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2007年01月 アーカイブ

2007年01月01日

元旦だからこそ「正月パス」

新年明けましておめでとうございます。
それではさっそく旅じゃBLOGの第1回は元旦に大変重宝する「正月パス」の紹介です。
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さっそく管理人はこのフリーきっぷを使って新年早々、東北の秋田と角館へ日帰り旅行(取材)をしてきました。JR東日本が毎年12月中旬~晦日まで発売し、使用できるのは翌年の元旦のみというきっぷですが、新幹線・特急・急行の自由席が乗り放題に加え、座席が4回まで指定できます。ねだんは普通車用12,000円、グリーン車用18,000円(ともにこども半額)。フリー区間はJR東日本エリア全線に加え、JR北海道中小国~函館間と第三セクターの青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道・北越急行・伊豆急行の全線が乗れてしまうすぐれものです。
似たような商品に土・日曜限定の「土・日きっぷ」18,000円(2日間有効)がありますが、こちらはフリー区間が南東北・信越エリアに限られています。その点、正月パスなら東北全域をカバーし、かつはるばる来たぜの函館まで行けるわけです。単純に東京から秋田まで秋田新幹線こまちの指定席を利用すると、片道17,150円なわけですから、片道の移動手段だけでも十分モトはとれてしまうのです。いつも管理人は「青春18」を使っているだけに新幹線の機動力にはビックリしました。元旦しか使えず、美術館・博物館・飲食店などの施設も年末年始休のところが多いなど、観光としてみればネックな部分もありますが、安く移動できる手段のきっぷとしておすすめです。来年は「青春18」と併用して函館へ行こうかなと考えています。
寝正月もいいけれど、正月早々アクティブに動くのも“三文の得”。

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2007年01月07日

『風林火山』第1回「隻眼の男」

連載の「スタンプ物語」をお休みして、いよいよ2007年NHK大河ドラマ『風林火山』が始まりましたので、管理人が当ブログで主題とするドラマの突っ込みどころを描きたいと思います。
はじめこの『風林火山』の予告を見たとき、1年間大丈夫かなと思って心配していましたが、なかなかよい出来映えのスタートを切りました。オープニングの音楽と自然の風景を駆ける武田騎馬隊がうまくマッチしています(『功名が辻』に比べたら)。まあ、歴史を重視して木曽馬などの在来国産のポニーを使って再現しますとさまになりませんので、サラブレッドやアラブに騎乗するのは歴史ドラマの「お約束」といえるでしょう。登場する乗馬には中央や地方競馬を引退した競走馬もいることと思われますし……。
気になる物語の始まりは天文4年(1535)の万沢口合戦でした。井上靖の原作や『甲陽軍鑑』では、勘助が登場するのは、信玄が国主となる天文10年(1541)以降なので、6年前からの時代設定。それでも勘助はすでに50近くになっていますが、今回の内野聖陽演じる勘助はどうみても30代、片足は不自由といいながらも、かなりアクティブに演じられています。女っ気のない勘助にミツという思い人の設定も(*^ー゜)b グッジョブ!! これまで演じられてきた老人勘助のイメージを払拭する内野勘助に期待しましょう。
気になる勘助の出生地ですが、井上靖原作と『甲陽軍鑑』の説を採用し、三河牛窪(愛知県豊川市)となっていました。勘助の出生地は駿河国富士郡山本(静岡県富士宮市)と三河国八名郡賀茂(愛知県豊橋市)の2説が有力ですが、両説とも牛久保(牛窪)城主牧野家の家臣大林勘左衛門の養子となるところで他の史料と合致します。ドラマでも勘助が「大林勘助」を名乗ったのはそのためですが、歴史の史料では大林家に嫡子が生まれたため、養家を離れるのは大永7年(1527)のことなので、多少時代設定が変えられています。まあ、ドラマだから歴史を忠実に再現するよりいいかもしれません。
最後の史跡紀行紹介では、いきなり信玄の本拠躑躅ヶ崎館跡(武田神社)と信玄出生地の要害山城を取り上げていましたが、ドラマのストーリーからみても万沢口古戦場を取り上げてほしかった気がします。この万沢口(山梨県南部町)は駿河と甲斐の国境に近く、番所(関所)が置かれたところなのですが、意外にも古戦場を示す史跡は残っていません。NHKもそのあたりを考慮して取り上げなかったのかもしれませんが。

最後に昨年11月に管理人が制作しました大河ドラマ歴史紀行の副読本を紹介します。


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『風林火山をゆく』
(英知出版) B5判 980円 ISBN4-7542-5606-9
2006年11月発行。12月2刷。2007年度NHK大河ドラマ『風林火山』の主人公・山本勘助生誕の地から終焉の地・川中島古戦場まで勘助69年の生涯と足跡を追いかけ、その実像に迫った歴史紀行。勘助・信玄ゆかりの史跡からグルメ・おみやげ・沿線の記念スタンプまで旅の情報満載! 旅ジャーナリスト会議代表かつ伊那市ふるさと大使森田芳夫氏ご推奨の一冊です。

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2007年01月14日

『風林火山』第2回「さらば故郷」

第2回目で過去にさかのぼり、勘助の出生地は駿河富士郡山本村(静岡県富士宮市)であることが明らかになりました。まあ、山本という地名が残っているぶん、駿河説のほうがドラマにからみやすいですからね。ここで少年勘助(幼名源助)登場。すでに隻眼で片足が不自由になっています。勘助は疱瘡にかかる前は利発で美男だったと伝えられ、隻眼になる前に大林家に養子に入ったともいいます。このほうが勘助の不幸値をUPさせるのに効果的だったと思いますが。また隻眼になった原因として『名将言行録』ではイノシシに不覚をとったと記されています。ちょうど亥年なので、こちらの演出のほうがよかったようにも思えますが、ロケをするのも大変か? 野生のイノシシはかなり危険ですので。
さて、前回も書きましたが、勘助が牛窪(牛久保)の養家・大林家に戻ってくると、すでに実子勘兵衛が生まれており、もう元服して初陣までしています。しかも晩年に生まれた子なので、可愛がりすぎたのか軟弱な設定。しかも勘助が苦労してとった兜首(赤部下野守)は、実子勘兵衛の手柄に奪われる始末。哀れ勘助、せっかく気味の悪い生首を甲斐から三河まで運んだというのに……。
おまけに駿河に戻ってきたら、兄貞久は武田と内通している福島越前守に仕え、その内情を知る勘助は兄に襲撃され、「駿河を去れ」といわれます。ちょうどそのとき、武田家では勝千代(信玄)と次郎(信繁)が剣の試合をし、父信虎が次郎を寵愛しているのに、気づいた信玄はわざと負けてしまいます。このあたりは信玄と勘助、互いに不幸な者同士がいずれ共鳴する設定なのでしょうか。元服前の信玄が、信虎の名馬鬼鹿毛を所望し、信虎の怒りを買ったというのは『甲陽軍鑑』の話ですが、元々信玄びいきに書かれた書物ですので、信虎が信玄をどこまで疎んじていたかは疑問です。天文5年(1536)、信玄が元服するときも、室町幕府12代将軍足利義晴の「晴」の字をもらい、「晴信」と称していますし、正室に京都の公家(三条夫人)を迎えていますので、嫡子として扱われているのは事実ですから。
嗚呼、哀れ勘助、養家と実家から追われ、行き着く先は思い人ミツの葛笠村しかありません。でも、まだ頼れる場所があってよかったね勘助。この不幸設定、個人的には好きなのですが、あまり重いと他の視聴者がついて来れるかどうか。あの最悪だった『MUSASHI』のようにならないことを願うのみです。
今回の歴史紀行は静岡県富士宮市が紹介され、僕が昨年正月に訪れた山本勘助誕生地や、代信寺の勘助両親の木像を取り上げていました。それにしても勘助もうひとつの出生地の愛知県豊橋市や、勘助が養子時代を過ごした牛久保の愛知県豊川市は紹介されずに終わってしまうのでしょうか。勘助がお守りにしている摩利支天像は、愛知県豊川市の長谷寺に安置されており(現物は親指ほどの大きさしかありません)、当寺の念宗和尚とはずっと親交があった関係で勘助の墓もあるのですが。
このまま勘助の育った三河牛窪(愛知県豊川市)が史跡紀行から埋もれてしまうのも可哀想なので、僕の写真を掲げておきます。

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JR飯田線牛久保駅下車。
牛久保城跡(写真左)駅から徒歩2分。長谷寺・山本勘助の墓(写真中央)駅から徒歩8分。
他に今川義元の墓がある大聖寺も近い。あと豊川といえば豊川稲荷(写真右・豊川駅から徒歩5分)です。稲荷寿司もおいしいよ! 詳しくは管理人制作の『風林火山をゆく』(英知出版)を読んでね。

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2007年01月17日

青春18きっぷで“スロートラベル”を楽しもう

本日は管理人以外の会員からの初投稿。記念すべき第一号は小関秀彦さんです。

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JRの格安切符の決定版「青春18きっぷ」が人気を集めております。一日2,300円でJRの普通列車が乗り放題となるため、格安旅行の定番アイテムとして“知る人ぞ知る”存在から徐々に一般層にも浸透してきました。旅行シーズンには同きっぷを題材とした刊行物も各社から出版され、レイルファンのみならず一般旅行者をも巻き込んだ静かなブームとなっています。旅好きが集まる本サイトをご覧の頂いている方の中にはご存じの方も多いかとは思いますが、ここでは本切符の利用方法をおさらいするとともに、その楽しみ方簡単にをご紹介します。
 青春18きっぷはそのネーミングから若者限定のイメージが強いのですが、年齢制限はなく大人も子供も利用可能(但し、ジパング倶楽部、学割などその他の割引との併用は不可)販売・利用可能期間は春・夏・冬の年3回となっており、販売価格は11,500円。1枚で5回使用することが出来、1回ずつスタンプが券面に押印されます。複数人数が同一行程で旅行する場合にも使用でき、その場合は人数分のスタンプが押印されます。
 片道71km以上、往復で141km以上乗車すればもとは取れるので、週末のちょっとした移動にも重宝します。また、ひたすら列車に乗り続けることを厭わなければ、高速バスをも遥かに凌駕する安価な移動が可能になるのです。

moonlightnagara.jpg

 さて、この切符を語る上で欠かせない存在が、東京と大垣(岐阜県)を結ぶ夜行快速列車「ムーンライトながら」(写真)です。指定券(通常期510円)を事前に買い求める必要があるのですが(下り小田原以西は自由席の設定もあり)、充当されている車輌は特急用車輌でそれなりに快適に移動できるとあって大いに人気を集めています。下りの場合東京駅を23時43分発、大垣には5時55分に到着。本切符の有効期限は24時から翌日の24時までなので、日付の変わる横浜までは別途乗車券が必要になりますが、それでも3,000円ちょっとで東京から大阪まで行けるわけですから相当に激安です。列車では高速バスとは異なり通路を歩き回ることもできますし、もじ眠れなければ25分程度停車する浜松駅でコンビニに買い物に行くこともできます。
 さらに、「ムーンライトながら」から普通・快速を乗り継いでいけば大阪には8時、岡山には12時、福岡にも21時頃には到達できます(もちろん追加料金はかかりません)。どこかの温泉旅館のコマーシャルではありませんが、“乗れば乗るほど得をする”きっぷなのです。また、一部区間を特急で“ワープ”(この場合は特急券の他、乗車券も必要)したり、夜行快速列車で連泊するなどの裏技を駆使すれば、さらに面白い日程を組むこともできます。駅の中にはトイレや売店もあるので、気が向いた駅で途中下車を繰り返していけば国内旅行の面白さも再発見できるのではないでしょうか。
 ここ数年、あくせくした世相のアンチテーゼとして“スローライフ”なる概念が脚光を浴びていますが、青春18きっぷが人気を集めている要因にはコストパフォーマンスの良さに加え、効率最重視の新幹線で素早く移動するだけでは飽き足らない層が増えてきたこと(個人的には新幹線も大好きです。新幹線の魅力と楽しみ方についてはまたの機会に)も挙げられるあるのかもしれません。
 さて、最後に私のことを少しだけ書きます。父親の都合で引っ越しが多かった私は、何故かどこに行っても鉄道沿線に住むことになり、気が付けばどっぷり鉄道にはまっていきました。高校時代には故・宮脇俊三さん、種村直樹さんの本の影響を受け、日本の鉄道の全線完乗を志し、以来周遊券と青春18きっぷを利用した乗り鉄がライフワークとなりました。一度は全線完乗を果たしたものの、20代後半からしばらく海外の鉄道に浮気したこともあって、近年の新規開業区間には乗り残しが多くなり徐々にフラストレーションが溜まってきつつあります。そこで、今年は年末を目標に再び全線完乗を果たすことを目指すことにしました。もちろん乗るだけではなく写真と音も集めていこうと思ってます。その経過は随時本稿にてご紹介して参ります。今年は久しぶりに「18きっぷ」を利用することが多くなりそうです。

投稿者:小関秀彦
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2007年01月18日

新年早々

今年松の内に受け取った年賀状は約350通。外国人からのクリスマス・年賀カードが30通。
 旅ジャーナリスト会議のメンバーからの内容を拝見すると、新年早々旅へ出たり、編集作業や執筆活動に多忙の様子がよく分かる。

 会員の皆さんと同様、私も忙しく、1月早々ふるさと伊那市の市民大学講座へ講師として招かれ、12日にテーマ「ふるさとへの思い」を一時間半述べてきた。生徒は200人、まさしく私と同年代の人々。終わってから中高の同級生がヒョッコリ楽屋へ現れて、うろたえた。
「ふるさとへの思い」と言ういわば個人が感情のうちに秘めて、表現しにくいテーマを一般論として述べることはむずかしい。そのままテーマに沿って喋れば、自分の「ふるさとへの信仰告白」になってしまう。それじゃー誰も納得しないだろうと不安がいっぱいだった。
 話の流れとしては、①ふるさとという言葉の歴史と外国語での表現。②ふるさと感覚の目覚め。③私のふるさと、伊那市への思い雑感。④私にとっての未解決の問題(今の居住地を第二のふるさとと呼べるか、郷土を愛することは即国を愛することに通ずるのか)など。
 なお質疑応答の最後に、入笠山山頂に設置が提案されている風力発電30機について、私の意見を求める質問があった。三つの条件で「反対」と述べたとたん、会場のあちこちから拍手が湧きおこって、一瞬場の空気が引きしまったように感じられた。

 翌日の地元紙は「ふるさと大使森田さん 伊那のすばらしさ 市民大学講座で語る」という見出しで、大きく報じた。そして私の現在の経歴について触れ「現在は『旅ジャーナリスト会議』の代表を務める一方、観光評論家などとしても幅広く活動している」とあった。今年は当会が一般紙の活字に載る戦略を積極的に進めたいものだ。

 明日はクリスマスカードと一緒に送られてきた、私のことを写真付きで報じた12月21日付けの外国の新聞記事を紹介したい。どこの国のどんな新聞か――お楽しみに。

投稿者:森田芳夫
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2007年01月19日

私のことがオーストリア東チロル州の日刊紙(ドイツ語)に載りました。

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年が明けてもなお海外からのクリスマスや年賀カードが届いていますが、10日にオーストリア人メスナー氏から届いたカードに、私と家人のカラー写真入りの記事が載っている新聞が同封されていて、本当にビックリしました。
 昨年9月14日、インスブルックからパノラマ画家フィールキント氏のアルファロメオで遥々3時間、アルプスをトンネルで抜けて、東チロルのアイネート村へ行って来ました。そこで故ベラン画伯(1915-1999)の展覧会が開かれていたのです。ベラン画伯は20世紀を代表する山岳パノラマ画家で、生涯に約600点のパノラマ画をインスブルックで制作、アメリカのナショナルジオグラフィック誌からも制作を依頼されたほどの名声を馳せた人です。日本を舞台に、富士山、スキーの白馬、地図の街佐原などを描き、弟子のフィールキント氏は上高地、飛騨全域を描きました。
 1982年、私はオリジナル出版の『ベランのパノラマーアルプスとヒマラヤの世界』を企画、編集し、当時編集者として勤務していた実業之日本社から発行、この本は大英図書館や各国の大学からも注文がありました。

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 新聞は「東チロル時報」06年12月21日。見出しは「日本の出版人がベラン展へ」とあります。そして「展示企画者メスナー氏がこの著名な編集者の来訪を特に喜んだ」と報じています。会場は室内展示と戸外展示に分かれ、戸外展示の広場には石を並べた世界地図が広がり、写真はまさに日本の部分を指差している情景です。

さて、明日は旅ジャーナリスト会議の年誌『旅行主義』第4号の執筆テーマを何にするか、20日例会で検討する内容を巡って、欠席会員から寄せられた話題などを紹介しようと思います。

投稿者:森田芳夫
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2007年01月20日

年一回発行の会員誌『旅行主義』第4号、今年の執筆テーマはなに?

1年1回発行の会員総執筆の雑誌『旅行主義』は、今日的な「旅」をめぐる問題が何であるかを会員で検討し、そのテーマに即した内容や、旅、地域起しなどのルポ、紀行などを満載し、関係方面に幅広く配布しています。
 今年は6月3日(土)に予定されているセミナーと総会にあわせて発行日を決定していますが、今日開かれる1月の月例会でそのテーマが決まります。

 これについて、過日会員である伊佐九三四郎さんから葉書を頂きました。
 今南半球オーストラリアのコジオスコ山などへ登山に出かけているとのことですが、その内容をご紹介します。テーマは次の通りです。
 
①追跡・団塊の世代
②変わるか観光地
③どう変わる観光地
④追跡・団塊の世代ジュニア 
大きなとらえ方として
⑤旅はどう変わるか

 これらも大切な検討材料として今日検討され次号のテーマが決定されますが、『旅行主義』の各方面の反応は思わぬところから来ています。
 2号(2005年発行)の特集『市町村合併と観光』に寄稿した拙稿「『美濃』の馬籠に木曽節が流れる」が、馬籠(現岐阜県地籍・元長野県地籍)にある島崎藤村ゆかりの展示館「藤村記念館」の理事長の眼に留まり、昨年夏同様の主旨でいいからと執筆依頼がありました。
 それは同館発行の「藤村記念館だより」116号に1頁で掲載されました。私の主張の骨子は「観光パンフレットに見る行政の悪平等主義は、そう扱われた者が内側から壊して行くべき」というものです。

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 興味のある方にはコピーを差し上げますのでお申し出ください。

投稿者:森田芳夫
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2007年01月21日

『風林火山』第3回「摩利支天の妻」

森田代表の3日連続投稿などもあって、しばらく管理人はお休みさせていただきましたが、日曜は管理人担当ということで、『風林火山』第3回です。
今回は史実とはあまり関係なく、最後以外はまったりとした内容でした。勘助が思い人ミツのいる葛笠村に行くと、ミツが妊娠中。勘助の子が宿っています。一方、晴信(信玄)も父信虎に疎んじられ、放蕩三昧の日々を送ります。そして以前出会ったミツを侍女に所望しますが、原美濃守が葛笠村へ行くと、ミツのお腹はすでに大きく、晴信に召し出すのを断念。このあたりは信玄と由布姫、勘助の微妙な三角関係の伏線なのでしょうか。
しかし、まあ勘助、ミツと農耕して暮らしているうちに、箱庭で城の縄張り造っているものの、ミツに「こんなところで百姓している人ではない」と問いただすと、勘助は「そなたはワシの城じゃ」と思いっきり家庭に入っている。似合わね~。本当だったらミツが「ワタシを捨ててでも天下に名をお残しください」と言い、勘助は黙って去っていくほうが実像に近いのに。実際の勘助の子としては、晩年に原美濃守虎胤の姪か妹を娶り、三男一女がいたとされます(新城市黒田の山本家系図)。文化年間(1804~18)に成立した『甲斐国誌』には、天正3年(1575)の長篠の戦いで、勘助長男の勘蔵信供が討死したと記されており、年齢を推察すると、勘助に子ができたのは1550年代とみられます。まあ、それ以前にも子がいたかもしれませんが、信玄に仕官して知行をもらうまでは所帯をもつなど難しいことだったでしょう(今回はミツのヒモになっていますが)。
貧しくとも幸せな日々を送る勘助夫婦に新たなる魔の手が。信虎が鹿狩りに出かけた際、信虎が鹿を射ようとしたまさにその瞬間、タイミング悪くミツの物音に気づいて鹿は逃げてしまい、怒りのあまり信虎はその矢先をミツに向けて放つというところで次回に続きます。
歴史紀行は今回愛知県豊川市が紹介されていました。当ブログでは一週間前の第2回で紹介しており、まさに予測が的中したといえましょう。今回のような史実にない設定ですと、そのドラマの舞台とは関係のない土地を紹介せざるを得なくなるのが辛いところです。甲府市も何度かに分けて紹介されることでしょう。でも、もうひとつの生誕地で知られる愛知県豊橋市賀茂町は紹介されないのかな?
ということで管理人の写真から先に愛知県豊橋市賀茂町を紹介します。

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JR飯田線豊川駅からタクシー。
豊橋市賀茂町字出口には山本勘助の生誕地の碑(左)があり、近くの菩提寺である本願寺(中央)には、勘助両親の墓も安置されています。またこの付近は勘助子孫の方が品種改良した勘助白桃(右)の産地でも知られ、甘くておいしいと評判。毎年夏場に出荷されます。クルマ以外のアクセスが不便なのですが、豊川市の地域文化広場(9~17時、月曜休)では、無料のレンタサイクルがあり、史跡散策の強い味方になってくれます。

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2007年01月28日

『風林火山』第4回「復讐の鬼」

いきなり衝撃的な信虎の乱行が描かれていましたね。勘助の思い人ミツに向かって矢を放ち、かろうじて摩利支天にお守りに当たって助かったものの、信虎は妊娠中のミツの腹を裂き……さすがに画面には写せませんが。この信虎の乱行は伝説の類なのですが、乱行で妊婦の腹を裂くというのは、豊臣秀吉の養子秀次や家康次男秀康の子松平忠直にも見られ、乱行に共通する行為ですが、もちろん一級史料には見られず、後世の創作と考えられます。
しかし、ミツの縁者関係を板垣信方が召し抱えるという設定にはちょっと無理が。そんな怨みをもつ人間を召し抱えれば、寝首をかかれる可能性が高くなるだけです。勘助なんかいきなり信方に斬りつけていますし。「無礼討ち」されてもおかしくないくらいです。結局、ミツに片思いしていた平蔵は甲斐を去り、勘助とミツの兄伝助と村人の太吉は勘助と一緒に武田家に仕えることになります。信玄の器量の大きさを強調したいような設定ですが、勘助は初対面では「青二才が」と怒って去っていきます。
勘助はその後、板垣に今川の間者として潜伏するように命じ、勘助はそのまま今川に情報を漏らし武田を滅ぼそうと画策します。この設定もすごく変。わざわざ寝返る人間を相手に送り込むでしょうか。それとも武田側も「埋伏の毒」で、勘助を逆利用しようとでもいうのでしょうか。
そして天文5年(1536)3月17日、駿河の当主今川氏輝と弟の彦五郎が急死。氏輝の弟にあたる正室寿桂尼の子で出家していた梅岳承芳(のちの今川義元)と、側室の子で出家していた玄広恵探との家督争いとなる花倉の乱へと発展していきます。まさかこの今川の内乱にまで勘助が首を突っ込む設定とは……ということは間接的に今川義元の人質であった松平竹千代(徳川家康)や織田信長あたりとも絡むのでしょうか。関西エリアの視聴率をとるには効果的ですが。
史跡紀行はいきなりとんで山梨県北杜市の山本勘助の子孫と伝わり、屋敷に勘助の墓がある山本勘助屋敷を紹介していました。これは勘助が信玄に正式に仕える天文12年(1543)以降に知行を与えられたと伝わる場所なのですが、ドラマではすでに勘助が仕官という形になっているので紹介したのでしょうか。うーんそれにしてもドラマとの関連性が薄い。この山本勘助屋敷墓は、勘助子孫の方の個人宅でこれまで一般にもほとんど知られていなかったのですが、昨年夏から公開されるようになったということです(墓参料100円必要)。最初訪れたとき、個人宅の所蔵品を拝観させてもらえるなんてビックリしましたが、そればかりか記念スタンプまで用意している力の入れようです。の勘助スタンプは家に伝わる肖像から起こしたもので、勘助が絵柄になったスタンプとしては全国唯一のものではないでしょうか(個人宅なので都合により墓参りできない場合もありますので予めご了承ください)。

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2007年01月29日

サヨウナラ鹿島鉄道

本年3月31日を以て、茨城県のローカル私鉄・鹿島鉄道が約83年間の歴史に幕を閉じることになりました。マイカーの爆発的普及、高校生の減少、貨物輸送の廃止などの様々な逆風にも堪え続けてきた同鉄道ですが、親会社の関東鉄道がつくばエクスプレスの開業によるバス事業の不振で同鉄道に対する支援を打ち切ったことが決定打となり、住民の存続運動も空しく昨年末、廃止が正式に決定したのです。
 私も廃止フィーバーの起こる前に一度ゆっくり乗車しておきたいと思い立ち、先週末鹿島鉄道の“乗り鉄”を楽しんで参りました。

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 同鉄道を訪れたのは約20年振りですが、鹿島鉄道石岡駅に至る跨線橋やホームの雰囲気は当時とほとんど変わっていません。さっそく土・日曜、休日のみ発売の「鹿島鉄道一日フリーきっぷ」(鹿島鉄道全線が乗り放題で1,100円)を入手。石岡と鉾田の片道運賃が1,080円なので、これはなかなかの“お値打ち切符”。乗車した車輌はKR500形という平成初期に製造された気動車。前回同線に訪れた際に乗車したのはキハ600であったので、本形式には初めての乗車ということになり気分も盛り上がります。ともすれば味気ない存在と思われがちなこの種の軽快気動車ですが、シートピッチも広く身体の大きい私にとっては快適な車輌です。また、大きな側窓からは車窓風景がじっくり味わえます。
 列車は石岡駅を出発後しばらく国道と併走。しばらくは郊外型量販店や分譲住宅が建ち並らぶ都市近郊の風情なのですが、常陸小川を過ぎると車窓は一変。田畑や雑木林が増えのんびりムードが溢れてきます。さらに、桃浦からは車内から霞ヶ浦が望めるなど、同鉄道の車窓風景はなかなかバラエティに富んでいます。霞ヶ浦が遠ざかってからは運転台横の立ち席スペースに陣取り、今度は前面風景を堪能。あっという間に55分の乗車時間は過ぎていきました。20年前は何気なく“斜め乗り”したので、これといった印象が残っていなかったのですが、今回は終始集中していたこともあってか、いつになく充実した旅行を満喫できました。

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 なお、鹿島鉄道にはKR500の他に、夕張鉄道(現存せず)出身のキハ714、元加越能鉄道加越線(現存せず)出身のキハ430(写真左)、元国鉄キハ07の改造車であるキハ600(写真右)など希少性の高い車輌が在籍していますが、残念ながらこれらの車輌も同鉄道とともに鬼籍に入ることが決定しました。 
 鹿島鉄道では現在記念硬券入場券やDVD、鹿島参宮鉄道時代の復刻懐中時計など“さよなら記念グッズ”を販売中です。詳しくは同鉄道ウェブサイト(http://www.katetsu.co.jp/)で。

投稿者:小関秀彦
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