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小さな日本のパナマ運河

「小名木川の扇橋閘門(こうもん)(ロックゲート)」

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●小名木川(江戸時代は小奈木川)という運河
 隅田川の清洲橋付近、芭蕉庵史跡と旧中川の中川大橋付近を結ぶ小名木川は、下町の東西を流れている。隅田川~中川~江戸川を結ぶ江戸舟運の名残りの一つである。幕府は浦安の塩を運ぶために造ったが、その後、年貢米、味噌、醤油、木材、石材等々の生活資材物資を、江戸府内に運ぶための重要な運河となった。隅田川に出た船は幕府が造った日本橋川に入り、河岸の倉庫へと向かった。

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 この小名木川には幾筋もの人工の堀川が流れている。横十間川(写真左)は代表的な堀川で、小名木川と交差する江東区猿江2、扇橋3、北砂1、大島1の場所は、4地区の接点で何処の町へも渡れるように十字形になっている。クローバー橋(写真右)と言われ、川に架かる橋としては車の通行ができない人道橋である。

●扇橋閘門(ロックゲート)
 隅田川の水位が高く、小名木川のほうが低い。これは東側ほど地盤沈下が大きくなったからで、江戸時代にはなかった現象である。そこで水位を調整して船の航行をさせるため、日本版パナマ運河を造ることになった。工事は5年3カ月をかけ、昭和52年(1977)に完成された。ここよりさらに東、荒川と旧中川の水面の高さも、最大3.2m差があり、荒川ロックゲートで調節して船を通している。長さ55m、幅12mの大きな船も通れる。しかし、小名木川の扇橋閘門は大きな船は制限され、例えば幅8m以下の船しか通行できない。

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前扉(隅田川側)は閉まって赤信号(写真左)/開けられて青信号となった(写真右)

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閘門の後扉(中川側)(写真左)/閘門の後扉を開けているところ(写真右)

 船を通すには閘門を開閉して水位を調整する。二つの水門の間に船を入れる閘室があり、船が入ると水門を閉じ、出ていく側の水位と同じにしてから水門を開けて船を出す仕組みである。この方法の大きいものが太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河である。江戸時代の隅田川、中川口、小名木橋の五本松を見比べると、地盤沈下や公害の無い時代が懐かしい。

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川岸にあった五本松(写真左)/小名木橋の五本松跡(大正時代にセメント工場の公害で枯れ、復元された)(写真中央)/芭蕉が詠んだ句碑跡地(写真右)

投稿者:菊地正浩
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2009年04月09日 00:43に投稿されたエントリーのページです。

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