、さすが歯切れのいい文章だが、悔しがり方がちょっと甘い。JR各社に物申すスタイル、それも「生活がかかってるぞ」と詰問調でいいのになあ、と思った次第。もうLedを表示に使うような先頭車両は取らんぞ! と各社にいってやればいい。

 ちなみにクリスチャンでもないのに、なぜ、このごろみんなんちは暮れにデコレーションをやるんだかわからない。2年前の12月、クリスマスの本場、ニュルンベルクやミュンヒェン、「きよしこの夜」の賛美歌が生まれたザルツブルクなどを訪ねたが、日本みたいに飾り立てた民家なんて見たことがない。列車の窓からだけでなく、いくら探してもないのだ。ほとんどの家がキリスト教徒なのにーー。

 日本の庶民はどっかおかしい、狂っている。
 そんなに電力が余っていたら、発電のために自然と景観を破壊し、誰もが旅に出る意欲をなくしちゃう風車の建設なんかやめちゃえばいいんだ。そして意味のない電飾に使う電力は、殺人を伴うような痴漢を防ぐため、街灯の増設に使ったほうがよほど先進国にふさわしいやり方ではないか!

 歳をとると怒りが止まらなくなる。でも正論だと思うけど??

投稿者:森田芳夫
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2008年06月07日

にわあつしhotヨーロッパ「6/5スイス時間PM5時」

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世界遺産の街スイス・ベルンは、相変わらず活気に満ちています。
カラフルなユーロイベントの旗が並ぶ建物の下、歴史あるアーケードはショッピングを楽しむ人々で賑わっています。一新された駅前のターミナルからは、よそ見をしていると、跳ばされそうなぐらいにひっきりなしに、市電やトロリーバスが往来しています。

投稿者:にわあつし
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2008年06月08日

『篤姫』第23回「器くらべ」

 今週もドタバタ劇が続き、またもや更新が遅れてしまいました。
 水戸斉昭が老中阿部正弘の死後、開国派の堀田正睦とは合わず、幕政から退任することになり、斉昭嫌いの大奥は大喜び。一方の家定は篤姫に徐々に心を開きはじめ、五目並べをやるようになります。
 で、今回のテーマは篤姫が将軍候補の一橋慶喜と慶福(のちの家茂)の両者に会って、どちらがふさわしいか品定めすることになります。自信過剰で本心を見せない慶喜。続いて慶福(松田翔太)が初登場。桐野先生の『膏肓記』にもありましたが、どうみても史実の年齢が合わないです。この当時慶福はまだ12歳。故松田優作のサラブレッドがいくら若づくりしてもムリがありましょう。そういえば2002年の大河『利家とまつ』でも、12歳のまつを松嶋菜々子が演じていましたが、あれもムリがありましたな。もう少し子役で引っ張らせてよかったのに。
 菓子好きだったという史実にちなんでか、慶福が菓子をもらうシーンありました。しかも生菓子が傷んでいることを即座に嗅ぎ分ける慶福。「毒見はいらん」と立派な応対をして篤姫に気に入られます。それにしても「菓子」という共通点でいけば、むしろ将軍家定と話が合いそうな気もしますが。
 結局、一橋慶喜を将軍に推すために御台となった篤姫ですが、大奥に感化されて慶喜嫌いになったというより、自分で見極めたという形をとりたかったのでしょう。しかし、島津斉彬の企てが本寿院にばれ、次回では比較的良好だった嫁姑の戦争が勃発しそうな雰囲気です。

 史跡紀行では鹿児島県錦江町・南大隅町の大隅半島佐多岬や佐多旧薬園などを紹介していました。ここでは茘枝(レイシ)の栽培も行われていたようです。茘枝というのは広東語でいうライチのこと。その昔、唐の楊貴妃が好んで食べた「幻の果実」といわれ、僕が小さい頃は一度しか口にしませんでしたが、今や珍しくもなくなったようです。今回は未訪の地のため写真・スタンプは割愛させていただきます。

投稿者:管理人
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2008年06月09日

ライブイン・ヨーロッパ/洞窟内の滝「6/6スイス」

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 雨凌ぎのためにコース変更して訪れた、スイス・ラウターブルンネンにあるトリュンメルバッハの滝です。氷河から溶けた水が、洞窟の中を流れるところです。
 毎秒20tの水量だそうですが、滝坪近くから洞窟の中を50度以上はあろうリフトに乗り、流れ落ちる上の部分に案内され、流れる姿を観せてくれるスイスの観光力には感心させられます。

投稿者:にわあつし
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2008年06月10日

ライブイン・ヨーロッパ/ジューンブライド「6/7スイス」

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ヨーロッパでも、6月は結婚式が盛んですね!
スイス・シュピーツ城で遭遇した新婚カップルです。訪れた昼下がりの時はもう7件目のようで、結婚式ラッシュでした。ツゥーン湖畔の花咲く美しい景色に囲まれた古城での結婚式。
どうぞ、お幸せに!

投稿者:にわあつし
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2008年06月11日

サワ

 最近は、いろんな家の庭先に、ぼこぼこ黄緑の実が落ちてたりすんのを見るようになったね~~~。
 下の変な画像こそ~、まさにその実を去年焼酎に漬けておいたヤツだったり...~~~w。って回りくどい表現せんでもよかろうも~~~、汗汗。梅じゃ~梅~~~♪。花じゃないけど~また登場~~~w!

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 新しいウメ~~~ッシュを作るのに、何年か使ってる、寝かしとくためのビンに残ってたふやけ目の実を取り出したん~。
 これホント我的にヤバ過ぎるウマさよ~~~♪ほどよい甘さと酸っぱさ~~~♪♪。食欲ない時に前もって一粒かじっとくと、その後のメシの味が全然違う感じだもん~~~w。

 ブログもサボりがちでたま~~~に書いたりするんは、熟成された後の新鮮さ?があって、ほどよく甘く酸っぱくええ感じ~~~とか言い訳しておく~~~、汗汗。

投稿者:ざつはち
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2008年06月12日

ライブイン・ヨーロッパ/コートダジュール「6/10南仏ニース」

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もう南仏は熱い夏真っ盛りです。コートダジュールの海岸は、どこも日光浴の人々で溢れています。
ここニースの海は、老男若女を問わず、長く照りつける太陽の下、日光浴を楽しんでいます。
そしてまた、そのなかに大胆なトップレスの女性たちが目立つのも、南仏のすばらしい太陽の恵みがあるからなのかもしれませんね!

投稿者:にわあつし
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2008年06月13日

ライブイン・ヨーロッパ/エズ村「6/10昼下がり南仏」

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日本でも人気の観光地エズです。
ニースから定期バスで約20分。岩山の頂にあるエズ村は、入り組んだ路地に家が造られています。頂上の公園から眺める下界は、澄んだ青空の下、コバルトブルーの海と南仏特有のオレンジ色屋根がマッチングし、美しい絶景を描いていました。

投稿者:にわあつし
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2008年06月14日

三ノ輪橋停留所

来週へ望みを託して埋め草記事を書きます。もうストックネタも枯渇しているので新規投稿がなければ更新記録も途絶えてしまうのですが……。

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約1年ぶりに再訪する都電荒川線の起点・三ノ輪橋停留所。まだバラの花はかろうじて残っていました。

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第一期工事が終了し、レトロな停留所になりました。現在もまだ工事中で入口も完成すると、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の世界になるのでしょう。完成が楽しみ。今度は三脚もって夕陽を入れて撮らなければなりません。

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都電の沿線案内図、レトロ感があっていいですね。

投稿者:管理人
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2008年06月15日

『篤姫』第24回「許すまじ、篤姫」

篤姫と家定、五目並べでいい雰囲気になっていますね。囲碁をやっていた於一と尚五郎とのような関係になりつつあるのでしょうか。ここでハリスが将軍との謁見を望み、しかも立って面会するといいます。「郷に入って郷に従わない」ハリスに対し、篤姫はハリスの背丈を調べ、畳を積み上げて家定が上座にいるように仕掛けます。ここで斉彬の密命を受けた幾島がハリスとの謁見の際に、慶喜を傍らに置くことをすすめ、篤姫が家定に請うとOK。反面、お渡りがなくなり存在価値のなくなったお志賀は、ひたすら千羽鶴を折り続けています……もう少しドロドロ感が出てもよさそうなものですが。
 ハリスとの謁見で家定はついうつけのクセが出てしまったとのことですが、将軍らしい応対であったともいえましょう。ハリスの日記では家定は脳性麻痺の症状があったと書いていますが、どちらが本当なのかは知る由もありません。一方、慶喜を傍らに置かせたことに対し、怒り狂って倒れてしまう本寿院。相変わらず慶喜と滝山は本心を見せず不気味といったところでしょうか。しかも、ハリスとの謁見においてますます慶喜嫌いになる家定。どうしたものでしょうか。
 史跡紀行では今回、一橋擁立派として登場した松平慶永(春獄)の故郷である福井市を紹介していました。テレビに出てきた福井城跡や福井神社、養浩館などは未訪の地ですが、福井駅はスタンプを押していますので、古いスタンプをUPします。右は国鉄の「わたしの旅スタンプ」時代のものでしたが、2008年3~4月にかけてJR西日本エリアではスタンプが一新されました。現在のものは「北の庄城址 越前六十八万石 永平寺歴史ロマンあふれる駅」というシャチハタ形式のものです。さすがに新しいスタンプは間に合わないので古いものでご勘弁ください。

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あとよろしければこちらもどうぞ。

投稿者:管理人
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2008年06月18日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-1

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 ヨーロッパ鉄道旅第一報はイタリア・ミラノ駅から。いつ訪れても圧倒される巨大アーチと、そのアーケードの下にうごめく多くの人、人、人。ファツションの最先端の街ミラノの駅は、相変わらず活気とざわめきに溢れかえっていた。南仏ニースに行く列車への乗り換えの時間が5時間ほどあり、ミニ市内観光を済ませるといつものように駅散策に出かける。毎年訪れているミラノ駅だが、駅構内をにぎわす広告の斬新さにはいつも心動かされる。

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 24番線まである、ホームを覆う巨大アーケードの薄暗さから外れ、ホーム先端からアーチのフォルムとともに列車を撮るべく広いコンコースを行ったり来たり。

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 そして、突然入線してきたピカピカおニュー列車に驚き、シャッターを撮りっぱなしだ。イタリア国鉄関係者や職員が見守るなかの列車撮影。私も昔かたぎの日本の新幹線写真をちらつかせながらイタリアーノ職員に話しかけ、ニューユーロスター? アンダースタンド……? 列車の顔も車と同じく、四角目ー丸目ーオパール目に進化するのかな??? ミラノ駅の出来事でした。

ミラノにてつづく

投稿者:にわあつし
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2008年06月20日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-2

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「ミラノデザインは工事現場まで!」
アーチドームの緩やかな曲線美に美しく映える列車の姿は、ミラノ駅ならではの傑作アートである。

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そして街に出れば、歴史的建造物が溢れんばかり並んでいる。年代物だけに、修復する建物も多い。これら建物の壁等の修復工事を覆うシートのデザインがすばらしい。単に工事中の目線を良くするために、覆うシートや壁に花々や子どもたちなどを描いている我が国とは違い、その建物と同様の窓枠等をシートに描き、なおかつ斬新な巨大ポスターがデザインされる。その歴史的背景を壊さずに最新アートを表に現わすスタイルには感心させられる。モンブラン社の黒いドレスの女性の目線には、つい引き込まれてしまいそうだ。そういえば辺りを見ると、男女を問わず歩く若者のほとんどが黒っぽい服装をしており、しかも実にオシャレに着こなしている。ひょっとして今年の流行スタイルかな? レストランの白いパラソル上の工事テントはバイクレーサーデザインで、今にも飛び出しそうな迫力だ。

hirobakoku.jpg

ドーモ広場前の工事テントは金融関係の広告かな? でも私の頭の中の被写体は、手前の背中を大胆に出した女性に神経が集中していた!!

ミラノにてつづく

投稿者:にわあつし
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2008年06月22日

『篤姫』第25回「母の愛憎」

 大河ドラマもいよいよ前半を終え、折り返し点に来ました。しかし、中だるみになり視聴率も苦戦しかける時期なのに、前回は25.7%と放送中では最高視聴率を更新しました。やはり宮﨑あおいの演技に助けられている部分が多いのでしょうか。
 前回で篤姫が一橋派ということが分かり、怒った本寿院は公方のお渡りを妨害する工作に出ます。無理矢理引き離された家定と篤姫。それを知った家定は二度も倒れる芝居をうち、母の本寿院にこれまでの感謝を述べ、篤姫への寝所に強行します。なんかフジデレビで制作した『大奥』に比べますと、嫁姑戦争のドロドロ感はあまりみられず、随分とストレートな感じ。まあ、フジテレビと同じではそれこそ元も子もありませんが。
 あと、西郷と大久保が熊本へ行き、熊本藩家老の長岡監物と会見しますが、ここで西郷は大久保に席をはずすことを求め、この屈辱に大久保は帰国後、「俺は鬼になる」といって随分オーバーな演出がなされていました。これについては桐野先生の『膏肓記』に史料をもとにした詳しい分析がありますので、こちらを読んでいただければと思います。
 史跡紀行では老中堀田正睦が藩主をつとめた下総佐倉藩の千葉県佐倉市を紹介していました。正睦像や佐倉城跡、佐倉順天堂、甚大寺などの関連史跡が登場しましたが、近いはずの場所が未訪の地。ただそれより遠方へ行く際に乗り換えなどで途中下車して、JR佐倉駅のスタンプは押していますのでUPします。正睦は初名は正篤といったのですが、篤姫の「篤」の字をはばかって改名したことは初めて知りました。

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投稿者:管理人
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2008年06月24日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-3

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 雑踏のミラノ観光を楽しむと、ミラノ駅からRIVIERA-DEIFIORI[花のリビエラ号]に乗車、一路ニースに向かう。列車は途中ジェノバから地中海を左手に眺めながら走って行く。
 沿線には黄色やオレンジなど原色に塗られた明るい色の建物が目立ちはじめ、建物の窓やベランダには、たくさんの洗濯物が、気持ちよさそうに泳いでいた。カラッとした空気の流れは、照り付ける陽射しをより強く感じさせるようだ。車窓から眺める海岸沿いには、日光浴をする人々が浜辺を埋め尽くし、夏真っ盛りである。イタリア側リビエラ海岸の町サンレモ、国境の町ヴェンティミリアを過ぎるとマントン、モナコと、コートダジュールの海がつづく。

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 夜8時、花のリビエラ号は定刻通りニース・ヴィル駅に到着した。夜10時近くまで陽射しが明るいこの時期、街はまだ活気に満ちており、芋虫のような形のトラムが走り、熱い陽射しのなか、旧市街ではアイスクリームを片手に観光するレディーたちが多く目立っていた。

つづく

投稿者:にわあつし
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2008年06月25日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-4

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 映画『太陽がいっぱい』のあのメロディが、思わず映画のシーンと共に浮かんで来てしまう、熱い太陽と澄み切った青い空。ニースはすばらしい晴天に恵まれ、即、カメラ片手にニース散策である。お祭りのように活気とざわめきに溢れる旧市街を突き抜け、海岸沿いに延びるプロムナード・デザングレ「イギリス人の散歩道」大通りを歩く。

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 夏真っ盛りの陽射しのなか、海辺は海水浴や肌を焼く人・人・人……タマジャリの浜だが、海の水は透き通るコバルトブルーでとても綺麗だ。カラフルなパラソルとシートを備えた、ホテルのプライベートビーチもあるが、開放的な人々で溢れかえる浜は、着替えもバスタオルみたいな大きな布を被せるだけの大胆な着替え、そしてトップレス姿の女性があちこちに寝転んでいるのも、ニースでは当たり前の光景である。

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つづく

投稿者:にわあつし
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2008年06月27日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-5(1)

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エズ村[1]
 ニースから定期バスで約20分、通称「鷹の巣村」と呼ぶエズ村にやって来た。ニース市街地から坂道を登り詰め、紺碧の地中海を見下ろす山の頂へ。敵からの侵入を防ぐために、山のてっぺんに造られた村は、石作りの家が一軒一軒迷路のように造られており、細い石段の道は中世の雰囲気を漂わせている。一番高台にある熱帯植物園の展望台からの景色はまさに絶景の世界だ。

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 しばしの至福の時を過ごし坂を下る。美しいのは村や風景ばかりではない。村で出会った南仏美人の笑顔と愛嬌に、後ろ髪引かれる思いでエズ村をあとにした。

つづく

投稿者:にわあつし
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2008年06月28日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-5(2)

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エズ村[2]

エズ村での光景。中世の雰囲気漂う村は、細い路地を歩くと、オシャレな飾り付けの家があり、村の人との素朴な出会いがあり、魅力いっぱいの村である。

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つづく

投稿者:にわあつし
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2008年06月29日

『篤姫』第26回「嵐の建白書」

 今回の大河ドラマ、苦戦する幕末では意外に検討していますね。ドラマの作り方が他に比べて丁寧だからでしょうか? 最初、宮﨑あおいの首をみたときは、髪結いをするとあまりの細さに頭を撫でると首がもげてしまうのではないかと心配でしたが、見ているうちに違和感もなくなりました。まさかブリッジをして首を鍛えたわけではないと思いますが。あおいファンの方ごめんなさい。
 離婚が当たり前の世の中だからか、コタツに入ってポルトガルの菓子を食す家定と篤姫の夫婦が仲睦まじく見えます。出てきたあの菓子って一体何だったのでしょうか。今回は家定の解説がなかったので気になります。僕も今回の大河ドラマ見るまでは篤姫の生涯などほとんど知らなかったものですが、斉彬の密命で将軍慶喜を推挙するように将軍家へ輿入れしたのですが、養父とはいえそのやり方に疑問を感じるようになった篤姫。政略結婚とはいえ、「親(養父)の道具ではない生き方」をうまく描いています。
 さらに斉彬は篤姫だけは将軍を動かせないことに痺れを切らし、建白書を提出。これで火に油を注ぐ結果となった大奥。本寿院および滝山は井伊直弼に紀州慶福を強く推すようすすめます。
 一方、尚五郎はようやく「帯刀清廉」と改名。斉彬は「古い幕府を壊すための改革。御台は守る」といいながら、建白書を提出し御台の立場を危うくしてしまう。この仕打ちに対し、帯刀は御台を思い「苦しゅうございます」と涙。手段のためなら方法を選ばない非情な殿様斉彬に対し、下級武士や相手の立場を思いやり、のちに「名宰相」と呼ばれるようになった帯刀。この演出は感心させられました。改名届に関しては小松帯刀研究の第一人者・桐野先生のブログもどうぞ。
 今回の演出のうまさはやはり思想が交錯する幕末の背景をうまく描いているところでしょうか。時代の流れで開国を迫られている時に家定がもらした「馬鹿ばかりじゃからのう」はいいセリフ。当時の倒幕派は攘夷一点ばり。とくに長州は外国人を襲撃することしか知らないテロリストたちばかりで、下関砲台襲撃までは相手の実力を読めなかったのですから。
 この幕末の善戦に気をよくしたか。再来年2010年の大河は『龍馬伝』に決まりました。龍馬単独では1968年の『竜馬がゆく』以来の42年ぶりですが、当時の作品の平均視聴率は14.5%というひどさで、94年の『花の乱』に次ぐワースト2位。「低視聴率=悪い作品」というわけではないですが、リベンジを期待したいところですね。

 史跡紀行では今回初登場の月照の清水寺成就院や清閑寺、京都御所の近衛亭跡を紹介していました。清水寺は小学校・高校の時に行ったことがあるのですが、それ以来は行っておらず、自分で撮影した写真はありません。有名観光地ですからスタンプもあると思いますが。清水寺のスタンプがないので、新しくなったJR京都駅のスタンプをUPします。

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【お詫び】
28日18時~29日11時にかけて、更新手続きの手違いから契約解除の扱いになり、一時的にアクセスできなくなっていましたことお詫び申し上げます。

投稿者:管理人
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2008年06月30日

近世と現代の尺度

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 1945年2月13日夜、ドイツのドレスデンは三波に及ぶ英国軍の空爆で、一夜にして灰燼に帰し、その夜だけで10万人が亡くたったといわれ、広島・長崎とよく対比されている。
 先週19~20日、夏至の前の晩と本命の晩、この街に2泊した。10時になってもなおフラッシュなしに写真撮影ができるのはさすが高緯度のドイツならではと実感できた。

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 ところで盛り場のレストラン街を写真とった。5階建てのレストランが櫛の歯のように続いている情景が左、改めて上を入れたところ異様に高い教会が写った。その差は上の写真をご覧いただければ納得できよう。

 3年前に60年ぶりに修復・再建された聖母教会のアンバランスの高さ、これころ近世18世紀の高さ基準である。前にある現代の建物と比較してみると、あの時代の価値基準がよく分かる。高さ100m近い教会建築、これがあのころの常識だった。

 とくとご覧ください。現代の高層ビルのひょろ付いた雰囲気とは違う、気品ある、重厚な雰囲気に唸らない人はいないだろう。

投稿者:森田芳夫
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2008年07月01日

情けない旅フェア

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旅フェア2008の報道公開日に取材を兼ねて見てきました。160の各自治体、観光団体集まってのフェアで、機軸は「食」でした。
「食」でも流行の「B級」といわれる人気料理です。「B級料理」は、庶民向けに最良のたべもので、その地域の人気は出るでしょう。しかし、それでいいのでしょうか? 
人気になればなんでもいい。ただ、それだけのように思えるのです。各地域には歴史も文化もあるだろうに、情けなく思えました。地域活性化にはならないようです。
写真は「神戸のオムそば」と「門司の焼きカレー」ですが。少々辛口かな。

投稿者:伊藤建介
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2008年07月02日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-6

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 久しぶりに訪れたモナコ公国の鉄道駅は、地下トンネルであった。長さ300mもある豪華大理石の長い連絡通路で、市内とつながっている。しかし、人影も見当たらないほどにひっそりとしていた。それもそのはず、突然の鉄道のストライキにあたったのである。

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 美しいエズ村からバスでモナコに入り、観光後は列車でニースに戻り夕刻のTGVでパリに発つ予定であったが、ニース行きの列車がない!! 旅をしていると予想外のハプニングに出くわすことがある。イタリア・ミラノ駅では、手荷物預かり料金が、荷物の個数ばかりでなく、1個の荷物は20kg制限! 床に管理しておくだけなのに重量制限とは? ボヤキながら慌ててスーツケースを開け、荷物を振り分け、重さ調整をしたり、ニース行列車では、我々の予約指定席に現地客が居座る始末。それもなんと制服のイタリア国鉄職員である。私はチケットを見せ、No.1~6の指定を確認させる。ところがこの職員の言い訳は「あなたの席は1~6ではなく、1と6の2席だ!」などと、いい加減なことを言ってくる始末だ。腹立しかったが、こちらも一歩も退かずにかなり強く言い込め、席に納まった出来事であった。

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 さて、ストライキのモナコ駅で、ニースから我々の乗るTGVの定時出発を確認したため、早々にバスを使ってニースに戻る。旅は道ずれというが、ハプニングも次の旅へのアドバイスとして心に収め、無事定刻通り発車したTGVで、ニースを後にパリに旅発った。

つづく

投稿者:にわあつし
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2008年07月03日

21世紀の建築のトレンドは”半壊型”?

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 デュッセルドルフのライン河の港では、古い施設を思い切って撤去し、新しい建物が次々と造られている。
 6月中旬、市役所が仕立てたバスで、われわれ「日独協会千葉支部」の一行30人はここに案内された。
 現地の日本人通訳の説明によると、新しい世紀へ向けて、新名所を造るという意気込みで市が発注した写真のような建物が三つ軒を並べている。アメリカの設計家ゲーリーの作品というが、どうも私は気に入らない。

 協会のメンバーの一人が「どうですか、森田さん、ここにドイツ事務所でもお持ちになったら」と突然冷やかしてきた。
 「いやだね。ドイツの建築を特徴づけるバルコニーもなく、広い窓もない。さらにゼラニュウムなどの花を置くところが何もない。こんな即物的で、根性が曲がった建物はごめんこうむる。もしかしたら床も傾いているんじゃないですか」と、聞こえよがしに答えた。

 現地通訳の女性が「ドイツのイメージをお聞きし、大変勉強になりました」と一言私に囁いた。

 このような建物で人目を引くという市の発想はいかがなものか、でもこれで納得する人がいるのかもしれない。しかしこの情景は地震直後の壊れかかったビル、または空襲による爆風でへし曲がった壁を連想させる。
 もはや「戦争と地震」を知らない世代や、奇をてらうアメリカ人にはうけるのだろう。

 そういえばこのブログで伊藤会員が今年、銀座にこの手のビルができたことを伝えていた。

 同じ時代に呼吸をしながら、とんでもない考えを持つ人がいるものだ。

投稿者:森田芳夫
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2008年07月04日

サミット前の札幌の空港 

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6月15・16日に札幌へ。温泉教授の松田忠徳さん宅に1泊。新千歳空港はサミット歓迎ムードと裏腹に空港建物内には警官だらけ、各県警の方達が隙間なく巡回していました。まさかその姿を撮るわけにもいかず、頭上の歓迎飾りをパチリです。

投稿者:伊藤建介
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2008年07月06日

『篤姫』第27回「徳川の妻」

トホホ、『篤姫』の前にひと寝入りしておこうとして起きたら、もう終わりの5分。目覚ましかけておいたつもりですが、無意識に止めてしまったのかもしれません。こんなことなら最初からビデオに録画しとけばよかったのですが、まだ消化していないものもあったのでつい……。ドラマのコメントは週末の再放送までお待ちください。
 再放送を観ましたので改めて書きます。将軍継嗣問題もいよいよ佳境を迎え、幾島と滝山が激しく対立。で、慶福擁立の井伊直弼に対し、一橋派は松平慶永を大老に推します。で、今回も家定と篤姫がどちらが大老にふさわしいか両者と会見。慶永の列侯による改革よりも、井伊の幕権強化のほうに家定は同意。「徳川将軍家を守りたい」このことに胸を打たれた篤姫はものすごい勢いで家定のもとへ走っていきます。あの着物でのピッチ走法はなかなか見応えがありました。他の女中たちが篤姫のスピードについていけない。さながらスプリンターのアストンマーチャンでした。
 結局、篤姫は嫁ぎ先の徳川家に殉ずる決意をします。このへんの背景は桐野先生のブログにもあるように本寿院の影響もあったようで、慶喜が将軍になるなら自害するというのも史実のようです。家定と篤姫、束の間のLOVE×2ですが、次回は家定と斉彬の両巨頭が亡くなります。再び嵐が巻き起こりそうな予感です。

 最後の史跡紀行では浜離宮恩賜庭園や築地市場など、隅田川河口付近の紹介をしていました。隅田川の船旅は菊地正浩会員が2月11~16日に「水上バスで東京散歩」をルポしていますので、こちらもお読みください。とりあえず浜離宮最寄りの新橋駅と浜離宮のスタンプをUPします。浜離宮については「スタンプ物語3・新橋駅」で詳しく書いてありますので割愛させていただきます。こちらを読んでくださりませ。

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投稿者:管理人
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2008年07月07日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-7

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スイス「ベルンの熊」
 世界遺産の街ベルンは、少し小雨混じりの天気だ。しかし、この街は歴史ある長いアーケードが続き、雨天の観光にはさほど影響がない。アーケード下の商店街は買い物客で活気にあふれ、品数も豊富で値段も安く、スイスでのショッピングルートとして必ず旅のコースに入れる、私のおすすめの街である。

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 昨年訪れた時に工事中だった、ベルン中央駅前の市電のターミナルも新装され、ターミナルからは石畳に敷設された軌道を、カラフルな塗装のトラムが引っきりなしに出発してゆく。
 幾度と訪れているベルンだが、まだ見たことがないのが、この街の名付けのシンボルである熊で、今回、一番始めに街外れの熊公園を訪れた。登別温泉の熊牧場のように、手を挙げ餌を求める獰猛な熊たちがたくさん待ち構えているかと思いきや、なんと、大きな熊が一匹だけ丸い濠の中に、きょとんとした顔で寝そべっていた。その姿はとても寂しそうなベルン熊だった。

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つづく

投稿者:にわあつし
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2008年07月08日

横浜のディスティネーションキャンペーン

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今夏のJR・横浜DCの発表会があり、横浜の中田市長が張り切って、キャンペーンをPR。横浜在住のタレントまで借り出して、横浜生まれの料理の再現もあり、活気を感じました。

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横浜生まれの食品はアイスクリームやビールが知られていますが、今回は老舗のホテル・ニューグランドで生まれたドリア、スパゲッティナポリタン、プリン・ア・ラ・モードが出され、私も久しぶりに濃厚な味のドリアを堪能しました。
来年6月の横浜開港150年記念イベントに向けてのDCだそうです。


投稿者:伊藤建介
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2008年07月09日

パパッとこ

いや~~~、先月の忙しさが結構ハンパじゃなったもんで~~~、泣泣。これからはもうチョット目には間隔つめて書きコしたいと思うけん~、どぞ見もらえると~~~、願願。

 もう2週間前くらいなんだけど~、5月30日に載せてた画像ベニバナの花がなんとか咲いてん~~~♪。あれから更に害虫とか病原菌にやられて葉っぱの色も全体的に白っぽくなってたんで、今年も無理かいなあ~~~、っとあきらめてたとこ~、パパッと蕾が開いてん~~~♪♪。

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 草丈全体を撮影すると、朽ち加減のお見苦しい~部分?も入ってしまうんで、上の方の誇らしい花弁のアップをパチリ~~~。

 パパッと咲いたから、パパ~~~ッとビールでも飲みたいとこじゃが~、今日もそれなりに忙しかったりで~、これからパパッとヤボ用済ましに行ってくるでよ~~~、汗汗。


投稿者:ざつはち
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2008年07月10日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-8

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スイス・ルツェルン 「シュタットケラー」

今回の旅、スイスでの一泊目は、ムーゼック城壁やカペル橋など中世の名残ある古い街、ルツェルンに宿をとる。この街に来ると楽しみに必ず訪れるのが、スイスのフォルクローレショーで有名な店「シュタットケラー」である。引率人数も今回は多く、また、私自身結構この店の楽しさにはまっているので、ぜひ皆さんに盛り上がってもらおうと、日本で予約をしておいた。

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 外まだ明るいが夜の8時、総勢17名でテーブルに着く。メニューは、69スイスF(約7100円)のSausageコースを予約。フライやステーキなどのコースもあったが、旨いソーセージのあるこのコースを選んだ。コースには、スイス名物チーズフォンデュも含まれ、ショー代も入っての料金である。確実に1Lは入っている大ビールジョッキ代を含めると一人8500円ほどであった。愛嬌振りまく専属のおじさんウェイターが手際良く料理を運ぶなか、200人の客が集うレストランでのショーが始まる。客層は我々日本人はじめ、アメリカ、オーストラリア、アフリカなど国際色豊かで、ショーをしている舞台では、お客を引き込んでヨーデル、スイスホルン他スイス音楽で、最高の盛り上がりを見せている。気が重かった雨のスイス初日だったが、ショーの楽しさにすっかり爽快の気分で、皆さん一日の幕を閉じた。

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追伸、この店の料理だが、最初にチーズフォンデュが出る。かなりの量のあるパンを、チーズを付けて食べ始める。空腹でスタートしたら、パンとチーズでかなり満腹状態。メイン料理はその後、大皿サラダとともに、大盛りのフライドポテトと添えて出てくる。ゆっくり、ぼちぼち、調整しながら進まないと、手つかずの料理がテーブルに並ぶ始末となる。

つづく

投稿者:にわあつし
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2008年07月13日

『篤姫』第28回「ふたつの遺言」

 前回は平均視聴率26.0%とまたまた記録を更新した『篤姫』。今回が最大の山場なだけに記録はさらに伸びるのでしょう。
 将軍継嗣が慶福に決まり、井伊大老は強権を発動して勅許を得ずに日米修好通商条約を締結。ここで「恐れ入り奉ります」を連発しておりました。桐野先生の『膏肓記』にもありますが、これは史実だったようで、このシーンをドラマに用いたことを感心しています。反面、精力的に動いていた幾島は気賀が抜けてしまったようですが。
 家定の死去は安政5年(1858)7月6日、その10日後に養父斉彬が死去というダブルパンチの篤姫。夫と養父を一度に失うなんて、小公女セーラ並みの不幸ですね。しかも上様の薨御は1カ月後であったので、篤姫にとっては養父の死のあと、斉彬の遺言を読んで涙したあとに家定の死を知るわけです。「上様のところへ連れてゆけ」という篤姫。しかし、1カ月も上様の亡骸を保存する方法が当時からあったのでしょうか。それとも先に荼毘にふされたのでしょうか。そのへんが気になります。
 薩摩で斉彬が死去する際に、弟忠教(のちの久光)を呼び寄せ、後継を養子の又次郎(のちの茂久)にし、嗣子として六男の哲丸にするよう遺言します。斉彬に実子が生まれてういたとはいえ、まだ2歳の哲丸を藩主にするわけにはいかなかったのでしょう。しかし、その哲丸も翌年には他界してしまいます。斉彬の男子は6人いましたが、すべて幼くして亡くなっているところをみると、お由羅による呪詛というより、毒殺の疑惑も消えないのでしょう。
 史跡紀行では鹿児島市の天保山砲台跡や島津斉彬陣屋跡、福昌寺跡の斉彬墓などを紹介していました。ここは昨年10月10日にレンタサイクルで回ったところで、今となっては懐かしいところです。桐野先生のブログにもあるように周辺には龍馬新婚旅行の碑もあって、再来年の大河のために再訪しなくてはいけなくなるところです。今回は天保山砲台跡の写真と鹿児島中央駅のスタンプをUPします。

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投稿者:管理人
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2008年07月15日

一と氷角

 シャキ~~~ンって冷たいアイテムがほしくなる時期?なんで~、たまたまゲットしたアクセのパーツで作ったんが下の画像のネクレなり~~~w。

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 なんかトップについてんの氷みたいやない~?アクリル製だけど~、まあまあ光沢あってええ感じ~~~ww。胸元を涼しげに飾ってはいかがかな~~~?
 そうそう、利用さしてもらってる下北沢のレンタルボックス~、ハコウリさんの我の位置?が変わったねん~~~。B-1-4からC-6-2へ、ぜひお近くにお越しの際は見にいってやって頂けるとうれしゅう~、よろしゅうねん~~~♪♪。
 ま、上のネクレなんかは、ざつはちの作品のほんの氷山の一角かもよ~、なんつって~~~、汗汗。

投稿者:ざつはち
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2008年07月17日

ヨーロッパ鉄道心の旅2-9

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スイス・ルツェルン 「トゥリュンメルバッハの滝」

 旅の行程も天候次第で変わって来るもの。今年のスイスは、天候不順のためか、厚い雲に覆われた日が続いていて 、青空の見えた日はスイス滞在4日目からであった。ルツェルン近郊のピラタス登山を雨のために中止。代わりに訪れたのが、ライブINヨーロッパでも紹介したトゥリュンメルバッハの滝だ。
 ユングフラウ方面のBOB登山鉄道の駅ラウターブルンネン駅前からポストバスで約10分。滝入口バス停を降り、幾つかの滝が流れ落ちる谷間の小道を10分ほど歩くと、トゥリュンメルバッハ滝入口のチケット売り場と滝方面への石段が続いている。そして、まさしく身近に滝壺があることを察する物凄い水音が、身体中に響き渡る。

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 滑りそうな濡れた石段を音に引き寄せられるように登ると、洞窟から地上に流れ落ちる爆流が見られ、すぐ横の洞窟には、滝に沿って昇るエレベーターが設けてある。氷河から溶けて、10段階も洞窟内を流れ落ちる滝を、エレベーターを使って滝昇りをし、上段の滝から観瀑させてくれる。スイスの観光力には驚かされるばかりだ。上段から毎秒2万リットルの凄まじい水が、洞窟内を見え隠れしながら流れ落ちる姿を、急な石段に沿って下り、ビショビショに体感しながら眺めた。雨日の恩恵は凄まじい滝の息吹に感動の一日であった。

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つづく

投稿者:にわあつし
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2008年07月20日

『篤姫』第29回「天璋院篤姫」

 前回26.2%とさらに最高視聴率を更新した『篤姫』です。今週は取材で出かけていたため、ビデオ録画を頼んでおいたのですが、録画に失敗した模様。再放送を観るまでもなく中国のサイトでUPされた動画を観て24日にUPします。しかし、PCでは画像が大きくできないため観づらいですね。
 今回は家定が薨去し、篤姫が落飾して天璋院となる話です。放心状態になった篤姫は自分が上様の死期を早めたと自問自答し、お志賀の方や本寿院にも上様の死を伝えます。怒り狂った本寿院は「そなたが毒殺したのじゃ」と篤姫を折檻。でも本来、将軍生母が御台を折檻することなど、大奥の身分秩序からあり得ない話と桐野先生のブログでも解説されています。さらに疑惑の残る家定暗殺説も詳しく書かれていますので、興味のある方はぜひ太字のリンク先にも飛んでください。
 一方、斉彬の死後、気落ちした西郷は殉死をはかり、月照に止められます。薩摩では藩主の父忠教(のちの久光)が小松帯刀を呼び、側に仕えてほしいと懇願し、それに対し大久保が同意します。権力に刃向かうものではなく、利用してゆくもの。怜悧かつ合理的な大久保らしい考えですね。ここで前藩主の斉興が25回ぶりに登場しましたね。斉彬の死後、藩主忠義が若年であることを理由に忠教をさしおいて再び藩政を掌握し、西郷隆盛など斉彬派の家臣を粛清するようですが、このあたりはドラマでどう描かれるのでしょうか。見ものです。
 史跡紀行では鹿児島県姶良町の平松城跡、重富島津家墓地や鹿児島市の久光像や玉里邸庭園など忠教(久光)ゆかりの史跡を紹介していました。姶良町の最寄はJR日豊本線重富駅で、20年以上前にスタンプを推した記録が残っていますが、そのスタンプがすぐに出てこないので、今回は割愛させていただきます。

投稿者:管理人
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2008年07月22日

蔵王も好天気

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宮城県蔵王町。7月1-2日の蔵王の刈田岳でも梅雨晴れながら、強烈な暑さでした。
東北地方でも気候が変化していて、はや、夏の到来ですが、山頂近くでは、この時期を待っていたかのように、コマクサが咲いていました。


投稿者:伊藤建介
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2008年07月27日

『篤姫』第30回「将軍の母」

 慶福が14代将軍として家茂と改め、落飾した天璋院はその後見役として生きてゆく希望を見出します。いまでいうモチベーションというものでしょうか。しかし、桐野先生も申しているように家茂は当時13歳なのに、演じている俳優が宮崎あおいと同年齢(22歳)の松田翔太では、どうしても不自然さがぬぐえないのです。子役を設定すべきだったのではないでしょうか。家茂に「娘子のよう」といわれてしまい、天璋院の威厳はどこへやら。年齢的には姉弟のような感覚ですが、どうも役者さんの年齢が一緒だとそうも見えない。家茂は亡くなるまで月代を剃っていなかったともいいますし。
 今回、井伊直弼が立てた将軍後見役に田安慶頼の名が出てきましたね。のち徳川宗家16代となる亀之助(家達)の父です。しかし、幕政は井伊大老の専横で安政の大獄となります。京都に西郷も月照とともに薩摩に逃れますが、斉彬に代わって再び実権を握った斉興によって牢に入れられ、西郷に月照を斬る「永送り」を命じられます。西郷は月照と錦江湾に入水しますが、奇跡的に蘇生したようです。
 一方、家茂は将軍宣下のあと、ふとしたことから天璋院を「母上様」と呼び、天璋院を感涙させます。まあ、今回のタイトルはこれがメインだったのでしょう。幾島は天璋院付年寄として重野を推挙し、自らから辞任を申し出ます。この別れは次回に続くということで……。

 史跡紀行では慶福の故郷である紀州藩の和歌山市を紹介していました。和歌山城や紀州東照宮など紀州関連の史跡が出てきましたが未訪です。JR和歌山駅には過去に下車したことはありますが、スタンプもJR西日本エリアで2008年に一新されてしまったので、新スタンプも未押です。今回も写真・スタンプなしですいません。それにしてもまだまだ全然、現地へ行っていないことを痛感します。体がもうひとつあったらなぁ~。

投稿者:管理人
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