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『天地人』第27回「与六と与七」

 期待したほどミニ与六と与七が出てきませんでしたね。残念です。
 やっぱり中央場所と絡まなかったのが痛いか。哀れ7年にわたって抵抗を続けた新発田重家の反乱はナレーションだけで終わってしまいました。今回は賢兄に対する弟の葛藤を描いたようなホームドラマでした。源氏の流れをくむ小国家の名跡を継いだ弟実頼ですが、婿養子は肩身が狭いようですね。上杉の名代として上洛し、秀吉から従五位下但馬守の官位をもらい、姓を小国から大国に改めます。この改姓は主君景勝の命によるものなのですが、ドラマではドロンジョー様の茶々(深田恭子)が提案し、秀吉が命じたことになっています。まぁ許容範囲でしょう。
 春日山に帰郷後、官位をもらった実頼に対して兄の兼続が激怒。喧嘩になります。鎌倉時代の頼朝と義経のような兄弟だったのでしょうか。しかし、兼続さん、あなただってのちに豊臣の姓をもらっているではないですか。天正16年(1588)、景勝・兼続主従は実頼も連れて二度目の上洛を果たし、景勝は従三位参議、兼続は従五位下山城守の官位をもらいます。これに対し、兼続が秀吉に対し、「我々の心中を察してくだされ」とわけのわからないことを口走っています。
 結局、実頼は兄と比較されるのが厭で京都に残ることを申し出たようですが、というより実家が厭で単身赴任を選んだと思ったのは僕だけでしょうか。話しは変わってお船の方がおめでたようですが、この時期に生まれた子って誰? 長男景明は文禄3年(1594)生まれだし、長女於松なのでしょうか?
 次回はもう伊達の話で佐渡攻めはやはりスルーされてしまうのでしょうか。あれ? 前田慶次がまだ出てきませんねー。

あと、こちらも併せてお読みください。
桐野作人先生『膏肓記』

 史跡紀行では旧白根市(現・新潟市南区)の大凧と、西蒲区の天神山城跡が紹介されました。両方とも未訪ですが、岩室の天神山城跡は上田氏が取材に行っていますので、今回は上田氏撮影の城跡をUPします。最寄はJR越後線岩室駅ですが、残念ながら2007年3月に無人駅になってしまいスタンプがありません。あしからず。

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『天地人 直江兼続』(メディアボーイ)をまだ購入していない方は、ぜひこちらからご覧になって購入してくださいまし。

投稿者:管理人
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2009年07月05日 00:19に投稿されたエントリーのページです。

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