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『篤姫』第33回「皇女和宮」

 慌しくて前半10分ほど見そびれてしまいました。再放送で追記できるものがあれば書き加えたいと思います。
 今回、和宮が主人公になると思いきや、やはり天璋院主導で動いていましたね。薩摩との二元中継は相変わらずですが。興味深いのは桜田門外で薩摩脱藩の有村次左衛門が井伊大老を討ち取り自害したあと、これに呼応するかのように兄雄助が挙兵を計画したため、捕縛されて薩摩に護送されて切腹を命じられます。これを兄の俊斎が立会いのもとで見届けます。この俊斎のちに海江田信義と改名し、生麦事件を引き起こしながらも生き延びるのですが、もっとスポットを当ててほしいものです。
 あと薩摩から天璋院に帰郷するように手紙があり、天璋院は一瞬うわの空になりますが、滝山から老中の差し金であったことを知らされ思い止まります。結局、天璋院様は嫁いだあと一度も帰郷しなかったのですが、これはある意味正解だったのかもしれません。まあ、当時ですからそんなに風景は変わることありませんが、僕のように片田舎に住んでいますと、帰郷するたびに無謀な区画整理による都市開発に困惑します。昔よく遊んだり近道に使った細い路地はほぼ全滅。天璋院様のように当時の記憶のままで止めておくのが幸せなのかもしれません。まぁ、僕のこんなくだらない持論はさておき、桐野先生の『膏肓記』には里帰りの可能性を示した説も紹介されていますので、ぜひこちらもご覧ください。
 故郷の今和泉島津家では長男の忠冬が亡くなり、弟の忠敬が家督を継ぎますが、これって安政6年(1859)のことで、桜田門外の変以前の話だと思ったのですが。
 さて、婚約者との縁談を破棄して将軍家茂に嫁ぐ覚悟を決めた和宮。こう決断すると女は強いもの。公家と武家のしきたりの相違で早くも嫁姑戦争が勃発しそうな勢いですが、あの和宮降嫁の道中はスルーされてしまうのでしょうか。
 史跡紀行では京都御苑の和宮生誕地や宝鏡寺などを紹介していました。京都御所は蛤御門や仙洞御所など一部しか見学しておらず、スタンプもなかったので今回は割愛します。

投稿者:管理人
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2008年08月17日 23:25に投稿されたエントリーのページです。

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